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学び続ける集団へ

愛知県の小学校で教えています。情報交換をしながら皆さんと学び合い、そして多くの人と繋がりたいです。いつでも連絡ください。なお、メールはyudai7.iとgmail.comをアットマークで繋げています。よろしくお願いします。

2019-11-06

個別最適化の教育

21:35


西川先生の『個別最適化の教育』を読んだ。

個別最適化には、自分で選択すること、選択しないこと、この2つが同時に委ねられることに大きな価値があると思う。

特に重要なのは何かをしない選択肢もありだということ。友達と一緒にやらないということ、一人でやらないということ、今日は計算ドリルをやらないということ、教科書をやらないということ、そのあらゆる選択肢が任される。

どうすれば満足のいく結果を出せるのか、それにはどうしたらいいか。

子どもたちは自分ごととして主体性を以て思考する。

ときには成功をし、失敗をし、そのたびに次に向けての改善が図られる。

効率のいいメソッド、やり方…それは一体誰にとって?

友達と学んだほうがいい、一人で学んだほうが良い、それは一体誰にとって?

そんな問いを自分に向ければ、それは子どもたち一人一人は多様であるという結論に至るはずだ。

そして何より個別最適化の教育の在り方は担任の在り方をも変える。

それはこのブログを読んでもらいたい。

おすすめの一冊です。

2019-10-29

題材探しの奥義?

21:40

作家の時間。


2学期も継続できている。出版という形はかなりおざなりになっていて、そこはとても残念な点ではあるが、「書く」ということに関してクラスの空気が一段階上昇したのが最近感じる印象だ。


自分にとって価値のある文章を書くためには何が必要か。


いまの自分は、題材がすべてだという立ち位置でいる。


題材さえよければ、あとは勝手に書く、そうも思っている。


それくらい、題材について考えを巡らせることが多い半年であった。


子どもたちを見ていると、本当に書きたいと見つけたものに対しては熱中して書き続け、実際に読み応えのある、そんな文章が生まれる。


逆にネットとか使って検索するなど、まるで遠いところを追い求めるかのような題材探しをしていると自ずと文章も他人事感がにじみ出る。


題材探しの奥義とは、身近なところ、自分と近いところにあるものにいかに気付けるかどうか、その感度ではないか。


これはと思った文章はすべて、書き手に近い題材であった。家族や友人、クラスについてのエッセイ的な文章はなおさらのこと、物語であればその子の好みの作家の文体や雰囲気に似せたものなど。


その子ではなく、誰でも書けるような文章は書いてほしくない。時間は有限であるからこそ、何を書くかについては慎重になってほしい。しかし、慎重になりすぎていては取っ掛かりがつかない。それは、私達のバランス感覚が必要。


自分に近いものこそが、題材であるという認識、その感度を育てるには、やはり作家の時間を一単位時間から超えた日常的なものとして浸透させなければならない。


アンテナを高く張ること。何か書けないか、書くことができないかといった視点で生活をおくること。そのうち、あっこれは書けそうとか、これは書きたいと思うものがふいにやってくる。それをいかにストックできるかである。

2019-10-28

波があることで救われる

22:25

久々の投稿です。


20代も終盤に差し掛かり、今の自分を季節で例えると、収穫の秋という感じです。


初任を経て、2年目から『学び合い』を初めて数年、種をまくという形で自分が積み重ねてきたものが実を結んだという実感があります。


短い目で見ても、長い目で見ても、人生には波があるのだと思いますが、その中でいまはきっと、上昇局面を迎えているのだと思います。


そう、人間の調子には波がありますよね。


浮いたり沈んだり。上昇をたどったり、下降まっしぐらだったり…。


現象的な身体の調子も、精神的なそれも、どれも均衡を保とうと、身体はバランスをとろうとします。ホメオスタシスという機能ですね。


最近は専科の授業以外はすべて『学び合い』です。


分かる人は分かると思うけど、何時間もぶっ通しでやっていると、その中で調子のいいときもあれば、よくないときもある。


なんか集中できない、捗らない。友達と関係のない話を無意識で持続させてしまう。


そのような場面を必ず迎えます。


で、そこにおいて、ボクたちがどのような立ち位置で子どもたちを見るかということに、『学び合い』が中長期的に機能するための鍵があると思っています。


そこで、波の考え方です。この考え方は子どもたちと同時に、ボク自身も救ってきました。


株式や為替相場には、エリオットという相場に機能する理論があり、そこからヒントを得ました。


簡単に言うと、上昇、下降局面では、いくつかの波を経由してそのトレンドをたどっていくというものです。


もっと簡単に言うと、上昇するには下降が必要であるし、逆も然りであるということです。


一見相場にのみ機能するような概念ですが、それを人間の調子、浮き沈みに当てはめてみたということです。


特に下降という局面が訪れるという共通理解が自分にとって教室での自分の緩やかな立ち位置を保障しているように感じます。


下降を経てこその上昇、上昇への溜め。だからこそ、今調子が悪いこと、うまくスイッチが入らないことは必ず無駄ではない。いつか来る上昇への大切な、大切な溜めなんだよ、そう言えるようになりました。


それには、教室は上昇一直線の場ではなく、上昇もあり下降もあり、そうでもないような時期もあり、そんな様々な局面がたしかにあるのだという文化が根付かなければなりません。


ミスやトラブル、ハプニングに対する教師の姿勢がそれを形付けるように思えます。


まだうまく言葉にできませんが、まとめると、『子どもたちを信じるため』の余白を頭の中につくるイメージです。

2019-08-03

自己責任論

19:07

ひょっとしたら僕は、血の通っていない自己責任観を、子どもに押し付けていないか。


そう考えたとき、この職業はなんと恐ろしいものだと思った。


暴力的ともいえよう。


当然のごとく、学校現場には安易な自己責任論が蔓延っている。


ちょっとでもまずい指導をした、自分の意にそぐわない在り方の教員を影でバッシングし、指導が通らない生徒を自己責任論を免罪符にし放置。それどころか、他の生徒にこれみよがしに知らしめ晒し上げる。


自分の首を自分で絞めていることにも気づかず、他者の背景も理解しようともせず安易に断罪していく、そんな学校が生み出してしまったものが今のこの日本社会なのではないか。


この問いから僕たち教員は逃れられない。いや、逃れることはあってはいけない。

時代をみる

14:20

大阪セミナー終了。


一貫して自分には時代を俯瞰する能力と言うか、見ていこうとする意志みたいなものがなかったのだと感じた。


その必要性すら感じることなく今に至ってしまった。。


だからこそ、限られた時間の中、本を読むという選択をするのなら、内容は教員向けのものに行き過ぎることは危ういなと今回のセミナーを通して感じた。


むしろ読まなくてもいい、偏っているがそう思いさえした。


今自分の部屋を見渡すとそんな本ばかり。


つまり今の自分を形作っている世界は、こんなにも狭いものなのだ。


最近自分が考えているのは、どっちかというと国語をどうするかとか算数をどうするかというよりも、自分の抱えている問題意識を子どもに還元するためにはどうしたらいいかということにシフトし始めている。


学び合い』も出発点としてはそこだったけど、今はもっと深層に届きたいという意識が自分の中でうごめいているのを感じる。


そのためにも教科、教員という狭い枠組みで考えすぎることを意識的に調整し、時代を俯瞰するものの見方を養っていかなければなと。


結局はバランスなんだよな。教員向けの本を読まなすぎてもいけないし、読みすぎてもいけない。


そういうある種折り合いを自分の中で付けていかないことには、いつまでたっても変われない。


転換をしないと、子どもに響く道徳の授業はできないのだろう。

2019-07-29

2019年夏

23:44

明日から大阪、8月は富山、新潟と、「研究集団ことのは」や堀さんのセミナーに参加する。


こんなのは夏休みにしかできない。学校の研修も当然ある。バランスなど取れていない(笑)


でも時にはバランスを欠いた状態から得られるものもあるに違いない。


この夏、ひたすら考え続けることで見えてくるもの、逆に見えないもの、遠くに感じるもの、そうでないものを自分自身の手でかき分けていきたい。


子どもたちに秤を磨けと言っている以上、そうすることで得られるものを語れなくちゃいけないのだ。


それが本気となり、響く語りになる。