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学び続ける集団へ

愛知県の小学校で教えています。情報交換をしながら皆さんと学び合い、そして多くの人と繋がりたいです。いつでも連絡ください。なお、メールはyudai7.iとgmail.comをアットマークで繋げています。よろしくお願いします。

2018-10-21

明日話すこと

13:02


明日はこんなことを子どもたちに話そうかと思っている。



・今回立て続けに起こっていることは、要は遊び半分、軽口が主な原因である。


・これは、君たちのクラスの状態が悪くなっているということを私は言いたいのではない。人間関係について学ぶべき新たなステージに突入したということの現れではないかと思っている。


・『学び合い』の考え方による授業によって仲が深まってきたからこそ、今までの自分にはなかったものが浮き彫りになり、それが「やりすぎ」という形になって問題化する。


・つまり私たちは、これからは今まで以上に他人の気持ちを思い、自らの行動を振り返りながら人と接していく段階にきていると思う。


・総じてクラス、ひいては君たち1人1人が大きく成長できるきっかけになると確信している。


・そのためにも、できるだけ自分の視野を広げ学級を見てほしい。その際に、上記のような行動が見られたら「やりすぎだよ」と言ってあげてほしい。


・今起こっていることはこのようなことであると、私は自分が考えてきたことを君たちに話しました。では、君たちがこの1週間どう友だちと関わっていきたいかを今日の授業や休み時間の過ごし方、立ち振る舞い方で私に見せてほしい。



これに欠けている、補ったほうがいい視点があればご教示ください。

2018-10-20

新たな局面

21:47

今週いくつかの生徒指導事案が発生した。


どれも完ぺきとは言えないが、自分の中では及第点の対応ができたと思われる。


というのは、事実確認と指導を明確に分けようと意識する癖が自分の中についてきた。


これまでは、事実確認の段階で心の在り方に踏み込んでしまう事が多かったのだ。


何度それで失敗をしてきたことか。言われないだけで、何人の子どもの信頼を失ってきただろうか。


その癖を自覚したうえで、事実確認の段階で心でっかち的主観要素を排すことを徹底した。


今週一連の流れで、かなり生徒指導の原理原則が自分の中に落ちたように感じる。


堀さんの生徒指導10の原理・100の原則。たぶん初任くらいに買ったもので何年にもわたって読み返してきたが、ここでようやく、ようやく知識段階から技術段階、さらに技能段階へほんの少し移行できたと思われる。


ただ上記にあるように、あくまで及第点レベル。最低限のことができるようになった、つまりそれはやってはいけないことをしなくなったということと同義であり、ここから飽くなき自分という教師像に合った生徒指導の在り方を模索していくことになるだろう。


さぁここからが本題なのだが、今回発生した事案はなぜ起こったのだろう。


自分の学級経営の在り方、子どもに接する教師としての自分の在り方に欠けた物があったのだろうかと。


いろいろな人に話を聞いてもらったが、今自分の中の結論としてあるのはこうだ。


10月に入り、停滞は見られず、運動会の疲れをはねのけて子どもたちの状態はいい。


授業内で固定化されてきた人間関係も緩やかになってきて、その中で新たなかかわり方を見せる子どもたちが増えてきた。


それによって休み時間などふと肩の力を抜く、そんな瞬間に子どもたち同士の間で新たなものが表出する。それは普段接する人とのかかわりの際に表れるものではなく、『学び合い』によって新たにつながりあった、新しい関係性が交わる際に表れるものだ。


つまり、子どもたちは新たな局面に入ろうとしている。


遊び半分、軽はずみなことが引き金になってしまった今回の様々な事案。


それは新たな人間関係の作り方、かかわり方を彼らは失敗をもって学ぶタイミングがここに訪れたのではないかと私は思うのだ。


だからこそ、一つ一つの事案を丁寧に取り上げ、しっかりと起こった事象についてメタ認知させてやり、クラスに対して問題の本質的な意味を語ってやり解決を促すことが今の私にできることなのだろう。

2018-10-16

結局

21:25

学習の仕方…最近言っているが、


自分が教えてやれる学習の仕方とは何だろう。


結局それは、自分にのみフィットするやり方であり、万人にフィットするとは限らない。


では教師は集団に介入する場合どんな観点で子どもに指導したらいいのだろうか。

2018-10-10

勉強の仕方

22:15


▷子どもに任せる。子どもたちが自らの学び方を選択し、各々が学習を進めていく。一見聞こえのいいこの言葉。だが、それが全く機能していない子もいる。なぜだろう。


▷いろいろと考えながらこれを書いていてやりたいことができた。勉強の仕方について一度本腰を入れて子どもたちに交流させよう。そもそも、以前私は定着の重要性を語っていなかったように、今回もまた、勉強の仕方を身に付けていくことの重要性について語っていなかった。

rx178gmk2rx178gmk22018/10/11 06:30そこが『学び合い』の先にあるもののひとつです。大切なのは、子どもが子どもから学習の仕方を(言い方が悪いですが)「盗む」ことです。どうやってそこに関心を持つか、どうやって聞き出すか、どんなところを見ているか、そこに先生が視点を置くと、子どもたちの『学び』の姿が見えてきます。

yudai7-iyudai7-i2018/10/16 21:20学習内容ではなく、学習の仕方に観点を置くことの重要性を最近実感し始めています。

2018-10-09

現在地の自分

21:17

国語で書いた提案書。


提出されたものの中に、人間関係についての提案が多く見られた。


そこには人間関係を、大人になってから必要なもの、社会に出てから必要なもの、より人生に潤いを持たせるために必要なものといったメタ的な視座で以て書かれているものが多く、正直驚いた。


特に印象に残っているのが、子どもから全校『学び合い』が提案されていたこと。


私は『学び合い』のバックグラウンドについて、いよいよ固有名詞を挙げて最近になってようやく子どもたちに話し始めているのだが、クラスの枠を超えた全校規模で実践することについては話した記憶がない。


今手元に提案書がないので、どんな文章だったのかはここには書くことができないが(そんなときの為に手帳ってあるんだけど…笑)、『学び合い』の文化が少なくともクラスの一定層には確実に根付いているものだと思い嬉しかった。


正直、ここまでやっただけで、不遜ながらこの集団に対して大きな宝を残せてやれたのではないかと思ってしまう。(今酔っています。)


特に内容を決めるでもなく、無造作に子どもたちを放った学級レクを見ていると、時間を経るごとに関わり合う集団が合わさっていき、逆に離れたりしているのを見ていると、緩やかに関わり合っている姿を見ると、4月よりも変わったなと思う。


いや、変わったというよりも戻ってきたなと言ったほうがいいのか…。


集団としての凝縮性は高まってきた。しかし、まだまだ満足いかない。


というのも、私は依然として彼らが学習者集団として十分機能しているのかと問われればまだまだ頷くことができないのだ。


最近感じるのは、算数での分数の計算。果たして『学び合い』の考え方だけでいけるのだろうかと思うほど、満足のいく出来ではない。


これはどういうことだろう、なぜだろう。


そう考えてみると、たどり着くのは自分自身であり、私がおそらく授業中にしてはいけないことをしているのだろうと思う。


それは何か、やはり介入する頻度が高まっていることなのだろう。


介入自体は悪くなく、むしろ真に育った集団ならそんな介入自体もろともしないのだろうが、このタイミングでやるべきなのか。そもそも、私は一体どんな顔で、姿で子どもたちの中に入っていっているのだろう。


協同学習における教師の介入の在り方。


そして最近特に感じる、個々の学ぶ力を高めていくには…


つきない疑問。


このブログを始めてから2年になる。明日は、明後日は、そして10年、20年後は…自分はどんなことをここに書くのだろう…。