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心うなずく方へ、進め ー山形:高ー このページをアンテナに追加 RSSフィード

□自己紹介□
山形県で高校教員をやっておりますtkrst1227と申します。担当は理科です。'17.05に『学び合い』(二重括弧の学び合い)に出会い、'17.12から実践を開始しました。知識も実践期間もまだまだ浅いですが、自分自身が日々学び成長しながら、目の前の生徒のためになることに取り組んでいきたいと思います。県内外の方で『』や授業改善のために情報交換してくださる方がいらっしゃいましたらsummerkick56あっとまーくgmail.comまでご連絡くださいませんか。よろしくお願いします!

□ご案内□
◇山形『学び合い』の会
主に鶴岡と寒河江の中学校の先生方が中心となって定期的に開催されている研修会です。『』を実践されている方をはじめ、『』を知ってはいるけど実践はしていない方や『』について殆ど知らない方も参加されます。次回の開催は〈未定('1908現在)〉です。一緒に参加しませんか?多くの方をお誘いします。

◇チーム山形勉強会
授業改善をコンセプトに定期的に開催される有志教員による勉強会です。各人の日々の授業における問題課題を持ち寄ったり、テーマを決めて協議したりと取り組み方は様々です。次回の開催は〈未定('1908現在)〉です。こちらにも多くの方をお誘いします。

※どちらも開催が決まりましたら随時更新してご案内いたします。

2019/09/10 (火)

“一人も見捨てない”から考える

06:24 | “一人も見捨てない”から考える - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー を含むブックマーク はてなブックマーク - “一人も見捨てない”から考える - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー “一人も見捨てない”から考える - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー のブックマークコメント

これまでの私は、この“一人も見捨てない”ということが中々自分のものになっておらず、語りの中では取って付けたように「一人も見捨てずに全員達成を目指そう」という感じであった。

『』を知ったからと言うこともあるが、自分自身がこれまで“一人も見捨てない”という視点を持つことが出来たか、あるいは持てたとしたらどうであったか、更にはこれからその考えの元で周囲の人と関わり生きていくことを考えてみればどうか、様々考えた。言うまでもなく世の中に多種多様な方が居る中で、好きか嫌いか、あるいは得意か不得意かという短絡的に思える基準で周囲の人と関わり合って人間関係を構築し、物事に取り組んで行くとも出来るだろうが、そうであってもうまくやる、折り合いをつけられれば出来ることや見える世界が増え、知らないことが分かるようになると思う。そして、そちらに向かうことが正に自分にとって“得”であると感じる。

さて、昨日の授業、1・2年生の計三クラスの授業の最初、目標である全員達成について語り直した(常日頃、クラス目標としては全員達成を強調している)。その全員達成を目指す理由、それは一人も見捨てないことを求め続けた結果として現れること、そして、一人も見捨てないことは、君たち自身が現在やこれから多くの方とうまく関わっていくことで自分に出来ないことが間接的に出来るようになり、分からないことも分かるようになっていく。そのための目標(=全員達成)なのだ、と。

三クラス、ガラリと変わったわけではない。が、各クラス、一人か二人か三人、これまでと異なる行動(普段話さないクラスメイトに関わっていく、ネームマグネットを見て友人に声がけしていく等)をしていた。例の2割を担うこの生徒たちをしっかり見取りながら、2割にクラスを変えてもらう(動かしてもらう)時を待とう。

2019/09/06 (金)

“全員達成”を目指す理由や目的を改めて考える。

22:55 | “全員達成”を目指す理由や目的を改めて考える。 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー を含むブックマーク はてなブックマーク - “全員達成”を目指す理由や目的を改めて考える。 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー “全員達成”を目指す理由や目的を改めて考える。 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー のブックマークコメント

常に授業の最初に「一人も見捨てずに全員達成を目指そう」と言ってタイマーのスタートボタンを押す。ではなぜその目標が必要か。それを生徒に如何に語るか(全員にではなく2割に届けば、と思いながらも、全員に出来れば分かって欲しいという思いを持っているのが、もしかしたら足枷になっているのか。あるいは、やはり目の前の授業を良くしたいがために言っているのか自問自答…)。

最近気づいたのは、目標でもある“全員達成”の意義を語らなければということから、一人も見捨てないことの結果が全員達成と考えるのであれば、その一人も見捨てないことを求め続ける、あるいは、自分の言葉になり切らない(“一人も見捨てない”を自分のものに出来ていない)のであれば、違う形でも助け合うことや協力することを求める、人との関わりを有意義にする、それを得を感じさせることが必要なのではないかということである。

10年後や20年後の姿を思い描き、そのための語りとして言えているか。生徒生徒と言いながら、自分自身が“見捨てない”ことを諦めてないか。自分自身が思っているハズのことが、視点を変えれば違う意味を持つんじゃないか。あれこれ引き続き考えることとしよう。

2019/09/02 (月)

“全員達成”をいかに語るか。

22:42 | “全員達成”をいかに語るか。 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー を含むブックマーク はてなブックマーク - “全員達成”をいかに語るか。 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー “全員達成”をいかに語るか。 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー のブックマークコメント

こんな語りで生徒に(二割でいいので)伝わったらいいなと、授業前にあれこれ考える。しかし、授業そのものを見て、良い所を伝えつつ、次はこうしたらイイんじゃないかと語る。それが授業のため“だけ”になっているのではなく、みんなにとってプラスになるんだぞと(私は、みんなにとって得であることを、プラスという表現に置き換えていうことが多い)語る。その中で、授業の最初に掲げる“今日も全員で全員達成をしよう”ということが、中々浸透していない感じがする。正確には、クラスによってかなり差が出てきた。同じように言っているハズなのに、何故か差が出る。生徒が違うからか、その通りであるが、その違いを埋める何かを見出だせない。やはり、自分のレベル、特に視座をより高めないといけないなと、授業中の生徒を見て、『』からの観点で生徒を分析し、果たして自分が理想と捉える状況にどう近づけられるか、それが現在の大きな課題である。