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心うなずく方へ、進め ー山形:高ー このページをアンテナに追加 RSSフィード

□自己紹介□
山形県で高校教員をやっておりますtkrst1227と申します。担当は理科です。'17.05に『学び合い』(二重括弧の学び合い)に出会い、'17.12から実践を開始しました。知識も実践期間もまだまだ浅いですが、自分自身が日々学び成長しながら、目の前の生徒のためになることに取り組んでいきたいと思います。県内外の方で『』や授業改善のために情報交換してくださる方がいらっしゃいましたらsummerkick56あっとまーくgmail.comまでご連絡くださいませんか。よろしくお願いします!

□ご案内□
◇山形『学び合い』の会
主に鶴岡と寒河江の中学校の先生方が中心となって定期的に開催されている研修会です。『』を実践されている方をはじめ、『』を知ってはいるけど実践はしていない方や『』について殆ど知らない方も参加されます。次回の開催は〈未定('1904現在)〉です。一緒に参加しませんか?多くの方をお誘いします。

◇チーム山形勉強会
授業改善をコンセプトに定期的に開催される有志教員による勉強会です。各人の日々の授業における問題課題を持ち寄ったり、テーマを決めて協議したりと取り組み方は様々です。次回の開催は〈未定('1904現在)〉です。こちらにも多くの方をお誘いします。

※どちらも開催が決まりましたら随時更新してご案内いたします。

2019/04/17 (水)

一年生の授業

23:48 | 一年生の授業 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー を含むブックマーク はてなブックマーク - 一年生の授業 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー 一年生の授業 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー のブックマークコメント

一年生の担当3クラスのうち2クラスで実質最初の『』での授業を行った(前回の初回はガイダンス。一年の流れと授業の流れを簡単に説明した)。

「どう動いたらよいか」が本音のところだろう。ガイダンスでも心掛けた“課題はシンプルに”と“初めからあまり言い過ぎない(求め過ぎない)”を暫くは継続し、生徒の行動言動の見取りをしっかり行っていきたい。それにしても、改めてクラスの色の出方に驚くし、イキイキした生徒の姿はイイ。授業後に書かせている振り返りカードに「先生が教えるよりも頭に入る」と、知ってか知らぬかズバッと書いてあった。その通り(笑)!

2019/04/13 (土)

『学び合い』仙南の会に参加して。

21:47 | 『学び合い』仙南の会に参加して。 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』仙南の会に参加して。 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー 『学び合い』仙南の会に参加して。 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー のブックマークコメント

今日の午後は久々にこちらの会にお邪魔させて頂く。

この会はプログラムが決まっているのが通常であるが、今回は参加者によるフリートーク形式。最初の自己紹介の中で今年度の目標や繋がりたい人、今日話をしたいことを各自述べた後に自然とトークがスタート。なんと今日は白石城本丸跡が会場という斬新さ!天気もよく桜も咲き誇り開放的に様々な話ができたし聞くことができた。様々な方の実践の話(本人がしたこと、誰かがしていたこと)や、教育関係じゃない方からの教員に対する見立ては新たな気付きを与えてくれる。新年度が始まっての職場の現状について全員で協議したあの感じ、職員室にもほしい空気感だった。

もっと話をしたかったが、意外に肌寒くなり5時に終了。懇親会は家庭の都合で参加せずに帰宅。今年度も仙南の会には足しげくお邪魔したいと思います。

2019/04/12 (金)

今年度の授業開き

05:47 | 今年度の授業開き - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー を含むブックマーク はてなブックマーク - 今年度の授業開き - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー 今年度の授業開き - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー のブックマークコメント

昨日から新年度の授業が始まった。今年度も引き続き1・2年生の授業は『学び合い』の考え方で進めていく予定である。

昨日の2クラスはどちらも2年生。つまり一年間『』の授業を経験してきている。昨年『』での授業をする理由として「将来はこんなこと(こんな状況)が予想される。だからみんなにはこんな力をつけていってほしい」というニュアンスで伝えた。その時もそうだったが、伝えたその未来が明るくて楽しそうだという印象というよりは、複雑で大変そうだという感じになってしまっていた。

そこで今回(今年)は、少々予想される未来のことには触れつつも、これからみんながなる“大人のイメージ”を考えてもらい、色々あるけど自分がそのうちなる大人が面白そうだと感じてもらい、そして私からこんな大人はどうだろう?という理想の大人の姿を伝えた。そして今年も『』の授業で頑張ってみないかと伝えた。加えて、2年生は3月に一年間『』の授業をやってみてのアンケートを実施していたので、自由既述のうち①ついたと思う力と②大変だったこととを各クラス分それぞれ紹介して振り返った。その上でこれからどう出来るかを考えてくれた人もいれば嬉しい。

『』での授業実践は二年目に突入する。特に連続して取り組む2年生の反応や成長の様子を見取りながら、言葉掛けや行動の価値付け、振り返りカードの活用見直しや課題作りの工夫など、自分自身ももっと進化していければと思う。

2019/03/27 (水)

『』の授業についての対話。

23:59 | 『』の授業についての対話。 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー を含むブックマーク はてなブックマーク - 『』の授業についての対話。 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー 『』の授業についての対話。 - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー のブックマークコメント

久々の投稿。

今年度の授業はすでに3月初旬に終了。今年度の振り返りを間延びしながら投稿していこうと思っていて、あっという間に時間経過。振り返りそのものはまだまとめてないので記載できない…。

ただ、今日は、職場の同僚先生と話をした。自分が一年間実施してきた『学び合い』での授業に関してである。


結論から言えば『』を否定する話であった。その先生は教授法(対話中に私が“一斉講義型”と言ったものの、その方が終始その表現をされていたので、そう言います)が生徒に対してなすべき事であると捉えているようであった。授業でこそ生徒との信頼関係を築くことができ、教師の本気は授業で伝わるもので、だからこそ教授法の授業で生徒に対してどれだけの教師の本気度を指し示すことができるかが肝心であるという内容であった。その話になる直前に、私が担任しているクラスの生徒が、とあることをきっかけに私には語らない科やクラスの悩みをその先生に相談したことがあった。やもすればそれは私に対する当て付けか?とも取れなくないが、そこまでの意図はないように思われた。

また、『』の授業では、クラスの文化を目の当たりにする。正確に言えば負の様子を垣間見る。その部分にもこのように話した。わざわざ授業の中で見ようとするものでないし、その時間がもったいない。授業は生徒の力を伸ばす時間、そんな時に、例えば談笑する場面とか寝ている場面とか、見る必要ないし見ても意味がない、と。私は補足という感じで、見ようと思ってやっているのではなく、教授法の授業で見えない(隠れている)姿が現れただけのこと。その姿の良いところ改善点を言葉で伝える、そのように言った。

あと、その先生は、とあるサイトを見て(『』に関して否定的なサイトのようである)私がそれに拘りすぎているのではないか、教授法を否定しているのではないか、生徒のことをまったく見ようとしていないのではないか、『』を普及活動しているのではないかと、心配しているという言葉で発してきた。言葉の裏側はどう考えているか、正直分からない。生徒から強い批判があったわけでもなく(ただ、年度始め、私の授業を受ける生徒が「授業では教えてくれない」っていってたよとは話してくれた)教員からもなにかあったわけでなく、純粋にその先生の考えだということであった。

私なりの考えを伝えた。正直どこまで伝わっているのか。分かってもらおうとは思ってないと言ったら嘘になる。勤務して二年が終了しようとしている現地点、その先生とは懇意にさせてもらってきただけに、とても丁寧な言葉で柔らかい表現を使ってもらったが、中身は痛烈な批判。なんか残念な気持ちになってしまった。

“分からない人に分かってもらおうとしてはいけない”とは分かっていても純粋にそうはいかない。一方で、自分自身の観もまだまだ未熟であること、もっと成長させなければいけないということを痛感した。中々難しいものた…。

2019/03/12 (火)

“思いを言葉にする”のと“思いが言葉になる”のは同じか違うか

22:39 | “思いを言葉にする”のと“思いが言葉になる”のは同じか違うか - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー を含むブックマーク はてなブックマーク - “思いを言葉にする”のと“思いが言葉になる”のは同じか違うか - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー “思いを言葉にする”のと“思いが言葉になる”のは同じか違うか - 心うなずく方へ、進め ー山形:高ー のブックマークコメント

私は「』で実践をして一年。この一年は“たかだか”と思われるだろし、自分でも半分は走思う。しかし、残り半分は、これまでの自分をガラリと変えた、変え続けた一年であったので、自分自身“たかだか”と軽く見なすつもりは毛頭ない。

そんな私が最近のFacebookにおいて「一人も見捨てない」という言葉に対する真逆の考え方や価値観、あるいは『』の捉え方や感覚が現在の私と異なる、更に言えば異を唱える人の存在に対して、なにかガツンと頭を叩かれたような衝撃を受けた。自分が思いをよせる、信じていることに批判的な事象を知って、穏やかな人はいないだろう。でも決して私自身批判で見返すようなことはしない。あくまでそういう考えの方もいるだなと、多様な状況を確認できた大事な瞬間だった。

同じ言葉でも、その言葉を使用する人の思いや背景で変わることがあるだろうし、同じ人が同じ言葉を発しても、受け取る側のバリエーションやコンディションによって伝わり方が変わる。そういう意味では「一人も見捨てない」がことなるニュアンスになってしかるべきだろう。

更には、その「一人も見捨てない」という思いを伝えようとして言葉にするのと、思いから言葉になるのでは違うような気がする。どちらでもいいような気もするこの悩みは、自分自身の思いの強さが果たしてこれでいいのか、そう考える時点でまだまだなんだろうなと痛感する。

目の前の子どもや生徒たちが一人一人違うことは十分承知で、伸び方もその日その日で、教科科目で違う。でも、その一人一人の幸せを願うのは教員だけでなく家族も地域の人も同じハズだ。それなのに「一人も見捨てない」という言葉の意味合いで議論になるのも、それぞれの手法で議論するのもナンセンスなんだな。そもそも『』は考え方なので、比較も何もないからな。

とりとめもない文章ですみません。書いていて、さらにモヤモヤが残った…。ただ、以前ある方が言っていた「誰かの言葉が自分の言葉にならない限り、その言葉を思い通りにはうまく使えない」ということはその通りだなということは間違いない。