元気と勇気は誰でも出せる 

2020-01-06

[]オートポイエーシスなゼミ

本務の始まりは,院生の研究相談(個人ゼミ)からの学部ゼミでした。G2(学部2年生)本格デビューということで,彼らの「共有力」を見せつけられました。

 アイスブレークから始まり,次に,G2に向かって学部がどんなことをここまでやって来たか(学部の足跡)を年間スケジュールと画像をもとに見せました。

 次にG3が,冬休みの課題をプレゼンしました。冬休み中に読破した書籍と学術論文をレビューしました。彼女ら,前々からすごいと思っていましたが,本当に凄かったです。よくこれだけ読んだなあと思います。内容も量も自分たちで決めました。

 次にG4の卒論について。7人のG4が自分の卒論のあらすじを後輩に伝えます。適度にユーモアを交えながらコンパクトに伝えていました。ということは,頭の中に研究ストーリーがしっかりとできているということです。G2にとって,自分たちのこれからに見通しを持たせるに十分な内容だったと思います。

 パート,パートの意味付けも全部自分たちでやるので,私の出る幕がないのです。学部の足跡の画像を見たときに,私は映っていませんでした。私は彼らの視界に入らないところにいるからです。私が彼らの視界に入るのは,「ここぞ」というときだけです。彼らが学級担任になったときに,そういうマネジメントをしてほしいと思っています。

 今日は,その「ここぞ」で時間をオーバーしてしまいました。まだまだです。オートポイエーシスなゼミを目指して2020も歩みます。

2015-11-25

[]実践の蓄積

 昨日の研究会は見事だった。

 中学生たちが日常の音楽の授業で美しく大きな声で歌い,学級活動で生活の在り方を真剣に振り返り,国語,数学,英語で楽しそうに仲間とかかわりながら課題を解決していた。

 しかし,授業は至って「普通」。特別なことはなにもない。例えば英語では,タブレットもインターネットもなく,あのインテリ系の外国人お笑い芸人とそっくりなALTがいただけである。そう圧倒的に「普通」の授業群なのだ。

 研究校でもない一般校で,そこにいる教師達はみなあたかな笑顔で授業し,生徒達は笑顔で探求活動をしていた。でも今時,こんな普通の教育活動が展開できる学校は,何かどこかで特別なことをしている。研究計画が実にしたたかで的を射ている。昨年は,とにかく土壌づくりをしていた。そして今年から授業改善に取り組み始めた。

 それにしても,かつては荒れた時代もあったというのに,2年でこんなに変わるものか。やはりそこには隠れたシステムがあった。校長先生が前の学校で同様の研究指定を受けていて成果をあげてきた人だった。この校長先生は,そのシステムをそのままこの学校で適用したようだ。この地域が,教育委員会,学校,管理職,職員の関係性,同僚性がもともとよいというリソースがあることを加味してさらに,「蓄積」が機能していた。

 実践界のよくも悪くもどちらにも機能する伝統として「出典・引用」を明記しない文化がある。これによってうまく行く場合もあるが,うまくいかない場合は,いつも同じようなことを繰り返す傾向がある。つまり,別の学校の成功や失敗に学ぶことができないのである。先行実践に立脚して取り組めば,失敗も成功も一段上のレベルになるのに,それをしないから,良い学校の良い実践が発展しない。また,同様に,同じような失敗をしているがある。研究ではそれがなされるが,実践ではほとんどそれを見ない。みんな「オリジナル」なのである。そんなことは普通無い。オリジナリティなんてものは,湯葉みたいなもので,表層の薄皮のようなものがほとんどである。

 この学校の場合は,校長先生がデータバンクになっていたのである。前の学校でやった成功と課題をこの学校で修正し追実践しているわけである。だから,当然,質が高くなる。

 学校で出す研究紀要をデータ化した教育委員会などが整理して,各学校で共有したらいい。そうしたら研究主任や先生方の負担は驚くほど減るはずである。研究紀要に,出典,引用の欄が当たり前に記載されるといいなと思う。

 あ,そういえばこんなことを昨年学長と電車の中で話したんだった・・・思い出した。

 

2015-10-28*[考]基準

尊敬するあるベテラン教師から連載に対する心のこもった感想をいただきました。

「今頃ようやく、教育相談11月号の 『 もし今フォローできるなら』を読みました。泣きました。

ヒデノリさんの姿が、言葉が胸にきました。今の姿をクラスメートに見せるということは、クラスで過ごしたその時間がかけがえの無いものだったからでしょう。私たち教師は、言葉を使って子供達とコミュニケーションをとることが主だと思いがちですが、私の振る舞いや佇まい生き方そのものが子ども達に影響を与えているのですね。子どもとの信頼関係があっての先生のご指導だと思います。

森俊夫先生の『信頼することとは、リソースとストロングを見つけること、信頼しないということは,信頼しないということは問題と病理を見つけること』という一文に触れたばかりでした。先生の指導は信頼の上に立ったものだったのですね。ヒデノリさんのストロングを見つけていたからこその指導だったのだと思いました。方法だけ真似たら火傷をすると思いました。」

毎回ヒリヒリするような思いで書いていますが,こうした感想をいただくと報われる気がします。

連載だけじゃありませんが,文章を書きながら「教育はなんのためか」といつも考えています。学力向上と地域を挙げてスローガンを盾ながら,何のための学力向上かが議論されない。学力向上のために学級経営をと言われながら,実は,子どもたちを管理するためというような現状が見られないわけではありません。

 「共生社会の実現」などという美しいスローガンを掲げながらも,本当かという現実を見聞きします。ユニバーサルデザインの教室を志向すると言って,「間違ってもいい」「多様性を認め合う」教室の実現などといろいろは発信で見ますが,社会がそうなっていないように思います。社会がそうなっていないのに,教室だけ美しく仕上げようとするとその負担は,子どもたちや現場の教師にいくのです。

 教育の目的は,人格の完成だと言われながら,それが応援されるのは大人の強いた(敷いた)レールに乗れる子であり,そこからはみ出る子や自分でレールを敷こうとする子を認めなかったりしています。子どもたちは生きるために,レールに乗ります。そして,それが自分に合わないと気付くと急速に意欲というエネルギーを失います。エネルギーがなくなった子どもは,走ることをやめるか,脱線します。停止し,脱線すると「故障車」というレッテルが貼られます。そのレッテルは,けっこう長くつけられます。「学級崩壊させた子」とか,「問題児」とか,子どもたちは環境次第でいくらでも変わる可能性があるのにです。

 しかし,子どもたちの周辺にいる人の中には,「故障車」にエネルギーを注入し,また,その子達が走りやすいレールを見つけたり,自分のレールをつくることを支援することができる人がいます。その人に出会えた子どもたちは,また,エンジンを回転させることができます。しかし,そういう人たちは子どもたちの周囲に標準装備されていません。

 国語,算数の授業をできる教師はたくさんいますが,子どものやる気に火を付けることができる教師はごくわずかです。そこが問題なのです。そのひとつの大きな要因に,後者のステイタスが低いことです。真面目な人たちが多かったこの国では,やる気を高めることの専門性が認知されていないと思います。

 やる気が起きなくて様々な問題が起こっているのに,そこに注目せず,生み出したものや数字だけに目を向けるシステム,それ,そのものが子どもたちのやる気を奪っているです。世の中では,評価権をもっている人が,世の中の流れを決めています。世の中には,それを自覚している人と自覚していない人がいる。人を育てるためには,人のやる気をたかめること,これに気付き,そのための技術をもつ人が人を育てることができるのだと思います。

 知識や技術を教えることができても,それを発動する意欲を高めることができなかったら,それらは持ち腐れとなります。子どもたちのperformanceを高めたかったら,子どもの意欲を高めることであり,それをできる教師が増えることであり,そうした教師が増えるための評価基準を「えらい人」たちがもつことだと思います。

尊敬するあるベテラン教師から連載に対する心のこもった感想をいただきました。

「今頃ようやく、教育相談11月号の 『 もし今フォローできるなら』を読みました。泣きました。

ヒデノリさんの姿が、言葉が胸にきました。今の姿をクラスメートに見せるということは、クラスで過ごしたその時間がかけがえの無いものだったからでしょう。私たち教師は、言葉を使って子供達とコミュニケーションをとることが主だと思いがちですが、私の振る舞いや佇まい生き方そのものが子ども達に影響を与えているのですね。子どもとの信頼関係があっての先生のご指導だと思います。

森俊夫先生の『信頼することとは、リソースとストロングを見つけること、信頼しないということは,信頼しないということは問題と病理を見つけること』という一文に触れたばかりでした。先生の指導は信頼の上に立ったものだったのですね。ヒデノリさんのストロングを見つけていたからこその指導だったのだと思いました。方法だけ真似たら火傷をすると思いました。」

毎回ヒリヒリするような思いで書いていますが,こうした感想をいただくと報われる気がします。

連載だけじゃありませんが,文章を書きながら「教育はなんのためか」といつも考えています。学力向上と地域を挙げてスローガンを盾ながら,何のための学力向上かが議論されない。学力向上のために学級経営をと言われながら,実は,子どもたちを管理するためというような現状が見られないわけではありません。

 「共生社会の実現」などという美しいスローガンを掲げながらも,本当かという現実を見聞きします。ユニバーサルデザインの教室を志向すると言って,「間違ってもいい」「多様性を認め合う」教室の実現などといろいろは発信で見ますが,社会がそうなっていないように思います。社会がそうなっていないのに,教室だけ美しく仕上げようとするとその負担は,子どもたちや現場の教師にいくのです。

 教育の目的は,人格の完成だと言われながら,それが応援されるのは大人の強いた(敷いた)レールに乗れる子であり,そこからはみ出る子や自分でレールを敷こうとする子を認めなかったりしています。子どもたちは生きるために,レールに乗ります。そして,それが自分に合わないと気付くと急速に意欲というエネルギーを失います。エネルギーがなくなった子どもは,走ることをやめるか,脱線します。停止し,脱線すると「故障車」というレッテルが貼られます。そのレッテルは,けっこう長くつけられます。「学級崩壊させた子」とか,「問題児」とか,子どもたちは環境次第でいくらでも変わる可能性があるのにです。

 しかし,子どもたちの周辺にいる人の中には,「故障車」にエネルギーを注入し,また,その子達が走りやすいレールを見つけたり,自分のレールをつくることを支援することができる人がいます。その人に出会えた子どもたちは,また,エンジンを回転させることができます。しかし,そういう人たちは子どもたちの周囲に標準装備されていません。

 国語,算数の授業をできる教師はたくさんいますが,子どものやる気に火を付けることができる教師はごくわずかです。そこが問題なのです。そのひとつの大きな要因に,後者のステイタスが低いことです。真面目な人たちが多かったこの国では,やる気を高めることの専門性が認知されていないと思います。

 やる気が起きなくて様々な問題が起こっているのに,そこに注目せず,生み出したものや数字だけに目を向けるシステム,それ,そのものが子どもたちのやる気を奪っているです。世の中では,評価権をもっている人が,世の中の流れを決めています。世の中には,それを自覚している人と自覚していない人がいる。人を育てるためには,人のやる気をたかめること,これに気付き,そのための技術をもつ人が人を育てることができるのだと思います。

 知識や技術を教えることができても,それを発動する意欲を高めることができなかったら,それらは持ち腐れとなります。子どもたちのperformanceを高めたかったら,子どもの意欲を高めることであり,それをできる教師が増えることであり,そうした教師が増えるための評価基準を「えらい人」たちがもつことだと思います。

2015-10-25*[勇気]もし,今フォローできるなら

尊敬するあるベテラン教師から連載に対する心のこもった感想をいただきました。

「今頃ようやく、教育相談11月号の 『 もし今フォローできるなら』を読みました。泣きました。

ヒデノリさんの姿が、言葉が胸にきました。今の姿をクラスメートに見せるということは、クラスで過ごしたその時間がかけがえの無いものだったからでしょう。私たち教師は、言葉を使って子供達とコミュニケーションをとることが主だと思いがちですが、私の振る舞いや佇まい生き方そのものが子ども達に影響を与えているのですね。子どもとの信頼関係があっての先生のご指導だと思います。

森俊夫先生の『信頼することとは、リソースとストロングを見つけること、信頼しないということは,信頼しないということは問題と病理を見つけること』という一文に触れたばかりでした。先生の指導は信頼の上に立ったものだったのですね。ヒデノリさんのストロングを見つけていたからこその指導だったのだと思いました。方法だけ真似たら火傷をすると思いました。」

毎回ヒリヒリするような思いで書いていますが,こうした感想をいただくと報われる気がします。

連載だけじゃありませんが,文章を書きながら「教育はなんのためか」といつも考えています。学力向上と地域を挙げてスローガンを盾ながら,何のための学力向上かが議論されない。学力向上のために学級経営をと言われながら,実は,子どもたちを管理するためというような現状が見られないわけではありません。

 「共生社会の実現」などという美しいスローガンを掲げながらも,本当かという現実を見聞きします。ユニバーサルデザインの教室を志向すると言って,「間違ってもいい」「多様性を認め合う」教室の実現などといろいろは発信で見ますが,社会がそうなっていないように思います。社会がそうなっていないのに,教室だけ美しく仕上げようとするとその負担は,子どもたちや現場の教師にいくのです。

 教育の目的は,人格の完成だと言われながら,それが応援されるのは大人の強いた(敷いた)レールに乗れる子であり,そこからはみ出る子や自分でレールを敷こうとする子を認めなかったりしています。子どもたちは生きるために,レールに乗ります。そして,それが自分に合わないと気付くと急速に意欲というエネルギーを失います。エネルギーがなくなった子どもは,走ることをやめるか,脱線します。停止し,脱線すると「故障車」というレッテルが貼られます。そのレッテルは,けっこう長くつけられます。「学級崩壊させた子」とか,「問題児」とか,子どもたちは環境次第でいくらでも変わる可能性があるのにです。

 しかし,子どもたちの周辺にいる人の中には,「故障車」にエネルギーを注入し,また,その子達が走りやすいレールを見つけたり,自分のレールをつくることを支援することができる人がいます。その人に出会えた子どもたちは,また,エンジンを回転させることができます。しかし,そういう人たちは子どもたちの周囲に標準装備されていません。

 国語,算数の授業をできる教師はたくさんいますが,子どものやる気に火を付けることができる教師はごくわずかです。そこが問題なのです。そのひとつの大きな要因に,後者のステイタスが低いことです。真面目な人たちが多かったこの国では,やる気を高めることの専門性が認知されていないと思います。

 やる気が起きなくて様々な問題が起こっているのに,そこに注目せず,生み出したものや数字だけに目を向けるシステム,それ,そのものが子どもたちのやる気を奪っているです。世の中では,評価権をもっている人が,世の中の流れを決めています。世の中には,それを自覚している人と自覚していない人がいる。人を育てるためには,人のやる気をたかめること,これに気付き,そのための技術をもつ人が人を育てることができるのだと思います。

 知識や技術を教えることができても,それを発動する意欲を高めることができなかったら,それらは持ち腐れとなります。子どもたちのperformanceを高めたかったら,子どもの意欲を高めることであり,それをできる教師が増えることであり,そうした教師が増えるための評価基準を「えらい人」たちがもつことだと思います。

2015-02-06

[]文教大学 会沢先生からのご紹介です

1.日本臨床・教育アドラー心理学研究会 第5回大会

  http://kokucheese.com/event/index/253032/

  <日 時> 3月1日(日) 10:00~16:00

  <会 場> 文教大学越谷校舎

  <プログラム> 上記URLまたは添付ファイルをご参照ください。

2.日本学校心理士会北関東ブロック 2015年度研修会

  <日 時> 3月21日(土・祝) 15:00~17:00

  <会 場> 文教大学越谷校舎

  <テーマ> いじめ、少年非行を学校はどうとらえ、いかに取り組むか?

  <講 師> 野田正人氏(立命館大学教授)

 1は学校心理士資格更新Bポイント研修会、2はAポイント研修会となっています。