ogymの日記 @浜松  このページをアンテナに追加

  • 浜松で『学び合い』に興味をもった方、連絡ください。浜松でも『学び合い』増やします♪
  • 2か月に1度定例『学び合い』の会してきます。
  • ogym と @hkg.odn.ne.jp を繋いでくださいね。はてな
  • 12/31静岡県東部

    静岡県東部地区で『学び合い』の会があと一人で開けます。繋げますので、連絡下さい。

    12/13もはや

    6年の歴史指導終了。


    こりゃ中国に負けるわーと思った点。


    ①日本が、高度経済成長を遂げた国、で終わってる。 00:06

     東京オリンピックも、大阪万博も、もう何十年も前のこと。

     平成30年と、昭和30年を比べれば分かる。

     昭和30年に、昭和以前の元号である大正時代の栄光を語ることがどれだけ滑稽か。

     

     平成30年から見た、30年前は、バブル景気のころ。東京オリンピックや大阪万博は、それよりもっと前のこと。


     「もはや戦後ではない」は昭和31年。戦後11年。それ以上の時間が経過ぎている。

     もはや高度経済成長・経済大国時代ではないと宣言しないと、と思う。

     

     歴史の教科書の現代のまとめに、ものすごい停滞感を感じた。


     高度経済成長をした国ニッポンが現代の姿と思い込んでいるのではないか。貿易黒字で材料輸入し製品輸出が基本 質の高い労働力とトヨタ改善方式で優秀信頼の日本製品。そこで更新が止まっていた自分も恥ずかしいが、よくよく考えれば、それは、いつの話だ、誰の話だということだ。思いを巡らせてみれば、今はもう違うのでは?と思う。

     

     きっと、自分が中国上海で感じたギャップは、そうした停まってしまった日本感をもっていたからではないかと思う。


    停滞感について補足 00:15

     生活科や社会で「むかしのくらし」の教科書内容が変わらないのはまずいだろうと思ったことがある。

     

     「おじいさん・おばあさん」は、いつまでもお手玉やメンコをやっていた世代ではなく、いつまでも縄をなったり伝統料理が作れるものではない。「継いでいかねば」途絶える。


    なのに、傍観して「へー、むかしってそうだったんだねー」「ありがとうおじいさん、おばあさん」でスルーしているパターンを何年も見てきた。そろそろおじいさんもファミコン世代になる。なるのに教科書の中だけ時代が止まっているように見える。それはまずいだろうといつも思う。



    ②未来志向というより、過去の補修、若い世代へ今の課題を丸投げして終ってることが、自分の子どものころと変わっていない。 00:06

     自分が子供のころは、「環境問題」が丸投げだった。石油はあと30年でなくなり、ゴミの夢の島は2000年にはいっぱいになる、と。

     温暖化と砂漠化とオゾン層の破壊。負を散々見せて「あなたの時代だ」とバトンタッチされても、困る。

     環境で有名な演説 セバン鈴木の演説は、対大人に向けての内容だった。

     しかし、その本人も、演説した子供もすぐに大人の仲間入りになる。


     大人・子供と区別して子供に期待する姿勢はもう自分はやめたい。

     それぞれの世代が、それぞれでできることをすることが必要と強く思った。

     子供は敗戦処理の投手ではいけない。自分が子供の時から強く思っていることだ。


     宿題山積みの世界にようこそ!と手招きされて、僕できないけど君が頼りだ!じゃ、頼んだよ!大変だね!と言われて、だれが好んでいきたがるか?と思う。けれど、教員世界でさえそういう雰囲気があるように思う。


     何処を目指すのか、目指すところを明確に。共通して目的目標が持てる集団は、力がある。歴史上の人物も、理想や目的があって行動してきている。それが活かせる、明るい未来のみえる歴史がいい。


    ③子供に丸投げされている課題が、子供たちの生活と乖離している。 00:06

     人権・LGBT・同和・アイヌ等各団体に配慮したような内容が、例として書かれている。書き落とせば、叩かれるだろう。

     不必要とは言わないし、知っているに越したことは無いが小学生に論じさせるのは生活と乖離しすぎていないかと自分は思う。

     また、歴史の最後にしては、今までの長い前振りは何だったの?という感じも思う。


     それよりも「この地でいかに生きるか」という足に地の付いた課題の方が先ではないか。

     仕事をするには?、街の課題は?、稼ぐには? 生きていくには?

     施設の老化への対応は? ダムの寿命は50年から100年これからどうする? 橋は? 道路は?  

     食料や水事情は? 何をしたら生きていける? という生きるために必要な課題が優先されるべきと思う。

     

     こんまりの片付けの魔法と同じ 「ここで、どうしたいか。どんな生活をしたいか?」の目標・目的。


    40代が受けてきた「丸投げされてきた課題」で自分が疑問に感じてきたもの 00:01

    「エイズ」・「男女共同参画」・「派遣という生き方の選択」があった。

     真面目な生徒ほど、性には慎重になったろう

     男女共同参画では男子に家庭科も導入され、女性も働くのが当たり前とされ、皆一生懸命働いた。

     夢を追いながら「派遣」という新しい生き方があるよ、どうだ?というCMが2000年初頭にたくさん流れていた。



     怖いのは、上から降りてきた「指導内容」に、文句も疑問もつけられないところ。


    上から降りてくる内容について、文句も言えないし、誰も責任を取らないということ 00:01

     未婚率が高まろうと出産率が下がろうと、40代中堅の人材不足が深刻になろうと、そうした教育を展開した人々は誰も責任を取らない。

     「私たちが捨て石になって…」という発言は叩かれたが、共感するというか…


     大人であるし、自立し自分で選んできた道だから、他に責任転嫁をすることはしない。しかし、そう行動してきたことはもっと何とかできなかったのか、自分は真面目すぎたのではないのか、本当にこれで良かったのか、というモヤモヤした思いがある、あの時推進されていた社会の風潮・言説はなんだったのか?あの言っていた先生、マスコミはどこへ消えてしまったのか…そんな多少の思いを自分は持っている。


     男女共に働く社会と言われて、一生懸命働いた結果婚期が遅れた、と言い訳して、誰か救ってくれるか。

     チームマイナス6%のために働いて節制して、その終焉はどうなったか。

     家庭での節電やゴミの分別に勤めた中学生時代は、地球温暖化防止に貢献したのか。

     その時間や労力の損失は満足いくものだったのか。

     


     先生や親の言うことに従順になる子供を育ててはいけない。自立させることが目的、と強く思う。

      

     

     自分の頭で考え、地に足がついたことをする。他人の課題に口を出さない。自分の課題を解決していくこと。

     そしてそれぞれが、そうすること。

      

    『学び合う』ことで 00:01

    いろいろな人がそれぞれの意見を出し合い、まず隣にいる人とのコミュニティに参加し意見し折り合っていく。

    そうした経験も無く、世界を机上で論じても、それが生きるとは思えない。


    見栄を張らずに、嘘もつかずに、身近なものから。

     

    なんだか、いろんな思いが湧いた。

    12/12できるかできないか

    できなかったのは、やらなかったからだ、と言われて腹を立てたことがある。


    やってもできなかったんだ、と言い返した。


    すると「それはやったつもりだ、本気じゃなかったんだよ」という。


    全国大会出場者に言われるとそれっぽい気もするが、釈然としない気持ちが残るまま話を切った。


    こちらの言い分が切り捨てられるから釈然としなかったのだと今は思う。



    できた側から言う言葉は、できなかった側に響かないこともある。

    できる人もいれば、できない人もいる。その程度なのだろう。


    みんな、自分の経験に基づいて信念がある。

    けれども、それは真実とは限らない。



    できることは人それぞれ違う。できることをすればよい、そう思う。


    できることは 23:38

    やらねばゼロだが、やればイチ。イチは重ねて進みゆく。ゼロは重ねどゼロのまま。

    motoryoumotoryou2017/12/14 06:08「イチを重ねていこう,前に進めるよ」そういうことを伝えたい。

    12/11発達

    1年発達が遅れたら授業がまるで分からない

    それほど正確にヒトは発達するものなのか、根底そのものが疑問に思える


    そんな中でも折り合いを付けながら制度は継続していく。



    文句を言うのでなく、今の枠の中でできることを考えることが大事。

    12/10退化

    人が体で覚え行ってきたこと、それをどんどん外部委託化している。


    電話番号は覚える必要なくなった。

    蚊取り線香に火をつける必要もなくなった。

    湯船をかき回す必要もなくなった。

    鰹節を削る必要もなくなった。


    結果


    目的はすぐ達成されるようになった。


    そして失ったことは、それぞれを身に付けることによって得ていたもの。


    ちいさな「これができる」という自己有能感。

    ちいさな「あれ?うまくいかない?こうしよう」という失敗に対する耐性と試行錯誤の力。

    ちいさな「受け継いだもの」自分だけのエピソード。

    ちいさな「だからそうなのかー」という世の中の仕組み。

    生きにくい 01:50

    それらの積み重ねが相当数少なくなっているのだから、

    自分ができるものも持たず、失敗への耐性が無く、試行錯誤もせず、受け継ぐオリジナルな物語も無く、世の仕組みも知らない。

    そんなことから、

    自分の存在を失ったり、失敗に対しての対処が分からなかったりするなんてのも当たり前だろうと自分では納得している。



    しかし今の世の中、自信を失っても自信過剰でも病気と認定される。これはおかしい。

    体験していないんだから仕方ないだろう、これから得て行けばいいだろう。


    と思いながら、医療とも折り合いをつけながら取り組んでいる。とかく今の子ども時代は生きにくい。

    適正 01:50

    包丁の使い方は、集団に教師が1時間講義をすれば身に付くか?


    毎日包丁握って料理作った方がよほど身に付くのではないか?


    学ぶには、適正な人数や適正な回数がそれぞれにあり、学校で一斉授業をすればつくのなら苦労はない。

    何でも一斉指導の学校に丸投げすれば身に付くものではない。


    日常生活で失ったものを別の場所でまとめて取ろうとしている。

    なんとも滑稽。


    文字 01:50

    文字が読めなくなっているという調査結果。


    文字を読むには能動的にこちらから読み取っていかなければいけないエネルギーのいる作業。


    動画をざらっと見て聞いていることと、読むことと、どちらの情報入力数が入学前に多かったか。

    いちいち時間と労力がかかる「読む」という行為を選択するだろうか。

    読めなくなるのも、納得。


    識字率 02:01

    僕が物理学の「ひも理論」を聞いてもちんぷんかんぷんなように、


    文章を見てもちんぷんかんぷんな場合も相当数ある。


    学者先生の出す発達支援関係の本で時折見かける読みにくい本は、理論は正しくてもそれが当事者に伝わっていかない。

    皆が読める力量と読む時間があると思ったら大間違い。

    現場教師ができるのはその仲介役。文章を噛み砕いて、ここぞというときにこれだと提供する。

    12/09休日

    春野人めぐり 21:25

    http://harunobito.hamazo.tv/

    めぐってきます。

    サウンドデザイン 21:26

    http://www.hcf.or.jp/sdf2017/

    私の好きな明和電機さん久しぶりにみた。10年以上ぶり。

    ABCDEFG計画等経営戦略があるという。

    その計画がしっかりしていて面白かった。


    ヤマハ 21:27

    AI機能を備えたドラム

    https://goo.gl/Wc98t4

    学習と習熟について、ヒントを得た。

    自己学習ドラム 21:26

    「モデルの音を人間が示し→『打ち込む→集音→比較→修正』→『』の繰り返し」 

    という自己学習モデル



    「人間がすべてのプログラムを打ち込みそれに従わせる→もし、Cなら、Cを。Fなら、Fを…」

    は、従来の学習モデル。


    それが分かる人と、分からない人では、製品への素通り具合は違う。そして、みんな違ってそれでいい。


    また、人はそれ以上に高度な「周囲の様子に合わせること」「指揮者に合わせること」もしている。

    とても高度だと再確認した。


    電子楽器の展示 21:26

    様々にあった。

    考えて見れば、シンセサイザーやコンピュータの登場で、すべての楽器の音は再現できるようになった。

    しかしながら、すべてがそれにとってかわられていることは無い。

    仕事がすべてAIにとられる、ということは無く、

    幾分かは、人間が操るものがのこっていくのだろう。


    イベント内のトークライブで、

    「未来は自動演奏の技術も発達するだろう、ということで、高名な演奏家の演奏を再現できるセットを作ってみた」という発言を聞いた。「自動演奏の技術も発達するだろう、ということで、今後演奏家の未来はまっくらだ」という訳ではなく、考え方ひとつでどのような未来にでもなる、のだろうな、と思った。大切なのは、考え方なのだな、と。

    違うということ 21:26

    違う人々が集いヒントを得て自分に生かす。学び合って世の中は成り立っている。


    違いを認め合うと、広がる。

    12/08得ってなあに

    得ってなあに? どういうこと?、と、聞かれる。




    二年生からの一言に思考が深まる。

    本人は質問したことすらもう忘れてるだろうに。

    いいなあ(^-^)

    23:23

    「何で勉強するんだろう」「何で学校いくんだろう」との疑問から→教育学へ。

    佐藤学先生の「学び合う共同体」有田先生「追究の鬼を育てる」うーん、考えは分かるができるのか…

    鳥山実践・正答的周辺参加・学びのコペルニクス的転回・徒弟制・佐伯胖「学ぶということの意味」・授業と学習の転換

    うん、その方が得だから、だ。と自分なりの解に納得して卒業。

    卒業時にアドラー「クラスはよみがえる」の本を指導教官から頂くがその際は興味なし。

    山あり谷ありの教員生活。

    浜松特活の会で「石川能生の教育研修」があるよと聞く。

    杉田洋先生めあてに石川へ行ってみる。

    杉田先生所用でお休み。

    代わり?に赤坂先生が講演。プレゼンの「しかし」に魅せられる。これはスゴイ!

    前席に座っていた方から「ブログがあるよ」と教えていただく。おいでよと誘われる。

    帰ってからはてなブログに。

    クラス会議を知る。

    あれ?アドラー?との再会。

    ん?『学び合い』?とは何ぞや。

    西川先生のブログやページを発見。

    「得」「まし」の書かれた文が明快。端的。自分がモヤモヤして口下手でうまく言えないことを、そうそう!スゴイ!とすっきり言っていることに魅せられる。

    ブログ登録。実践してみる。手ごたえ感じる。『学び合い』の会に出掛けてみる。オリセンだったか。

    三崎先生に細かい点を尋ね納得。「時間は?」「待たないの?」「こういうときは?」等々。

    実践・実践者との交流・ジーンさん・震災・特別支援・上越・高知。生きることと学ぶこと、社会と学校について。

    あれ、アドラーと相性がいい…学び直そう…講座「パセージ」受講の機会→受講終了。

    浜松の机上にスタートブックを置いて三年。ブログ開設後三年。興味を持ってくれる方あらわる。

    高知の会のアドラー&『学び合い』モデル

    水落先生のプレゼンや経緯に共感

    3人集まり『学び合い』の会開始。

    アドラー総会に西川先生赤坂先生

    ちょこっとずつ増える

    今に至る。幸せにもよい出会いに恵まれて。感謝。


    23:23

    「向こうにも、ここに至るまでの物語があるのだろうな」

    https://www.oricon.co.jp/news/2081406/full/



    皆が、物語をもつ、主人公です。子供達も、大人たちも、すべて。

    12/05センター試験の記事

    新聞に載っていたので解いてみました。


    記述問題でよくあるテストのように思ったけれど…




    自己採点欄の方が、読み取りが高度で面白かった。

    この自己採点の方法を考え組み込むような力、きっとそういう「今は無いものを作り出す」思考力が社会から求められていることを表しているって考えがめぐりました。


    「このセンター試験で思考力を試す問題を作問しなさい」が問題かもしれない^^。

    12/04元素記号

    元素記号表を見て

    S「原子って、これしかないんですか。」

    T「そうだよ、新しく発見されるのもあるけど。」



    まじまじ見つめる。


    S「あ、これってDNAになるやつだ、たしか」

    T「(?ちょっと違うかな…でもまいいや)いろいろ組み合わさって、いろいろなものができるからねぇ…」


     「どれもかけがえのない、変わることのできないものだからねぇ…」

      

     「族とか言って入れ替わることができる似ているのもあるけど…それぞれがそれぞれの役目を果たしてるよねぇ」

     「消毒だったり、レントゲン写真だったり、塩だったり…」



    みんな違う、というのは、こういうことか。

    世界は個性のつぶしあい個性の統一でなく、個性の共同作業でできてる。


    みんなが銅や酸素など単一なものになることがよいばかりでなく、いろいろな化学反応起きていいはずだよなぁ、と思った今日の午後。

    12/03見ている世界は人によって違う

    町の中で裸同然シャツ一枚の労働者風の人が歩いていたら


    トイレが、肥溜め桶に板二枚渡したものだったら


    駅前に、物乞いがいたら


    男子の小トイレが、コンクリートのカベ一枚と床の溝だったら


    道路が舗装されていなかったら



     驚きますか 


    どれも 23:56

    中国で見たものです。






    年齢層によって感じるものが違うだろうと思いました。

    年齢別 23:56

    20代 そんなもの初見、見たことない人は、遅れている国だと感想をもつかもしれません。


    60代 日本の高度経済成長期に目の当たりに見てきた人は、懐かしいと感想をもつかもしれません。



    40代の私は、日本で、子供の頃、見たこと、聞いたことがあります。

    家の前のお爺さんはいつもシャツ一枚でキセルをスパスパ吸ってたし、自分も田舎に宿泊した時のトイレが肥溜めに板2枚でびっくりした覚えがあります。(結局そこでは小学生の私は「おつり」が怖くで出せず、野でキジうち花摘みしました)

    母からは、傷痍軍人さんが浜松駅前に並んでた話も聞きました。ボロ着た方が荷物いっぱい自転車にのせてとぼとぼ歩いているのも見ました。ホームレスの段ボールハウスだらけの駅も見ました。

    だから、ああ、昔あったなぁ、と思って普通の感情でいたところ、20代の感想が「いやぁ、遅れているなぁ!」という声がどうも強く聞こえました。違和感がありました。ん?何だろうこれは、と。


    違和感を覚えたのは、多分思考のためのベースが人によって違うからだったのだと最近納得しました。


    「遅れているなぁ」と言ってますが、いやいや、ちょっと前まであったし日本も同じようだったよ、と。


    モノを判断するベースは、人によって全く違うのだとつくづく感じるようになりました。


    平成も30年です。 00:19

    20代には、昭和天皇も、阪神も、酒鬼薔薇も、校門圧死も歴史上の話です。きっと、知りません。指が汚れるわら半紙印刷も、ぼっとん便所やがさがさしたあのちり紙だって、知らない人が多いでしょう。自分も鉄筆がりがり指導案は体験したことありません。ちり紙の前わらひもでふいてた地域もあったそうですがそれも見たことありません。

    自分が5才ぐらいの頃、王貞治が引退。小学生のころつくば万博。

    これは、20代にとっては、カズや中田、2002のワールドカップ、愛地球博がそれと同じ感じなのでしょう。

    猪木・馬場・長嶋さんだって、自分にとっては力道山や釜本さんぐらいの人物でしょうと思います。


    東日本震災だって、今の6年生はうろ覚えです。それこそ物心つく前の6歳程度での出来事です。

    「先生、これ、本当にあったの?」と聞き返されるたび、そう思います。広島を伝えるというけれど、東日本だって阪神だって、それぞれの土地でそれぞれができることをして伝える必要があるのは同じです。

    先に生まれた貴重さ、未来を生きる貴重さ 00:26

    こうしてどの世代も侘しさを同じように感じて大きくなるのだと思います。

    だからこそ、先に生まれている「先生」はいろいろな「子どもの見ていない物」を知っている点で「先生」なのだろうと思います。(そして、子どもは大人が見ることができない未来を見ることができる未来に生きる人々、だから、貴重な神様。屋台に乗って子供を街に引き回すし、お年玉上げる)


    人間五十年は、短い。本当に、夢幻のごとく。気付いたころには老年になっている。だから、気付いた人から、一生懸命今を全力で生きないといけないし、他が皆同じ思考をもっているなんて言う幻想は持たないで、自分は自分で責任を負いながら、したいことをすればいい、そう思うのです。


    この20年 23:56

    日本は風景がほとんど変わっていませんが、中国は超発展しています。土地は国の物ですから、どけと言われたらどくしかありません。土地の執着も日本より少ないでしょう。ガンガン立ち退き工事も進みます。かつての農地にマンションや超高層ビルをバンバン建てています。ネオンが輝いています。建設ラッシュ、地下鉄建設ラッシュです。広大な大地のそこかしこに、ドミノのようにマンションが建っています。

    学ぶもの学ばぬものでその先の結果が違うことが目に見える分かりやすい社会です。右を観ればベンツにスーツのホワイトカラー、左をみれば半裸の労働者、そんな状況を見てきました。後発効果というと大学では習った覚えがあります。日本が通った発展の道です。


    日本はその20年先を行っているのだと思いました。老朽化するコンクリビル、崩れるトンネル、高齢化。整備しきったインフラ、ものもち切ったことで、逆にモノに執着しない人も生まれ売れない製品。


    中国に追いつけ、勝った、負けた、でなく、日本は日本の道をいき、中国は日本の迎えている未来を横目に見て中国の道をいけばよい、それぞれの立場で、できることをできる限り対処していけばよい、そう思うようになりました。


    中国の30年後、立てたマンションや超高層ビルが劣化し、食料供給が滞り、物資のゴミが溢れる超高齢社会をいずれ迎えます。どちらの国も最善を探して折り合いを付けて行かなければいけない。そう思います。


    折り合い 23:56

    新しく事業を立ち上げるより、

    現在立ち上がっている事業の波に乗った方が、得。