次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2019-12-30

    大丈夫なのか?

    14:59

    こっちに引っ越して、みたけど、これでいいのかな…。


    過去の記述は、ちゃんとくるのかなあ…。

    うーむ、不安だー。

    https://motoryou.hatenadiary.org/

    2019-12-29

    今年の振り返り、のようなもの その1

    09:31

     今年も残りわずかになってきました。


     ちょっとずつ、今年を振り返っておこうかな、と。

     2019年が始まったときに、今年の方針、というか大事にしたいことをいくつか決めておいたんです。

     その1つ。



     1 「学校が『えんがわ』となった持続可能な地域コミュニティづくりの基盤づくりを目指す。

     ・『プラットフォーム』『境界設計』内部でもあり外部でもある。

     ・常に境界であろうとする,そんな立場。つなぎ役,パイプ役になる。

         

         

     昨日読んだ本で言うと、境界にいながら「橋を架ける」作業を繰り返し行うこと。

    「対話とは、一言でいうと『新しい関係を構築すること』」まさにまさに。

     それは意識して1年間、やってこられたかな…。もちろん「まだまだ」なんだけど、頭には常にあったから、そこは自分に合格点を出してもいいかな笑。

     

     とはいえ、そういうことは私だけでやったことではもちろんない。常に他者との相互作用があってのこと。

     例えば…。

     毎年お世話になっている、モリウミアス。http://moriumius.jp/

     モリウミアスとは、今年は主に「イネ」関係で。1,2年生活科で。(漁村の学校なんだけどね笑)

     

    「田植えをしてみよう、面白そうだから!」

    「田んぼに素足で入る感覚を子どもも感じて欲しいなあ…」

     そんな気軽な感じでスタートした、モリウミアスとの「イネ」関係。それが結局1年間続く活動になっていった。


     最初は、

    「まあ、田植えを体験するくらいで…」

    と思っていた私で。

     そこに校長先生が

    「モリウミアス にある田んぼで植えるんでしょ?そこで植えただけなら、継続して見られないよね?学校の花壇も田んぼにして植えたら?」

    と。

    (え?花壇に田んぼ?え?いいんですか?)

    って驚いたことを覚えている。

     だって、花壇を田んぼにしていいって…。そんなこと考えたことなかったし笑

     そうしたら、その翌週、月曜日になったら、花壇の一画に校長先生がプラスチックの衣装ケースを埋め込んで「田んぼ」を作っていてくれた…。

    (おどろき…)

     だから、モリウミアスで田植えをしたあとに、そっちにも植えることができたってこと。

     「だから」その後、稲刈りから脱穀、もみすり…そして稲わらでしめ縄作りまで1年間を通した活動になっていったんだと思います。

     

     「せっかく稲わらがあるから、しめ縄つくってみたいなあ…」

    と思って、お世話になっている保護者の方に相談したら、

    「それなら、私みたいな若造じゃなくて、もっと大先輩いるんじゃない?例えば…」

    みたいに紹介してもらい、結果的に、地域のおじいさんと子どもたちが新たに出会うきっかけをつくってくださったり。その保護者の方も、当日来てくださって黒子のようにお手伝いをしてくださったり。


     いろんな「きっかけ」。

    それがつながりつながり、次の展開、関係性へ。



     相互作用。その相互作用を活かす、つなげる、つなげて行く。

    「わらしべ長者」的な?笑

     

     それを、いろんな人でつないでいくってことだなあ。

    それが「面白い」。

    「面白い」ことは続く。


     「つなぎ役になる、パイプ役になる」それは、私の言葉でさらにいうと「ファシリテーターとして立つ」ことでもあるんだけど、それは自分だけでやっていては意味がないってことですね。

     いろんな人が、そうなっていくこと。

     それを楽しめること。楽しめるような環境調整をすること。

     そういうことをしたいなー、そういうことができるようになりたいなーって思います。

     「ファシリテーターを手放す、手渡していく。」

     「いい関係性」ができた中で自分が「ファシリテーターでいる」ことは、楽しくて(気持ちが良くて)独占したくなってくるんだけど、そこに陥ってはいけないなあ…と思うのでした。

    「ともに働く他者と、『新しい関係性』を更新し続け、言わば、『連帯』しつつ、よい仕事を成していく」

    「対話を続けることは、挑み続けることを必要とします。新たな関係性を生成するべく橋を架ける」

    「何のために」「どうしたら」

     この辺りのことは、昨日読んだ複数の本で出合った言葉。偶然ではない、と思えます。


     来年はさらに、「そもそも」に立ち戻って、もがいてみたいな、そこを楽しみたいな、と思います。


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    2019-12-28

    「立ち戻る場所」、言葉、そしてイメージとエピソード

    09:19

    「学校教育目標WS」のワークを「記録」にまとめる。

        

     

     先日行った、学校教育目標ワークショップ。今までの振り返りと、すでに校長先生から提案された「次年度学校運営方針」(重点努力事項案)をベースに4月からの教育計画作成に向けてのキックオフ、みたいな位置づけ。

     

     ワークの後が、実は大事だと思っている。

    ワークは、みんなでわいわいおしゃべりしながら、理想とアイデアを出し合うから楽しい。


     

     「立ち戻る場所」をみんなで対話しながら共有するのが、ワーク。

     そこを具現化するために考え方やアイデアを共有する、解釈やイメージが同じところや違うところを対話を通して確かめ合うがワーク。どっちが正しいとか間違いとか、そういうことではなくて。

     聴き合う。 

     

    「ここが『立ち戻る場所』ね?」

    ってことにするのが、ワーク。共同作業。

          

     学校の「立ち戻る場所」は「学校づくりのコンセプト」「学校教育目標」。そして、今回の目的からいうと、そこから導き出された案としての次年度重点努力事項案。

     この「学校づくりのコンセプト」「学校教育目標」の文言を「立ち戻る場所」の目印にするってこと。「文言」は文言だから、そのイメージするところは、実は個人によって違うことが多い。だからこそ、お互いのイメージをエピソードとともに共有しておく作業は、とっても大切だと、私は思っている。


     その作業があるから、どんなことを目指すのか、どんな環境があるといいのか、どんなことをするか、などメンバーの創意工夫が発揮できる。その先生の「強み」が発揮しやすくなり、そのメンバーの中での自分の役割、価値が分かりやすくなると考えている。


     この「立ち戻る場所」としての「文言」について、仲間のイメージとアイデアを共有する「今ここ」作業が、学校教育目標ワーク。そして、そこには、今年度一緒に取り組んできた仲間の、お互いのエピソードがたくさん詰まっていることが大事。

    「あの時、こういうことがあって、それでね…」

    「あー、そうだったねえ。あれはうれしかったよねえ!」

    「で、あの時はいいかなって思っていたんだけどさ、それがさ…」

    「うんうん、そっかあ。」

    「だから、やっぱりこうした方がいいと思うんだよね。」

    「なるほど。」



     「立ち戻る場所」を決めて、そこを元にお互いにおしゃべり、対話しておくことを大切にしたいと思っている。

     この作業があるから、自由になれるし、工夫もできる、そんな感じ。それに、ここでのおしゃべりの中に、本当に目指したいことが、その人の言葉になって出てくることが多い気がしている。


     例えば、ある先生は

    「あのね、私は『まずやってみよう』をモットーにしたいんだな~。なんでかって言うとね…。」

    「うんうん、そうだよねー。」

    「分からないはステキ!!ってことだと思う。そういう気持ちを教師自身が持っていることが、子どもたちにとっては安心で、次のチャレンジにつながるきがするの。だってね…、A君がさー…」

    と話している、それを、うんうん、と聞くグループの仲間。


     一方では、

    「テストの点数もちゃんととらせたいよね。やっぱり、この中で『できる』って思っていても、結果として出ないとそれはやっぱり、本当の自信にならないと思うし。」

    という意見だってある。


     どっとだって、「同じ」こと、同じ「立ち戻る場所」からの思い。違うことを言っている訳ではない。



     27日は年休の日だったんだけど、済ませたい作業があったから出勤。

           

     その作業というのは、25日のワーク、まだ模造紙に付箋紙がたくさんはったままの状態。まあ、この模造紙を使っていけば問題はないんだけど、やはりここはきちんと「記録」として書面にしておくことが、けっこう大事だと私は思っている。

     今の段階は「次年度重点事項」から、「【発散】取り組みたいこと、取り組めたらいいと思うこと(個人内)」を出し合って、グループ内で「【収束】特に大事にしたいこと、重要ポイント」を確認し合った段階。だから、まだ学校組織として「決定」している訳ではない。まずは、次年度へのアイデアをたくさん出し合って、

    「ここを大事にしたいよね。」

    「こういうことができたらいいよね。」

    ということを、数人で確認し合ったところ。

           

     付箋紙がたくさんはってあるワークで使った模造紙はアイデアの宝庫。だから、これを「アイデア」のままにしてしまわないようにしたい。

     だから文字に起こし、記録として整理する。一覧表にする。

     そしてそれを3学期の「お試し」にしで「やりたい人」「やれる人」でちょっと試行してみる。そのための「記録」

       

     

     3学期は、次年度に向けてのお試し期間。それも、みんなで出したアイデアの中から、自分や自分たちで選んで、実際にやってみる、そんなチャレンジ期間。

     アイデアとしては面白いけど、実際やるとなったら問題が出ることもある。それはやりながら改善したり、やっぱり難しければ、自分の判断でやめてもOK

     

     アイデアを出すにも、実行するのも、やめるのも、自分たちでできるというのがなかなかいいと私は思っている。学校教育目標ワークショップで、「立ち戻る場所」(文言)をもとに、みんなでおしゃべりしている、そのプロセスがあることで、そのまま具体化するのにも改善するのにも、またはやめるのにも、その規準が職員室メンバーの中に、なんとなく共有される感じがあるから。

         

        

           

     次年度への「アイデア今ここ」は出そろった。あとは、それを「お試し」をする、職員室の楽しいチャレンジが3学期。

           

                

     子どもたちには、ぼくらは「どんどんチャレンジ、失敗OK、ミスOK!」って言っている。これはもう、ぼくらの中の共通フレーズ。(もともとは、ある子が言い出したくれたことを、“これいいね!”って使い始めたんだけど)

     だから、ぼくら教員チームも「どんどんチャレンジ、失敗OK、ミスOK!」で行けばいいんだと思う。

         

           

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    2019-12-27

    妄想が小さな現実になった気がした

    08:16

     実は以前、ある方とお話ししていて

    (ああ、それってすてき!)

    と思った「教室」環境がある。

     今の私の妄想の一端のゴールの一つになっている気がする。

     どんなのかというと、

    「教室と職員室が同じ空間」なイメージ。

     

     教員は教員で自分の学びをしたりよりよい学びの環境を保持したり推進したりするのに必要な事務仕事をしていて、同じ空間で子どもも自分の学びをばりばりやっている。困ったりしたら、友達に相談したり教員に質問しに来たり自由にできる。

     もちろん、休憩時間も自分で設定していい。

     でも、そこは「みんなが学ぶ場」だから、それなりの過ごし方のマナーはお互いに守る。でも「しーん」というのではなく、なんとなく温かい声がベースにBGMのように流れている、そんな感じ。


     大人は大人の「仕事(学び)」をし、子どもは子どもの「仕事(学び)」をする」、そこに、大人とか子どもの区別はあまり必要なくて。

     それでも、教員は教員として「ちゃんとそこにいる」。


     レッテルはいらなくて、でも、そこに「居る」。

     うーん、なんといっていいのかな~。


     

     今、学校は、冬季休業中。

    でも、登校したい子どもは登校してメディアセンターで学習していい、ってことに今年始めて試行的にやってみています。

     「くる子、いるのかな?」

    と思っていたら、半分以上の子が期間中、参加しています。

     

     それで、教員チームも、自分の事務仕事をメディアセンターに持ち込んでやったり、必要に応じて個人支援を行ったりする、そんな場になりました。期せずして。

     もちろん、冬季休業中だから、「〇時間目」とか「休み時間」とかの区別もなく。

     昨日は、私が日直だったのでそこに入ったんですが、あえて余計なお節介はせず、私は私で3学期の予定を立てる仕事に専念。それでも、子どももたちの様子にはアンテナを張るようにはしていて。


     質問にくる子には応え、

    「お、それ、面白いなあ!」

    「それ、いいんじゃない!?」

    「分からないくらいが、ちょうどいいのさ~笑」

    とか、時々ちょっかいを掛けながら、自分の「仕事(学び)」もする、そんな時間。

     飽きてくる低学年がいると、しばらーく様子を見て、それでも

    (うーん)

    だったら、

    「あの、ここじゃないところで、それしてもらえる?みんな、こっちでそれぞれ学んでいるの、見えるでしょ?」

    「やろうかなーって思ったら、一緒にやろうよ(^^)。」

    っていうと、まあ、少しすると、自分のやることをそれぞれ見つけてやり始めるし。

    叱ることも、「やらせる」ことも、別にない。


     冬季休業中だから、そんな感じでいいかな、とお試し。


     それでも

    「先生、冬休みの宿題、めっちゃ進みました!」

    って言ってかえって行く子もたくさん。


    「私も、すごいはかどったよ~(^^)。3月分くらいまでの予定が大まかに立てられた!」

    なんて会話を子どもたちとするのもなかなかいい感じ。



     妄想イメージが、ちょっとだけ現実イメージになった、そんな昨日の1日。 

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    2019-12-26

    学校教育目標ワークショップ

    07:06

     学校教育目標ワークショップ。

     

    これを毎学期開いて、「そもそも」 について考える、立ち戻るべきところに立ち戻る、そんなことをやり始めて2年?かな。

     昨日のそれも実に面白かった。

     次年度方針、次年度の重点事項と重ねてやったことで、3学期がその「お試し期間」になりますね。

     

     即効性はないかもしれませんが、漢方のように効いてくるよなあ、というのが実感。

     効いてくる、というよりも、「そもそも」みんながもっている思いや強みを、「だしていいんだね、表現していいんだね。、やってみていいんだね」をお互いに確認し合う、そんな場になっているんだと、見ていて思います。

     ホワイトボード・ミーティング®でやるときもあるし、ワールドカフェ的に行うときもあるし、付箋紙と模造紙を使うときもあるし。

     

     その時々で方法はいろいろだけど、「聴き合う」練習とエピソードの価値について、みんなでいろんな場で練習し考えてきたここ2~3年だから、今がある、そんな感じです。


     これも、実は、職員会議での「5分間シャベリカ」からスタートしたんですけどね、じつは笑。

    https://teamgame.stores.jp/items/5132e8ce421aa907b4002096

     ここからが、また楽しみ。


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    2019-12-25

    「やっぱり、これでいいんだ。」

    23:27

     昨日は、福島県大熊町教育委員会主催の研修会に参加させていただきました。

      

    震災の影響で、会津若松市に仮設校舎を建てて教育活動を行っています。震災後8年が過ぎましたが、今でもまだ、ということです。2022年には、大熊の地に新しい校舎を建設して、それこそ「新しい学校」を目指したい、と準備を進めているようです。

     応援したい、と心から思います。

     

     そういう事情もあってか、今回は「イエナプラン教育」の研修会でした。タイトルは「誰もがいつでも学び直しができる教育」。


       

     講師は、日本イエナプラン教育協会理事の中川綾さん。

     私にとっては、綾さんとの出会いもまた震災が直接のきっかけであり、そこからずっと学ばせてもらっている、そんな感じです。

     

     

     今回、私が

    (おお…)

    と思ってメモしたこと。綾さんが、ふと言った次のようなこと。



     「大熊町教育委員会の方が、イエナプランスクールの大日向小学校に見学にきてくださったときに『意外とできそうだと、感じた。』と言ってもらえた。それが嬉しかった。」


    「私は、オランダでイエナプランスクールを見たときに感じた事も、特別な感情というより『ああ、やっぱりこれでよかったんだ』という感覚だった。」



     これは、もしかしたら、綾さん自身、講演の中心として選んで話そうと思ったことではなく、きっとこれから話を始めるための「まくら」くらいのつもりで口にしたのかもしれませんが。

     でも、私はここが印象的。


     「やっぱり、これでいいんだ」

     たぶん、自然で、当たり前のことを当たり前にする、していいってこと。

    そしてだめなことだってやっぱりあって、だめな場合はやっぱりだめってこと。

     

     バランス。

     なんの?

     いろんな。

     その中で決める、決まるって感じかな。


     その場でみんなが、なんとなくつくるバランス、居心地。私にはそんなイメージ。

     

     

     他にもたくさんの気づきがあったり、貴重な出会いもあったから、そこにも触れたいところだけど、今回はこのこと。

     


     

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    2019-12-24

    「出会い直し」 ドラマの最終回のように

    05:27

     年末になって、いろんな方と、いろんな意味で「出会い直し」をしている気分です。

     

     12月の中旬過ぎからすごいことになっています。

     今まで、お世話になってきた方々、影響を大きく受けてきた方々、相談にのっていただいてきた方々などなど、お約束して会った方もいるし、偶然

    「え?なんでここで??」(^^)

    という場所で会った方もいたし。

     

     その時その時で、じっくりお話し、思いや意見の交換をしてすっきりしたり、

    立ち話だったけど、妙に楽しくてすっきりしたり。

     

     また、毎日当たり前のように会っているんだけど、ふとした出来事や言葉で、ぐいっと見方が変わって自分の中でその方との関係性がぐいって前に進んだ気がして嬉しくなったり。


     なんか、よくある、ドラマの最終回で、今までの登場人物が勢揃いしてくるような、そんな感じになっています。


     ふしぎだなあ…。神っている。


     年末は、まだまだ続く。ここから1週間もまた、きっとそんな神ってる時間になるだろうなあ、と思っています。



     出会いと出会い直し。


     そこから、きっとまたすてきな1年が始まる、始められる、そんな予感。


     フェーズ1のドラマはどうやら最終回に近いみたい。フェーズ2のドラマが始まるんだな、そんな風に思っていると楽しい。


     思っているとそうなる、は、ここ数年実感していることだから。

     楽しみ。


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    2019-12-23

    「大概、うまくいかないものだ」(^^)

    06:46

     「何か新しいことを始めようとすると、大概、うまくいかないし、リスクも大きい。でも、それは当たり前。

     今までとは違うことを始めるのって、そういうもの。だから、その初期の失敗やリスクを受け取って、それでもやり続けてみる。修正はその中ですればいい。」

     この日に、話した人や読んだ本の言葉などから、

    (やっぱり、そういうもんだよね…)

    と思ったのでした。


     私のイメージは、「自転車」とか「綱渡り」

    バランスをとりながら、なんとか進む、そんな感じ。


     誰ともぶつかりたくない、自分が傷つきたくない、となると「今まで通り」「人の言うとおり」がラクらんだけど、それではちょっとつまらないんだよね。


     どうなるか分からないけど、探り探りやる、どこから手を付けていくか考えながらちょこちょことやってみる、そんなことが好きなんだな~。


     年末に、そんなことが分かってよかった。


     常に「周辺」「縁側」にいたい。

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    2019-12-22

    コンセプトベースで考えると…ふふ、妄想は膨らむ

    10:05

     「地域と共に歩む学校」は、勤務校にとっては大事な指針。

                 

     


    震災で大きな被害を受けたにもかかわらず、そこから次のまちづくりを進めよう、と気概をもって活動してくださっている方々が、行政の方も含め、地域にはたくさんいる。

     学校もその一翼を担いたい。

     正確に言うと、学校での自分の役割を、そこにつなげて考えていきたい。

     震災で、地域中心部の学校が津波で屋上まで波にのまれた。それはかつての、私の勤務校であった旧雄勝小学校。

     屋上に民家が乗っかっている当時の写真は鮮明に覚えている。ショックだった。

     私にとっての、旧雄勝小学校(というか雄勝地域)は、本当に自分を育ててくれ場所であった。初任地は牡鹿半島4年、次に女川7年、3校目が(旧)雄勝小学校7年。ずっと浜の学校勤務が続いていた。

     この雄勝地域、まさに生活科ワールドだった。というのは、歩いていける範囲に何でもあったから。たとえば、川。源流から汽水域まで全部学区にある。当時は砂地でアサリ取りだってできた。上流には自然水が(しかも飲める!)がわき出し、田んぼだってあった。そして雄勝湾。ホタテやホヤ、カキの養殖。漁師さん方には子どもたちよく船に乗せてもらってもらった。船上でたべるホタテやホヤは、本当においしい。

     メインストリートには商店街があり、子どもたちをつれて歩くとたくさん声をかけてもらえる。公民館あり、郵便局あり、派出所あり、消防署あり、役場あり。

     なんでもそろっていた。

     私は、そんな環境の中、地域の方々に本当にお世話になりながら毎日を過ごしていた。 

     

     話を元に戻す。

     震災後、新しく雄勝に開校した、本校。

     学校再建のところから、地域住民の方も参画しての運動。

     だから、そのときに作られた「学校づくりのコンセプト」は根幹であり、学校教育目標の中にしっかりと位置付いているものであることは間違いない。

     だから「地域と共にある学校」は、そもそも、なのだと思う。

     だから、これまでも、小規模少人数の学校のよさを生かして、なるべくたくさん地域の方々と行う活動や、いろんなすてきな大人が学校に入って交流したりすることを積み重ねてきた。かなり、その面では、やってきた、と思ってはいる。

     とはいえ、なのだ。

    「学校には来たくても、足がなくて来られない」(お年寄りが多いから))

    「学校はまだまだ敷居が高いと感じている人もいるんだよね。」

     それは、先日、地域の方々と話す機会があって、そこでお聞きしたこと。

    学校の活動に好意的な言葉をかけていただくことも多い。

    「知らず知らず、『そういう気持ちのいい言葉をいただくこと』自体に満足してしまってはいないか?」

     身近な、メンターの一人と思っている方からもらった一言で、考えさせられる。

    (結構、ぼくら、地域の方々との活動やってるかなー)

    (結構、いい感じで進んでいるかなー)

     そんな中で、見えなくなっているもの、見ないふりをしていることがあることに気づかされる。「学校に来てくださっている方」しか見てない、話を聞いていないってこと。

    「学校には来たくても、足がなくて来られない」

    「学校はまだまだ敷居が高いと感じている人もいるんだよね。」

     

     そういう方々はまだまだ多いということ。

     教育の本質は「集団として生き延びること」(内田樹)と考えると、そういう方々にこそ目を向けないといけない、ということじゃなかろうか?

     そういう方々にも何か、できるアプローチはないか、そこまで思いをはせることが肝心だったんだね。気持ちのいい言葉を言ってくれる人の話ばかり聞きたい、と思ってしまっては、新たな「たこつぼ」をつくってしまうだけ。

     常に、外にオープンに。

     常に、「縁側」の位置にあって、外と内とを両方見ているような、そんな心持ちでいないといけないな、と強烈に感じた、出来事。


     以下は妄想メモである。言葉にしておくと、いつかはなんとかなったりするかもしれないから。

     ○学校に来られないなら、学校が向こうに行けばいいではないか?

     ○広い学区には、浜ごと(地区)に集落が点在している。高齢化率も高い。「遠い」学  校に来てもらうのはハードルが高い。

     ○地区には立派な集会所、生活センターがあるところが多い。

     ○ん?そこを「1日学校」みたいにしちゃえないか?

     ○全校人数少ないし。毎日じゃなくていいから。弁当の日とかに。「出張学校」笑 学校まるごと出張とかー

     ○学年で「出張学校」してもいいかも。

     ○幸い、全員がスクールタクシーで登下校だから、それをうまく使えたりしないかな?

     ○そこにいって特別なことをするわけでなく、そこで「普通に」国語とか算数したって  いい。地区探検をしたってもちろん面白いな…

     ふふ、以上妄想でした。

     いわゆる、今までの「学校」像をいったん白紙に戻していいかも。

     あくまで、コンセプトベースに、そこから1から考えてみてもいい。


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    2019-12-21

    「仕事」は遅いんだけど…笑

    11:34

     

     自分は「仕事」は速いほうではない…(遅い、と書こうかと思ったが、自分で自分を責めることもないと思って笑)

     まあ、締切を守らないってところまではいかないけど、報告とか提出物とか「先に先に」さくさく片付けていくタイプはない、残念ながら。

     「仕事」が終わらなくて、勤務時間を超えて結構残らなくてはならない日も、多い方だし。

     机の上も、ぐちゃぐちゃ、というほどではない(と自分では思っているが)が、整理整頓されているか、と言われれば、そうでもない、いや、そうではない。

     結構前は、そんなぎりぎりな感じでやっているのを「仕事が遅いんだよね…」みたいに、ちょっと

    (自分ってだめだなあ…)

    と感じてしまっていることもあった。

     そして、てきぱきやるべきことを片付けていく人をみると、

    (すごいなあ…)

    と思って、そうできない自分にがっかりしたりもした。

     でも、今は、そうでもない。開き直っているわけでもない。笑。


     「やらねばならぬこと」は締切までに、一応やれているから、まあいいかな、と。

     「仕事」ってもっと派幅広いものだと、自分の中でちゃんと認識できるようになったから。


     なんでこんなことを考えて、文章にしようと思ったかというと、先日中学校の教務の先生が(本校は小中併設で職員室も一緒だから)

    「次年度、小中より一体化するため、教育計画の作成分担を小中教員で分担するのに、こんな組み合わせを考えたんだけどさ…」

    「小中の週報を一枚にするには、どうしたらいいかを考えて、試作をつくったんだけどさ…」

    と見せてくれたエクセル書式。

     エクセルがまともに使えない私は、その綿密な枠にただただ驚嘆!!

    「わ、すご!私には絶対できない!尊敬!」

    とかって言っていたわけです。

     その時に私が、やっていたのは、教育計画作成ワークショップの問いをどうしたらいいか、そんなプログラムでやるとその目的に近づけるかを悶々と考えること。

     それを見た、中学校の教務の先生は

    「おれにとっては、そっちの方が苦手。かえってこういうシステムを考える方が好きだし得意だから、それでお互いちょうどいいじゃん笑」

    て言ってもらえて、なんかちょっと

    (あ、そうか、それでいいのか、やっぱり…)

    とあらためて思えた、そんなことがあったから。

     なんとなく(前ほどじゃないけど)

    「教務主任としては、エクセルがばんばん使えた方がいい!」

    って思う部分が、まだどこかに残っていて、思った通りの枠をエクセルで作れない(いや、あまりつくりたくない、ハードルが高い…)自分にちょっと引け目を感じる部分があったってこと。


     でも、そういうのは必須、ではないかってこと。


     私スタイルの仕事の内容や進め方はこんな感じだから。

     ①どうなったらいいかな~、面白いかな~、どうなったらこのメンバーみんなの強みを発揮できるかなあ、その場はどんな場であればいいのかなあ、などを考える、考えている。

     ②今やっていること、今出会っている人、今の目の前に起こっていること、状態をアセスメントする、その上で、どうするか、何をやめるか考えてみる。

     ③ついでに、過去あったこと、人のことも思い返してみる。

     ④「お?んじゃ、こうしてみたら、いいんじゃない?」「こうしてみたい!」「これをやめよう」「この人に活躍して欲しい!」「この人に相談してみよう!」…みたいなことが思いつく。

     ⑤で、実際に何かやってみる、相談する、人に会う、人と話す

     ⑥様子をみる、見ながら考え、必要に応じて微調整を試みる。

     ⑦次は、どうするといいかな~と考える。

     ⑧①にもどる…。

     こんな感じ。この間あいだに「やらなければならない仕事」をやっていく、みたいになっている。


     自分中心に、かっこよく言えば、

     自分なりの願いをもって

     種をまいたり、人やことをつないでみたり(これは同時並行だったり、同じことだったりするんだけど)

     (ああ、なんかだんだん実ってきたなあ)と思ったら

     一旦収穫して、

     また、次の種をまいたり、人やことをつないでみたり。

     そんなことをやっているなあ、と思っている。

     何をしました!どうなりました!とかいえるものやことはないんだけど、

     目に見える「私の」成果みたいなものもこれといってないんだけど

     (そもそも、私だけでやっていることがないから)

     それでも、ロングスパンで考えると、

    (あれ、数年前に考えていたことがけっこう実現できているじゃん!)

    って思うことも多い。

     やっぱり、仕事はしているんだ笑。


     こういう、仕事スタイルが自分の持ち味、って思えるようになったから

    「仕事」が遅いくらいでは、めげないようになったな笑。

     でも、締切は守りますよ、子どもたちにはそう言っていますから。

    もっと正確にいうと、

    「締切は守ろうと努力します、万一、守れなさそうだったら事前に相談します。」

    だなー笑。子どもたちにもそう言っているから、それはそれで言行一致ってことで。

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    2019-12-20

    次年度に向けて

    06:56

     

     次年度教育計画の作成の準備が始まった段階


     校長先生からは「次年度の学校運営方針」案、もっとも根っこになる部分が出され、そこを小中のみんなで読み解く、というか、その願いや思いと自分自身のそれとを重ね合わせつなぎ合わせるワークショップから次年度教育計画作成作業をスタートさせている。

     「子どもたちが、幸せになること。そして、ここ雄勝だからこそできる体験をたっぷり味わえるようにて、雄勝を好きになってもらいたい、ここを誇りに感じてもらえるようになってほしい。」

     校長先生の思いは一貫してぶれがない。


     その願いは、私たち一人一人の教員とつながっているし重なっているはず。どう重なり、自分だったらそれをどういう手段でやってみたいのか、やれそうなのか、みんなはどう思っているのか、どうしたいと考えているのか…。そこをこの学校の職員メンバーで対話を通して、共有することを大事にしていくこと、そういうプロセスを年間を通してつくっていくこと、を意識していきたい。


     今回は、次年度重点事項に照らし合わせながら今年度の取組についての振り返りをしながら次年度チャレンジの大枠をワールドカフェ的に行った。

     まだ第一段階ではあるけれど、次年度学校運営方針の原点になる部分をテーマに小中教員であれこれ話すことから次年度のことを考えられた点はよかったかな、と思っている。

     

     3学期は具体的な計画の作成と試行(お試し実践期間)になる。学校づくり、も教員の「総合的な学習の時間」みたいなもんだな、と思う。


     このワークショップに、サポート頂いている諸団体の代表の方も入るとなお一層協働ってすすむはず。

     それは面白いんじゃないか?と思う。もうすでに関係性はだいたいできているから。



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    2019-12-19

    分からないこと

    23:51

     「もっと知らないと…」と思う事は

    「まだまだ分からないことが多い」

    ということ。


     まだまだ分からないことが多い、って分かることが

    「分かる」ことにつながっていくんだな。


     「分からない」ことが分かる、が「分かる」なのかもしれないな。


    「分かる」とか「分かりやすい」とか思ってしまうのは、「分からない」ところにすらまだ全然届いていないってことなんだなあ。

     

     分からない、でいいじゃないか。(ん?語弊があるかな…)

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    2019-12-17

    次年度のわくわく計画

    20:55

    そろそろ次年度の教育計画を作成する時期です。

    次年度の「学校運営方針」案が先日の職員会議で出されました。


     学校教育目標を中心に据え、4つの努力事項。一つ一つの文言が私はとても納得ができます。

     

     そして、やっぱり、「学校づくりのコンセプト」。本校は、震災後、大きな被害を受けてしまった地域の「復興の象徴」になるように、との願いを受けて新しく開校した小中併設校です。このコンセプトは、震災後大変な時期に

    「この地域に再び学校を」

    と願った方々の思いが詰まっているもの。

     そういう背景もあるからこそ、そこに命を吹き込み続けたい。

    今までの3年間をベースに、次のセカンドステップに、というところ。

     しっかりと足下に根を張る、そんな時期に入るよ、ということなんだと理解しています。



     高齢化率も県下の上位、その僻地地に新設校です。「ふつう」に考えると特異ともいえるかもしれません。

     だからこそ、

    「この学校づくりのコンセプトを本気で実現したいんだ」

    という校長先生が考えた運営方針を本気で実現する動き出しを、みんなでしたいな。

     そのための、教育計画作成ワークショップ、そこから次年度計画作成をスタートさせます。そして3学期は、次年度への「お試しチャレンジ期間」、そんなふうになるといいなと思っています。

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    2019-12-15

    わくわくプロジェクト、スタート

    08:17

     石巻市には「子どもの権利に関する条例」があります。この度制定10周年を迎え、石巻市・石巻市教育委員会・南三陸人権啓発活動地域ネットワーク協議会が主催となって先月「記念フォーラム」を実施しました。


     私は、縁あってこのフォーラムの実行委員会に所属させてもらっていました。

    https://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig.html


     準備のための実行員会でも、参加していた方々(市教育委員会、市子育て支援課、子どもの支援にあたる諸NPO団体、教員など)とフォーラムの準備と並行して「子どもの権利条約」について、これからの石巻市について、共に意見交換しありがとうございます。学び合うものになりました。それが本当に貴重な時間になりました。

     

     その議論の中で、私たちの中で共有できた意識は

    〇フォーラム開催を目的にしない。

    〇フォーラム後をつくるフォーラムにする。

    〇フォーラムはきっかけでありスタートに。

    〇現状認識を大切にする。リアルな子どもの声、大人の声を聴く。

    〇「子どもの権利条約」が浸透した石巻市を目指す

     というようなこと。


     そのために、緩やかに、アフターフォーラム「石巻市民の『子どもの権利条約を考える会』(仮称)」を気軽に、定期的に開いていくことにしました。



     昨日は、その第1回目。

     会場は、そのシンボルとなってほしい「石巻市子どもセンターらいつ」。

    ここは、先の東日本大震災が一つのきっかけとなったできた施設。


     その意味でも、震災後の「子どもの権利」のシンボル。


    石巻市「子どもの権利に関する条例」は、石巻市の「たから」ですので、それをさらに育てていこうとする、行政と市民ごちゃ混ぜのチームになるといいなあ、と思って居ます。

    「焼き鳥の肉を一つ一つ拾う」ようなことをメインでできたらいいな。(意味が分かりませんね…「ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー」(ブレイディみかこ著)の中にあった記述から、です。)


     多くの方々の尽力で種がまかれた、だからあとはみんなで水をやり、肥やしを加え、温める、そんなこれからのスタート。

     わくわくプロジェクト。

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    2019-12-14

    足下に,実はオタカラがあった

    08:40

     先日,遠く九州から高校生がたくさんやってきてくれて本校多目的ホールを会場に研修を行いました。

     学校は会場提供だったので,子どもたちと生徒さんが関わる場面はなかったのですが。

     なぜ,本校でか,というと東日本大震災の被災地であるから。

    高校生の学びの成果を,雄勝の行政を担ってくださっている方(地域振興課),まちづくりをになってくださっている方,雄勝の住民,学校代表者(本校では管理職が参加)がポスターセッションのような形で聴き,交流する,そんな構成でした。

     そこで,行政の方が高校生向けに話された「雄勝の現状と課題」。

    私はその場に参加していなかったので,詳細は分かりませんが,その資料を拝見すると内容がとても濃い。

    (ああ,私たち学校職員もここの課題意識や現状,将来構想を行政の方々と共有できるといいんだよね)

    (その上で,学校をどうする?)

    って一緒に考えるパートナーとしてのつながりを太くする,そんなことができるといいんだ!と感じました。


     まさに「いいこと思いついた!」です。

    というか,なぜ今までそこに気が付かなかったのか,不思議なくらい。

     私は,そのお話をしてくださった方のことは,普段から学校行事や子どもたちとの学習を通してよく知っている方でしたし,雄勝のことを考えている熱い方であることは分かっていたはずなのに!

    (ああ,しまったなあ…)

    と思いましたが,活路をまた見付けた気分でもあります。


     私自身も石巻市行政地域振興課と雄勝教員が一緒に「これからの雄勝のことを考える」研修会をすればいい,なんて選択肢に気が付いていなかった…(悔しい)。

     そこが思いつかなかったところに,なんでだろ…,と思います。知らず知らずのうちに,私も学校を中心にした見方に偏ってしまっていたみたい。あぶない,あぶない。


     地域やこれからの社会のことを考えるのなら,同じ目的を共有する異業種の方と一緒に目的や課題を共有する場が必要なのは,実は当たり前だなあ,悔しいけど,目から鱗。(今更か,という思いもあり…)

     足下にオタカラはあった。


     地域振興課やまちづくり協会,雄勝住民との「研修会」(そういう名前にするかは別にして),考えよう,そして企画しよう。


     学校全体として,視座をあげていく,そんなことをしたいな。

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    2019-12-13

    ズレは必ずある,と思ってみる

    07:35

     どんなに上手くいっているように見えても,ズレはあるってことだなあ。

     というか,ズレはあるものだと思っていないといけないなあ,と思いました。

     うまくいかなったからそう感じたんじゃなくて,思った通りにだいたい物事が運んでいるんじゃないかな…と思ったときにこそ,その「ズレがあるんじゃないか?」の感覚をもっていないといけないな,そう学ぶことができた,そんな出来事。




    「あそこに来ていた方の言葉をそのまま受け取って,それで,全てが順調に進んでいる,なんて思ってしまうと,それは違うんじゃないか,道を誤るんじゃないか,と思う。」

    とある方の言葉。

     その瞬間は

    (そんなこと言わなくてもー)

    って正直思ったけれど,よくよく考えて見ると確かにその通り。

    (あ…,ズレがあると思っていることが実は大事だな…)

    ということ。

     意見を伝えてくださった方々は,そのまま「全てのメンバー」ではないってこと。あそこに集まってくださった方々は,普段私や私たちと近く接してくださっている方々。「全てのメンバー」の中のごく一部。

     だから,余計に(そのつもりのあるなしに関わらず)気持ちのいいことを言ってくれるし,それを気持ち良く受け取ってしまう自分もいるってこと。

     耳に心地いい言葉は,やっぱり嬉しいから。



     一部を捉えて「全部」としてしまうことは危険。


     いつの間にか,自分に気持ちのいいことを言ってくれる方々のみを捉えて「全部」としてしまってはいないか,そうなってしまうと独りよがりになってしまうんじゃないか,そういうことに気付かされる出来事。

     どんなにやっても,どんなに丁寧に関係をつくったとしても,必ずズレはある。それは当たり前のことなんだね。

     ズレがあることが良くないことじゃなくて,ズレについての意識がない,ズレを見ようとしないってことが問題なんだなーって思いました。

     見えているか見えていないか,見ようとしているかしていないか,そんなことだと思う。

     まだまだだな,自分。 

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    2019-12-12

    「へえ、こんなこともやっているんだねえ~」

    06:54

    協働教育推進協議会。

     

    「地域と共にある学校」を目指して、常々お世話になっている諸団体の代表の方々と学校の情報交換の場です。

     学期に一回の定期開催。

     毎回、10分ほどの子どもたちの学校生活ムービー(地域協働に関わりの深い部分を多めに)を見ていただきます。そして、それぞれの方々からお話を聴き、ホワイトボード・ミーティング®でそれぞれの意見や思いをつなげて行く、これから先のアイデアを出し合う、そんな進め方がもう定番になってきました。

     それぞれ、学校との「協働」という点では、今までに何度も学校に来てくださり子どもたちとも関わってくださっていますが、他の方々がどのようなことをしているのかは分かるようで意外と分からないもののようです。

     ムービーをみながら

    「へえ、こんなこともやっているんだねえ~」

    なんていう声も聞かれるからです。

     「他の方々がどんなことをやっているのか分かる」ことで、この「協働の取組」の総体を知っていただけることになるなあ、と感じます。

     例えばまちづくり協会が、神楽保存会と学校でどんなことをしているのか、などを詳しく知りそこで一緒に話す事で、一つ一つの活動や事業の枠を超えたレベルで一緒に話すことができるからです。

     地域の中で子どもを育てる、という意味を、自分の関わりだけでなく「総体」として感じてもらうのにはこのムービー視聴もいいな、と思います。

     その後は一人一人にお話を聞きながらのホワイトボード・ミーティング®。

    参加者それぞれの思いを可視化していき、そこからまた意見交換することで、さらに、お互いの活動の重なり合う部分について思いを共有することができます。


     そうなると、「地域の子どもたちと一緒にどう笑顔をつくるか」ってことになっていきます。


     全体で何を創ろうとしているのか見える、というかそんな感じになるといいんですね。

     分業から協業、っていうのかな。それぞれの役割をつなげていくプロセスをつくる、そんな感じになっていくといいいのかな。

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    2019-12-11

    「一隅を照らす」

    06:56

    中村哲さんの訃報。

     先日の番組で、中村さんの特集を行っていた。

    その中での一言。

    「一隅を照らす」

     そこから始める、ってことだと思いました。


     はじめから大きなことはできないのは当たり前。

     一人で、も同じこと。

     でも、できることはあるからな。

     それぞれができることをできるようにやり続けて、お互いに話をして、またそれぞれができることできるようにやる。その繰り返しで物事って理想に近づいていけるんじゃないかな。

     理想は常に理想のままだけど、それでいいんだと思っていて。でもちゃんと前に進んでいることは確かめられるから。

     「そんなの無理だよ」

    って言われても、やらないより何かやってみたほうがましだし、何より楽しい。


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    2019-12-08

    「分からない」は「楽しい」

    10:15

     分からない、を楽しめるといいんだな、と感じました。

    うん、分からないのは楽しい。

     というか、分からないことを、みんなで考えるのが楽しいのか。

     そこに格付けはいらないな、と。



     昨日は「『探究のカタチ』を語ろう」という集まりに参加させて頂いた。

    「探究、ってなんだろう…」

    を自分なりに考える時間。

     そこに参加された方々と、一緒にしゃべりながら、考える。

    「これってこういうことかなー?」

    「あ…、もしかしたらこうも考えられるかも!」

    「やっぱりさあ…」


     そんなことをお互いに言い合うことで、薄ぼんやり考えていたことが言葉になってきたり、考えていなかったことがふっと思いついたり。今まで一緒に考えていなくて関係が薄いと思っていたもの同士が

    (あ、なんだ…、ここにこうつながるじゃないかー!)

    って感じたり。

     まさに

    (いいこと思いついちゃった!)

    ってなる。 

     そういう時はとっても幸せな気分になるんだよね。


     この日の私の学びは

    〇「分からない」は「楽しい」

    〇「分からない」は楽しい、を体現する。

    〇「『遊び』は探究だ」「『探究』は遊びだ」

    〇「感情の分かち合い」としての発表、交流。つまり「催し」

     山形の皆さん、ありがとうございました!


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    2019-12-01

    「ツール」と「リソース」

    08:53

    「ツール」と考えるか「リソース」と考えるか。

     ツール。

    道具、工具。

    そのイメージは、

    便利な道具。すぐ使えるもの。

    即効的効果も期待できる感じ。

    自分の都合の良いように、つまみ食い的にも使える。

    それが

    「ツール」かな。よくも悪くも。

    使ったり使わなかったり。

    使えるもの、使えないもの

    ある面、限定的。

    持っている者もいて、持たざる者もいる。

    持つ、持たないのも「個人」的な感じ。

    「リソース」と考えることは…。

    資源。

    公共の資源。

    もともとあるもの。

    どうやって使うか考えられるもの。

    何に使えるか、まだ決まってないもの

    使えるか使えないか、分からないもの

    そこから何かを加工して、使えるようにこれからする。

    あるものを活かす、そんな感じ。

    あくまで、私の意味づけ。

    リソース、という見方もできると、ちょっと周りの見方が変わってきそう。

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