次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2019-09-23

    「依存労働」

    09:37

     「依存労働」という言葉に出会った。

    エヴァ・フェダー・キテイという哲学者の言葉みたい。

    「依存労働は、脆弱な状態にある他者を世話(ケア)する仕事である。依存労働は、親密な者同士の絆を維持し、あるいはそれ自体が親密さや信頼、すなわちつながりを作り出す。」




     そもそも、人は誰かに依存している、という前提。

    そして、その依存を維持していくのには、「誰かがそれをやらなくてはならない」ことであり、それが専門家の仕事にとは見なされにくい、みたいなこと。

     専門家しないままにして残ったケアの仕事。

    当たり前のものを、さも当たり前のように提供することで、依存していることにさえ気付かせないこと


     わかりやすい例で例えれば、赤ちゃんのお世話やお年寄りの介護、みたいなところ。


     赤ちゃんのお世話のプロ、とか、介護のプロ、とかってあるのかな?プロという「専門家」になった時に、それは「当たり前のこと」じゃなくなっていく、そんなイメージ。


     ん、専門家であることすら気付かせない、意識しない、そういうことかな…。



     その「当たり前」の価値。それを維持していくこと、支えていくことの価値。専門家とかいう社会的評価の中に中に組み込まれてしまうことで、その中身も変質していくかも


     もやもや、もやもや。


     「ケアする人をケアする人。ケアし続けるには、ケアする人は多くのものに支えられることを必要とする」


     当たり前を維持する「当たり前」の仕事。そして、それを支えるまた多くの人々。

     概して、そういう人は見えづらいってことか…。

     

     ううむ、見えづらくても「見える」

    いないようで「いる」

    何もしてないようで「している」

      

     

     むむむ…。未整理。


     もう少し考えてみたいこと。


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