次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2017-07-23

    「○○」と名前を付けるということ

    23:46

     名前を付ける。とはどういうことか。それは「ラベル」をつけることでもあるし,時にレッテルをはる,という意味でもあるだろう。

     名前を付けると「安心」する。とりあえず安心する。「それは『○○』というものだ,と,とりあえず認識できるから。

     例えば妖怪

     正体不明なもの,得たいの知れないモノ,理解不能現象…。本当に怖いのは,実はそういうもの。「なんなんだ?」「自分の理解を超えているもの」は怖い。だから「妖怪」という名前をつける。

    妖怪のせいなのね」ということ。

     くらがりで,いるのかいないのか,分からないのが「怖い」。いると分かっているほうが,まだまし。夜道を一人歩いていて

    (何かいそう)

    なのは怖い。

     予想外の出来事,現象,行動?も怖い。病気の病名,もそんな感じかな。

     名前をつけて,

    「あれは,妖怪○○」というんだ」

    「それは○○という病気だ。」

    ということにして,そういうモノとして理解する(ことにする)ことで,「ひとまず」安心する。


     いったん,自分の中で「理解」できるから,かな。受け止める?

     でも,名前を付けたことで,「正体不明なモノの正体」が分かった訳でも実はない。病気が治るわけでもない。名前をつけたことで,「理解したことにする」にすぎない。

     でも,それは「理解」になるのかな?やっぱり。名前を付けることは,理解,なのかな?

     もともとの不安は解消されたのか?されていないなあ。

     理解って何だろう?????

    と,もんもんとする。

     人類は今まで,得体の知れないモノに次々名前を付けて「理解」してきたのかな?それを繰り返してきたのかな?うーん。