次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2019-11-18

    ごちゃ混ぜ共生社会

    06:47

    「地域の支え合いを考える大会」(石巻市、石巻市地域包括ケア推進協議会主催)に参加しました。


     見回した感じ、医療、介護、福祉、民生委員さん、町内会関係、行政、議員さん、そういう方々が多くを占めている会場でした。


     大きなテーマは「ごちゃ混ぜ共生社会へ」。


     たくさんの気づきがあったのですが、その中の1つ。

    「社会的処方」

     おそらく、それは、対症療法的ではなくお互いが居心地いい関係性や空間を作り合うことで問題や課題を緩和する、なんとか乗り越えていく、そんなイメージなんだろうと思います。

     例が適切かは分かりませんが、ひどい風邪を引いたとして、いい薬はないんだけど(もちろんあるに越したことはない)、信頼できる人から温かい看護をしてもらえるだけでなんとか症状が緩和される、そんなイメージ。


     Free、Share、Trust、Giving

     キーワードとして紹介された言葉。


     教育の現場だって同じです。

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    「ごちゃ混ぜ共生社会」は、人と人とがごちゃ混ぜに、共に。

    それは職種もそう。


     この大会の封筒の中に、一緒に入っていたのは来週の「石巻市子どもの権利に関する条例10周年記念フォーラム」のちらし。


     石巻市福祉部子育て支援課の方々の尽力だな、と思います。

    2019-11-17

    そもそも

    10:08

     内田樹さんの見方、考え方が好きで、そこから多くを学ばせていただいていあす。

     ずっと前の、新潟での『学び合い』フォーラムで、内田さんのお話を聞いたときから、わたしが勝手に「せんせいはえらい」として、学ばせてもらっています。

     本屋で新しい著書を見つけると、まず買うようにしています。


     http://blog.tatsuru.com/2011/09/02_1151.php

     この「学ぶ力」っていうのも大好きな記事の一つ。


     今回、仙台で講演会があると知って、

    「これは行かねば」

    となった訳です。

     今回の演題は

    「内田樹のおせっかいで行こう!~時代の“閉塞感”を超えて~」

    だった訳だけど、このタイトルにはあまり左右されない、そんな感じでした。


     さて、今回の中で印象に残り、ふむふむと考えたことがいくつかあり。

     そもそも教育は、集団が生き延びるために必要になったもの。狩猟や採集、農耕、身の守り方など長老などが経験を若者に伝える、それによってその集団が生き延びるための知恵をストックする、そんな意味合い。

     大事なのは「集団として生き延びること」

    だから知性もそのために活かされるものである、ということ。

     みんなで知恵を出し合って、今をよりよくしたり、難局を乗り越えたり、そんなことのために「教育」は必要であった、ということ。


     「生きる力」

    って今でもよく言われるけど、それと全く変わらないよなあ、と思います。


    「子どもたちの生きる知恵と力が高まるか、特に集団として」

    が大事。この辺りを、ちゃんと見ていないと。

     能力は集団の中ではたらくものでないとあまり意味がない。個人の中にいくら優れたもものがあったとししても、集団に寄与しないそれであっては宝の持ち腐れ。

     そして、その能力は多様であれば多様なほど、望ましいことになりますね。

    村落に「釣り針を上手につくる人だけ」がたくさんいるよりも、「天気に詳しい人」「魚の習性にくわしい人」「力持ちな人」「料理を上手にできる人」…などなどいろんな人がいた方が、集団として生き延びる力がアップする、そんな感じでしょうか。


     集団としての知性。知性は個人のものだけであっては意味を持ちませんね。


     学校も、そもそもそういう学びの場なんだろうなあ、と思います。いろんな人がごちゃごちゃと出会い、話し、集団が生き延びるために学び合う、そんな場所。

     そこには、子どもだけじゃなくて大人もたくさん出入りしています。「子どもたち」は未来そのものですから。


     「教育を農業の比喩で語ることじゃないでしょうか。そもそも人は価値あるものを育てる経験のベースは「農業」で学んできました。教育を工場生産のメタファーで語るのではなく。」



     水をやる、手をかける、耕す、待つ、恵みとする…。


     そもそもそういうものだったでしょう?という話。





     

     

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    2019-11-16

    ここでも

    06:24

     昨日は、地域の教員の一斉研修日でした。

     私は、「へき地。分校研究会」に所属しています。

    この日の会場は、牡鹿半島のある学校と、新しく開館した「牡鹿半島ビジターセンター」


     牡鹿半島もまた、東日本大震災で大きな被害を受けたところです。ですから、会場までの道々の海岸道路は未だたくさんの工事中かもしくは、コンクリートで固められている堤防が目に付きます。

     ずいぶん変わってしまいました。


     牡鹿半島ビジターセンターでお会いした方は、まちづくり協会の方々。

     協会は地元でずっと前から地域のために頑張ってきた方と新しく他県から牡鹿にやってきてここの自然を活かしたプログラムをつくろうとしている若い方々が共にこれからのまちを考え活動している組織です。新しくできたこのビジターセンターを今後の拠点にして、とお話されていました。


     ここでも地元の方と新しい風を吹き込んでくれる方々の協働。

    雄勝と同じです。


     雄勝、女川、牡鹿。きっと気仙沼や志津川もそう。

    どこの被災地もたぶんそうなんだろうなあ。震災にかかわらず。


     いろんな人が混じり合って、次をつくろうとしている。

     だから、学校だって、ってところだなあ。

     そんな風に感じた1日でした。

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    2019-11-10

    だれかの靴をはいてみること

    08:54

     この間「おはよう日本」でブレイディみかこさんが出ていた。

     https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC-%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3-%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%81%93/s?rh=n%3A465392%2Cp_27%3A%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3+%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%81%93

     不勉強で、この作家さんのことはまったく知らなかったんだけど、話していたことがとても興味深くこの本もぜひ読んでみたいなあ、と思った。

      話の流れの中で、気になったフレーズがあって。

    「誰かの靴をはいてみること」

    という言葉。

     ちょっと相手のストーリーに乗っかって見る、そこに立って見回してみる、そんなことなのかな、と思った。

     よく「相手の立場になって考える」ってことを言ったりしますが、それはそうそう簡単じゃなくて、むしろそれができないことの方が圧倒的に多い…。だからこそ。

     「誰かの靴をはいてみること」

     私にはとっても心に残った言葉。

     たしか、みかこさんは

    「人の靴だから、はきたくないことだってあるじゃないですか。でも、ずっとじゃなくてもいいから、ちょっとはいてみる…」

    みたいなことを言っていたような気がします。(たしか…です)

     

     はいてみる、が大事かなって。

    ちょっと乗り越えてみる、身を乗り出す、そんな感じ。

    そこでいつも思い出すのが内田さんのコミュニケーション能力の考え方。

    これが好き。

    http://blog.tatsuru.com/2013/12/29_1149.html



     知ろうとする、体験してみる、多少のリスクはあるかもしれないれど前に進むには時にそれも必要な時もあるから。



     そもそも他者とは「わかり合えない」のだから、わかり合おうとするくらいの身の乗り出し方はしてみよう、そんなふうに思うのであります。

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    2019-11-09

    「職員室で起こることは教室でも起こる、教室でも起こることは職員室でも起こる」

    08:18

     月末の指導主事学校訪問に向けての指導案作成中。

    授業者にお任せでなくて、みんなで協働的・協同的に指導案をつくる。というか授業をつくる、そんな取組。

     

     3~6年合同の異年齢で行う「総合的な学習の時間」なので、今までもメンバーで計画を立て、実践し、実践しながらまた計画を練り直したりしながら適宜相談し合いながら取り組んで来た。

     だけど、今回、「指導主事学校訪問」で授業提案をし、指導案を作成するという機会があるので、それをちょうどいい機会と捉えて、「総合的な学習」担当の私や担任の先生たち同士それぞれの、単元の対する意味づけや価値、学校教育目標や校内研究テーマとのつながり、そしてそれぞれの子ども観、指導観などについて丁寧にすり合わせ、次に進めるチャンスにもできるはず。

     そこの話し合いを丁寧に行い、お互いに「認め合い、学び合い、高め合う」そして元気になる、そんな話し合い、会議ができるといいってこと。話し合いと会議、そして実践。その繰り返しで「職員室チーム」になれるといいよなあ、と思っている。

    3~6年合同の異年齢「総合的な学習」だから、担任間の思いや考えの共有は大切なこと。

     単に指導主事学校訪問の指導案を作成する、提案授業を行うことがゴールじゃなくて、(それは手立て)お互いの教員としての思いや考えを共有し合い、この機会を使って学び合う、それこそ僕らが子どもたちに求めている「認め合い、学び合い、高め合う」活動を今まで以上に自分たちで意識的に行う、そんな感じ。

     指導主事学校訪問を有効に活用して、その機会を自分たちの学びの場にしてしまう、そういうこと。

     職員室チームの強みは、「エピソードの力」を知っていること。

     思いや考えを共有する、それはエピソードを伴うことで「情景の共有=情報の共有」ができ、よりわかり合うことにつながっていくことをちゃんと理解し体験してきている、ということ。

     この日は、指導案の中の「単元の目標・評価規準」「指導観」「本時のねらいと評価」「単元計画」について。なかなかのボリューム。

     それをホワイトボード・ミーティング®で。

     指導観について。

    「この単元、どんなふうにしていきたい?なるといい?」

    で発散。

     それぞれの、この単元を通しての思いや願いを共有。

     収束は

    「大事にしたいこと、重要ポイントは?」


     それぞれがそれぞれの思いや考えを出し合い、聴き合っていく。そしてその中から収束をかける。

     ホワイトボード上に残された対話の記録を元に担当者が、指導観の原稿を書く、そんな感じになる。

     こうやって教員間で思いや考えの共有(同じところはここで、違うところはここなんだな、なんでそうな考えるのかっていうと…と認識し合うことの積み重ね)しその中で一致点、納得点を見つける、合意形成をしていくことが、まさに一人一人を大切にしていくことでもあり、活かしていくことにもつながっていくんだと感じる。

     先日も指導案の一項目「児童の実態」につい職員室メンバーで話し合い、意見をホワイトボード・ドにまとめたけれど、出された「子どもたちのよさ」は、

    (まんま、私たちの職員集団でのそれだなあ…)

    と密かに私は感じていた。

    「職員室で起こることは教室でも起こる、教室でも起こることは職員室でも起こる」

    まさにそういうことなんだと思うなー。

     指導主事学校訪問、実際問題それなりに大変なことはそうなんだけど、やるならやるでそれを「おまつり」にしちゃえばいいよね…とのんきにも考えている笑。

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