2015-10-11
職員集団の。
ゼミ |
今週のゼミで、『学び合い』での学校の運営についての質問をしました。
現在の出版されている『学び合い』の本はどちらかというと、学級経営向きの本が多く、先生対子どもの関係が想定されています。
確かに、子どもたちの一生涯の幸せを願って「一人も見捨てない」を語ることは大切だと思います。
でも、今いる大人だって見捨てられたくない。(要するに、わたしが見捨てられたくないんです。)
そこで、以前「大人の『学び合い』について研究したい。大人しかいない企業のような場所にも『学び合い』の良さを実感する人が増えれば、少しでも楽になるはず」とゼミで言ったところ、
先生から「フィールドは学校で考えた方がいい。なぜなら、より多くの大人を巻き込みたいと考えたとき、全国で公的に認められた場所で、多くの大人が関わる(保護者、地域として)場所は学校しかないから」というようなアドバイスをいただきました。
そのアドバイスをいただいたときには、うーん、そういう回りくどいのじゃなくて、働く大人の人たちが、
要するに、2年後のわたしが。
わたしだけじゃなくても、今わたしが関わっていて働いている大人の人たちが。
少しでも「見捨てられた」と感じないようにしたいんだけど……と思っていました。
なので、次に、学校よりも手続きが面倒ではなく、一般の人(教育関係ではない人)が参加することにハードルが低い、『学び合い』の会についての研究をしようと考えました。
『学び合い』の会は、各地でお世話になった方がたくさんいますし、その良さを実感しているので、みんなにもこの良さを知ってほしいなあ、という思い入れもあります。
会にいろんな人を巻き込むためには、わたしの声よりももっと若い子たちが頑張る姿を知ってもらう必要があるので、高校生を中心に開催されている東信の会でお手伝いをして、できるだけ多くの人に知ってもらえるよう宣伝をすることにしました。
この部分は継続して行うとして、でも、まだ何か足りないような。
自分の中に、もやもやが残る感じがするような。。。
そう思って、先週の休み、久しぶりに何もないノートにひたすら「自分はどうしたいのか」を書きなぐってみました。
すると、見えてきたのは、根本の、わたしが見捨てられたくない、という部分でした(笑)
仕方がないので、自分を中心に考えてみたところ、2年後のわたしの職場は学校です。
そこでは、ちゃんとまわりの方々と折り合いをつけながら仕事をしたいと思っています。
でも、「あの先生は仕方ないよね」と見捨てられるような人がいる職員集団だと悲しいです。
そんな職員集団にならないためには、自分がどうするか?ももちろん大切なことですが、
職員集団のトップに立つ校長先生がどのような学校のつくりかたをしているか、がもっとも影響してくると思います。
じゃあ、『学び合い』で運営される学校の研究ってどうだろう?というのが、冒頭の質問のいきさつでした。
「校長先生向けの本は出ないんですか?」と質問すると、
先生のお答えでは、校長向けの本は出版が難しい、とのこと。
でも、『学び合い』の良さを分かって学校を運営している校長先生なら何か知っているかも。
ということで、校長先生にインタビューをしてみて、『学び合い』の学校運営の実態を探ってみたいと思います。
『学び合い』実践者の方の実践を認めてくださっている校長先生をあたってみたいと考えています。
ご協力してくださる方、大、大、大募集中です。
以下のアドレスへメールでお知らせしていただけると嬉しいです。
merryfarm1102●yahoo.co.jp(●→@)
うちの校長先生どうですかー?素敵ですよ。という校長先生自慢や、
校長をしていて、『学び合い』での運営に興味があるんです。という自己申告をお待ちしております。
よろしくお願いいたします。
2015-06-13
解決。
ゼミ |
先月からもやもやとし続けていたことが、今日の学年ゼミですっきりしました。
具体的には、自分が『学び合い』のできる環境下に置かれていながら「一人も見捨てない」ことを求められていない場合はどう動けばいいのか?ということでした。
というか、そもそも、「一人も見捨てない」ことを求められていないのか、求められているか、というところもよく分からない状態で、
上記のことが言葉にしづらかったのかもしれません。
でも、実は、先週の段階で心の整理はついたつもりでいました。
上記のもやもやに対してわたしの出した結論は、「きっと求められているだろう、と期待して、無理しない程度に動き、何かあれば心を無にする」でした。
ただ、今日の学年ゼミで、自分も何か質問しなければ……と思ったときに、ふと、自分の中では解決したはずのことを質問していました。
きっと、頭の片隅では、まだ納得できていない自分がいたのかもしれません。
というよりも、せっかく興味をもって授業を受けたのに、宙ぶらりんのままの同学年の子の気持ちを考えると、心を無にすることが難しかったのかもしれません。
その気持ちを考えると、悔しくて?というのか、よく分からないですが、泣きたい気分になります。
でも、今日質問してみて、先生の本心や今後の見通しを聞くことができたので、ほっとしました。
こんなことなら、素直にもっと早く聞いておけばよかったかな~とか、
でも、このもやもやしている期間にも大切なことに気づけたので、それはそれでアリかな、と感じました。
本当に、今回のことで身をもって感じました。
「一人も見捨てない」ことを願っているかどうか分からない態度で『学び合い』をすると、わたしのように違和感を感じる子が、少なからずいるということ。
また、そういう実験もおもしろいのかもしれない、と思いました。
もしもこういう方向で研究を進めていけば、『学び合い』がカタチではなく考え方だということが明らかになったりするのかなあ、なんて。
とにかく、今日はよかった。
腐っているのに惹かれるわけないもん。
ズレてきたと思うなら修正したらいいさぁ。
一人も見捨てない教育、追いかけましょう。
meiさんのファンより
うわあ、ありがとうございます……!
でも、とてもくすぐったい気持ちになっちゃうんで、今後はこんなふわっとした弱音を吐くことを一切しないと、ここに誓います(笑)
「腐った」ではなく「ズレた」ならば、ズレた箇所を検証して改善できますよね。
元気が出ました。
弱音を吐かないって決めてしまったら、頑張り続けなきゃいけなくなるじゃないですか。
頑張り続けるのは大変で嫌いです。
それに弱音を吐ける人は弱音わ吐く人を支えられると思います。
弱音を吐いてくれたから、励ませるので、たまには励ます役をくださいね。
ありがとうございます!
でも、そのへんの抜かりはありませんよ~。
「ふわっとした弱音を吐く」ことをしない、なので、こういう不特定多数の方が見ることのできる場所に、どんな意見を求めているのか分からない弱音は吐かないということです。
頑張れないときは、直接がっつりと相談という名の弱音を吐かせていただきますので、励まし役をどうぞよろしくお願いします(笑)