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2014-06-30

変化。

| 01:47 | 変化。 - 幸福論 を含むブックマーク


明日は(もう今日ですが)、いよいよ集団的自衛権についての閣議決定。

世間が賑わいだしてようやく、わたしって何も知らないなあ。。。という不安な思いに駆られ、

このままじゃだめだ!と、集団的自衛権そのものがどういうものなのかについて調べてみたり、関連の書籍を読んだりしていました。


そうすると、今回のことについて賛成=右派、反対=左派だよね~と思い込んでいたけれど、

インタビュー記事の中で、右派の方が

「今のままの9条では解釈次第で自衛隊を海外へ派遣できてしまう。平和を望むのであれば、加筆をして集団的自衛権は認めないと明記するべきではないのか」

「今この段階でやるべきことなのか」

と言っているのを見て、あれ?となりました。


あなたは、賛成じゃないんですか?


そこからは、大混乱。

右翼と左翼って、わたしの想像よりももっともっと複雑なものだ、と気づいたからです。

そもそも、そんなに右翼や左翼のことを勉強したわけでもないわたしが、なんとなーく分かったつもりになっていた、というだけの話なのですが。


しかも、本を読んでみても、やっぱりそれぞれのイメージはぼんやりしたままです。

右翼の人たちは、日本という国に誇りを持ち平和にしていきたいと考えていて、

左翼の人たちは、日本という国と他の国とのつながり(世界平和?)を考えている。

つまり、どちらも今の状況をなんとかしたいと考えて動いているんだなあ、と。


でも、その大きな枠組み以外は、それぞれの意見って意外とバラバラなんです。

これが先ほど上で言ったような、右派なのに……?というところなんですね。

じっくりと意見を読んでみると、その人なりの筋が通っていて、なるほどな~!と思います。





そして、大体こういう話になると、どちらかの意見が正しいとか間違っている、善い悪い、となってしまって、

議論を見ていて、これって話が進んでいるんだろうか?という気持ちになるのですが、

それぞれの考えをじっくり聞いて、

「あ、そんな考え方もあるのか!」

「じゃあ、それをすることの本当の目的って何?」

「もっと他に手段は考えられないだろうか?」

「逆に、こっちの意見と重なる部分はあるだろうか?」

と見ていくと、どっち側なの!?ということにとらわれず前向きに考えられるんだな、と

いくつかの対談や議論を見て思いました。

なかなか割り切れない部分もあるかもしれませんが。




で。

イメージがついたところで、また最初にかえってくるわけです。

集団的自衛権ってどうなんだろう?


日本はどうなっていくのでしょうね。

昨日「国が変われば、教育も変わる」というコメントをいただいたのですが、

教育にも少しずつ影響していくんだろうなあ。

2014-06-29

教科。

| 02:15 | 教科。 - 幸福論 を含むブックマーク

金曜日ゼミのメモです。


現在、4年ゼミは教員採用試験に向けてお休み中なので

中国からの留学生さんのゼミに参加しました。


彼女は中国と日本の教育の教科の違いを調べていて

どうして日本には総合学習、図工、家庭科、道徳(教科になるとして)があるのだろう?

という疑問を持ったそうです。

中国では、知識教育を重視するためか、体育や美術、音楽などのいわゆる副教科はあるものの、試験もそこまで厳しくなく、あまり力を入れているわけではない、とのこと。

図工は美術・技術と考えて納得もいくが、

総合学習、家庭科、道徳の存在は自国の感覚では分からない、と言っていました。


わたしも、そう言われてみれば、○○だからです!としっかりした答えが言えません。

どういう目的のためにこの教科があるのかは講義で教えてもらったはずなのですが

この教科がない国だってあるのに、なぜ日本には?

そう考えるとよく分からないのです。

(もしかして教えてもらって、忘れているだけ??)


日本にこれらがある必要性とは何なのでしょう。

ちなみに、彼女はこの疑問に対して「日本が体験と自主能力を重視する教育だからではないか」と考えていました。


じゃあ、他の国ではどうなの?と気になって調べてみたところ、

道徳は宗教の関係上、珍しいものなのかなあと思っていましたが

「宗教」という時間を取っている国がありました。

この時間になると、それぞれの宗教で教室が分かれるそうです。

日本では見られない光景だろうなあ。。。


それから、意外なことに、家庭科はどこの国でも見かけませんでした。

どうしてだろう?と、更に調べてみると

家庭科ではなくて、家族関係や消費について、というように

別の名称になっていたりするんですね。

他にも、体育と一緒になっていたりするところもありました。


つまり、やっていることは日本が特別というわけではない。

けれど、こうしてはっきりと教科分けされていることが珍しいのかもしれません。



と、分かったものの、やはりこの教科が全くない国だってあります。

そう思うと謎のまま……。

どうしてだろうなあ。


他にも、主要教科は知識、副教科は能力が見られる、という意見が出ていて

これについてもおもしろい議論になりました。

またメモしておきたいと思います。

o4dao4da2014/06/30 20:54学級活動はどうでしょうかね。

akifune3akifune32014/06/30 22:47オランダだと日本の総合的な学習の時間にあたるワールドオリエンテーションが盛んに行われていました。国が変われば、教育も変わっているのですね。

ogymogym2014/07/01 00:06家庭科は女子教育の歴史的な変遷があったことを大学で学びました。
一昨年、アメリカから帰国した子が転入し、「図工」と「体育」で興奮していました。「こんなの教わったことない!面白い!先生、日本っていいですね!」という感想が印象に残っています。

mei-c5mei-c52014/07/01 00:15>>o4daさん
そういえば、特別活動系については触れられていませんでした!
確かに気になりますよね。
今調べてみたところ、イギリスの小学校では特別活動の時間があるそうです。
わたしの見た報告書に載っている学校では、校長や教頭がその時間を取り仕切っているようでした。
他にも、異年齢集団での取り組みが見られます。(ハリーポッターに出てくる寮システムのようなイメージでした。)
他の国では、「特別活動」という名で時間が設けられていますが、その中に音楽や体育が混ざっている、というところがいくつか見られます。
教科(知識)、特別活動(技能) というような捉え方なのかもしれません。

mei-c5mei-c52014/07/01 00:22>>akifune3さん
ワールドオリエンテーションというものがあるんですね…!
またどんな内容なのか、ぜひお聞かせください。


>>ogymさん
そうだったんですね。きっとわたしも学んだはずなのですが……どこに記憶を置いてきてしまったのでしょう。。。
体育がない(校庭がない)学校というのも海外には多いと聞きました。
わたしたちは慣れてしまっているのでどうってことがない時間ですが、そう考えてみれば面白いですよね!
フィンランドには「クラフト」というデザインについて学ぶ時間もあるそうです。
まだまだ知らない授業が海外にはたくさんあるんだろうなあ……と思います。

2014-06-27

先生。

| 02:30 | 先生。 - 幸福論 を含むブックマーク

ああ、桜がきれいだなあ。

どうして桜がきれいだと思えるのだろう?

きっとそれは、こんな時代、こんな環境に自分がいるからなんだろうな。

そして、この時代、環境は、今から何十年も前に生きたの人たちが作り上げてきたもの。

では、50年、100年先、僕と同じようにここに立った人は

桜がきれいだと思えるのだろうか?

その責任をこの時代にいる僕たちは背負っているんだな。




と、これはゼミの先生が、大学生の頃に思ったことだそうです。

どうしてきれいと思えるのか、という疑問から視点が環境へいくところがとても面白いな、と思います。


久々のゼミで、たっぷり先生や留学生の人、院生さんのお話を聞くことができて、今日は充実の日でした。

また考えをまとめてメモしたいです。

2014-06-26

俵万智風。

| 23:50 | 俵万智風。 - 幸福論 を含むブックマーク


国語の授業、実習から帰ってきて一発目は、

「短歌から小説を生み出す」という授業でした。


これまでの授業は、

①いくつかの俵万智の短歌の中から、自分が好きな短歌を選び、その特徴を書く

②自分で俵万智風の短歌を作ってみる

というような流れできていて、

今回が、その書いた短歌たちの中から1つを選び、小説にしてみようというもの。


一度、5・7・5・7・7の世界に収めた言葉を

また膨らませてストーリーを作っていくなんて、面白いですよね。


わたしは短歌を作ってみる授業には参加できなかったので

みんな、こんな短歌を作ったんだ~。

どれにしようかなあ……。

と思いながら、見ていると、こんな短歌がありました。




デシリットル どこかで使う日があると 信じて今日も 子どもに教える





なんだか、うっ、と心に刺さる短歌です。

きっと「こんなのもう使わないよ」と思いつつも、

教える側がそんなことを思ってちゃだめだ、と考え直して

「どこかで使う日があると信じて」なんだろうなあ。

2014-06-25

アクティブって。

| 00:35 | アクティブって。 - 幸福論 を含むブックマーク


学校のFD活動交流会に参加してきました。

参加したのは学生や院生の方、大学の職員さんなど、20名ほどでした。


話し合いは3つのグループに分かれて行われ

わたしのいるグループでは、

アクティブラーニングのアクティブとはどういうことなのか?

ということを主に話していました。


アクティブって言葉ではなんとなく分かるけど、実際はどんな状態なんだろう?

体を動かせばアクティブ?

そうではなくて、体が動いていなくても思考がめぐっていればアクティブ?

いろんな捉え方ができます。

ある現職院生の方は、

活動に対して一定の関与度が持続している状態がアクティブだ

と、おっしゃっていました。

その度数は個人差があるかもしれないけれど、とのことです。


いろんな解釈を聞きましたが、結局、定義をしても

その言葉を使う人次第なのでは……と思ったのと、

途中で何のために考えているのかがわからなくなって

最終的にあまりしっくりきませんでした。


あまり身が入らなくて、今日の学ぶ姿勢は4段階で見ても、一番低い1だなあ、と思いました。


でも、おもしろいな、と思ったのは、

アクティブが人と対話する活動だと捉えたとき

ディープは同時になし得ないのではないか

という意見が出ていたことです。

つまり、授業中に話し合い活動はできるけれど、

それに時間をとられ過ぎると、知識を伝える時間が足りないため、

その学習は十分な深まりが得られないのではないか、と。


うーん。。

十分な深まりがどうなっている状態かよく分からないのですが、

確かに大学という場を考えると、

授業を選択したすべての学生が「この先生の話を、考えを是非とも聞きたいんだ!」という状態ならば講義形式でも問題ないのかも?と思うのです。

というか、そのために授業をとったのに話聞けないの?と思う人もいるはず。


わたしがこの四年間で

「先生の話、絶対に聞きたい!」

と思って受けた授業は、5つでした。

(この少なさは、わたしが勉強が苦手で不真面目な学生だということも原因かもしれないです。笑)

でもその時間は本当に楽しかったし、わたしにとって

これまで知らなかったことに出会える貴重な時間

だったと思います。



でも。

みんながそうだったとは限らないんだよなあ。

2014-06-24

上機嫌。

| 19:42 | 上機嫌。 - 幸福論 を含むブックマーク

もうひとつ、実習で学んだ大切なことがありました。


それは、機嫌のいい先生はクラスを明るくする、ということです。


だいすきな先生が機嫌良く居れば、子どもは幸せな気持ちになるだろうし、

それがたとえ嫌いな先生だったとしても、機嫌が良い状態と悪い状態で言えば

まあ、良い状態の方がマシ、というか、害はないと思います。


さらに、先生だって怒っているよりは

にこにこ笑っている方がはるかに楽で幸せです。

(怒るのには相当なエネルギーを必要とするので。)


そう考えると、機嫌良く居ることって良いことづくしですよねえ。

このことと関連して、実は子育てなんかでも、

母親が機嫌良く居ることが大切だと、

この前テレビで言われているのを見かけました。


教育って、「教」という字が入っているけれど、

結局は子を育てるという感覚が強いのかなあ、と思います。

特に『学び合い』を知ってからはそれをより感じるようになりました。

「教える」よりも「育てる」という言葉の方が、

その子の人生のずっと先まで続いていくような気がするんです。

そして、わたしひとりではないな、と思えます。



話が逸れてしまいましたが、

やっぱり機嫌の良い人の側は居心地がいいと思う人が多いだろうな、と学んだのでした。

maya-1maya-12014/06/24 20:00「教<育」ということですね。

mei-c5mei-c52014/06/25 20:30>>maya-1さん
そうですね。
日々は「教」で、その子たちと関わる期間を通して「育」かもしれません。

2014-06-23

実習。

| 18:47 | 実習。 - 幸福論 を含むブックマーク

母校の中学校での実習を終え、兵庫へと帰るバスに揺られています。

3週間、発見だらけの本当におもしろい実習でした。


指導してくださった先生が、

「とにかく最初はいろいろやってみればいいよ」

と任せてくださる方だったので、比較的自由に

(おそらく、実習メンバーの中でも、誰よりも自由に。)

授業することができたと思います。

最初は不安に思うこともありましたが、

わたしにとっては、とても居心地のいい環境でした。




2クラス4時間ずつ、国語の授業を担当して気づいたことは

同じ内容のことをやっているはずなのに

クラスによって雰囲気が全く違う、ということ。


小学校の実習では、ひとつの学級に入って授業をしていたので

そこまで意識することもなかったのですが、

活動内容、説明の仕方、ほめ方、、、

クラスによって、フィットするものが全く違います。


例えば、片方のクラスではちょっと隣の席の子と話してみて、というと

うまく話せないところが何組か見られる。

しかし、もう片方のクラスでは全員が特に問題もなく話せる。

というような感じです。


他にも、片方のクラスではできていることを見つけて

「これ、いいね~!」とほめると、どんどん全体の雰囲気がよくなるのに対して、

もう片方のクラスは、直にほめられると「バカにされた」と感じてしまう。

ということがありました。


こういうことも、当たり前のことかもしれませんが、

今回2つのクラスを担当して初めて気づくことができました。





それから、失敗もたくさんしました。


「ひとりも見捨てない」

という気持ちは大切ですが、

見捨てないことを押し付けすぎたり、

焦って、適切な評価ができなかったのです。

このままでは、みんなが授業を楽しめないし、

わたし自身も苦しくなってしまうな、と思ったので


途中で『学び合い』をしよう、と思うのを、一旦やめてみました。


そうすると、自分自身で肩に乗せすぎていた重りが取れて、

そうか、『学び合い』って

「最終的には」ひとりも見捨てたくないんだ、という考え方だったな。

ということに、気づくことができました。


これまでに何度も『学び合い』って考え方だよね~と思ってきたけれど、

実際にやってみようというときに、

こうしなければ『学び合い』じゃない!

と型にはめすぎていたんだろうなあ、と反省。

やっぱり、やってみて初めて分かるんですね。

しかもまだ実習生の立場なので、本当に分かるのはまだまだ先のこと……。





でも、それに気づけてからは見え方が変わってきました。

授業が終わるごとに集める自己評価シートを見てみると、

回を追うにつれて

「○○ちゃんに聞きながらできた」

「終わったら見せ合って確認できた」

「知ってることを教えた」

というコメントが増えてきたのです。


授業中には態度で見えなくても、わたしの言葉に反応してくれる子はいるんだなあ。

ああ、これが、2割ってことなんだろうなあ。

と実感できました。



中でも嬉しかったのは、普段あまり他の人と話さずひとりでいる子のところへ

少し席の離れたところから、ひとりの女の子が相談に来ていたことと、

その子が自己評価シートに

「これからはもっと他の人の意見も聞いてみたいと思った」

と書いてくれていたことです。





本当に勉強になった実習でした。

bunbun-hbunbun-h2014/06/23 21:15「最終的には」ひとりも見捨てたくないんだ・・・その最終的な「ひとり」というのは、実は自分自身なんですよね。そんなこと思うわけです。自分自身に向けて、なんとなく。

mei-c5mei-c52014/06/24 19:16>>bunbun-hさん
とても共感します。
わたし自身、みんなを……と思いすぎるあまり、自分が見えなくなってしまっていました。
みんなが見捨てられなければ、きっと自分だって。と思います。

daitouirukadaitouiruka2014/06/26 02:12とても実り多い実習生活を送れたようで何よりです。
考え方のつもりがいつの間にか型にとらわれてしまっていることがあります。
それは、誰かほかのひとの実践の型だけでなく、昨年の自分の型だったりします。

mei-c5mei-c52014/06/26 23:34>>daitouirukaさん
1年以上続けられている人には、そういうこともあるのでしょうね。
前のことも参考にしつつ、でも毎回新しい気持ちで取り組むって、難しいことです。

2014-06-02

聞く。

| 00:59 | 聞く。 - 幸福論 を含むブックマーク


ブログ群で拝見したこちらの記事

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/szeidzsi/20140529#1401393361

から、

先日先輩とした何気ない会話を思い出しました。


それは、ある映画の話をしていたときのこと。

「あれ、この後ってどういうストーリーだっけ?」

と先輩に聞かれて

「よく覚えてないです。調べてみますね」

わたしはすぐにネットで検索しようとしました。

が、そこで先輩が言いました。


「そういえば、最近はなんでもすぐネットで検索するらしいって、テレビでやってたよ」


確かに。

すぐとなりの部屋には後輩もいて、聞くことだってできるのに。

つい手元にあるネットを使ってしまうなあ、と思ってはっとします。




聞く、という繋がりで思い出しましたが、

わたしのすきな小説の中にはこんな言葉がありました。


『新しいことをはじめるには、

三人の人に意見を聞きなさい』

まずは、尊敬している人。

次が、自分には理解できない人。

三人目は、これから新しく出会う人


たくさんの情報が溢れている世の中。

大切なことは案外シンプルなのかもしれないです。

akifune3akifune32014/06/03 22:54伊坂幸太郎の「終末のフール」で、同じような言葉を見ました。

mei-c5mei-c52014/06/04 18:28>>akifune3さん
まさに、その本ですよ(^^)