Hatena::Groupmanabiai

幸福論 RSSフィード

2014-02-28

対等。

| 15:36 | 対等。 - 幸福論 を含むブックマーク


先日、わたしのゼミにnishinaoさんが参加してくださって、とてもおもしろい話合いをすることができました。

話合いの中で、わたしの気になった話題をひとつメモしておきます。

それは、


「対等とは?」


最初は、あるゼミ生の「教師はどういう存在であるべき?」という問いを考えていました。

そこでは、子どもたちと対等な存在でありたいという意見も出て、

でも、対等って一体どういうことなの?という疑問が生まれたのです。

教師‐子ども の関係でなく、 子ども‐子ども の関係だったとしても、

何かを教えたり教えられたりするときは、対等ではないのでは?と。


では、対等とはなんなのか?


ひとつの仮説として出たのは、

対等ではない関係が何度も入れ替わり、その繰り返しが対等となっていくのではないか

というものです。


これって、とてもおもしろいことだな、とわたしは思います。

対等は、ある一点ではありえなくて、時間の流れの中にしかない!ということになるからです。

もしそうだったとしたら、いろんなものの見方が変わってきそうです。

一場面だけ見て対等じゃない、と思っていたことも

長い目で見てみると対等になっていたりすることだってあるのかもしれません。


勉強がまったく出来なくて、周りに助けてもらってばかりに見える子がいます。

けれど、実はその子がにこっと笑うだけで、周りを救っていることもあるのです。

ある一点だけの対等を見るよりも、時間の流れの中の対等を見ることによって、教室は変わっていくのかもしれないなあ。

なんて、考えてみたりしました。




その後も引き続き、nishinaoさんには大学の学生たちと「教師はどういう存在であるべき?」という問いを語り合っていただいて、

学び合い』についてあまり知らなかった人たちにも、深く知ってもらうことができました。

ぜひ、生の授業を見てみたい!

とのことだったので、4月に『学び合い』学校訪問ツアーを組みたいと考えています。

nishinaonishinao2014/02/28 16:14あのような場を設定していただいてありがとうございました。とても楽しく話せました。
『学び合い』に興味を持ってくれた学生さんたちとも繋がりを持てたので感謝です!ぜひまた語り合いましょうね!!

FlipperKFlipperK2014/03/01 02:27 対等、と言うことであれば、本来、教師も子どもも対等なものであると思うのですよね。ただ、教師は学級といった集団をマネジメントする立場から、指示や助言をするといった意味で全体を俯瞰する立ち位置も必要です。
「おしえる・おしえられる」の関係は対等ではない、というのは、陥りやすいのですが、ある意味危険な考え方です。教える子は教えることで、教わる子は教えてもらって自分が分かることで、全員達成をめざすという点では貢献度は対等です。
私は、そう思っています。

mei-c5mei-c52014/03/01 05:20>>nishinaoさん
わたしでは絶対にあんなに分かりやすく『学び合い』の考えについて語ることはできませんでした。
あらためて、すごいなあ、と感じました。またよろしくお願いいたします。

>>FlipperKさん
そうですよね。自分でも、教えることと教えられることは区別できるものなのだろうか、と書きながら考えていました。同時進行、という可能性だって、必ずありますよね。
>教える子は教えることで、教わる子は教えてもらって自分が分かることで、全員達成をめざすという点では貢献度は対等です。
本当にその通りですね!
みんなが全員達成に向けて貢献をしていて、誰か一人でも欠けていれば、それは成り立ちませんし、そう考えると、誰が一番多く貢献したということは無く、貢献度はみんないっしょだと言えるのでしょうね。
やっぱり、この考え方、わたしはだいすきです。