西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。
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17/05/27(土)

[]教師とは 19:53 教師とは - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師とは - 西川純のメモ 教師とは - 西川純のメモ のブックマークコメント

玉川大学の小酒井さんは切れのいい言葉を使うので私が好きな方の一人です。その方のメモです。

『今繋がった。

この前聞いた、『勉強できなくて、勉強を教えてくれる先生のようになりたくて教師になった人は、その教え子を賢くさせない』って話がようやく理解できた。

そうか。

賢い人に育てたくないから、『優しく教える』って愚行をとるわけか。主体的に学ぶ人になったら、自分と同じような体験をしてもらえなくなるもんね。口をパクパク開けて『餌ちょうだい』ってやってる人になってもらわないと楽しくなんだねー。

、、、なんじゃ、そらー!

そんなつまんないもんのために教師になるな!』

 

 人は、自分をモデルに、つまり「自分だったら・・」ということで行動します。それ自体は悪くは無いと思います。でも、教師だったら「教育とは何か?」を考えてください。それは「子どもを大人にすること」です。その事を真剣に考えて欲しい。そうすれば、今の教育は子どもを子どものままに押さえつけている。失敗をしないようにしているのは優しいようで、実は無責任。本当は自分が非難されたくないからではないでしょうか?本当に子どものことを考えるならば、自分の管理下でいっぱい失敗させて、乗り越えさせなければならない。どれだけの失敗を容認できるかで、その教師の職能が分かります。

17/05/26(金)

[]文部科学省 09:43 文部科学省 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 文部科学省 - 西川純のメモ 文部科学省 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の大学院の指導教官は文部省に長らく勤めた方です。その方から色々なことを教えてもらいました。だから、基本的に文部科学省をはじめとする国の各省庁の官僚に対しては敬意を持っています。(もちろん、そう思えない人もいますが)

 大学人として、文部科学省に対する批判する声があることは十分に理解しています。また、学習指導要領の改訂の度に、文部科学省がやり玉に挙げられます。でも、そういう人達は大きな誤解をしていると思います。

 第一に、文部科学省は日本の学校・教員を守っているのです。直接に要求するのは文部科学省かもしれませんが、それは守りやすいために「お願い」しているのです。武器無しで戦えと言われても、そりゃ酷です。文句があるなら、文部科学省ではなく、それに圧力をかけているところに言えばいい。そして、文部科学省に戦う武器を与えるべきです。簡単に言えば、教育村だけで通用する言葉以外で結果を出すべきです。

 第二に、文部科学省が管轄しているのは「予算」と割り切った方がいいです。人事に関わるものもありますが、それは「予算」とリンクしている。じゃあ、それ以外はどうなっているかといえば、都道府県、市町村、学校長に任されているのです。特に、一般教員が気にすることは学校長でどうとでもなることばかりです。法規をちゃんと読めば、そうなっているのです。文部科学省に文句を言うのではなく、自分たちでやればいいのです。

 私は不安です。

 今、文部科学省が弱い立場になったら、それは予算に跳ね返ります。そして、全てに影響が出ます。せめて、教員ぐらいは応援してあげるべきだと思います。多少のことは目をつぶっても。

[]特別支援 05:20 特別支援 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 特別支援 - 西川純のメモ 特別支援 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 古くからの『学び合い』の仲間がいます。今年度から特別支援の担任になりました。特別支援の子どもに対して、個別支援をしていました。しかし、子どもを一人一人切り離す指導に意味を見いだせず、悩んでしました。そこで、特別支援の担任は裁量権が大きく、横並びを求められることもなく、『学び合い』をしやすいことを話しました。まあ、人数の少なさがネックになりますが、それは異学年『学び合い』で乗り越えられることをアドバイスしました。ご本人は、「あ、そうだ」ということで納得しました。それが四月末のことです。

 本日、以下のメールをいただきました。予想通りの展開で、ホッとしています。よかった、よかった。

『西川先生 こんばんは。

○○です。

いつぞやは、貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました。

今、まったく『学び合い』で授業をしています。

快調です。

3年生、2年生、1年生のクラスです。

まず3年生でやったら、大喜び。

いとも簡単に、うまいこと波にのりました。

それを見ていた2年生の多動ぎみの子が、

「ぼくも仲間に入りたい」と、自ら机をくっつけに行きました。

そしたら、みんなで相談して、

「1年生も、いれなきゃね」と、1年生の机もくっついてしまいました。

机が輪になってくっついている光景は、しあわせです。

私はみんなの様子をよくよく見ながら、教えるところは教え、

あとはだいたい、ほめて回る感じです。

2年生の多動ぎみの子は、私とマンツーマンの時は

だらけたり、甘えたり、怠けたりで、たいへんなのですが、

3年生と一緒だと、3年生が「ほら、今それ関係ないでしょ!」とか、

「そんなことやっていると時間がもったいないでしょ!」とか、注意してくれて、

わりと素直に従っています。

私が注意するよりも、効果絶大です。

私が楽しそうに授業をしているので、隣のクラスの特支の同僚が興味津々で、

来週、そのクラスの4年生も「お試し」で仲間に入ることになりました。(笑)

特支のクラスも多いけど、何クラスかくっつけて、TTでやった方が、

よっぽどやりやすいし、楽しいのに・・・と思っています。


先生、私のクラスは、最先端の「アクティブ・ラーニングの特別支援学級」だと思います。(笑)


次は、交流学級とつながることを目標としたいと思います。

それでは、また!

ありがとうございます。』

17/05/25(木)

[]楽しい 20:10 楽しい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 楽しい - 西川純のメモ 楽しい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』の授業を参観することは楽しいです。飽きません。理由は4つほどあります。

 第一に、子どもたちが自分を出します。一人一人の子どもの中にあるものが見れるのが楽しい。そして、それらが組み合わさったときドラマが生まれます。それを見取り、解釈するのが楽しいのです。まるで推理ドラマを読んでいるようです。

 第二に、『学び合い』の授業だと教師同士の『学び合い』が出来るのです。例えば、子どもを見取って、「あの子にはこんな課題があるのではないか?」とか、「あの子とあの子の関係は・・・・」という私なりの見取りを、そのクラスの担任の人と話し合うと自分のみとれたところ、見とれきれなかったところが分かります。そして、私のみとれなかったところを他の人から学べるのが楽しい。

 第三に、子どもたち、先生方が幸せそうにしている姿を見ていると、共感できて私も幸せになる。

 第四に、そのクラスの「闇」が見えたとき、自分が何かをしなければならないことを思い出し、自らに鞭を打つことが出来る。

[]退屈 19:59 退屈 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 退屈 - 西川純のメモ 退屈 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、本日の両日、ゼミ生の教育実習を参観しました。指導教員バカですが、なかなかのレベルの一斉指導をしていました。中には、このままで力量のある中堅教員といっていいような子もいました。ま、実習校の子どもがとてつもなくいい子ばかりでした。「どんな育てられ方をしたら、こうなるのだろう」と思い、その子の学んだ小学校、中学校の先生方に深い敬意を持ちました。

 が、眠たいのです。

 繰り返しますが、実習生の授業は上手い一斉指導だし、子どもたちの姿はほほえましい。でも、眠たいのです。

 一斉指導なので、子どもの動きは少ない。結局、教師の姿を見ることになります。そして、上手い一斉指導だと、たいていは予想がつきます。「こうするだろうな~。あ、やっぱりね。」、「う~ん。こう来たか。なかなかだな。だったら、こうするかな。あ、やっぱりね」となります。使っているテクニック(本人はテクニックとして意識していないですが)は、ありふれたものです(でも、あのレベルまで自然にできたら凄いと思います)。

 ですので、眠たい。

 子どもたちは、この眠たさと戦っているのだろうか、と思いました。そして、気づきました。上手い一斉指導でこれなんだから、へたくその一斉指導だったら・・・・。と思いました。

[]限界 08:41 限界 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 限界 - 西川純のメモ 限界 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日も書いたように、私が本に書いていること、それは『学び合い』を初めて1年ぐらいの人が、安全に確実に成功するためのことを書きました。『学び合い』を実践し、身体化された方の場合は、その人なりの変化をします。守破離の破離です。

 私の本に書いた基本からの逸脱には2種類あります。それは、その逸脱が何のためだかです。1つは、その日の授業、その1年の授業のレベルのことを想定する方もいます。でも、その方は学校観の意味が分かっていない。私が気にしているのは、その子がその学校を卒業した後、その子が50歳、60歳、70歳の時は、その日の授業はどう繋がっているかです。

 その違いは、子どもの様子を見れば一目瞭然です。少なくとも、その教室に行けば数分で判別できます。何故でしょうか?

 『学び合い』のレベルを決めているのは、クラスの2割ぐらいのリードする子どもなのです。その子ども達が、どのレベルのことを考えているかで上限が決まります。だから、「このクラス(学年)の子ども達は◎◎だから、私が■■をしなければならない。」(伏せ字に自由に言葉を入れて下さい)という方のクラスでは、まさに、その通りの子どもが生まれます。■■を必要として、◎◎という限界を持っている子ども集団が生まれます。何故なら、クラスをリードする子どもが■■を必要として、◎◎という限界を持っている子どもになるからです。私はそんな■■を必要としていないし、◎◎という限界を持っていないと思います。

 では、どうしたらいいか、到達すべき方向性を示し、その意義を語ることが教師の役目です。西川研究室の目標を「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、一人も見捨てない教育・社会を実現する」(http://bit.ly/2k5Slzr)としています。もちろん、こんな荒唐無稽なことを本気で信じるゼミ生ばかりではありません。それでいいのです。しかし、「やろうじゃないか」と思うゼミ生も一定数はいて、リードしてくれます。

 さて、我がゼミの目標(http://bit.ly/2k5Slzr)を読めば、「これは大学・大学院だから出来ることだよね」と思うかもしれません。違います。

 今から十年以上前のことです。

 古くからの『学び合い』の関西の仲間のクラスに遊びに行きました。いい雰囲気でした。授業の最後に「では、西川先生から感想をいただきたいと思います」といきなりの無茶ぶりです。事前に何もなかったので、ドキドキしました。しかし、『学び合い』のセオリー通りに、小学生でもゼミ生でも同じことを語りました。以下のようなことです。

 「君たちは『学び合い』はどんな授業であることを知っている。勉強は分かるようになるし、人間関係がよくなることは実感しているだろう。でも、残念ながら、これを実践しているクラスや学校は多くはない。つまり、君たちが最先端なんだ。君たちの姿が○○市の教育を決める、○○県の教育を決める。そして、日本の未来を決めるのは君たちなんだ。」と語りました。そのクラスの担任は「また、西川先生のニシカワ節だね」とニヤニヤして聞いていました。

 それからしばらくたって、そのクラスの担任の先生から連絡を受けました。それによれば、子ども達が一団になって担任にお願いしたそうです。彼らは「自分たちで話し合ったけど、私たちは○○市、○○県、日本を変えねばならないと思う。そのためには、自分たちの授業を多くの先生に見てもらいたい。だから、どんどん参観者を呼んで欲しい」と言うのです。

 私が最後に数分語るだけで、これだけのことが起こるのです。

 さて、上記の子どもたちのクラスと、「このクラス(学年)の子ども達は◎◎だから、私が■■をしなければならない。」と言われている子どもと、どちらがレベルの高い学習をすると思いますか?そして、彼らが50歳、60歳、70歳になったときに繋がるのはどちらでしょうか?

 結局、教師の心が決めるのです。テクニックではなく。


追伸 このようなことを語るためには、自分自身が○○市、○○県、日本を変える「何」かをしていなければなりません。そうでなければ、大人の腹を読むのに長けているリードする子に見透かされます。

17/05/24(水)

[]離 21:40 離 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 離 - 西川純のメモ 離 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が本に書いていること、それは『学び合い』を初めて1年ぐらいの人が、安全に確実に成功するためのことを書きました。『学び合い』を実践し、身体化された方の場合は、その人なりの変化をします。守破離の破離です。

 ところが、私が書いたことと違うことをやっていると「西川先生はダメというかもしれないけど」と言ったり、書いたりするかたもいます。心が傷つきます。私は気にしていないのに。

 私の本に書いた基本からの逸脱には2種類あります。それは、その逸脱が何のためだかです。1つは、その日の授業、その1年の授業のレベルのことを想定する方もいます。でも、その方は学校観の意味が分かっていない。

 私が気にしているのは、その子がその学校を卒業した後、その子が50歳、60歳、70歳の時は、その日の授業はどう繋がっているかです。

 私は、そのことを個別に言いません。言い始めたら「西川先生は自分の思う実践しか認めないんだ」と思われるからです。私が拘っているのは、授業方法ではないのです。その人が、どれだけ長期スパンで自分の実践を考えられるか、なのです。ま、そのうちに気づきます。

[]予兆 21:14 予兆 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 予兆 - 西川純のメモ 予兆 - 西川純のメモ のブックマークコメント

ある同志からのメールです。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

西川先生

こんばんは。

ブログにアップできないけれど、とても面白いことがありました。

私のクラスは、社会科を若いW先生が教えています。

典型的な一斉指導です。

その先生はとても熱心に教えています。

その授業について、クラスのA君が

「授業がつまらない」

と本人に言ったそうです。

私は何も知らないし、何も指示していません。

すると、そのW先生と話し合いになり、どういう展開か

今日はそのA君が授業をしたというのです。

A君は、クラスの中心的な子供です。

先生の言うとおり、クラスの中心的な子供が、本気で反乱を起こしたら、教師は何もできないのだと改めて感じました。

「別に楽しい授業をした訳ではなくて、普通に授業した」

ともA君は言っていました。

授業の後、W先生は私に

「すごく面白かったです」

と報告してくれました。

子供たちは、『学び合い』でとんでもない課題を与えられて、学習する毎日です。

私は、結果を求めます。楽な授業をしているわけではありません。

ただ、話を聞いているだけの授業ではつまらないです。

自分たちで、もっとやってみたいのです。

当たり前のこのことを、痛感しました。

[]出来ること 20:07 出来ること - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 出来ること - 西川純のメモ 出来ること - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学教師を30年以上やって思うこと。

 教師が出来るのは、「その人の中にあるものを出してあげること」、「既にあるものを邪魔しないこと」、「既にあるもの、その人の中から出ようとするものを邪魔すること」の3つだけのように思います。その人の中にないものを与えることは出来ないと思います。

 その人の中にあるものの中で一番大事なものは才能ではありません。あればいいけど、なくてもよい。一番大事なのは「欲」。それさえあれば、かなりのレベルに導ける。しかし、他の欲を諦められるほどの「欲」を持った人は少ないな~。

[]紡ぐ 05:30 紡ぐ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 紡ぐ - 西川純のメモ 紡ぐ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近は少なくなりましたが、二重括弧と学びの共同体を混同する方がおられます。でも、一度でも生の授業を見た人ならば、混同するわけありません。学びの共同体で「紡ぐ」という言葉を使う場合、その主語は教師です。しかし、二重括弧では主語は子どもです。教師は紡ぐのではなく、紡ぐ意味を語ります。

 アクティブ・ラーニング協会の動画サイト(https://find-activelearning.com/)を観ながら、そう思いました。

17/05/23(火)

[]ギャップ 21:38 ギャップ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ギャップ - 西川純のメモ ギャップ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私がこれからの人生(退職までですよ)を費やしたいのは、子どもの一生涯の幸せ。が、私が相手にする人の圧倒的大多数は、「面白い授業、分かりやすい授業」を求める人たち。

 ゼミ生に一斉指導における「面白い授業、分かりやすい授業」のノウハウを伝授することはありますが、それを講演会等で語りたいとは思いません。馬鹿馬鹿しいから。ゼミ生に伝授できるのは馬鹿馬鹿しさを分かっているから。

 だから、大学の授業も、一斉指導も「面白い授業、分かりやすい授業」に繋がる話を、一斉指導で使えるテクニックを満載しながら話します。でも、その時の私の頭は「空」です。身に付いたテクニックを使うことに関しては頭を使わないですから。

 これで終われば「面白い授業、分かりやすい授業」になることは分かっています。講演だったら、講演後に質問者が林立するはずです。が、我が儘な私は耐えられない。講演時間の3分の1は私の本当の願いに関する話をします。そうすると、聞いている人との距離が広がるのが肌で感じるのです。

 講演会の場合、最初の3分の2で要求した金額の「芸」はしたと思っています。残りは分かる人の心に種を植えたいと思っています。

 本日、語りながら、「申し訳ない」と心で思いながら語りました。私は社会科学の教員としては先を行きすぎている。と、話を聞いている学生さんの目を見ながら思いました。すまないと思っています。

[]願い・理論 21:08 願い・理論 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 願い・理論 - 西川純のメモ 願い・理論 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 古典力学はF=mα、特殊相対性理論はE=mc2という公式に集約することが出来ます(すみません、おおざっぱですが)。凄いと思います。この式を3次元、4次元に拡張し、微分・積分するとありとあらゆる公式が導かれるのですから。これを大学で学んだとき、高校の物理はいったい何だったんだろう、と思いました。

 でも、それよりも上位のものがあるように思います。それは自然現象はシンプルに記述し、「神の御業」という人が予測し得ないものではなく、人が予測可能であるという願いだと思います。

 『学び合い』にも理論があります。でも、それらは学校観、子ども観から導かれるものです。でも、その上位にあるものがあります。それは、教え子を一人も例外なく幸せにしたいという願いだと思います。

 学校観、子ども観は強力です。が、校長や保護者という対個人に関しては無力です。が、「教え子を一人も例外なく幸せにしたいという願い」はその場合でも強力です。『学び合い』はその願いを理論に繋げ、中長期の方針として、その日のテクニックにも繋げられる。その一連が形成されたとき、ものすごく強力です。

 ふと、ある方の実践を見ながら、それを思いました。