西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

13/03/26(火)

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 何度も、何度も書いたことです。

 ある方のメールの中で、『「西川先生は~といっている」という表現を使うのはやめましょう』ということを参観の方々に言ったそうです。私も同感です。私は教祖になりたくはありません。しかし、『学び合い』を科学にしたいと願っています。そのために、私はどうでも良いですが、『学び合い』の3つの観、特に学校観、子ども観に照らして議論することは大事だと思います。

 大学の数学や物理を学んだ者にとって、高校の数学や物理はまやかしの物理だと言うことが分かります。大本の原理・原則をすっとばして、そこから演繹される最終的な結果を切り売りしているからです。『学び合い』は二十年弱の膨大な事実の蓄積から帰納される法則を生み出し、それから演繹される実践を行い、それに基づき帰納し・・・・・というものによって形成されたものです。西川ゼミだけでも、『学び合い』は数百人の教師が、数千人の子どもにICレコーダをブル下げて、数十万時間の記録を、数百万時間をかけて、約百人の学生・院生が分析した結果によって構築された理論です。実証的データの殆ど無い個人的経験によって覆るほど脆弱なものではありません。

 私がありとあらゆる質問にたちどころに答えられるのは何故か、それはありとあらゆる場面において『学び合い』を適応した事例を膨大に知っているからです。しかし、それだけでは足りません。いままでに出会ったことの無い事例を考える際は、必ず「観」に立ち戻って考えます。その度ごとに、この短い表現の深みを感じます。

 古典物理の全ての法則は、F=mαを3次元に拡張し、それを微分・積分すれば導かれます。それ故に凄いのです。たしかに摩擦のある現実では、古典物理学は必ずしも100%成り立つわけではありません。しかし、だからといって古典物理学が誤りではありません。足りない項を考慮し付け加えれば、古典物理学で成立します。

 ニュートン自体は人間的にかなり問題のあった人のようです。しかし、彼の生み出した古典物理学は彼の人間性とは別物です。残念ながら教育、特に実践の世界ではそのあたりが違うようです。○○式国語、○○式社会、○○式メソッドと、個人名を看板に掲げられる場合が少なくありません。しかし○○式物理というのはありえません。もちろん物理においても様々な立場の物理があります。しかし、その違いを記述するとき、それは個人名で記述されることはありません。その違いは、コンパクトに表現される原理・原則によって違いが表現されます。だから、私は西川式学び合いと呼ばれることを嫌います。

 先に挙げたよう摩擦のある現実において古典物理学は100%成り立つわけではありません。しかし、摩擦というものを考慮すれば古典物理学の範囲内で成立するのです。『学び合い』も同じです。一見、『学び合い』が成立していないように見えても、それは項が足りないだけと言うことです。なによりも、自分自身が『学び合い』をやっていなかったということだけのことが多いのです。それに気づくためには、『学び合い』の観に立ち戻る必要がある。

 そのようなコミュニティーが生まれたら良いな、と願っています。私は単純馬鹿の理系人間です。