西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

07/09/30(日)

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 選挙終盤の連呼のごとく・・・

 2週間後に長野市『学び合い』の会があります。お誘いします。詳細は以下をご参照ください。

http://rika.shinshu-u.ac.jp/misaki/20071013.pdf

[]教育運動 17:08 教育運動 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教育運動 - 西川純のメモ 教育運動 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日メモは超長文です。

 以前、教師が考える「これぞ教師の職能」というものは何かを調査しました(西川、吉江 2000)。その結果、新規採用当初は教材に関する知識・技能が「これぞ教師の職能」と考えるようです。ところが、7、8年たつと、教え方に関する知識・技能が「これぞ教師の職能」と考えるようです。それが十数年ぐらいたつと、学習者集団に関する知識・理解(つまりクラス作り)が「教師の職能」と考えるようです。これは多くの教師が「まあ、そうだな~」と思うのではないでしょうか?若いことは、とにかく明日の授業を成立させることで精一杯です。教え方ではなく、黒板に何を書くか、それが問題になっています。 現在ある多くの教育運動は、上記の教職経験7,8年以前のレベルターゲットを絞っているように思います。

 以前のメモhttp://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20070624)に以下のように書きました。

本屋に並ぶ教育書の九割以上はノウハウ本です。それらには一定の意味があると思います。私の新任時代を思い起こせば、何が何だか分からないうちにドタドタとしていました。授業案の蓄積なんてありません。とにかく明日のことだけで一杯です。高邁な教育論なんて、くそ食らえ、とにかく使えるプリントでした。幸い、私の時代までは先輩教師という万能の教材がいました。しかし、私が高校から大学に異動したあたりから、無計画な採用計画のために、職場の年齢バランスが崩れてしまいました。そのため、だれも救ってくれない職場が生まれました。

 現在本屋に並ぶ本の殆どは、そのような若手教師を救う救済策だったように思います。しかし、それは子どもの救済策だったでしょうか?そうではなかったように思います。それが証拠に、それらの本のユーザーの殆どは、その方面に関して経験のない先生が多いのではないでしょうか?教師としての経験を積むに従って、タネ本・ノウハウ本に頼らずしも授業が出来ようになります。授業前に5分程度教科書を読むだけで、おおよその授業の流れを頭の中で組み立てられるようになります。詳しい板書計画も不必要になります。

 残念ながら、そのレベル以上の先生方に応えられる本がノウハウ本に比べて圧倒的に少ないのが現状ではないでしょうか?同時に、そのレベル以上の先生方が「教える立場」からのみならず、「学ぶ立場」になれるサークルが少ないのも現状ではないでしょうか?その結果として、採用後5年も経てば、「そこそこの授業ですます教師」が生まれます。しかし、一方、その後ももがき続ける教師もいます。おそらく、これを読んでいる方は後者なのでしょう。しかし、その後者の方も、「死にかけている若手」と「そこそこの授業ですます教師」に悩まれているのでしょう。しかし、「死にかけている若手」も「そこそこの授業ですます教師」は被害者でも加害者でもなく、関係の中で不本意な役を演じているにすぎません。「そこそこの授業ですます教師」の中には、「死にかけている若手」と同じ状況にいます。現在、指導力不足を理由に退職に追い込まれる教師は、若い先生ではなく、中堅の先生なんです。』

 我々が異学年学習を分析した結果(西川山田 2005、『「忙しい!」を誰も言わない学校』に収録しています。)によれば、年齢構成によって集団の会話の質は変化し、達成度が異なります。これは教師集団でも同じです。少子化にともない急激に採用を減少させ、最近は、大量退職を見越して、急激に採用を増加させました。その結果、年齢構成が分散の小さい単純な分布になったり、ふた山の分布の学校が生まれます。先の結果によれば、前者では発言する人が少なくなります。後者では、教え込みが行われ、若年者が年長者を煙たがります。結果として、職場での学び合いが崩壊しました。若い教師は藁をもすがる気持ちで多様な教育運動に参加したのは当然ともいえます。幸い、私のつとめた高校は最底辺の大変な学校でしたが、年齢バランスのとれた学校でした。そして、いろいろな先輩教師に支えられました。そのため、職場の外にネットワークを求める必要性をあまり感じませんでした。

 年長の先生方の中には、教育運動に反発し、「そんなもんに染まるな!」と若手に言う人がいます。そのような先生から見れば、教育運動で扱っているものは、いかにも低レベルなものに見えるのでしょう。しかし、その先生職場において適切に若手につながれていたならば、そんなことは起こらないのに、そのことには思い至らないようです。教育運動で育った先生の中には、クラス作りのレベルに達する先生が生まれます。そうなると、昔覚えたものが殆ど不要になります。クラスができあがっているのですから、な~んも苦労なく授業が成立出来るようになります。そうなると、「あれは卒業」と考え運動に距離を置く人もいます。しかし、残っている若手を見捨てがたいという思い、そしてそれ以上に、若手とつながらねば自分が腐ってしまうという賢明な判断から、「教材」や「教え方」レベル教育運動に籍を起き続ける人がいます。実に健全です。先に述べたように、ネットワークが必要なのは若手だけではなく、すべての教師が必要です。

 最近、非常に面白い結果を得ました。その研究では、中学生小学生理科の授業をします。そのため子どもたちが授業を計画し、授業を実施します。その後、授業の反省会子どもたちが行います。その反省に基づき、改良した授業を実施します。我々は授業検討会での子どもたちの会話、そして授業の内容を分析したした。先に挙げた西川、吉江の研究結果によれば、中学生はせいぜい「教材」のレベルに達せれば良い方だ、となるはずです。ところが、彼らは教職経験十数年以上のレベルの議論をしているです。一見矛盾している用でしょ。しかし、彼らの会話をさらに分析すると、その理由が分かります。先の調査で明らかにしたように、多くの子どもたちは「教材」レベルの発言を最初はします。ところが、少数ですが、「教え方」のレベル、さらに「学習集団」のレベルの発言をする子がいます。その子の発言がきっかけとなり、集団の発言は高いレベルの発言が主流になるんです。 中学生だって、「教え方」、「学習集団」が重要であることは理解できます。ただ、目先の「教材」に目を奪われているだけです。しかし、高いレベルの発言に移行します。つまり、『学び合い』が生じた結果なんです。

 若手を救うためには、ネットワークが必要です。特に、職場の年齢バランスが崩れている現在にとっては必須だと思います。しかし、そこで扱われるのは、若手にターゲットを絞った「教材」、「教え方」に限定する必要はありません。もっと高度なことを扱うべきです。それは中堅・ベテラン教師にとっても学ぶ必要のあることです。子どもたちの学習においてお、課題が低レベルであるとき『学び合い』は成立しません。なぜなら、出来る子は自分一人で課題を達成できるため、学び合う必然性がないからです。そして、出来る子が学び合わない限り、『学び合い』は成立しません。それは教師も同じなんです。

 では、どんな課題が適切でしょうか?先に挙げたように「学習集団」のレベルが必要でしょう。しかし、多くの中堅・ベテラン教師の考える「学習集団」とは、教師と一人一人の子どもがつながった学習者集団をイメージしているようです。しかし、その先があると考えています。それは、子ども同士がネットワークを組み、その集団と教師がつながるという『学び合い』です。このレベルぐらいなら、ベテラン教師だってワクワクできると思います。

 私は以上のように時代をとらえ、行動しています。

追伸1

 先に挙げた中学生の授業検討の会話に比べると、多くの学校現場で行われる授業検討の会話は陳腐で低レベルです。だって、その会話の多くは、「オブラードにくるまれた非難」と「露骨な追従」で占められています。非常に悲しくなります。

追伸2

 現在教職大学院の設立に向けて、最終段階に入っています。その計画に初期から私は関わっていますが、常に上記を意識していました。不遜ながら、最高の大学院が成立すると自負しています。

西川純、吉江健治(2000.9):理科教師の実践能力に関する事例的研究上越教育大学研究紀要、20(1)、上越教育大学、29-37

西川純、山田純一(2005.8):異学年同士が学び合う有効性に関する研究、同学年・2学年・3学年の小グループ比較を通して、学校教育研究日本学校教育学会、20、189-200