西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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07/08/04(土)

[]志 17:58 志 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 志 - 西川純のメモ 志 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、ある先生からメールをいただきました。そのメールによると、今までの教師としての自分に自負と誇りと感じつつも、何か満たされなかったようです。それが何なのか、悩んでいたそうです。そこで、『「忙しい!」を誰も言わない学校』に出会い、その中で紹介した水落さんの言葉である「忙しさに押しつぶされて自分で自分にスポットライトを当てたくなることのないように過ごしていきたいものだと思いました。本当のプライドを手にするために。」という言葉に出会ったそうです。

 その方は、『ちょっと警戒したくなるほどに美しい言葉ですが、いい言葉だなあ、と思わずぐっときました。目指すはこれだと。私はまだ水落さんのように思えるほどではありませんが、自分の中で何が問題なのかが分かったので、気分はだいぶ楽になりました。問題がわかれば、たぶん半分は解決したようなものです。』とありました。

 その方へ以下のように返信しました。

 『『学び合い』には教材の力も、話術も、指導法も全くいりません。まあ、あったら便利なこともたまにありますが、本当にいりません。そして、たいていの先生が悩んでいるレベルのこと、それは「クラスの平均点を10点ぐらい上げる」、「気になる子を少なくする」レベルのことは、本当に簡単に解決できます。

 でも、それは『学び合い』の入門レベルでしかありません。そっから先に進むには、その人の「志」が一番大事なんです。多くの教師にとっては、大学の教職科目で学んだ教育観・授業観・学習者観はお題目で役に立たないものと思っています。たしかに、そうです。しかし、『学び合い』はテクニックではなく、教育観・授業観・学習者観が大事なんです。それがわかるためには、「志」なんです。』

 私が理学部に入学したとき、科学者を目指しました。そして、理科の教師は、科学者より一段も、二段も低い職業に感じていました。まあ、科学者になれない人がなる職業だと思っていました。なぜなら、科学者には知の創造があります。しかし、教師は科学者の創造した知の中で、程度の低い知識を子どもに伝達するだけのことだと思っていました。遺伝はDNAに二重らせん構造によって伝わっていると「発見する」ことと、遺伝はDNAに二重らせん構造によって伝わっていると「伝達する」ことのどちらが普遍的な価値を持つかは一目瞭然です。しかし、今はそうは思いません。教師は「遺伝はDNAに二重らせん構造によって伝わっていると「発見する」科学者を生み出す職業だと思います。さらに、そのような発見を出来る社会を形成する大人を生み出せる職業です。いかなる発見も人がなすものです。その人を、社会を生み出せる職業だとしたら、最高、究極の職業です。

 しかし、多くの教師が日々の実践で悩んでいること、それは「二桁の足し算の繰り上がりのわからない子がいる、どうしよう」とか、「武家社会の基礎はご恩と奉公が基礎になっている」とか、「ごん狐の兵十の気持ちが端的に表れる表現はどこだかわからない子どもがいる」とかです。どう考えても、数学者歴史学者、国文学者の研究者テーマに比べれば一段も二段も低いテーマです。なぜなら、いずれも数学者歴史学者、国文学者の研究者テーマと同じ土俵にたっている教材のレベルで悩んでいる。教師独自の専門性を高めようとする人は、指導法、話術を高めようとします。しかし、結局は心理学者落語家と同じテーマであり、そして、心理学者落語家より一段も二段も低いテーマです。

 教師の、教師だからこそのテーマとは、「大人を育てる」ということです。そこにこそ、たった一度の人生の中で選択した教師という職を、最高の選択だと確信し得る道だと思います。多くの教師が「大人を育てる」という志を持ち、教師の職業を選択したはずです。「二桁の足し算の繰り上がりのわからない子がいる、どうしよう」とか、「武家社会の基礎はご恩と奉公が基礎になっている」とか、「ごん狐の兵十の気持ちが端的に表れる表現はどこだかわからない子どもがいる」とかに問題意識を持ち、教師を選択した人は殆どいないでしょう。しかし、日常の「二桁の足し算の繰り上がりのわからない子がいる、どうしよう」とか、「武家社会の基礎はご恩と奉公が基礎になっている」とか、「ごん狐の兵十の気持ちが端的に表れる表現はどこだかわからない子どもがいる」という問題の中に埋没し、教材や指導法や話術に誇りを見いだそうとしています。または、授業外のクラブ指導、また、授業外の生徒指導の中で誇りを見いだそうとします。何故なら、日常の授業と「大人を育てる」こととをつなぐ道を見いだせなかったからです。しかし、『学び合い』は日常の授業の中で「大人を育てる」ことが出来ます。そして、本当のプライドを得ることが出来ます。

 だから、「そう出来る、そうしたい」という志が大事なんです。