西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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04/05/31(月)

[]基礎基本 15:49 基礎基本 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 基礎基本 - 西川純のメモ 基礎基本 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学び合いが生徒指導上有効であることを認める先生方は少なくありませんが、基礎基本を学び取るには教師主導が有効だと思っている先生は少なくありません。特に、算数・数学では顕著のようです。そこで、Iさんは、それが誤りであることを証明することを修士論文のテーマとするよう計画しています。そんなとき、現場で学び合いを実践している先生から、勇気づけられるメールを頂きました。以下がそのメールです。

 『基礎基本を大切にするからこそ、学び合うことが重要だと考えます。同じ算数でも、どうしてもカリキュラム上全くことなる内容の場合、3・4年生を分けて学習させることにしています。(異なる内容でも一緒にやることもありますが)算数ですと3年「時間と時こく」、4年「円と球」などのような場合です。3年生は非常勤講師が持ちます。今週初めにその非常勤講師が、どうしても算数の時計の問題(3年)ができなくて困っているという相談を受けました。理解の遅い子どもが2名(仮名 のぶ君としょう君)ほどいるのですが、どうしても何分後は何時何分という問題ができないと。そこで、昨日は私が授業に入ることにしました。授業の始めに話をしました。

教師「時間のお勉強どう?できるようになった?」

子どもA「ぼく、頭悪いからよくできないよ」

教師「しょう君はどうなの?」

子どもB「おれ、よく分かんねえ」

教師「そっか、先生ね。誰一人もお勉強が分かんなくて悲しい人出したくないんだ。みんなで一緒にできるようにしたいんだなあ。」、T「今日はね。みんなで『できたー』っていうところもでみんなで一緒に勉強してみようよ。」

子どもA、B「いいよー。」 こうして学習が始まりました。

結果から申しますと、上述の2名は、「先生今日は算数すごく簡単だったね。宿題だして。今度はもっと難しいのもやろうよ。」とニコニコして帰宅していきました。なぜなら、二人は友達よりも問題が早く解けるようになったからです。時に学び合いは、低学力の子どもを飛躍的に向上させる力があると感じています。なぜ、二人がそうなったのか、振り返るとポイントは2つありました。

1.教師がはじめに彼らの代弁者になったこと(でいない子どもほど学び合いが上手く成立させられません。だから教師は彼らと同じ所まで降りて、代弁者になってあげる必要があります)始め問題を出したときに、上位の子どもは「こんなの簡単だー」と叫びました。それに対して「えーー?どうして簡単にできちゃうの?」と聞き返してあげました。

  (できない彼らの心の声を出してあげます)

  子どもC「簡単だよ。」

  教師「どうして? そのどうして簡単なのかが分からないんだよ。ね。」

  子どもA「うん。」

  教師「じゃあ、みんなで考えて誰でも簡単にできる方法を考えようよ。」

2.みんなで賛同すること

 教師 「○君ね。分かったぞって言ってたね。」

 教師 「じゃあ、○君の分かったことみんなで聞いてみて、合っていたら拍手しようね」

 ○君 「34分に45分をまず足して…。」

 子ども 「やったー、すごいよしょう君。○君天才だー。(拍手)」

 算数のこの授業で基礎基本は十分に成立できたと考えます。最後の3分で練習問題をやりましたが、どの子も飛躍的にスピードを正解率が上昇しています。では、比較的上位の子どもの学びは、下位の児童の学び合いで妨げられたでしょうか?それは、「ノー」です。何より下位の二人と同じように、楽しんで学習している姿があるからです。内容でも「簡単」という言葉をもう一度振り返ることから、どうすればもっと簡単にできるのか?どうすれば分かりやすいのか?もう一度60進法についてのアルゴリズムを確かめてことにより学習内容を深めることができるからです。』

 上記メールの学び合いを更に発展すれば、教師が介入する部分が更に減少すると思われます。そして、上記のような情報のやりとりが、教師と無関係にあちこちで起こるでしょう。そうなれば、もっと有効性が顕著になると思います。

[]東方の三博士 15:49 東方の三博士 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 東方の三博士 - 西川純のメモ 東方の三博士 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日曜学校、また、キリスト教系幼稚園の子ども劇の定番といえば、キリスト誕生です。大抵は、クリスマスあたりでやります。出演者は、キリスト、マリア、影の薄いキリストの父のヨセフ、キリストが受胎したことを伝える大天使ガブリエル、そして、キリストが生まれたことを星の運行で知り、それを祝うために乳香、モツ薬、黄金を捧げに来た東方の三博士です(その他、羊飼い、馬小屋の主人などがいますが・・)。

 私にとっては、東方の三博士がアラブの民族衣装を見る初めての姿です。大抵は、バスタオルや、シーツなどを頭からかぶる姿で現れます。毎日、子どもを風呂に入れて、風呂上がりの息子を 脱衣場で待っている家内に渡します。家内は、直ちにバスタオルで頭を拭きます。その時の息子の姿が東方の三博士の姿にそっくりなんです。そのことを家内に言ったら、キリスト教系幼稚園で先生として勤務した経験のあるので、息子をバスタオルで拭き取る際、キリスト誕生劇の東方の三博士の登場場面の歌を歌うようになりました。

[]雑学 15:49 雑学 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 雑学 - 西川純のメモ 雑学 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 少年漫画雑誌は、バカバカしいと小学校中学年から見切っていました。それい以降は、病院や床屋の待合室で見る以外は見ません。ましてや、金を払ってまで読もうとはしませんでした。少年漫画のパターンは、主人公が敵を倒すと、その敵よりも強力な敵が現れ、その敵を倒すと、その敵よりも強力な敵が現れ・・・の連続です。読者が飽きない限りは、その連続です。しかし、その連続を繰り返すと、物語のディテールに矛盾が生じます。なによりも飽きてくるんです。

 しかし、大学の学部時代に、同級生に少女漫画の権威がいました(けっしてオタクではなく、まともな人です)。その人の部屋に行くと、漫画本が図書館並にあります。そこで、少女漫画の洗礼を得ました。実に、ディテールが整っている。さらに、人の心理を扱っていました。人の心理を扱っているため、単純に敵を強くするという方法に頼らずにも、物語が進行します。それに影響され、「花とゆめ」や「ララ」にのめり込みました。色々の名作がありましたが、それと平行して読んでいたのがパタリロです。その漫画の中に悪魔学という分野の引用があります。ありとあらゆる悪魔の詳細が書かれています。当時、毎週行っていた神保町の古本街に行くと、その悪魔学の本を山ほど見つけることが出来ました。それなりに楽しめます。その関連本で天使学に関する本も山ほど見つけました。内容は、ありとあらゆる天使の詳細が書かれています。読んでみてビックリしたのは、ガブリエルの天使界における地位です。聖書においてはガブリエルは特級の位置づけです。それに、「大天使」といって「大」がついているんだから、神様のおそば近くにお仕えしているんだろうと、かってに考えていました。しかし、読んだ天使学の本によれば、「大天使」は天使界では相対的に下位とのことでした。日曜学校で学んだ私としてはビックリしました。

 悪魔学でも、天使学でも実生活では全く役に立ちません。雑学です。

追伸 偽ディオニュシオスの天使九階級によれば、熾天使、智天使、座天使、主天使、力天使、能天使、権天使、大天使、天使 の九つの階級からなっているとされています。

[]結婚記念日 15:49 結婚記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 結婚記念日 - 西川純のメモ 結婚記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は、結婚記念日です。私としては焼き肉屋にでもいこうと提案したのですが、家内は「贅沢してはお天道様に申し訳ない。普通の生活が大事なんだ」と諭されてしまいました。しかし、肉好きの私と息子に合わせて肉をかってくれました。本日は、それを、私たちの結婚記念日を覚えてくれているMさんから「あま~い」結婚記念日用に頂いた「あま~いワイン」(ほんとに甘くジュースのようでした)といっしょに頂きました。最後の〆は、ハーゲンダッツのアイスクリームです。そういえば、3年前の結婚記念日も似たようなメニューでした。

 追伸 Mさんありがとう。

04/05/27(木)

[]ユーレカ(その3) 15:51 ユーレカ(その3) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ユーレカ(その3) - 西川純のメモ ユーレカ(その3) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ユーレカ(その1)、(その2)に対して、意外なほど反響がありました。それらは、我々の考えを共有する同志の方々です。我々の研究は、「全ての子どもを救う(少なくとも授業では)」という願いから出発しています。そして、それを私は標榜しています。ところが、その私が「子どもを切る」という言葉を使ったので、ご心配をかけたのだと思います。言葉足らずだったと反省します。改めて、補足致します。

 静かにを言わない授業の最後の方で、以下のように書きました。

 筆者は我々の考え方が、金科玉条のように扱われることを望んではいない。我々は「子どもは有能である」と主張しているが、同様に「教師は有能である」と信じている。その有能な教師に一つの考え方を伝え、その場その場の判断の一つの材料として欲しいと考えている。こんなエピソードがある。久しぶりに西川研究室OB(現職派遣)からメールが来た。内容は、現場での研究実践の様子であった。とても楽しく読ませてもらった。その最後に、次のような文章があった。

 『しかし、私は、教師が教えるべき内容があり、私語がうるさいと怒鳴ることもあり、ここは聞く時で書く時ではないと、わめき散らすことも多々あり、テストの平均点が低いと嘆くことあり、西川研の研究に背くことは多数行っております。しかし、授業中遊ばせてなんていない。勝手にやっている時間を生徒に与えているだけでその時間は勝手に課題を子どもたちだけでやっているだけなんですけれど・・・・と言いたいのだが。』

 それに対する筆者の返信は以下の通りである。

 『Kさんが一番分かっていることじゃないですか。私自身が、言っていることと、やっていることが違うことを。でも、弁明しますが、その場その場の状況の中で、ベストだと思えることをしているつもりです。大学生相手ですから、「うるさい」と怒鳴ることはありません。しかし、ちょっと怖い顔をして、静かにするまで黙っている、っていうようなテクニック等で静かにさせることはよくあります。我々のゼミの方針から言えば、指導教官は黙っているべきなのにもかかわらず、べらべらしゃべったり、事細かな指示を出したりすることがあります。ということで、私自身が「西川研の研究に背くことは多数行っております。」でも、私自身の中にある、歴代の院生さんから教えてもらった「西川研の研究」があるために、一定の歯止めがかかっているように思います。また、「西川研の研究」があるため、しゃしゃり出たくても出られない場 が形成されています。

 私自身が、「教師が教えるべき内容があり、それは少なくない」と言ってしまったら、院生さんに新たな視点に立ってもらうことは出来なくなります。なんとなれば、「それじゃあ、いまのままでOKなんだ」となりかねません。だから、「教師は教えなくても良いんじゃないか?」と「熱く(しつこく)」語る必要があると考えています。

 ということで、私としては「Kさん」のようなOBベストの姿だと思っています。』

 また、以下のような、あるOB言葉を紹介しました。

 「じゃれあい」研究を行った○さんが、大学院在学中のことである。後輩の院生さんに「じゃれあい研究をやって、現場に戻って役立つことは何ですか?」という質問を受けた。○さんはニコッと笑って「うるさい生徒がいたとき、『うるさい!』と怒鳴る前にちょっと考えるようになると思う」と答えた。実に、言い得て妙である。

 基本は大事です。でも、それでは覆いきれないものがある。その際、教師は考えなければならない。そして、その結果が基本と矛盾するものであったとしても、私はその教師の判断を信じています。何故なら、基本を分かった上での判断なんですから。同時に、私も信じて欲しいと思います。

 私は「全ての子どもを救う(少なくとも授業では)」という夢を持って、現在研究に足を踏み入れました。その結果として、「子どもは有能だ」という考えにたどり着きました。しかし、「子どもは有能だ」という考えに従えば、「学び合う」のは方法であって目的ではありません。ところが私の実践の中で、それを進めると、「全ての子どもを救う(少なくとも授業では)」ことに矛盾する場合にぶち当たりました。それを悩んだんです。私は切りました。でも、考え抜いた末の決断です。もちろん、別な方だったら「切らず」に出来たのかもしれません。そして、どんな理由があったにせよ、「切った」ということに対する責任から逃れられないのは自覚しています。その悩みがあったから、筆の勢いでは「切った」に重心が行ってしまいました。しかし、私が伝えたかったのは、「切ってもいいよ」ではありません。絶対に!私が本当に伝えたかったのは、その悩みを持ちつつも、「子どもは有能だ」と信じ、「全ての子どもを救う(少なくとも授業では)」という夢を持ち続けている、ということです。そして、「学び合い」を目的にしてはいけない、という確信を得たと言うことです。

 頂いたメールは厳しいものだとしても、愛を感じます。メールを頂いた方に感謝します。そして、信じて欲しいと思います。西川は揺らいでいません。


[]結婚記念日がもうすぐ 15:51 結婚記念日がもうすぐ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 結婚記念日がもうすぐ - 西川純のメモ 結婚記念日がもうすぐ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 もうすぐ結婚記念日です。昨日は、そのことを息子に家内が話していました。その話の流れの中で、「○○ちゃんはだれと結婚したい?」と聞いていました。息子は「おか~さん」と、定番ながらほほえましい返事です。家内はいたくうれしがっていました。次に、「お友達の中では誰と結婚したい?」と聞いていました。しかし、息子は「おか~さん」と言います。何度も言い方を変えていましたが、答えは「おか~さん」でした。家内はニコニコしています。

 息子に結婚記念日(30日)にはごちそう食べようね、と言っているのですが、息子は「29日はお肉の日」というテレビコマーシャルを口まねします。すかさず、私は、「結婚記念日前夜祭をやろう」と家内に提案するのですが・・・・

追伸 本日日報にうちのゼミ風景が写されていました。

04/05/26(水)

[]ユーレカ(その2) 15:53 ユーレカ(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ユーレカ(その2) - 西川純のメモ ユーレカ(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先のメモを補足したいと思います。

 学び合うことと課題達成(学校の場合、成績や進学などで評価される場合が多いと思います)が対立するものではなく、不分離のものであるというのが我々の考え方の特徴です。簡単に言えば、「学び合いは大事、でも、そればかりやっていたら基礎基本が保証されないし、第一に、時間内に終わらない」という考え方は誤りだ、ということです。おそらく、一般の場合、すなわち、学び合いの文化がない状態から出発する時は、学び合いを求めざるを得ません。しかし、学び合いの文化が成立すれば、教師がそれを強いなくても、課題達成を求めれば子ども達は学び合います。そして、どの場面で学び合い、どの場面で学び合わないかを判断できるのは子どもなのですから、学び合うことを求めるのではなく、課題達成を求めるべきだと思います。

 しかし、レアケースだけど学び合いと課題達成が矛盾する場合があります。具体的には学び合いをさせると他の学習者の課題達成の障害になる学習者が存在します。私は、そのような場合、教師は学び合いを優先させるべきなのか、課題達成を優先させるべきなのか?ということです。

 私が分かったのは、第一に矛盾が起こった場合、改めて考えざるを得ないということです。しかし、私に迷いがあったのは、そのような原理原則のっとらない曖昧なものであると暴走しないか、ということです。しかし、頂いたメールで分かったのは、「心」があるならば、その場、その時に合わせた判断が出来る、ということに勇気をもらった点です。第三に、その自分の判断が合っているか、否かは、自分が目標を与えている子ども集団の姿に現れる、ということです。逆に言えば、目標を与えている子ども集団の姿を見ることによって、暴走は防げるという自信を持ちました。

 私は「切る」という判断を下す場合があると考えていますし、切ったことがあります。そして、「切った」場合の暴走を恐れます。しかし、「切らない」と判断する人もいるでしょう。しかし、「切らない」場合の暴走も恐れるべきです。具体的には、「学び合う」ことを最後まで目標として掲げることによって、子ども達が「やってられない」と、その教師を目標の設定者として見限る場合があるということです。ぎりぎりのところで、切る、切らないは、教師、子どもの一人一人が課題達成がどれだけシビアに求められているかに依存します。これは、受験の圧力がある場合、無い場合では違うでしょう。また、教師が子どものどれだけの範囲を管理しているかに依存します。具体的には、学級担任制度の小学校と、教科担任制度の中学校では異なるでしょう。また、大学においては、研究の重みが違う学部と大学院では、指導教官の対応も変わるでしょう。また、子どもが教師を選べることが出来るのか、否かに依存します。小中高では子どもは教師を選べません。しかし、大学大学院での研究指導では子どもは教師を選べます。それ以外にも、多種多様な要因が影響します。私個人としては、ストレスに対する耐性も影響します(簡単に言えば、研究指導によって健康を害する危険性があります)。つまり、置かれた状況によって、教師は違った判断を下さざるを得ません。でも、どのような状況にあっても、その判断の結果子ども集団に納得してもらう説明責任はあるということは重要なんです。それが納得してもらえているか否かは、その集団の姿に反映します。 例えば、私は、今の西川研究室の健全性に不安を感じていません。もちろん、教師がメンバーが学び合っているか、否か、なんて分かるわけありません。しかし、研究のプロとして、生産される成果の質の判断は出来ます。そして、その質は最高であることは保障できます。不健全な集団が、これだけの質の研究を 、多くのメンバーが出せるわけは、決してないと考えるのが、我々の考えです。

 私は、全ての子どもを、少なくとも授業中は救えるという「夢」を持っています。その夢を実現するには、学び合いと課題達成が矛盾しないという考え方以外にない、ということは一点の迷いもありません。たとえ、上記に書いたとおり矛盾が生じても、その場、その時に考えて、「学び合いと課題達成が矛盾しないという考え方以外にない」と信じ続けたいと思います。

[]出席 15:53 出席 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 出席 - 西川純のメモ 出席 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は大学院の授業で出席を取りません。大学院研究するところであって、授業を聞くところではないと確信しています。聞きたくなければ、聞かなければいいと思います。一方、私の方は、出席をとるから出席するのではなく、出席を取らなくても聞きたいから出席してもらえるような授業をしたいと願っています。私が各地で講演した場合、それに対して過分な講演料をいただけます。もし、タダで授業をやっているのに、来てもらえなかったら、私は講演会詐欺をしているようなものです。

 本日、授業がありました。授業後に、お二方の院生さん(現職院生さん)が、私に欠席届を差し出しました。来週、何かの用事があるため欠席をするそうです。私は、思わずにやけてしまいました。私は、「そんなもの必要ありませんよ。私は出席を取っているわけではありません。出る、出ないはご自身の判断です。」と言いました。しかし、指導教官から出しなさいと言われたということなので、読んだふりをしました。そして、欠席届を受け取らず、「その届けは、ご親戚へのおみやげとしてください」と申しました。

 上記の方針は学部でも同様です。でも、学部の場合は、それなりに出席を意識します。というのは、出席するという日常習慣は学部学生には必要だと感じているからです。それに、出席をとならないと、出席をしている学生さんから文句が出るからです。そうすると、過剰に出席日数のこと心配する学生さんが現れます。その際は、以下のように言います。

私: 君の同級生で、授業に殆どでない人っているでしょ?

学生さん:うなずく

私:君はそう?

学生さん:首を振る

私:だったら、大丈夫だよ

 私としては、出席をとることによって出席させるのではなく、出席を取らなくても出席させるよう頑張りたいと思っています。

追伸 本日、私が必要がない、と言ったのに、指導教官から渡すように言われたと言い、一生懸命、欠席届を渡そうとした二人の現職院生さん。共に、30歳は過ぎていると思うのですが、ものすご~っく可愛ゆく思いました。気持ちとしては、よし、よし、と頭をなぜてあげたくなりました。考えてみれば、その現職院生さんは、私が大学生の時、ランドセルを背負っていたのではないでしょうか?

04/05/25(火)

[]ユーレカ 15:55 ユーレカ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ユーレカ - 西川純のメモ ユーレカ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の4つの謎を書きました。複数の方から、メールを頂きました。いずれの方も、1の謎に関しては、「学び合い文化が成立していない、ごく初期には学び合うことを目的とすべきだが、それが成立した後は課題達成を目的とすべきだ。」という内容でした。我々の考えの基本は、「子どもは有能だ」という考えなので、その考えを共有している方ならば、上記の回答は必然です。実は私もそう思っています。しかし、迷いがあります。そこで、それらの方に、以下のようなメールを出しました。

『1の件ですが。

私もそう思います。

しかし、私が悩んでいるのは究極の状態です。おそらく、大抵の学習者の場合、○○さんの考えでいいのだと思います。でも、もし、学び合いが全く不得手で、かつ、学び合わないと学習が成立しない子どもがいたらどうするか?ということです。多くの子どもが、その子と学び合おうと努力します。しかし、それによって他の学習者の課題達成が阻害されたり、精神的な不快感を感じさせたりさせ、さらに、その子に変容が見られなかったら・・

その時、教師はどのようなスタンスを取るべきか?ということが問題なんです。もし課題達成を目標とすべきである場合、その子を切らざるを得ないんです。

正直に言います。

私は切ります。

教師は子ども人生に対して責任を負えないし、負うべきではないと思っています。自分の考える最善の環境を与えているにもかかわらず、それを生かし切れていないとしたならば、その結果を負うのは教師ではなく、その子です。と考えています。しかし、一度、それを自分に認めてしまうと、安易に、次々と子どもを切ることになります。そして、教師がそのようなスタンスであると子どもが感じると、子ども集団が成立しえるのか疑問です。そうなると、教師は課題達成以上に、学び合うことの重要性を語りたくなります。

 私の悩みは、そこなんです。』

 それに対して、お一方から以下のメールを頂きました。

 『難しい問題ですね。しかし、私は、そういう生徒を実際に切ってきました。切ってきたというか、集団に取り入れようとしましたが、その生徒自身が逃げていきました。学び合いは、その生徒にとっては、苦痛で、みんなが頑張っているのに自分がやらない(やれない)ことが他の班員の足を引っ張ると考えたのか、感じたのか、自分から理科の時間は保健室に逃げていました。無理に授業に出したり、友達を使って迎えに行かせると、怒り出したり、暴力をふるいます。そのうち、「そんなにいやだったら、好きにしろ」ということで、ほっときました。今年も、あるクラスに、学び合いが不得意で、学び合うことが苦手な生徒がいます。教師魂から言えば、「学び合わせたい」と思うのですが、学習課題達成を優先するでしょ。しかし、もし、学級担任だったら、そう簡単には「学び合い」はあきらめません。道徳、学活等、授業以外を活用し、学び合い目的に授業を行うこともあると思います。では、どういう時にそれをするか。それは愛情だと思います。その生徒に愛情を感じなければ、そこまで一生懸命しません。私は神ではなく、人間です。西川先生が恐れられているように、1人の例外を作ると、それが続くといわれましたが、私はそうは思いません。その子はそうですが、また同じケースになっても、愛情やその他の条件から「学び合い」を目的にがんばることもあります。その生徒は、たくさんの先生や大人と関わります。私が救えなくても、だれかが救ってくれます。私に波長があう生徒だけを救って、何が悪いのでしょうか。いや、波長がある生徒、私を信じ、慕ってくる生徒に一生懸命その子のためになることを行うでいいのではないでしょうか。去る者は追わず、来る物は拒まないです。よく西川先生も言われていましたよね。』

 このメールで、吹っ切れました。先のメモに書いたように、原理原則をないがしろにすれば、判断が出来なかったり時間がかかったり、さらに、判断にブレが生じます。だから、原理原則は堅持する必要があります。しかし、何でもかんでも、クリアーで単純な原理原則で切れるものではありません。堅持しつつも、ギリギリの所では、原理原則を越えるものが必要なのだと思います。その場、その状況で判断しなければならないことは常に残ります。結局、「愛情」というような曖昧部分でしか表現出来ないものがあるのだと思います。

 私は切る場合はあり得るし、切るべきだと思います。しかし、それを安易にしてしまえば、結局、子ども集団が崩壊し、結局、課題達成も成り立ちません。では、どのような場合に切れて、どのような場合に切るべきではない(つまり、学び合うことを目標とする)のかの規準を求めていました。でも、それの単純な規準はないと思います。結局、その時、その場において、自分自身の良心(愛情)に問いかけるべきなのでしょう。どうやればいいという方法はありません。しかし、そのことが良いのか悪いのかは分かります。もし、その良心に問いかけた結果が正しければ、子ども集団はそれを認め、その後も学び合うことによって高い達成度を維持する集団を形成し続けます。しかし、その良心に問いかけた結果が誤っていれば、子ども集団は崩壊します。

 実は、上記のことが分かると、2番目の謎は氷解します。私が学び合い研究しつつも、全ての同僚と学び合っていないことを悩む必要はありません。重要なのは、私が課題達成しているか、否かです。西川研究室は学術研究においても、実践研究においても本学のトップレベルの成果をあげ続けています。ならば、現状に問題があるわけはない。

 以前から、教師の側が子どもたちのグループ構成を決めることはナンセンスなことだと思っていました。というのは、人と人との合う合わないないというのは、実に多種多様な要因が絡み合います。さらに、合う組み合わせが、別な課題においては合わない組み合わせになります。そんな難しいことを、たかが教師が出来るわけありません。そんなことより、自由にグループ編成が出来る自由度子どもたちに与えれば、トライアンドエラーの中でグループが構成されると言うことは、5年以上前のFさん、Iさんの研究からも明かです。つまり、「子どもは有能」であるならば、「私も有能」なのでしょう。

 以上のことが納得出来れば、原理原則(というより「考え方」)を自信を持って堅持し続ければいいんです。あ~すっきりした。

 後に残るは、私の実践の場である、西川研究室の文化を、より高次の段階にするにはどうしたらいいか、そして、それをどのように広げるかだけです。でも、これが難物だな~

追伸 ユーレカは「やった!わかった!」の意味です。アルキメデスアルキメデスの原理を発見した時、「ユーレカ!」と叫びながら、浴室から裸で街に跳び出したという逸話があります。私の場合は、頂いたメールを読みながら、1分以上ウルウルしていました。


[]管理職 15:56 管理職 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 管理職 - 西川純のメモ 管理職 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 求められる教師の姿を明らかにすると言うことは、実は、職員室における校長の姿を明らかにすることと同じです。そして、それは自分を見つめることです。現在、それを我々は研究しています。今のところの、私の考え方です。

 管理職に求められることは以下の3つです。

 第一に、判断が速いことです。判断が出来ず、他に丸投げするのは論外です。また、判断するに時間がかかるのも、問題です。

 第二に、判断にぶれがないことです。そのような管理職の元の集団において、メンバーは管理者がどのような判断を下すであろうことが予想することができ、かつ、それがメンバーの間で一致し、その予想がはずれません。

 第三に、その判断基準が、メンバーにとって共感できるものであることです。

 第一と第二を成り立たせるためには、管理職は、単純な判断基準をごく少数持つことが必要です。複雑な基準(具体的には文字にすると2行以上かかかる基準)であると、判断に時間がかかったり、最悪の場合は判断不能になったります。基準が多数あると、その基準の間で矛盾が生じます。結果として判断に時間がかかったり、判断不能となったります。また、ある基準によって判断する人と、別な基準によって判断する人との間で闘争が起こります。

 問題は第三のメンバーにとって共感できる判断基準です。ちょっと考えると、メンバーの利害に合致するということが思いつきます。しかし、それはそれほど大事ではありません。全てのメンバーの具体的に利害に合致するということは不可能です。さらに、仮に全てのメンバーの利害に合致したとしても、合致の度合いが違います。相対的に合致しない人は、合致しない人と同様の不満を持ちます。個々のメンバーの利害に関しては、最低限、全てのメンバーが「理論上」合致可能な基準であるということが必要であれば十分だと思います。では何が必要かと言えば、その集団が依存する、より上位の集団が求める基準であることだと思います。それを満たすならば、その集団は存続可能であり、結果として、大多数のメンバー未来メンバーを含む)は生存可能となります。

 つまり、どのような判断基準を持つべきかを判断することが最も重要管理職の資質です。では、そのような判断基準を持った管理職はどのように行動すべきなのでしょうか?

 複数の人から、トップの管理職は基準を明確にせず、2番目のトップが基準を明確に示し、軋轢があった時、トップの管理職が調整するべきである、と聞きました。その理由は、もし、トップの基準が間違っていた時、引っ込みがつかなくなる、というものでした。たしかに、校長と父兄が対立した場合、動きがとれません。従って、父兄と教頭が議論し、その推移を見守りながら、校長が最終的な断を下すべきだ、という考えです。なるほど、と思いました。しかし、それは違うと思います。なぜなら、少なくとも、私はその戦略をとったことは、過去において一度もありません。もちろん、院生代表の人にメンバーの人に私の意向をアナウンスをしてもらうことはありますが、それは私の意向であるという前提で、メンバーに言ってもらいます。決して、私の意向を秘して、院生代表の意向であるというようにアナウンスすることを求めたことはありませんし、したいと思ったことはありません。

 それでは、校長はどうすべきかと言えば、愚直に自分の基準を述べ、それに対する反論を受けるべきです。もし、先に述べたような基準であれば、愚直に何度も繰り返して主張すれば、相手は根負けするか、少なくとも負ける可能性は少ないと思います。そして、最終的な調整は教頭がすればいいことです。つまり、調整役は校長ではなく、教頭の役目のように思います。もし、教頭の調整の結果、 自身の基準が誤りであることに気づいたなら、謝って変えればいいことです。誤りであっても、その基準が善意に基づくものなら、謝れるし、まわりも認めると思います。でも、これって難しいかも知れませんよね。愚直に、自説を繰り返すことは頭のいい人にとっては難しいと思います。それが出来るためには、自身の基準に対してどれだけ考えたかが問われます。また、教頭の延長上に校長があると捉えている人は、教務室での陽気な教頭に毛が三本増えたのが校長考える人もいるでしょう。

でも、愚直に繰り返せば、良い校長というわけでもありません。単に、無神経であったり、無能であったりする場合があります。つまり、有能な管理職とは、以下の4つを全て満たす人です。

 第一に、判断が速い。

 第二に、判断にぶれがなく、メンバーは管理者がどのような判断を下すであろうことが予想することができ、かつ、それがメンバーの間で一致し、その予想がはずれない。

 第三に、その判断基準が、メンバーにとって共感できる。

 第四に、その基準を自身の責任で、何度も繰り返し主張できる。

  厳しい資質です。でも、この4つが成り立つならば、それをサポートするメンバーが守ってくれます。私もそのような管理職になりたいと思います。そのためには、4つの謎を明らかにして、私自身に自信を持てる基準を持ちたいと思います。

 私は間違っているでしょうか?

ozakih2009ozakih20092010/03/17 16:21たいへん共感します。Twitterフォロー、ML登録させて頂きました(^^)

しかしメンバーにとって共感できる判断基準の"全てのメンバーが「理論上」合致可能な基準であるということが必要であれば十分"箇所は、「理論上」に「社会性」の追加(推定出来るため、または明記)が必要と考えます。
社会性は「最上位の集団」と定義することもできます。これが無ければ多々ある事例のようにモラルハザードが発生します。
しかし、この社会性による判断基準がぶれなければ、通常課題となりうるメンバーの感情や背景の多様性が、組織としての学び、改善する原動力になると考えます。
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小崎 元 | OZAKI, Hajime
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株式会社Kaien CTO
〒106-0045 東京都港区麻布十番1-5-24 第3長門ビル 8階
E-mail hozaki@kaien-lab.com
Tel(直通) 090-8306-8898 Fax 03-6447-2918
URL http://www.kaien-lab.com
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Mission 自閉症のイメージを変える
Vision 自閉症の強みを活かすテスト技術者活躍の「場」作り
Values
1.誰もが仕事を通じて社会に貢献する機会をもつべきである
2.誰もが仕事を通じて自己実現をし、
自尊心を保てる機会をもつべきである
3.自閉症は、障害ではなく、一つの特徴である
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電気通信大学大学院 電気通信学研究科
システム工学専攻 博士課程後期課程(社会人在籍)
鈴木研究室 URL http://www-suzuki.se.uec.ac.jp/
西研究室 URL http://blues.se.uec.ac.jp/
--
Research Theme:
"Training and Management for Software Testing Specialists
with High Functioning Autism."
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* @author My family, friends, leaders and supporters.
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* @since 1975.12.28
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jun24kawajun24kawa2010/03/17 21:53はい、私も、そう思います。

04/05/23(日)

[]4つの謎 15:57 4つの謎 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 4つの謎 - 西川純のメモ 4つの謎 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々が明らかにしたこと、また、しつつあることは強力です。不遜ながら、多くの先生方が悩んでいることの原因を特定し、解決する方法を明らかに出来ると信じています。でも、それでも分からないこと、それも、ず~っと考えても分からないことが4つあります。

 第一は、「学び合うこと」を目標にすべきか?ということです。課題の意味を納得させ、課題を厳しく取り立ててれば、学び合うはずです。でも、そうしたとき、多くの仲間から切り捨てられる子どもが生ずるはずです(例えば、障害児など)。全ての子どもが救われるためには、「学び合うこと」の意味を熱く語る必要があります。でも、そのことが課題達成に矛盾することがあります。その際、教師は、どのようにすべきかが分かりません?正確に言えば、どのような場合は「学び合うこと」をメイン目標とし、どのような場合は「課題達成」をメイン目標とすべきか、その基準がはっきりしません。

 第二は、学び合う集団の範囲は、どの範囲か、ということです。私の場合、院生さん・学生さんと学び合うことによって、楽しいし、課題達成を行えます。ところが、必ずしも全員の同僚と学び合う必要性を感じません。むしろ、協調することによって、課題達成も、精神的安定も失われる場合があります。今の私の状態が正しいとしたら、どのような人と学び会えて、どのような人と学び会えないのでしょうか?今の私の状態が間違っているとしたら(つまり、本来は全ての同僚と協調すべきならば)、なぜ、私は今のような行動戦略を採っているのでしょうか?

 第三は、より多くの人を説得するには、どうしたらいいか、ということです。つまり、我々の考えを、本気で信じてもらえるために、我々は何をすべきか、ということです。別な言い方をすれば、「確かにその通りです、でも、ちょっと信じられない」という人を、テキスト情報レベルで説得するためには、どのような研究をすべきかと言うことです。一番良いのは、西川研究室で文化に浸ることですが、それが可能な人の数は限られています。

 第四は、私の実践の場である、西川研究室をより高い次元の集団にするためには、管理者である私は何をすべきか、ということです。西川研究室の状態は、平均をかなり上回っています。そのことには自信があります。しかし、それ以上をどん欲に願っています。

 分からない場合、子どもに聞くというのが我々の方法です。OB現役の皆様、全ての方々へ。上記に関して分かったら教えてね。

04/05/20(木)

[]管理職の謝り方 16:00 管理職の謝り方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 管理職の謝り方 - 西川純のメモ 管理職の謝り方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 司馬遼太郎に「国盗り物語」という作品があります。その中で印象的だったのは、支配者にとって無能は最大の罪だ、という言葉です。なるほどと思いました。支配者が悪人であっても、有能であれば、戦乱はありません。一方、支配者が善人であっても、無能であれば、他国に侵略されます。圧倒的大多数の被支配者にとっては、前者の支配者を望むはずです。

 管理職も同じだと思います。無能であれば、その管理する組織のメンバーにとっては最悪の状態を引き起こします。しかし、「無能」にも色々な側面があることに気づきました。知的能力がない、かつ、その能力がある人の話を理解する能力が無い場合は、最大の罪です。ましてや、その能力がないのにもかかわらず、それに対して換言する言葉を、攻撃と取る無能(世の中には、この種のバカが少なくありません)は、最悪です。でも、本人も知的能力があり、他の人の言葉を理解できる人だったら、全てOKかといえば、そうでもありません。世の中には、分かっていても出来ないということは少なくありません。

 もし、あることを進言し、それが理解できなかったら、その人はバカにされます。さらに、その進言を、攻撃と捉えられたら、軽蔑され、二度と進言を得られなくなれます。しかし、もし、その進言を理解し、その上で自分の能力ではそれを実現できないと率直に謝られたらどうでしょう。おそらく、二の句が継げないでしょう。だって、管理職は大変です。すくなくとも、自分にはその才能はないし、才能があっても、やりたいと思いません。だから、私が管理職になったとして、私が考えることを実現できるか、といえば、?です。だから、それを率直に謝られたら、どうしようもありません。強いて言えることは「それでも、頑張って」としか言えないでしょう。

 おそらく私はないと思いますが、管理職となった際、進言を受けたなら、それを理解できるだけの理解力を持ちたいと思います。そして、出来ることだったら実行し、出来ないことだったら、素直に謝りましょう。その際、進言した内容をちゃんと理解したことは伝えることをエチケットとしたいと思います。

追伸 私には無理ですが、本当の管理職は、そのように見せかける能力を持っている人なのかもしれません。以前に書きましたが、偉くなる人は、人の話をちゃんと聞き、それを無視できる人なんですから。ちなみに、私には絶対出来ません。

04/05/18(火)

[]面接 16:01 面接 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 面接 - 西川純のメモ 面接 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、IさんとHと面接試験の話が出ました。そのことでちょいとメモることにしました。

 結論から言えば、世にある面接攻略法は殆ど無意味だということです。簡単に言えば、付け焼き刃は、直ぐにばれると言うことです。面接でどのようなことが聞かれるかは、決まっていません。それに対してうまく答えたとしても、その返答に関連して、どのような追加の質問があるかは分かりません。どんな質問をされるかが予想が出来ないのに、それに対する対策なんていうものが立つわけありません。では、どうしたらいいか?

 面接では、まず、同僚としてつきあえるか、どうかが見られます。つまり、まともな人間か?ということが問われます。これは、数十年の人間関係の中で作り上げるものですから、数週間のレベルで変わるわけありません。強いて対策を考えれば、より多くの人と、「継続的」な人間関係を結ぶことです。継続的な人間関係を多くの人(100人というわけではありません、4、5人のレベルで十分だと思います)と結べるなら、安心して大丈夫だと思います。ただし、その中に、面接するような人に近い年齢の人が含まれなければなりません。何となれば、求められているのは、同年代の友達ではなく、同僚、それも年下の同僚を求めているのですから。

 第二に、その職業に必要となる知識、技能を見ます。それも、大学講義でやっているような、文脈(状況)から切り離された知識、技能ではありません。具体的な文脈と密接に関わった知識、技能です。教師の場合、それを得る方法は、教師になりたいという気持ちを継続的に持つことです。なりたいと思うならば、自然と必要な情報が耳に入っています。我々は実に多くの情報にさらされています。しかし、その多くは、右の耳から左の耳に抜けるものです。意識を持った情報のみが頭に残ります。もし、なりたいという気持ちが本当であるならば、自然にさらされる情報ばかりではなく、質の高い情報源に近づくはずです。具体的には、現場の教師です。現場の教師と、色々と話せば、具体的な文脈と密接に関わった知識、技能が自然と入ってきます。少なくとも、2時間程度の現場教師の教職講座より、桁二つぐらい違う情報が得られるはずです。

 つまり、簡単にまとめると、教師になりたいという気持ちを持って、西川研究室で提供している場を十分に活用するならば、面接に関してあたふたする必要は全くありません。少なくとも、インターネットノウハウ本、また就職講座で流れる、馬鹿げた合格必勝法を信じて対策を取っているライバル達より、断然、有利な環境にいることは分かるよね。付け焼き刃の対策を取るのではなく、年単位の期間をかけて、今の環境を活かす方が大事だよ。

追伸 ただし、細かいノウハウがあることは確かだよ。それは院生さんから聞いてね。でも、それが生きるのは、付け焼き刃でない本体があることが前提ですよ。

 ありがたいことに、北は北海道から南は九州まで、全国各地から講演会の依頼が来ます。依頼先は、県センターもあれば、学校もあります、そして教師研修団体からなど多種多様です。それぞれの団体は、厳しい予算事情の中、私を呼ぶために身銭を切ってくれます。学部や大学院講義の時、「この講義分の 講演をすれば、百万以上のお金が得られます。こころして聞いてね。皆さんの2年間の授業料は、私の話だけでもとが取れるよ」と言いますが、学生さん、院生さんは、それほどビビりません。そして、ありがたがりません。

 子どもが生まれてから、多種多様な役割を家で果たしています。といっても、男親の出来ることは限られています。その中でも、「食事後の歯磨き」、「入浴」と「寝る時の添い寝」は、出産以来、私の仕事です。毎日、息子の添い寝をします。枕を寄せて寝ると、息子がグイと頭を私の頭に寄せてきます。息子の暖かい寝息が私の耳元にかかります。徐々に、荒い寝息が静まり、静かになります。息子の寝息を感じながら、ふと思いました。息子が生まれる前に、子を授かることを願いました。そのような時、このような時間を過ごせるといわれたならば、どれだけのお金を払ったでしょう。その数分のためでも、かなりのお金を払ったと思います。それが、1年365日、ただで享受できるんです。凄い贅沢です。育児は義務ではなく、権利だと思いました。*[親ばか]贅沢

04/05/17(月)

[]蜂さんになりたい 16:03 蜂さんになりたい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 蜂さんになりたい - 西川純のメモ 蜂さんになりたい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、息子が、「蜂さんさんになりたい」と言い出しました。おそらく、サルカニ合戦の絵本の影響だと思います。聞き流せばいいのですが、真面目に、「おまえは、おまえになれば良いんだよ」と言い聞かせました。そして、「大きくなったお父さんになりなさい、それが一番偉いんだから」と言いました。そして、「お爺さんになり、曾お爺さんになり、できれば曾々お爺さんになりなさい」と言いました。息子はきょとんとしていました。 以前のメモに書いた通り、私の望みは、息子がおじさんになり、お爺さんになる姿を見たいと思います。そして、孫、ひ孫を見たいと思います。

[]たこ焼き 16:03 たこ焼き - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - たこ焼き - 西川純のメモ たこ焼き - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前、大阪出身の人が我が家に遊びに来た時、「大阪のたこ焼き」を作ってもらいました。ビックリしました。それまでの「たこ焼き」概念が完全に転換しました。それまでに食べた「たこ焼き」は中まで固くなったものばかりでした。ところが作ってもらったものは、外はカリカリで、中はどろっとしています。はじめは「なま」焼けかと思いましたが、食べてみるとクリームのようで、実においしかったです。なるほど、大阪人が「たこ焼き」にプライドを持つのも当然だと納得しました。

 今年の院生さんの中に、大阪生まれの大阪育ちの方がいらっしゃることを知りました。早速、上記の話をして、「たこ焼き食べたいよ~」とおねだりしました。その結果、本日は我が研究室では「たこ焼き」パーティー、いや、大阪文化を学ぶ会が開かれます。私は昼の開催を希望しましたが、開催時刻は夜となりました。理由は、現在、4年生が教育実習に行っているため、その時間に設定したそうです。「すねてやる~、ぐれてやる~」と私が言いましたら、「先生、本日はたこ焼きが美味しいか、どうかを見るための会です。つまり、毒味の会です。美味しかったら、先生にも食べていただきます」と極めて適切な返事が出ました。思わず、「うまい!うまい返しだね」と言いました。

 私は筑波大学の小林学先生の研究室出身です。その小林先生は、酒席は好まれません。そのため、先生以外は飲み助ぞろいの研究室であったのですが、小林先生が参加した酒席は2年間でたった1回だけです(それも研究室メンバーが拝み倒してです)。一方、研究室は仲良く、よく飲みに行きました。先生を囲んで、先生と話すことを目的とした会より、仲間が集まって、仲間と話すことを目的とした会の方が健全です。我々の目指す教育の姿です。教師の予定と関係なく、どんどんやるべきです。

 と、分かっているんですが、かって食べた、あの「たこ焼き」を食べ損なって残念無念・・・

04/05/16(日)

[]愛知県 16:03 愛知県 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 愛知県 - 西川純のメモ 愛知県 - 西川純のメモ のブックマークコメント

土曜日に「学習臨床について」というお題で話すため、愛知県に出張しました。高田から目的地に着くまで5時間半の長旅です。とても疲れました。名古屋で名鉄という私鉄に乗り換えたのですが、あれほど部外者に分かりづらい電車はないと思います。少なくとも、私の出身地である東京で、あれほど分かりづらい私鉄はないはずです。というのは、大抵の線路は一本道ですので、右に進む電車か、左に進む電車かという、基本的方向を間違えなければ、特急が止まるような駅には必ず到着します。ところが、名鉄は半端でないほど、枝分かれします。従って、どこ行きかに気をつけなければなりません。ところが、地理不案内の私にとっては全然見当がつきません。名鉄が通勤が基本的な電車のせいか、路線図が駅に余り掲示されません。そのような状態で、数分に1本の電車が到着するので、だいぶ焦りました。都会は違うと思いました。

追伸 話し終わって、愛知教育大学の院生さんに駅まで送ってもらいました。とても好感の持てる院生さんです。前回もそうですが、愛知教育大学の学生さんは、うちの学生さんのようによい子が多いように思います。

04/05/13(木)

[]ウルウル 16:05 ウルウル - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ウルウル - 西川純のメモ ウルウル - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今週の頭に4年のNちゃんとディスカッションをしました。Nちゃんのテーマは、「学び合いによるテスト」です。すごくおかしなテーマでしょ。多くの教師は、テストといえば、一人で答えを出して、それを教師が採点するものだと考えています。だから、テストの時間に子ども同士が相互作用するなんて、とても考えられないと思います。それを乗り越えよう、というのがNちゃんの研究です。

 ゼミに来た時のNちゃんはだいぶ悩んでいました。つまり、学び合いによるテストでは「教師」が子どもの能力を測れない、という問題にぶち当たってしまいました。Nちゃんは色々と語ってくれました。しかし、それに対して私は以下のように語りました。

私:Nちゃん、なんで教師が子どもの能力を測れないと駄目なの?

Nちゃん:子どもがどんなところが分かって、どんなところが分からないかが分からなければ、それ以降の指導の手だてがつかないからです。

私:子どもは一人一人、多様な誤解を持っているよ。それを40人分ちゃんと評価することなんて出来るの?そんな評価をすれば、ものすごい手間がかかるよ。それに、その手間のかかる評価によって、一人一人、膨大なデータが出る。その40倍のデータが出るんだよ。それを読める?そして、それに対応した指導なんか出来る?少なくとも、私には出来ないよ。Nちゃん、囚われているよ。我々の研究室の考えを思い出してよ。子どもを救うのはまず自分。それを手助けするのは子ども。教師はそれを実現する場を提供するんだ。子どもを救うのは子どもなんだ。だから、テストを通じて、どれが分かって、そんなところが分からないかが分からなければならないのは、まず、本人で、次に周りの子どもなんだよ。周りの子どもが、友達がどんなところが分かって、どんなところが分からないかを知るためには、学び合いによるテストしかないでしょ。

 言い終わった後、それまで不安だった自分のテーマに自信を取り戻し、Nちゃんはウルウルしました。(こういうところも学生さんが可愛いところです) 

 白状しますと、偉そうに諭した私が、分かっていたというわけではありません。Nちゃんとディスカッションするまで、ハッキリしたことは分かっていませんでした。でも、Nちゃんとディスカッションする間に、我々の研究室の考え方で、もう一度考え直すことをしました。その瞬間に私に見えたことを、百年前から知ったように語っただけです。これから、Nちゃんが、どんどん、テーマを膨らまし、深みを与えてくれることでしょう。ワクワクします。

追伸 私自身が自分の囚われに気づいた時、ウルウルなりかけました。しかし、Nちゃんが先手でウルウルしたので、ウルウルをグット我慢しました。皆さんへ、学部学生さんが、私の部屋を目を赤くして出てきたとしても、私が怒って泣かしたわけではありません。誤解がないように。

[]出発点 16:05 出発点 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 出発点 - 西川純のメモ 出発点 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が理科コースにいた時のことです。多くの院生さんから修士論文のテーマの相談を受けました。院生さんの持ってくる最初のテーマは、教材や単元をメインにしたものでした。例えば、「小学校電気教材に関する研究」や「中学校粒子概念に関する研究」のようなものです。それに対して、私は以下のように言います。

 ○○さんのテーマは電気教材というものだけど、それを一生懸命研究して、現場に帰ったら、指導要領の改訂で電気が無くなったらどうする?そんなことは絶対にない、という顔しているけど、そうでもないんだよ。例えば、以前はたくさんやっていた幾何光学は理科から姿を消したよね。それに、日本では絶対にやるオームの法則をやらない国は少なくないよ。でも、電気をやるな、と言っているわけではないんだよ。電気をやるのは何故か?を考えて欲しいと言うことなんだ。例えば、電気を学ぶ意義は、「目に見えない現象を数量的に把握することを学ぶ最適の教材であると考えるならば、テーマは「目に見えない現象を数量的に把握する指導に関する研究」として、副題を「小学校電気教材を事例にして」とすればいいんだ。自分のやろうとする題材に着目するのではなく、その題材の教育的意味を考えるべきだよ。

 と説明します。ただし、修士論文・卒業論文のタイトルは、高度に政治的な意味を持ちます。したがって、「○○教材に関する研究」とする場合があります(そうしないと、怒る先生が理科コースにいたので・・・)。しかし、その場合でも、心の中では、その題材の教育的意味を意識した研究を進めます。

 連休を明けると、直ぐに修士1年の研究題目の提出があります。この時期の研究題目は、全くの仮です。極端な話、「学習臨床に関する研究(その1)」、「学習臨床に関する研究(その2)」、「学習臨床に関する研究(その3)」、「学習臨床に関する研究(その4)」、「学習臨床に関する研究(その5)」でもいいんです。でも、院生の皆さんに、自分のテーマを考えて貰いました。以下がそのテーマです。

 小学校算数科における「学び合い」の有効性と意義

 生徒の科学概念形成のための学び合いの場 ~生徒のコミュニケーション能力を生かした学び合いの場~

 生徒の問題解決の力を高める学び合いの有効性

 中学校社会科による学び合い学習に関する研究

 教科におけるコミュニケーション能力育成の特質について

 以上、多様ではありますが、「学び合い」がキーワードになっているのは、我が研究室のキーワードであるから当然でしょう。でも、一つの特徴があります。それは、久しぶりに、教科の内容に依存する(もしくは強く関連する)テーマが主流となっています。これから、このテーマが2年間かけて変わっていかなければなりません。上記のテーマを本当に教育実践にいかすためには、「小学校算数科は何のために学校教育にあるのか?」、「科学概念形成は何のために学校教育にあるのか?」、「問題解決能力育成は何のために学校教育にあるのか?」、「中学校社会科は何のために学校教育にあるのか?」、「教科は何のために学校教育にあるのか?」ということに自分なりの答えを出さねばなりません。その答えは、指導要領の文言から引き出せるものではありません。その答えは、自分が学校に帰ってから指導する子どもたちに胸を張って「熱く語れる」ものではなく、そして、それを子どもたちが共感するものでなければなりません。

 よい論文のタイトルは、そのタイトルを見ただけで、その研究の目的、そして結果さえも見えるものだと言われます。つまり、タイトルとはこれから2年間かけて作り上げるものです。上記のタイトルは、その出発点です。

04/05/08(土)

[]歓迎会 16:06 歓迎会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 歓迎会 - 西川純のメモ 歓迎会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は新入生歓迎会でした。毎年思うのですが、ひいき目かも知れませんが、我が研究室のメンバーは、私も友達になりたいような人が集まります。昨日は出発点です。これから、どれだけ関わり合い、高め合う文化を創り上げるかは楽しみです。いつもの通り、1次会で家に帰り、息子と一緒に風呂に入りました。2次会は大学に戻ってやったはずです。「邪魔な教師」がいなくなって、じゃれ合いが活性化していることを期待しています。来週は、蕎麦を食べる戸隠ツアーがあります。楽しみです。

[]小旅行 16:06 小旅行 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 小旅行 - 西川純のメモ 小旅行 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 連休中に「よい子」でいたおかげで、家族みんな元気になりました。今日は天気が良かったので、急遽、長野へ小旅行に行くことにしました。息子は電車が大好きです。そのため、電車に乗せてやろうと思いました。つまり、どこに行くことが目的ではなく、どのように行くかが目的です。10時に高田を出発し、16時に高田に戻りました。その6時間中、長野までの往復に3時間、善光寺までの地下鉄と善光寺からのバスの時間が1時間をかけました。つまり、殆ど、乗り物に乗った旅行です。しかし、息子は喜んでいました。我々も、電車の窓から外を見てはしゃいでいる息子をニコニコしながら、のんびりと時間を過ごすことが出来ました。

04/05/07(金)

[]祈り 16:08 祈り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 祈り - 西川純のメモ 祈り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多くの人がそうであったように、青春時代宗教に興味を持ちました。中学校の2年ぐらいから、宗教に関する本を読みあさりました。最初は、聖書釈迦物語レベルでしたが、高校生になる頃には親鸞道元日蓮の著作や法華経の現代語訳、宗教論に関する本を読むようになりました。読めば読むほどわけが分からなくなります。その最大の理由は、偉大な神の存在を、神から見たら「へ」みたいな人間言葉を借りて語っている点です。それゆえ、本当に信じ切れないんです。それでも、亀井勝一郎八木重吉のように宗教に強く影響された本は最後まで引かれました。結局、大学の学部の際に私なりの結論を得ました。それは、人間の測り得ない知恵と力を持つ存在はいるのだろうということです。ただし、人間が測り得ない存在なんですから、擬人化出来るようなレベルではありません。また、人間言葉で、その存在を描ききれるものではないように思います。したがって、世にある多くの宗教の違いも、人間言葉で書かれたレベルなのですから、神から見たらちっぽけな違いなのかもしれない、と思い始めました。例えば、一定のお題目を唱えれば功徳があるとする宗教は少なくありません。しかし、それらのお題目の違いは、人間か聞ける範囲内の狭い音域の違いに過ぎません。そんな違いに拘って、神が、あるお題目を言った人を救い、別なお題目を言った人を救わないと言うようなことは無いように思います。繰り返しますが、神はとてつもない存在である、というのが私の第一の結論です。そして、二つ目の結論は、神は自分を含めた人類を愛しているというものです。この二つ目の結論は、第一の結論矛盾します。だって、人間レベルの「愛している」に神が考えが一致するというのは、神を矮小化したものです。でも、その矛盾を理解しつつ、神は自分を含めた人類を愛しているということを信じています。理由は、そうでなければ、「やってられないから」です。とてつもない存在である神が私たちに無関心であったり、ましてや、悪意を持っていたならば、救いは全くないからです。

 以上は私の結論で、結果として、極めて汎神論に近い感覚を持っています。全ての宗教は、想像を超えた神を、神から見たら「へ」みなたいな人間が捉えた、側面の一つに過ぎないように思います。しかし、一つの側面であっても、それは、それなりの敬意は払うべきものであ り、神の姿をある面では表していると思います。だから、教会に行っても、お寺に行っても、神社に行っても、まったく矛盾無く手を合わせられます。極めて、日本人的とも言えます。ちなみに、私の祈りの言葉は「神様、仏様、ご先祖様」というものです。多神教のようですが、そうでもありません。一神教代名詞であるキリスト教であっても、「神と子と 聖霊」を三位一体として捉えているんです。私の「神様、仏様、ご先祖様」も、三つを並べていますが、三つであり、一つであり、百億、千億でもあり、無限というものです。

 昨日は、息子の生まれた日です。何度も、何度も、「神様、仏様、ご先祖様、感謝します」と祈りました。ど素人の罰当たりな宗教観かもしれませんが、私にはしっくりいっています。

[]子どもに任せるのは難しい!? 16:08 子どもに任せるのは難しい!? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 子どもに任せるのは難しい!? - 西川純のメモ 子どもに任せるのは難しい!? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 よく、現場先生から、子ども話し合わせて任せると大変だということを聞きます。しかし、よく聞くと、子どもに任せるのが難しいのではなく、先生自身が難しくしているように思います。

 例えば、総合学習で教師は何らかの理由で「地域の川を調べよう」というテーマでやらそうと考えます。その時大変なのは、子ども達に自由に話し合わせ、結果として「地域の川を調べよう」というテーマに落ち着くよう、誘うことが大変だと考えているようです。そのような結論に落ち着くよう、事前に色々な話をしたり、活動をさせたり大変です。子ども達の話し合いの動向がずれたりすれば、あわてて修正しなければなりません。子ども達の発想は、どのような方向に行くか分からず、その行きそうな方向に、それなりの伏線を用意しなければなりません。たしかに、とても大変です。だから、子どもに任せるのは大変だとおっしゃいます。では、どうしたらいいのか?簡単です。最初の段階に、子ども達に「地域の川を調べよう」というテーマでやろうと言うことを話せば良いだけのことです。でも、それでは子ども達の自由な発想がいかせられないと言う先生がいます。しかし、教師が設定した狭い結論に無理矢理ひきこむのが、自由な発想なのでしょうか?そんだったら、最初に子ども達に「地域の川を調べよう」にしなければならないと、正直に言う方がフェアーではないでしょうか?それに、そのようなことにエネルギーを費やすなんて非生産的です。むしろ、「地域の川を調べよう」という限定の中で、どれだけ子ども達の自由な発想を生かすことを考えた方が生産的です。そして、「地域の川を調べよう」という限定が本当に必要なのか、もう一度考え直すことの方が、総合学習とは何なのかを本質的に考えることのように思います。

[]仕組む 16:08 仕組む - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 仕組む - 西川純のメモ 仕組む - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学院に関して、西川研究室の2年間の活動には、ある意図があり、仕組まれたものがあります。院生の皆さんは、修士1年の夏と秋に学会に参加し、先輩である修士2年の人の発表を聞きます。これによって、自分が発表するという覚悟が定まりますし、不安が解消されます。そして、この合宿旅行で、より一層仲良くなれます。修士の1年の冬には臨床教科教育学会で、最初の発表をします。そして、修士の2年の夏、秋、冬に学会発表があります。

 うちの研究室院生さんは、修士1年の冬と、修士2年の春に実践研究入ります。そこでデータの山を得ることになります。何もなければ、そのまま、データの山に圧倒され、ずるずると先延ばしにします。ところが、夏の学会があるため、とにこかくにもそのデータの山を使って発表の材料を出さなければなりません。修士2年の春には、そのための申し込みがあります。1ヶ月もたつと、その発表原稿を出さねばなりません。それをクリアーするために、夏の学会までに、なんとか一応のデータ分析をすることになります。学会発表が終わればお盆の時期です。各院生さんは帰省し、のんびりすることになります。何もなければ、そのまんまズルズルとしてしまいます。ところが、秋の学会の申し込み、学会発表原稿の提出、学会発表が待っています。そのため、夏休みが明けたとたんに、データの再度検討が行われます。実は、この秋の学会発表が出来上がると言うことは、修士論文の骨子を作ることとほぼ同じです。秋の学会が終われば、修士論文執筆が始まり、12月までには書き終わります。そのままでしたら、ずるずるしてしまいますが、冬には臨床教科教育学会の発表が待っています。このあたりになると、院生さんもなれたものです。ちょちょいのちょいで発表の用意が出来ます。余った時間に、学会誌への投稿用原稿が出来上がります。そうなれば、最終の口頭試問なんてチョロいもんです。

 以上のようなイベントが「仕組まれて」いるので、指導教官が「論文の仕上がり具合はどう?」なんて、心配しなくても、イベントをこなすうちに自然と質の高いものが出来上がります。そして、その「仕組み」に乗せる過程が、修士1年の学会発表旅行となります。

 非常によい仕組みで、今まで十数年以上、これでやってきています。そして、そうやって「仕組んでいる」ということは、何度も表明していますし、このメモでも書いています。今回も、改めて可視化します。だって、教師の腹の内、手の内は、出来るだけ「さらす」ということは良いことだと我々は信じていますから。そして、そのような仕組みが、場の設定の一つですから。

04/05/06(木)

[]ようこそ 16:09 ようこそ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ようこそ - 西川純のメモ ようこそ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 西川研究室は厳しいことで有名です。M1の人が「西川研究室に入りたい」と言うと、正気を疑われますし、やめた方が良いと言われるそうです。しかし、私、現西川研究室のメンバー、そして、西川研究室以外の人から、色々と脅かされ続けたのにもかかわらず、学部生4人、大学院生5人が新メンバーとなりました。その結果、M2が3名、M1が5名、学部4年が4人、学部3年が4人です。更に博士課程1年にTeさんがいますし、2年のKuさんは実質上西川研究室です。従って、西川研究室の現メンバーは18名の大所帯です。博士、修士1年・2年、学部3年・4年の全てを擁している研究室は、おそらく本学で我が研究室しかなく、その人数から言って、本学最大の研究室であると言って差し支えないと思います。

 我が研究室は過去において、学術的にも、実践的にも最高の実績を上げ続けています。このことは、修士論文・卒業研究論文の成果が反映された、学会における学術論文数、また、学術図書において顕著に現れています。また、新潟県以外の地域からの講演依頼、また、教師用雑誌の依頼原稿の数に現れています。その数の半分にも達する研究室は、本学でも希です。特に、学術成果及び現場における評価の両方を兼ね備えているという点では、圧倒的な成果を上げています。学部3年生や修士1年生の皆さんは、その実績の全貌を知る段階ではないと思います。しかし、それを知れば、圧倒されると思います。しかし、ご安心あれ、それらの実績は、皆さんと同じ西川研究室の院生さん、学生さんが積み上げてきたものです。そして、必ずや、皆さんは、それを乗り越える研究をなしえます!

 あれだけ脅かされているにもかかわらず、それを乗り越えてはいることで、その熱意は既に証明されました。我が研究室の目指す方向性は正しいと信じています。そして、歴代の諸先輩が築き上げた方法論が確立しています。そして、学び合う文化が形成された集団があります。厳しいことは確かですが、それは、自らが判断し、自らに課す厳しさであって、他から強いられる厳しさではありません。そして、その自らに課した厳しさを乗り越えられるだけの、優しさと、楽しさがある集団です。その集団の中でもまれ、方法論を武器にして、より高い次元の文化を形成し、新たな方法論を開発し、そして、過去を乗り越える成果を上げることを信じ、期待しています。ようこそ我が研究室へ。管理人として、心より歓迎いたします。

04/05/03(月)

[]寝連休 16:09 寝連休 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 寝連休 - 西川純のメモ 寝連休 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 春先に息子が引いた風邪を私が受け、連休直前に家内が受け継ぎました。幸い、家内は数日で高熱を脱しましたが、本調子ではありません。息子も、私も、風邪が長引いています。私の場合は、足の異常感がほんのちょっと残っています。ということで、連休中の全ての予定をキャンセルし、寝連休をしています。家族そろって、出来るだけ何もせず、10時間ほど寝ているのではないでしょうか?今日の昼飯の時、家内が「こんな連休もいいかもね」と言っていました。私も同感です。