西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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01/10/09(火)

[]ゴミ増加の理由 14:55 ゴミ増加の理由 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ゴミ増加の理由 - 西川純のメモ ゴミ増加の理由 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前、ポリバケツを作っている会社コマーシャルで、昭和30年代のゴミ収集の様子がテレビで流れていました。ビックリしたのは、主婦がゴミ収集車に持ってくるゴミの量は、スーパーでもらうポリ袋、それも小さめのポリ袋一つ分もないんです。なんで当時はゴミが少なかったのだろうか、一つの謎でした。しかし、最近になってその謎が解けました。

 最近上越市のゴミ分別の方法が変わりました。従来は「燃えるゴミ」、「燃えないゴミ」、「資源ゴミ」、「乾電池」に大別されます。しかし、「燃えるゴミ」は製品(主に食品)包装のための紙とそれ以外に分別することになりました。また、「燃えないゴミ」も製品包装のためのプラスチックとそれ以外に分別することになりました。その結果分かったのですが、燃えないゴミも燃えるゴミも、圧倒的に製品包装に関わるものでした。

 考えてみれば当たり前かもしれません。だって、新聞紙・雑誌以外の資源ゴミ、及び、製品包装以外の紙を探した場合、生ゴミか手紙メモ用紙以外に見あたりません。大学では大量の印刷をするため紙を消費しますが、家で大量の印刷なんてしません。また、木の場合も日曜大工趣味としなければ購入することもありません。耐久製品に木が使われていますが、「耐久」なんですから、そんなに捨てることはありません。同様に家の中のプラスチック製品を探してみると、包装に使われているもの以外は耐久製品に使われているものばかりです。あらためて自分の小さかった時を思い出せば、タッパーなんぞはありませんでした。豆腐は入れ物を持参して買いに行ったものです。

 タッパーによる包装によって金額を記入済みの食品が並ぶようになりました。おかげで、ど素人アルバイトレジ担当することが出来るようになりました。結果としてスーパーのような多売薄利の営業が成り立ちました。結果として、比較的安価で、品揃えの良い店が出現することになりました。こう考えると、ゴミ増加も痛し痒しです。そう考えても困るのは、分別方法が地域によって異なり、また分別基準が曖昧な点です。家内はものを一つ捨てるごとに、市からのハンドブックを片手に悩んでいます。できれば、地域の商店で協力して、商品の値札に番号を付け、それを廃棄する場合の分類を分かりやすくしたらいいのにな~と思います。(案外、いいアイディアだと思いません?)

[]長寿 14:55 長寿 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 長寿 - 西川純のメモ 長寿 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私にとって60歳は「おジーさん」、90歳はすごい「おジーさん」です。いずれにしても「おジーさん」であることには違いなく、大雑把に言って一つにくくられます。

 日曜日番組で「ご長寿早押しクイズ」というのがあります。見てみると、90歳以上のおじいさんが参加していました。その時、ふと、もし90歳まで生きたら、息子は何歳なんだろうと想像してしまいました。我ながら驚いたのですが、息子は40歳に授かった子どもですので、90-40=50歳ということに気づきました。ということは、今の私より年上です。結婚し、子どもを授かっていてもおかしくない年です。いや、早くに結婚すれば孫がいるかもしれません。つまり、私にとって孫、曾孫がいる可能性があるわけです。この一点だけでも長生きする価値はあります。そう考えてみると、あほな答えを連発している「ぼけ?」おジーさんが神々しく思えました。

[]酒量 14:55 酒量 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 酒量 - 西川純のメモ 酒量 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 一番飲んでいたのは大学院の2年の時だと思います。それ以来、下降線をたどっていましたが、それでも結婚前は毎日1升ぐらいは飲んでいました(365日)、それも殆ど何も食べずに。その当時の学部ゼミ生さんなら覚えていると思いますが、飲み会の席で「先生飲んでください」なんて言おうもんなら、「よし、私と同じだけ君が飲むなら、いくらでも飲むよ」とふっかけ、何人もトイレで吐かせたもんです(若気のいたり、恐ろしいことをしていました)。

 結婚を機に、酒量を減らし、食事を一緒にとるようにしました。私にとっては大決心でした。それでも毎日5合ぐらいは飲んでいました。家内から、「何でそんなに飲むの?」と聞かれたことがあります。間髪入れず、「酔うため」と答えました。「酔わなきゃだめなの?」と聞かれましたが、これまた間髪入れず「酔わなかったら酒なんて飲む人いないよ」と答えました。

 年齢の関係で、最近は2合も飲めば十分になってしまいました。また、ある量を超えると美味しくなくなるようになってしまいました(昔は、飲めば飲むほど美味しく感じていたのに)。数年前までは、愚問のように感じていた家内の質問も、共感的に理解できます。むしろ、よくまあ飲んだな~、よく死ななかったな~と感じます(最高潮の時は、一晩かけてですが、2升以上は飲んでいました)。それと、安上がりになったな~と感じます。

[]SFと法華経 14:55 SFと法華経 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - SFと法華経 - 西川純のメモ SFと法華経 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 遊んでいる息子をボーっと見ていると、昔読んだ「幼年期の終わり」というSFと、法華経の現代語訳のことを思い出しました。前者は、人類進化がある段階に達したとき、宇宙人地球に飛来し、さまざまな指導を行います。しかし、人類にとっては、それらの指導の意味が謎でした。しかし、その指導を数世代を受けたある時、人類現在生物の段階を越え、より高い存在になるという話です。思い出したのは、人類宇宙人に指導の意味を問いかけたとき、宇宙人が申し訳なさそうに「説明できない」と言うところです。

 お経は何か分からない呪文のように聞こえます。そのことが気になっていたので、学部学生時代に法華経の現代語訳を読んでみました。読んでみてビックリしました。各章で書いてあるのは法華経がどんなに素晴らしく有り難いものであるかと書いてあります。ところが、その法華経の本体(つまり考え方・実態)は何も書いていないんです。章末のあたりになると、必ず「さあ、これから法華経が語られます」と書いてありますが、それで終わり。次の章も同じ展開です。つまり、小説を例にすれば、小説の殆どが、「この小説は面白いぞ、楽しいぞ」と書かれているが、小説自体は書いていず、最後の方に「それでは本編を始めましょう」と書いてあるが、そこで終わり。正直言って、あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れてしまいました。あれは意味が分からない呪文みたいだからありがたがる人も多いと思いますが、現代語訳で読んでみれば呆れる人も多いと思います。しかし、しょうがないんですね。つまり、仏様のお考えが高度すぎて我々人間には分からないんです。そのため、本当は違うことを承知で、嘘の説明(仏教用語では方便)で説明せざるを得ないんです。

 息子に私の意図を説明しようとしてもなかなか伝わりません。そのため、伝わりやすい説明をします。それが、人類宇宙人・仏様の関係に似ているなと思いました。しかし、同時に逆もあり得ることにも気づきました。息子は息子なりに考えて行動しています。しかし、私には「これこれ何だろうな~」とは想像できるのですが、はっきりとは分かりません。全く的はずれだったために、大泣きされることもあります。認知心理学では、認知達成度にギャップがありすぎるとコミュニケーションが出来ないことを明らかにしています。コミュニケーションは相互的なものです。人類宇宙人・仏様のお考えを理解できないと同時に、宇宙人・仏様も人類の考えが理解できないんではないかな・・と思いつきました。今の私が「息子は何を考えているんだろう、うーん」と考えているように、宇宙人・仏様が「人類は何考えているんだろう、うーん」とお考えになっているように思えてなりません。