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(続)nakajimaの「一期一会」

長野県南部の中学校で社会科の教員をしています。授業公開は日程が合えばいつでもOKです。その際は①参観はできるだけ複数名でお越し下さい。②授業後に授業(『学び合い』)についてお話をする時間を確保して頂けるとありがたいです。③必要であれば異学年学習の公開も可能ですので、希望があれば事前にお知らせ下さい。連絡をする際のmailはnakachiro0402☆outlook.jp(☆を@に)です。よろしくお願い致します(深々と礼)。

2016-10-04

判断基準

20:38

・生徒は、教師の話をきちんと聞いていない

・生徒は、静かに学習していない

・教師は、ただそこにいるだけで何もしていない

・教師は、まとめをしない

・・・等、『学び合い』の授業を公開すると、『学び合い』の一部分を切り取ってご意見を頂くことが多々あります。一斉授業の経験しかない方にとっては致し方がないのかもしれませんが、「あ~、この人も大事な所が見えてないんだな~」ってがっかりした経験が過去に何度もあります。

しかし、これって『学び合い』だけのことなのでしょうか?。普段の学校生活の中で「見えていないこと」ってないのでしょうか?。

・厳しい指導「だけ」を切り取って、その教師を評価する

・行事等の準備の忙しさ「だけ」を切り取って、その行事自体を不必要であると判断する

・自分の担当授業の姿「だけ」を切り取って、その生徒を評価する

判断は経験から見い出されます。その経験は自分自身の経験からということになります。しかし、自らの経験から導き出される「判断基準」が本当に公正で適切なのでしょうか?。私は「そうじゃないかもしれない・・・」という視点を持たなければいけないと日々感じています。特に『学び合い』に邁進し、周囲とぶつかり続けた経験からその思いがとても強いです。

自分の判断が本当に正しかったのかを生徒の姿から判断しているのか?

自分の判断が本当に正しかったのかを同僚の姿から判断しているのか?

ここ数年、私が特に気をつけていることです。また、先日家で息子たちと話をしていた時、こんな会話がありました。

「運動会の組体操の練習、大変で疲れる。それに先生は厳しいしさ・・・」と言う息子に

「何でそんなに練習するの?」と私が聞くと

「本番で成功させるため」と息子は答えます

「じゃあ、お前たちは本番は成功させたいんだ」と私が言うと

「最後の運動会だし、きちんとできた方が格好いいし・・・」と息子は答えます

「ふ~ん・・・じゃあ、なんで先生たちは厳しいの?」と私が聞くと

「それはケガしたらダメだから。ちゃんとやらないとケガするし。それにケガして出られない人がいたら学年の組体操じゃないし・・・」と息子は答えます

「ふ~ん、組体操の練習が大変で先生たちが厳しい理由は分かってるんだな。じゃあ、頑張るしかないな」と私が言うと

「うん・・・まあね」と息子が答えました

息子との何気ない会話の中にも「確認(合意)」が存在します。「運動会の練習は時間がかかって大変だ」という見方もできますが「子どもたちが1つの目標に向かって努力する場である」という見方もできます。どちらが正しくてどちらが間違っているということではありません。大事なのは子どもたちがどう感じているのかということです。大人の都合で「判断」を誤ってはいけないと私は思っています。また、それぞれの活動についてその目的をきちんと語る力が必要なんだと思います。

可能性

20:11

先週末は所属校の文化祭があり、一応(?)来賓として慰労会に参加しました。昨年まで同じ学年でお世話になった先生方も来ていて、とても楽しい時間を過ごすことができました。会の中で、来賓はそれぞれ近況報告をしました。私も大学でどんな研究をしているのかや他の学校で授業をさせて頂いていることなどを話しました。その後、歓談の時間があったのですが、ある先生から「iku-nakaさん、アクティブラーニングの授業をしてみて、その必要性を1番感じた校種ってどこ?」という質問を受けました。そんなことを聞かれるなんて思ってもいなかったので「う~ん・・・」と考えながら「やっぱり高校ですかねぇ~」と答えました。

もちろん、小学校であっても中学校であっても『学び合い』の必要性は感じますし必要だと思います。しかし、その必要性と可能性の高さを考えた場合、やはり高校が1番なのだと私は思います。

学び合い』では、普段の授業の中で「知識」と「社会性」を身に付ける事が可能であると考えます。高校生くらいの年齢になれば、自我がある程度自分で認識でき、社会に出て必要な他者との関わりについても考えられるのだと考えます。『学び合い』で言われる「得」や「損」の話についてもより具体的に理解できるのが高校生ではないかと思っています。もちろん、高校を卒業すれば社会に出て働く生徒もいる訳で、そういう意味でも『学び合い』で求められる力は高校生により求められるのではないかと思っています。

学び合い』は経験年数の他に実年齢と比例関係にあるのではないかと勝手に思っています(もちろん、全ての生徒に当てはまるとは思っていませんが・・・)。『学び合い』が継続して行われていれば、上級生の学びの方がより良いものになります。そういう意味で、高校での『学び合い』にはものすごい可能性があるんじゃないかって思うのです。大学進学「だけ」を目指しているような状況ではまだまだ難しい面があるとは思います。私たち教師が「生徒を大人にするという視点」から日々の学習について考える必要があると、改めて思いました。