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(続)nakajimaの「一期一会」

長野県南部の中学校で社会科の教員をしています。授業公開は日程が合えばいつでもOKです。その際は①参観はできるだけ複数名でお越し下さい。②授業後に授業(『学び合い』)についてお話をする時間を確保して頂けるとありがたいです。③必要であれば異学年学習の公開も可能ですので、希望があれば事前にお知らせ下さい。連絡をする際のmailはnakachiro0402☆outlook.jp(☆を@に)です。よろしくお願い致します(深々と礼)。

2016-05-18

やっぱり「生徒の姿」からなんだろうな・・・

10:48

昨日の話で、自分の中でもいろいろ思いを巡らせていたのですが、静岡のRXさんから(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/rx178gmk2/20160518)というご意見を頂きました。確かに、『学び合い』(だけじゃないのか?)は生徒の姿を教師がどれだけ看取れるかが大きなポイントになるのだと思います。それも、見ている方々に分かるように説明するという部分も含めて。そんなことを考えている時、昔のことを思い出しました。

学び合い』を始めて1年半。私は郡の研究授業(所謂、教育課程ってやつです)を『学び合い』で行いました。本番の授業が9月で、その事前授業として7月に地理の「身近な地域の調査」の単元で授業を行いました。M先生をはじめてとして、たくさんの方に授業を見て頂きました。

授業が始まる前から活動をしていた生徒達をいったん席に着かせ、本時の課題を説明した後、私はある生徒に「『みんなで』ってどういう意味ですか?」と聞きました。何か意図を持って聞いたのだと思いますが、その意図は・・・すみません、忘れちゃいました(汗)。聞かれた生徒はその時「どこのグループが持っている情報も、みんなが知っていて、知らないってことがないってことです」なんて答えたような気がします。曖昧な記憶ですが・・・(大汗)。こういう姿は一斉授業では見られません。つまり、やはり生徒の姿から愚直に語るしかないのだと思いました。教師側からの議論は、『学び合い』を「指導法」にしてしまう危険性を持っています。当たり前ですが、授業は「生徒の姿」がスタートだと、改めて感じました。

rx178gmk2rx178gmk22016/05/19 06:14コメントしていただきありがとうございます。戻るところに戻り、今を考えることはとても必要で大切なものだと思います。戻ることが実は、広がりを作り、前に進む力にもなるのだと思います。長野での群馬木ゼミ(?!)行きたいのですが…前の日と次の日に用事があって難しいです。ただいま考え中です。

iku-nakaiku-naka2016/05/19 10:14rx178gmkさん
コメントありがとうございます。ゼミでは、自分が「当たり前」だと思っていることについて、もう一度考える機会を頂いていると思っています。
追伸、出張木セミでお待ちしています。無理のない範囲で結構ですので。