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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
ご連絡はkochimana7☆gmail.comの☆を@(アットマーク)に直してお送りください(迷惑メール対策です)。

2017-10-26

うれしい投書 19:55

ある新聞に、本校児童が子ども記者となって、全校算数のことを紹介した記事が1学期に掲載された。


さらに、その記事を読んで、本校の近所に住まわれている85歳の方が投書をしてくださっていた。


学校全体のいくつかの活動を挙げながら評価してくださっていたが、その中で、全校算数に関する部分を抜粋させていただく。

**********


ー前略ー

〇〇記者の「みんなで算数力アップ」の記事は、先生に頼らずみんなで教え合い、一人も見捨てず協力しあって目標を達成する取り組みです。

 教えてもらう受け身の学習ではなく、自学自習の大切さを身につけるよう、先生たちは試行錯誤され、子供たちに目標を達成した時の喜びや、感動を共有する幸せ、人権の大切さなど指導されている様が、目を輝かせて予習に取り組んでいる子ども達の笑顔に表れています。先生の教えはワクチンのようなとこがあり、すぐ役にたつことがなくても、心に刻まれた教えは大切な財産になるでしょう。


ー後略ー


**********


この学校に来て、全校で『学び合い』に取り組み始められたことに本当に感謝している。

自分だけの力なら、『学び合い』はただ自分のクラスだけで終わってしまっていた(最近、つくづく、自分一人の力の小ささを痛感しているところ)。


全校で取り組み始めることに賛同(…どころか、強力な後押し)してくださった校長先生をはじめ、柔軟に受け入れてくださった同僚の方々、そして、その後も、新たに本校に来てくださり、取り組みを引き継いでくださった先生方のおかげ。

今回、また、改めて近所の方達にも温かく見守られていることを感じられてよかった。

2017-09-17

高知での『学び合い』の会 10:31

昨日、高知市内で開催。

特別な講師をお招きしての会ではなかったのだが、14名の参加。

台風接近中でもあり、キャンセルの方もいた状態でのこの人数はとてもありがたかった。


学び合い』への関わりについてはほぼ知らない方をはじめ、様々な方々が集まってくださった。


ものすごくパワフルな実践を紹介してくださる若手の先生の報告もあって、とても参考になった。

若手の方々の参加が目立った。

資料もしっかりいただいた。


教師ではない方の、企業人としての視点からの発言も、話を広げ、深めていただけた。



自分自身も、引き続き取り組んでいく気持ちを高めることができる会になった。

あらためて、学び続ける、学び合い続けることは止めてはいけないと思えた。


アウトプットする場があることは、やはり大切。

インプットするモチベーションも上げられる。

大人も、子どもも。

minifminif2017/09/18 17:09先日は、ありがとうございました。
台風の日に当たらなくてよかったです。
パワフルな若手の先生から、かなりの刺激を受けました。自分もあれくらい堂々と話せるような実践を重ねていかなければ、と思いました。
教師以外の方も参加されているので、本当は授業に限らずもっといろいろな話ができるといいのだろうとは思うのですが、これから『学び合い』を始めようという方が多くおられる場合は、やはり授業のことが中心になるのは仕方のないことかな、と感じました。

jun24kawajun24kawa2017/09/19 07:12あるんだったら、連絡してくださいね。宣伝します。

daitouirukadaitouiruka2017/09/20 06:05minifさん、ありがとうございます。
台風の迫る中、県外からよくお越しくださいました。
会の後も、他の方々を交えて一緒に食事できてよかったです。
本当に、かなりの刺激を受けますよね。

ご要望もありましたので、教育全般についての話題を扱うことには変わりありませんが、次回は会への呼びかけもさらに学級経営に焦点を当てた内容にしていきたいと思います。

jun24kawaさん、ありがとうございます。
重要なことが抜かっていました。
以後、よろしくお願い致します。

2017-08-27

学び合い』を続けながらも、ずっと引っかかっていた思いが 13:52

学び合い』に出会う前のことから。


卒業した後の、何人もの教え子から、

「中学校はいやだ。周りの友達も、先生も自分のこと、小学校のときのように分かってくれない。」

という言葉を聞いていた。

そして、とうとう、学校に通えなくなってしまった子ども達も何人か…。


はじめの方こそ、

「中学校の先生、もっとちゃんとしてよ。」

などと思っていたが、あまりにも続くので、

「いや、違う。これは、誰かが気を利かせて分かってやらなければ思うように生きていけない子を、私自身が育て続けてきただけなのだ」

という考えに至った。


「でも、どうすれば?」

というところで、何も方法が浮かばないまま、ずっと悩んでいた。


それが、『学び合い』に出会い、教師とよりも、子ども達どうしでつながることの大切さに気付かされた。

そして、みるみる人間関係が向上していった。


「これでやっと、自分の手を離れた後も、元気に学校に通えるようになる。」



そう思えてうれしかった。


しかし、それは、良くなったとはいえ、全員ではなかったのだ。





卒業し、中学2年になる頃、とうとう、ある女の子が教室に入らなくなってしまった。

詳しくは書けないが、通常の状態よりも、学校生活の環境が大きく変わってしまった要因は確かにあった。


それでも、何とかなるのではないか、という期待はあった。


しかし、そうではなかった。


担任していた頃、『学び合い』が大好きで、本当に毎日楽しそうに学校に来るようになった。

仲間関係も向上し、学習も目に見えて伸びてきた。


しかし、彼女の中学校に入ってからの様子を見ると、

「あの子にとって『学び合い』は何だったんだろう?」

と思うようになった。


実は、『学び合い』に出会ったことが、彼女にとって望ましくなかったのか?


いや、私が『学び合い』と思って実践していたことは、実はまがい物で、何かとんでもない勘違いがあったのではないか?


中学校の先生方が、『学び合い』をしてくださったら、あるいは…とも思ったのだが(『学び合い』については、一定伝えている)、それだと結局、「周りが自分にとって理想的に思えるときだけ、私はOKでいられる」という、以前と変わらないことになってしまう。


1年間では、足りなかったのか?

それとも…???



堂々巡りのそんな思いが頭にこびりついて離れないようになっていた。


だからと言って、『学び合い』をやめてしまうと、多くのメリットもなくなってしまう。

それをなくしてしまうと、現状より良くなるとはどうしても思えないのだ。

そんな思いを抱えたまま、『学び合い』を続けていた。


彼女には卒業後も何度も会っていた。

小学校の時の友達といっしょに時々学校に来てくれていたのだ。


そのたびに、私が気になっていることを直接彼女に聞きたい思いでいっぱいだった。


でも、せっかく来てくれたのに、もしかするといやな思いをさせてしまう可能性を考えてしまって、いつもなんとなく聞きそびれてしまっていたのだ。


お母さんには、思い切って聞いてみたことはある。

「ひょっとして、小学校の時、楽しそうに見えていたけど、つらい思いをしていたこともあったのでは?」

と。

すると、お母さんは、

「そういえば、周りが楽しそうにしていたとき、実はついていけてない時もあったって言いよったことがあった。」

と教えて下さった。


ショックだった。

「ああ、やっぱり、私が無理をさせていたのかもしれない。人に気をつかう優しい子だから、みんなが喜ぶからと、様々なことを我慢して付き合ってくれていたのかもしれない。その我慢がずっとあって、それが中学校で出てしまったのかもしれない。」

そんな思いが頭をもたげてきた。


そして、そのころから、「同調圧力」という言葉がずっと気になるようになっていた。


そこで、書籍やネットを調べたり、西川先生や、心理学の先生にもそのことについて直接お聞きしてみたりもした。

以前もそのことについてまとめて書いたことがあるが、人が集まれば「同調圧力」は生まれるものであり、そしてそれはいつも悪いわけではなく、プラスに働くことも、マイナスに働くこともある。

助言もいただいて、納得できそうではあった…が、結局のところ、彼女本人の思いは聞けていないので、それは私の憶測でしかなく、どうしても「すっきり」とまではいけないままだった。


登校はしていたが、教室には入れないままだった彼女は、勉強にも身が入らず、どんどんついていけない状態になっていた。


しかし、中学卒業前になって、高校には行きたいという思いが湧いてきた。

そして、家からは通えないが、私学の、ある高校に入れることになった。


その学校の教育方針で、進学校でもあるのだが、それまで学校に通うのがつらかった子ども達も、もちろん無試験というわけではないが、通う気にさえなれば、受け入れてくれる学校があったのだ。


そして、高校の1学期が終わった夏休み。

彼女はまた、私をたずねて来てくれた。


今回も小学校時代の友達と来てくれる予定だったが、どうしても、私の予定とは合わず、1人だけになったが、来てくれたのだ。


家と小学校が少し離れているので、お母さんが車に乗せて一緒に来てくれた。


その時、数分お母さんとも話ができた。

学び合い』の話になったとき、お母さんは、

「別の学校の人やけど、私が夜行きよるスポーツクラブで一緒になる人が、〇〇小は、全校で算数とかしよるがやろ?ええ取り組みみたいやねって言いよったで。」

と、うれしい情報をくれた。

3人で少し話した後、お母さんは仕事があったので一旦いなくなった。



そこで、2人きりになった(日直の私以外、たまたま誰もいない状態だった)。


だから、思い切って今、彼女とじっくり『学び合い』について話し合ってみようと思った。

それは、今回出会ってすぐ、

「あー。また『学び合い』やりたい!」

と言ってくれたことも後押ししてくれたからだ。

少なくとも彼女は、『学び合い』を負の体験にはしていないのだ。

「今でも全校『学び合い』の日に帰って来て一緒にしたい。」

とまで言っていたぐらいだ。

彼女達が、全校『学び合い』導入の時の初代の最上級生なのだ。

「まあ、もう、高学年の勉強は忘れちょるかもしれんけん、下級生と一緒に学び合うことになるやろけどね。」

と笑っていた。


話は本音できちんと話し、聞いていった。

担任していた当時から、「手の内をさらす」ようにしていたので、なぜ『学び合い』をするのかなどは話していたが、それから数年の彼女なりの体験を経て、高校1年生になった今、もう一度さらに突っ込んで話してみたかった。


私がなぜ『学び合い』を選んだのか、その中で何に喜びを感じ、彼女のことを含めて何に悩んできたかも正直に話していった。


彼女はずっと、真剣に、または、楽しそうに、笑いながら話を聞いてくれたり、話してくれたりした。


話し合う中で彼女は、

「小学校で『学び合い』をした1年間は自分にとって大切な経験だった。」

と言ってくれた。


そして、お母さんから聞いていて気になっていた、

「周りが楽しそうにしていたとき、実はついていけてない時もあった」ということについても聞いてみた。

すると、

「ああ、あれは、ちょっとはそんな時もあったけど、そんなことも含めてあの1年はうんと大事な1年やったと思う。みんなが、ぐっと近くなれた1年やったし、いろんなこと深く考えれるようになったと思う。」

ということだった。


彼女が教室に入らなくなったとき、「誰かに何かをされたとかいうことは全くない」ということで、私から見ても、「入れない」というより「入らないことを選んでいる」という印象だった。


よく考えると、『学び合い』に出会う以前に私が悩んでいた時とは違うことが確かにあった。

それは、彼女が教室に入らなくなった時でも、小学校時代の友達とはずっときちんとつながっていたということだ。


彼女は、

「小学校の時の『学び合い』をしたあの1年がなかったら、教室に入らんなってから、誰とも連絡もとろうとは思わんかったと思う。Aちゃんとも、Bちゃんとも、…」

と言った。


そうだった。

私は、

「教室に入らなくなった」

という現象だけを大きく見て、

「教室に入らなくなった状態でも、ずっと彼女を気にし続けてくれて、彼女自身もきちんとつながっていたいと思える友達を作っていた」

という事実をしっかりと見ていなかった。


いや、実は、ありがたいことに、そのことは、友達も、保護者達もずっと私に伝え続けてくれていたのだ。

でも今回、本人にきちんと言葉で聞けたことで、やっと「彼女自身もそのことを支えにできていたんだ」と心底思えた。


今、冷静に考えれば、彼女は『学び合い』をしたかどうかは関係なく、教室に入らなくなっていた可能性はあったのだ。

でも、それは、いくら考えても推測の域を出ない。


しかし、いずれの場合であっても確かだと思えたのは、

「一緒にいるから気にかけてくれる友達」

ではなく、

「どんな状態であっても気にかけてくれる友達」

を得られることが、どんなに貴重なことか、ということである。

彼女はそれを、あの『学び合い』をした1年で得られたと思ってくれていたのだ。


先に、教室に入らないことを「彼女が選んだ」と表現してみたものの、その間、彼女自身はもちろん、周囲の人達もずっと心をくだいてきたことは確かで、手放しで「よかった」などと言うつもりはない。

が、もう体験してしまって変えることのできないこのことを、しっかりと「よかったこと」と意味付けられるようにするのは、彼女自身だ。

そんなことも話した。



ところで、中学校時代ほとんど勉強をしてこなかった彼女が、1学期の成績がわりとよかったということだった。

クラスでの順位も言ってくれたが、なんとわりと上位。

「え?なんで?」

と、私も驚いた。

「うーん。とにかく、国語が特によかった。漢字はやっぱりあんまり書けんけどね。本読む時間があったけん、読みよったし。何か、考えを書くのがわりと書けるがよね。」

「まー、いろんなこと考える時間はあったけんねー(笑)。で、どんな本、読みよったが?」

「推理小説やけどね(笑)。」

「ん。そりゃ、頭使わんかったら読めんね。」

「それから、数学も、中学校の勉強、さっぱり頭に入ってないがやけど、思ったより…。」

「どうしてやろ?」

「んー。分からんとき、分からんって聞くのに抵抗が全然なくなったからかも。」

「ふーん。あ、それって、誰にいつ聞くが?」

「先生に。授業中。」

(まあ、先生が『学び合い』をしていないから、分からない時に自由に友達には聞けない。)

「おー。すごい。」

ずっと教室にも入っていなかった彼女が、である。

「ねー。絶対、小学校の時『学び合い』してなかったら、そんなこと私には無理やったで。」



彼女は今回来てくれたとき、初めにも言っていたが、話の途中でも何度か、

「先生。また『学び合い』したい。」

と言っていた。


でも、彼女は高校で、特に先生が『学び合い』をしなくても、きちんと『学び合い』の経験で目覚めた力を生かしていたのだ。



「分数のたし算・ひき算ができる」というような、教科の個別の知識だけではなく、最も伝えたかった「学び方(課題への向き合い方)」をしっかりと身につけ、活用しているのだ。

そのことを彼女にも伝えた。


「高校でも、ちゃんと、『学び合い』しよるいうことやん。」

「まあ…、まだ、人に教えれるほどじゃないけどね(笑)。」


確かに、授業中の動きに制約があることもあって、小学校のときのようには動けないにしても、「ほんとうに分かる」ということを大切にして、今ある条件の中でできることを考えて、自分から動いているのだ。

学び合い』で培った心は生きている。


付け加えて、彼女からの情報。

友達のA子も、中学校では英語に興味を持ち、驚くほどいい成績をとっているそうだ。

※A子は『学び合い』をする前は学習への苦手意識が強かったが、『学び合い』を始めてから、分からないことを素直に「分からん。教えて。」とバンバン聞けるようになって伸びてきた。生活拠点の関係で1人で別の中学校へ行った。高校も別。

A子は以前、本ブログでも書いたが、私が担任して『学び合い』を初めて体験した日、泣いてしまった子。内心焦ってしまったが、実は「うれしかった」らしい。



今回、彼女と会話しながら、私は何度も、

「正直に言ってもらった方がうれしいから、先生が傷つくと思って、先生に合わせてくれんでもええけんね。」

と確認しながら聞いた。

そのたびに、彼女は、

「それはないよ。正直に言うけん。」

と笑って言ってくれた。


気がつくと、何時間も話しこんでいた。


帰った後も、

「楽しかったでーす!また会って話してください!」

と、わざわざメールをくれたぐらいだから、お付き合いじゃなく、まあ、彼女にとっても、とりあえずいい時間になったのかな、と安心した。


私としては、今日のこの時間は、ずっと引っかかっていたもやもやとした思いが晴れたような気がして泣けるほどうれしかった。




しかし、これは、あくまでも「彼女の場合はそうだった」ということでとらえておこうと思う。


「そうでない場合もあるかもしれない」ということは、これからも頭に置いておきたい。


だからと言って、本人に代わって直接何かをしてあげるというわけではない。

が、やはり、頭に置いておかなければ、「みんな」の意味をはき違えた「同調圧力」が、負の暴走を始めてしまう危険性があると思う。

bunbun-hbunbun-h2017/08/27 21:39自分のクラブずっと続けててよかったなあと、このブログ読んでいてしみじみと思いました。(このブログの内容と直接につながることはないのですけど、それでもやはり・・・)

munehiromunehiro2017/08/28 21:35深い
四国の同志は、スーパー『学び合い』人になっている。
文章読んでるだけで、四国弁がふと聞こえました。

janglejapjanglejap2017/08/30 22:02どきどきしながら読みました。・・・よかった・・!!

daitouirukadaitouiruka2017/09/17 11:38bunbunさん。ありがとうございます。
続けること。
思えば小さいころからずっと自分のことを「三日坊主」とか「熱しやすく冷めやすい」子だったと思います。
いえ、今でもやっぱりそうなんだと思います。
でも、そのおかげで、いろんな情報を得ることができました。
…でも、やはり、自分には、ちゃんとした、確実なものが身についていってない、自分の中で熟成されていないという「中途半端」感がいつもあります。
bunbunさんの「続ける」力にはいつも頭が下がります。

munehiroさん、ありがとうございます。
大阪で久しぶりにお会いできて本当にうれしかったです。
あの日は無事帰ることができましたか?

ところで、全く「スーパー」になんかなれていない自覚があり(これは、人様と比べてなんておこがましいことではなく、自分自身の中で、今までの自分を「超えて」いるかどうかです)、悩み続ける日々です。
根が怠け者の私は、こうして他者とつながらせていただくことで何とか動けています。
また、動く燃料をいただけました。
感謝です。

janglejapさん。ありがとうございます。
わたしも、どきどきでした。
でも、きちんと対話することで、また新しいことが見えてきました。
勝手に想像して悶々としたって確かなものは生み出せない。
自分の中でも、相手の中でも。
対話は大事ですね。
私の中だけでなく、彼女の中でも、私と対話する前と違った何か、ちょっとでもいいものが生まれてくれていたらうれしいのですが。

ところで、大阪の会の大会場で隣の席になった女性とホワイトボード・ミーティングをさせていただいたのですが、その方は、janglejapさんに『学び合い』のことを教えていただいて、実践をしているとおっしゃっていましたよ。
何かうれしかったです。

janglejapjanglejap2017/10/15 20:40わぁ!本当ですか?とてもうれしいです!
それをdaitouirukaさんが何かうれしく感じてくださったことも嬉しいです♪
どなただろう~~?

daitouirukadaitouiruka2017/10/16 05:43ご自分のお子さんの成長を感じたというほっこりするエピソードを話してくださった優しい雰囲気をお持ちの方でした。

自分が動いたことで、誰かがそれを受け入れてくれて、新たな動きを始めてくれるってうれしいですよね。

toukonyukitoukonyuki2017/10/16 09:31こんなふうに『学び合い』の根が伸びていることを実感できることもあるんですね。見えないものでも、あるんですね。心に沁みました。ありがとうございます。勇気をいただきました。

janglejapjanglejap2017/10/16 21:22toukonyukiさん、「見えないものでも、あるんですね」私もそう思いました。
最近、無力・・を感じていましたので、そう思えることでものすごく元気になれました。
daitouirukaさん、toukonyukiさん、ありがとうございます。

2017-08-26

9月16日(土) 高知市で『学び合い』の会を開きます 16:00

お誘いします。



2017高知『学び合い』を学ぶ会9月の会


1.日時  2017年9月16日(土)13:00~15:30

  ※途中参加、途中退席はご自由に


2.会場  高知市立朝倉第二小学校(第一会議室)

      住所:高知市若草南町23-56


3.主催  高知『学び合い』を学ぶ会


4.内容

 ・自己紹介の後、参加者の持ち寄った情報や課題についての学び合い

  ☆目標は、「参加者全員が、情報交換や課題の解決ができる。」


5.参加費  無料

  食べ物・飲み物は必要な方はご持参ください(差し入れは大歓迎です)


6.申し込み方法 インターネットの「こくちーず」からお願いします。

  http://kokucheese.com/event/index/484686/


ともに学び合ってみませんか?


 『学び合い』の話題が中心になるとは思いますが、あまり限定はせず、教育全般についての情報や悩みなどについて学び合っていきたいと思いますので、ご遠慮なさらず話題提供していただければありがたいです。


学び合い』、または、教育に関心のある方は、どなたでもご参加ください。

bunbun-hbunbun-h2017/08/26 19:40懐かしき名の「朝倉」!
当日は行けないけど、いま行きました♪

aogachiru1981aogachiru19812017/08/26 21:01行きたい。青春の5年を過ごした朝倉。
何としても行きたい。
でも、その日、自校の運動会。
で、行けない。ごめんなさい。

daitouirukadaitouiruka2017/08/27 14:25お二人とも、ありがとうございます。
うーん。でも残念。
またの機会を楽しみにしています。

で、「朝倉」!
先日久々に大学に行きましたよ。
随分変わってしまっているところがありました。
でも、サークルの部屋はまだ残っていました。
入る勇気はなかったですけどね。
学食で昼食も食べました。
思い出の場所です。

bunbun-hbunbun-h2017/08/27 21:37今から7年ぐらい前のこと、大学の学生会館の書店などを眺めながら娘の受験が終わるのを待っているときに「う~ん、勉強したい!」となんだか強く感じたんです。そうしたら娘は合格して(ちなみに娘の方は最初は進学先が高知になったのは不本意だったんですけど、最終的にはベストだったと思っていると思うのです)、私の方はそれから高知『学び合い』の会に2回も参加したり、武道館で古武術したり、県教委の2次会に3人(内1人はN教授)で乱入したり、高知マラソンも走ったし、実際には子だけでなく親の方もしっかりと勉強できた4年間になったのでした。
(市内から朝倉まで歩いたこともあるなあ)

2017-08-08

第13回 教室『学び合い』フォーラムin関西に参加③「個にとらわれない」ということについて 13:47

パネルディスカッションの時、会場から出た質問。

確か

「課題ができない子に、別の子が関わろうとしたときに拒絶する場面に出会ったが、どうしたらよいか?」

というような主旨の質問だったと思う。


私ならどうするかなー?

と考えてみた。


私の中で、「個にとらわれない」ことと、「個別の案件は扱わない」こととは違う。


「個にとらわれない」という言葉を「一切触れない」みたいに解釈すると窮屈になる。


トラブルが起きた時、一切介入しないのではなく、子ども達が道筋が見えなくて行き詰っている時や、私が伝えたいことを伝えるためにちょうどよい例になると思えた時、

「こんなアプローチの仕方もあるけど、どう?」

と、選択肢として示すことはある。


これは、個別の案件に対症療法で当たるためではなく、今後生きていくうえで、みんなに役立つと思えるものを根治療法として提案するためだ。


だから、個別の案件を話しつつ、みんなが今後の生き方について学び合えるように持って行きたい。



まず、大きな方針として私がいつも持ちたいと思っていることは2つ。


この課題を解決することを通して、どうすれば

「自分(達)には能力がある」

「人々は仲間である(これは、1人も見捨てないことにもつながる)」

と思ってもらえるようになるかな?

という観点から対応を考えること。


持って行きたい雰囲気は、

「ああ、自分もみんなも、今この問題に出会えてラッキーだったな。みんなで考えることができて、自分もみんなもハッピーになれたな。」

「これから、もしこんな状況になった時(相手が同じでも、違っても)、今回学んだことが使えるな。なんかむしろ楽しみだな。」

みたいな感じに。


裁判のように、

「どちらがどれだけ悪かったか」

などという「量刑の場」にはせず、どちらも、

「ここから何を学ぶことができるか」

「次からどう行動してみたいか」

という「学び合える場」の視点で。

相手が悪いかどうかはともかく、あなたにとって「都合が悪い相手」にはこれから先も必ず何度も出会う。

そんな人を避け続けたり、無くしたりすることは現実に会わない。

だから、そんな相手とどう折り合いをつけるかを学ぶいいチャンスにして練習しよう、と。


例えば、

「お前になんか習いたくない。」

みたいな言葉が聞こえた時、上記のような考え方を子ども達の実態に合わせて伝えつつ、その言葉の中にある「善意(良い側面)」を探してみる。


「そうかー。それは何とかその問題をきちんと分かりたいという気持ちの表れとも言えるよねー。」

とか。


こういったアプローチの仕方も、きちんと種明かしして子ども達に伝える。

そして、もしうまくいって気に入ったら、今後、私がいなくても、そういうアプローチが自分達で出来るようになるといいね、と。


表面に現れたマイナスの言動に惑わされず、相手の本当の願いをキャッチしようとする姿勢と技術を身につけてほしい。


「□□ちゃんより、〇〇ちゃんがいい。」

などと言ったとしたら、

初っ端から

「そんなこと言うもんじゃない!」

と言うよりも、

「へー。○○ちゃんのどんなところがええの?次にあなたと学び合うとき参考になると思うから知りたいんやけど。」

などと、相手のニーズをうまく聞き出すということにも目を向けてもらう。

「これは、いろんな面で絶対役に立つから。例えば、普段の人付き合いとか、将来働き出した時とか。」

などと、「自分の得」になることも入れつつ。


ただ、その時の本人の要求が、自己中心的であったり、理不尽であったりする場合は、それを受け取った相手の考えや気持ちも聞いてもらう。

相手にも、自分と同様、立場も感情もあることを知ってもらう。

また、互いの認知にはズレがあること、同じ物を見聞きしてもそれに対して沸き起こる考えや感情は多様であることも知ってもらう。

逆の立場だったら自分ならどうかなどということを確認することもあるだろう。


具体的には、

・一方の行動と、その時の気持ちや意図を確認する。

・それを受け取ったもう一方のとらえ方と、その時の気持ちを確認する。

これを、事実確認と併せて、交互に、丁寧にしていく。

できれば、冷静に、ホワイトボードなどに言葉にして書き、みんなに見えるようにする。

そして、書き出されたものを見ながら、どちらが悪いかの判定ではなく、

「自分が、どの時点でどのような言動をとれば、次からこのようなトラブルに発展しないか」

ということを、他のみんなの意見も聞きながら、それぞれが確認する。

そこで確認されたことは、今後、他のみんなも使えるようにする。

今後は、自分達だけで解決できるようにね、と伝えながら。



あくまでも、「両者」が前向きな気持ちで、今後とりたい行動を考える。

不適切な行動を取った子だけを反省させることもありがちだが、不適切な行動を取られた子だけをいつも折れさせる(折り合いではなく)ようにすることもありがちなのではないか。

折れてくれる子は、全体の状況が見えて、ある程度我慢できる子が多いからだ。

しかし、それが続くと「本人は悪くないのか」「なんで周りの者がいつも気を使って折れなければならないんだ」という不満もつのってくる。

それは双方にとって、現在も未来もとても不幸なことだ。


だから、発言した本人にも次からの「より適切な行動」について学んでもらう。

「相手の声掛けを断るのは悪いから我慢してとにかく聞け。」

なんてことは言わない。

でも、

「断るにしても、上手な断り方はどんなのだろう?」

とみんなに問うてみる。


たとえ、今の自分には合っていないサポートでも、少なくとも「自分のために声を掛けてくれたこと」に対して、感謝することの大切さに気付いてもらいたい。

そのうえで、相手を傷つけない断り方とか、自分の本当に欲しいサポートをきちんと伝える方法とかを探っていく。


これは、抽象的な言葉だけでなく、実際に具体的な言葉に出して練習するようにしている。

できればロールプレイで楽しくやるのもよい。


まず、

「声、掛けてくれてありがとうね。」

と。

そのうえで、「でもね。…(断る理由や、もう少しこうしてくれたら助かるなどの要望)」

と上手につなげる。

これをしておくとしておかないでは、実際の場面にまた出会ったときに活用できる率が格段に違うと思う。



それが、みんなに学んでもらいたいことだ。

状況が変わった場合は立場が逆転することもあるから、どっちもできるといいね、と付け加えて。


次に、また同様の場面になったとき、少しでもそれが活用できて、よいコミュニケーションになったなら、話し合ったみんなで喜び合える。

もし、それがうまく活用できなくても、1度は話し合っているから、次のチャンスを励まし合いながら楽しみにする。

うまくいかないことが続くようだったら、その案が自分達にはぴったりこないという実験結果が出たんだから、別の改善案をみんなで考える。


こんな感じになると思う。


まあ、いつもうまくはいかないかもしれないけれど、先生の考えた解決策を押し付けたからといってうまくいくとは限らない。

たとえ、先生が押し付けて現象が見られなくなっても、子ども達は大切なものを学ぶチャンスを失ってしまう。

まあ、「いいことを学んだ。次からは自分(達)も自主的に使ってみよう。自分(達)で考えてみよう。」と思う子も、中にはいるかもしれない。

しかし、

「誰かに考えてもらい、押し付けられないと、私(達)には問題を解決する能力がないんだ」

あるいは、

「自分が正しいと判断したことは、分かっていないと自分が判断した人達には、押し付けてでもやらせた方がいいんだ」

という、望んでいることとは真逆のことを学んでしまう危険性の方が大きいように思う。


上下関係が生まれ、固定化してしまうことを危惧する質問もあったように思う。

トラブルがあった時「どちらが悪か」を決めたり、教師が心のどこかで「教える方が教えられる方より偉い」と思っていたり(言葉に出さなくても)すると、そういうことが起こるだろう。

みんなが学び合い、成長できるチャンスであることをしっかりと伝えることができれば、「競争原理」ではなく「協力原理」で思考や行動ができるようになり、上下関係は生まれなくなると思う。


学び合い』をしていると、このような話し合いで考えた案を活用してみる機会が格段に多くなるので、身につくのも格段に速く、確実になる。


上下関係が生まれたり、固定化したりするのは、その芽が出た時にスルーするか、先生が解決策を考えて押し付けるかした時ではないか。


可視化して、自分達で協力して試行錯誤しながら解決するよう励まし、見守っていくことが大切だと思う。


上記のようなことも、できれば、初めから教師が介入するのではなく、見ていて、そのような部分が見えたときに、その良さを伝えられればいいと思う。

「自分(達)で考えて、自分(達)でとった言動が成功した」

という意識は、例え全く同じものでも、教師に伝えられたものよりずっと強力で、使えるようになるだろうから。


…まあ、長々と書いてしまったが、要は、

自分達で、事実確認を相互にしながら、相手の立場や特性や気持ちも確認し合いながら、気持ちよく折り合いをつけ、成長し合えるようになってほしいということ。