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峰本のくもり時々「学び合い」日記

2010-11-30

[]「『間』の感覚」を全てのクラスで終える 02:26

 3組での授業。「『間』の感覚」の最終段を、プリントを使って終える。結局今回は本文全体を音読することはしなかった。それがどのような結果をもたらすか、テストの結果で確認しよう。

[]「『静夜思』っておもしろいと思った」 02:26

 10組と8組での授業。8組は「桃花源記」の最後の部分を口語訳し、この文章に込められた陶淵明の思いを解説した。その後、漢詩の決まりの定着を図る。

 10組は漢詩の学習に入っていった。取り上げるのは李白の「静夜思」と杜甫の「登高」である。李白・杜甫という二大詩人の作であるし、李白は絶句、杜甫は律詩と、二つの詩形をとりあえず押さえることができる。

 その「静夜思」では、まず詩の文章の解釈を行った。その後で、3つの質問をした。

  1. 季節はいつか?
  2. 作者の李白はどこにいるか?
  3. 彼は寝台の上に座って何をしているのか?(逆に言えば、何故寝ていないのか?)

 これらの質問はこの詩の解釈上重要なものだと考えている。

「季節はいつか?」これを考えることにより、月がおそらくは満月であり、詩の世界を具体的に想像することができる。生徒に質問したところ、「冬」と答えた者が多かった。月光を「霜」だと思うのは事実寒い季節だからだろう、というのが根拠である。悪くない。ただ、月が美しいのは一般的には「秋」なので、私は「晩秋」あたりがよいのではないか、と指摘した。

「李白はどこにいるか?」これは、この詩が故郷をしのぶという内容から、故郷を遠く離れた場所であることは推察できる。そこで、李白の故郷が一説では四川省であることを指摘し、彼は今、都の長安にいるだろうことを説明した。

「寝台の上で何をしているのか?」これは、「何故寝ていないのか?」と考えた方がよりリアルに推論できるだろう。李白は故郷を恋しく思うがゆえに寝られない、もしくは目が覚めてしまったのだ、と考えられることを説明した。

 そこから、起承転結の一つ一つにおける視点の移動、そこから来る自然な望郷の思いと、天才李白の思考の跡をたどって、説明をしていった。

 今日の生徒の学級日誌には、「『静夜思』っておもしろいと思った」と書かれていた。そうでしょう。たった20字の中に世界が広がっている。それを紡ぐのが人間の想像力であり、さらにそれを促すのが「発問」なのである。

2010-11-29

[]「「間」の感覚」を次々に終える 07:16

 6組と3組での授業。6組は「『間』の感覚」の最後の部分をプリントで解説する。3組はロジックツリーをクラス全体で考え、4分の3の部分を終える。本文の性質上、ロジックツリーを用いて構造を理解すればよい箇所とじっくり考えるべき箇所とが明確なので、それに沿って授業を進める。

 今日は6組は何となく食いつきが良かったなぁ。試験直前だからか、穴埋め+解説という形式のプリントが彼らにはまったのか、それとも新しく席替えをしていて、その席がよいのか。本当にこのクラスは席によって雰囲気が変わるようだ。席替えをきっかけに、年度当初のほんわかな雰囲気が崩れていったように感じる。

 学校という装置は授業以外の力が大きく左右している。クラス編成しかり、担任の性格しかり。なかなかの複雑系である。

[]漢詩ワールドへようこそ! 07:16

 10組の授業。今日から漢詩に入る。

 まずは「桃花源記」の背景とその意味について解説する。こうした文章を理解する場合、その時代背景を知るのが不可欠である。またそれを知ることによって、ぐっと意味合いが開けてくる。

 その後、漢詩の決まりを確認する。生徒には「漢詩の決まり」の穴埋めプリントをすでに配布してあるので、それを確認するための小テストを行う。まあそうは言っても、何もアナウンスをしていなかったので、10分間ほど勉強する時間を与える。こうすることが一番暗記物を定着できるような気がする。そして小テスト。

 その後は扱う漢詩の音読をさせる。今日はこれでおしまい。漢詩が扱えるとは、教師冥利に尽きる。

2010-11-26

[]最後の部分はやや従来型で 08:22

 相変わらず多忙な毎日を過ごしている。連日夜遅くまで授業準備をしている。何故かというと、学校にいる間は先週行われた3年生の実力テストの採点をしていたせいだ。それを何とか今日中に終わらせるために、授業準備のかなりの部分は自宅で行うこととなった。一昨日あたりは、現代文の「『間』の感覚」の最後の部分用のプリントを作っていた。ここは「間」の感覚とは何かが語られる箇所で、今までのようなロジックツリーで表現するのが難しいところなのである。そこで、この箇所用の学習プリントを作り、穴埋め+考察で乗り切ることとした。よって、今回の「間」の感覚は、ロジックツリーによる分析3時間+やや従来型の本文考察1時間で扱ったことになる。文章自体がそうしたやり方を要求するものだった、と考えている。それにしてもロジックツリーという新しいツールを使った授業だったなぁ。生徒はどう感じたのか、後でアンケートをとってみたい。

[]桃源郷への道遠し…… 08:22

 さて、今日は2組と8組の古典があった。どちらも「桃花源記」のほぼ同じ箇所、漁人が桃源郷の村人たちにもてなされる場面からスタートする。ここには「不復〜」が2箇所出てくる。それぞれ否定の強調と部分否定で解釈すべきものだ。そこで、その2箇所を指摘させ、「不復〜」の2つの訳し方を確認し、それぞれをどちらで訳すべきか考えさせた。これは10組も含めて3クラス全てで聞いてみたのだが、指名した生徒は最初の箇所をことごとく間違えた。その箇所だけを見ていると部分否定で訳せそうな気がするのだろうが、文脈を考えれば否定の強調の方が適切である。まだ前後の流れ=文脈で判断するということがうまくできないのだろうな。それにしても3クラス全てで間違うとは…。

 続いて今日扱った箇所は人物たちの心理面を考えるのに非常に適する箇所が多くある。

  1. 漁人が外の世界での王朝の交代等を教えた時、村人たちがため息をついたのは何故か?
  2. 村人が漁人に、「不足為外人道也」とこの村のことを外部の人に言うなと禁じたのは何故か?
  3. 漁人が帰る際に、至る所に目印を付けていったのは何故か?
  4. 漁人は村を出てから最初にその地方を監督する長官のところへ行ったのは何故か?

 これらの質問は全て、この「桃花源記」の主題を理解するのに必要なものばかりである。ここはじっくり時間をかけて議論させたいところだが、試験までの残り時間が少なく、やや足早になってしまった。

 しかし、まだその後に重要な質問がいくつかある。

  1. 長官たちが桃源郷への道を見つけることができなかったのは何故か?(漁人が目印を付けておいたのに)
  2. 劉子驥という人物が「喜んで」桃源郷を訪れようとしたのは何故か? 
  3. 彼以降、桃源郷訪れようとする人がいないとはどういうことか?

 このblogを見ている生徒はいるかなぁ? 見ていたら、これらの問いにどう答えるか考えておいて欲しい。それにしても、劉子驥が桃源郷に着けなかったのは何故なのかなぁ?

2010-11-22

[]全日本教育工学研究協議会全国大会【上越大会】で発表してきました 23:43

 ここしばらくblogを更新できなかったのは、この大会の準備のためであった。先週の土曜日、本校ではNHKの大越健介氏が母校で講演をしていた最中、私は上越に行って上記大会で発表してきた。

 この会は、上越教育大学の石野正彦先生の紹介で発表申し込みをし、そのためにずっと準備してきたものである。ここにおいて「Web掲示板を活用した読書レポートに対する考察 ー掲示板の利用状況から探る改善の視点についてー」と題して発表した。これはWeb掲示板を使った読書レポートの実践について、その掲示板の利用状況や生徒アンケートから今後の可能性と改善の視点について考察したものである。今まで、様々な場面においてこの実践を発表してきた。2年間にわたって実践したので、その途中での状況や一応終わってからの状況などをその都度発表した。今回は、その結果の分析と改善の方向性について考えたものである。これで、2年前のこの実践は完結したことになろう。

 やはりこうした学会での発表は良い。15分間という短い時間ではあるが、12分間にわたり発表し、さらに質問を受けた。また、全て終わってからまた意見をいただいた。以下の3点である。

  • 紙媒体で提出した生徒のレポートは、掲示板を活用した者と同様に交流する機会を設けたのか?
  • 実名でレポートを提出させたことによる、生徒の抵抗感はなかったのか?
  • かなり長い分量のレポートに対して、気軽にコメントをつけるのは抵抗感があったのではないか、もっとレポートを短くさせ、コメントも短くさせればよいのではないか?

 最初のものは確かにこの実践の弱い点である。紙媒体で提出した生徒にも交流の機会を与えるべきであった。そうでないと、意見交流を起こさせるという目的が中途半端になってしまう。

 2番目の指摘はこの実践において常につきまとうことであろう。だが、誹謗・中傷的な書き込みを防ぎ、学習指導の一環として行う上では、譲れない点である。

 3番目の指摘は「目から鱗」のものであった。確かに長い文章に対してはなかなか気軽に書き込みがしにくいだろう。ツイッターが代表するように、短いつぶやきに対しては短くすぐにコメントがつく。それが、長いレポートにコメントするには気構えてしまうのではないか、という指摘はなるほどと思えた。

 実は、自身の発表とともに、今回は私が発表した分科会の司会進行も頼まれてしまった。そこで、9人が行った発表の全てを聞きながら、司会進行も行った。しかし、おかげでICT利用におけるいろいろな現状を知ることができたし、私の研究におけるヒントもいただいた。JNK4の情報活用リストは確かに使えるかもしれない。

 午後からはパネルディスカッションに参加して、5人の先生方が繰り広げる議論を興味深く聴いていた。ツイッターのつぶやきが同時中継で映し出され、フロアからの意見の吸い取り方としてのトレンドな形を目の当たりにすることができた。

 いやぁ、有意義な1日だった。家族には迷惑をかけたが、私の研究には実に有意義であった。

[]「桃花源記」終了 23:43

 10組と2組での授業。10組は「桃花源記」をほぼ終え、2組は口語訳をようやく始めるという、きわめて対照的な展開となってしまった。もっとも、10組は来週2回の授業を残すのみだし、2組は今日を入れて残り5回ある。まあ、何とかなるだろう。

[]ロジック・ツリー描き授業短縮版 23:43

 6組での授業。残り3時間の中で、ようやく「『間』の感覚」に入った。

 まずは漢字テストをし、その後でロジックツリーを紹介して、練習問題をし、「『間』の感覚」をロジックツリーを用いて分析する課題に取り組ませた。その際、本文掲載の文章の出だしを原典と比較させ、本文の問題提起が何であるかをしっかり確認させてから取り組ませた。しかし、残り時間がわずか15分くらいしかなく、非常に未消化なままの授業となってしまった。これではロジックツリーを紹介しただけである。

 しかし次時はクラス全体でロジックツリーを完成させなければならない。短縮版はやはり無理があるなぁ。

2010-11-17

[]ロジックツリーを用いた評論の構造分析の授業 02:43

 9組の授業。「『間』の感覚」の2時間目である。前回は個人作業でこの文章の構造を、ロジックツリーを用いて分析させた。2時間目の今回は、ロジックツリー作りをグループで行わせるものである。

 自分でやってみてよく分かったが、この文章におけるロジックツリー作りは何度も何度も試行錯誤をくり返しながら、少しずつ良いものへと改良することが不可欠である。ロジックツリーは、一番左側に位置するルートとなるボックスと、一番右側に位置する最も具体的な内容のボックスとをいかにしてつなぐか、ここが思案の中心部分となる。そして、これを考えることはきわめて論理的思考力を要求される。具体的内容をいくつかまとめ上げて、抽象的項目を設定するのである。それを、問題提起と具体的内容との全体像を勘案しながら作り上げていくことになる。これはグループ作業で、生徒同士が様々にアイディアを出しながら作り上げていくのが一番良い。

 そこで、グループ作業でロジックツリーを作る授業を展開するため、以下のような工夫をした。

  1. ロジックツリーのボックスとなるものは大きめの付箋(ポスト・イット)を使うことにした。
  2. その付箋に、次のものを事前に印刷しておくことにした。
    1. 一番左側に位置する問題提起の文
    2. 一番右側に位置する具体的内容
  3. 上の2つをワープロのラベルに印刷し、ラベルをはがして付箋に貼り付けさせることとした。
  4. こうしてできあがったラベル付き付箋をA2の大きさの台紙に貼り付けさせる。
  5. さらにそれらをつなぐ第2層の抽象的項目をグループで設定して別の付箋に書き込ませ、配置させる。
  6. 各付箋(=ロジックツリーのボックス)間を線でつないで、関係を表現させる。

 これを、次のような時間配分で行った。

  1. 作業の説明(10分)
  2. 第1のグループ作業(20分)
  3. 他グループの作業状況を確認させる「偵察タイム」(5分)
  4. 第2のグループ作業(15分)

 今日は変則の時程のため50分間の授業で行った。次の写真はその授業の様子である。

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 第1のグループ作業の様子。このグループは、最初から台紙に付箋を貼るのではなく、机の上に仮止めして考えている。なかなかやるね。

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 このグループは、まずは別の紙で配置をじっくり考えている。付箋で考えるのは後からやるらしい。

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 「偵察タイム」の様子。生徒はわいわいと他のグループのやり方を興味深く見ていた。

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 第2のグループ作業の様子。最初のグループ作業時よりもさらに生徒の動きが活発になる。このグループは全員が立ったままで作業に没頭している。

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 このグループは台紙の大きさを最初に配布したものの2倍にして、ロジックツリーの各ボックスを展開している。

 残念ながら50分間では作業時間が短すぎた。大半のグループがまだ作業を続けたがっていた。

 いやぁ、この授業はぜひ各グループで話し合われた内容を録音しておきたいところだった。生徒たちはグループ内での話し合いで多様な「気づき」と認識の変換を行っていた。また、付箋を配置したりその関係を考えたりするうちに新たな考えが浮かぶとそれをメンバーに提案してみたり、一度配置し終えたロジックツリーをグループで話し合ってもう一度見直して配置し直したり、様々な学習活動が展開されていた。

 ロジックツリーを構成する要素のうち、本文に明確に書いてある内容だけを事前に用意し、それ以外の要素を考えて加えながら、全体を配置するという作業だったが、思った以上に生徒の試行錯誤と論理的思考を促すことができたようだ。

 次回は同様のことをクラス全体でやってみようと思う。

[]「桃花源記」の授業 02:43

 8組と2組での授業。2組はまだ土佐日記のまとめをやっていたが、8組と昨日の10組は漢文を扱い、「桃花源記」の口語訳に進んだ。

 とはいえ、この文章はすらすらと読めるようになるのが最重要事項で、読めさえすれば、そして教科書の注を活用すれば、話の内容は比較的容易に理解できる。そこで、今日の授業は徹底的に音読にこだわった。

 まずは私が読みの確認を再度行った。その後、個人で音読練習をする。そして、隣同士ペアでお互いにチェックし合いながら音読練習をさせる。その後、全員を立たせて、各自の一番速いスピードで読ませてみる。そして、全体で音読をした。全部で6回(そのうち1回は目で追っているが)音読をさせた。これくらいやらないと音読練習にならない。それでもまだ不安定な生徒はいるのだから。

 そして、隣同士ペアに指名し、一人が私が指定した箇所を音読し、もう一人が口語訳をする、というようにした。口語訳する負担を軽減させるのと、音読の確認をさせるのと2つの目的のためである。

 音読練習に特化したせいか、口語訳は数行しか進まなかった。まあ、今回はそれで良いだろう。

2010-11-12

[]「『間』の感覚」のロジックツリー作りは難しいぞ 07:30

 今日は現代文の授業はない。2組の古典の授業があり、土佐日記の「帰京」を何とか訳し終えたところだ。

 それなのに、その1コマの授業以外のほとんど全部の時間を使って、今日はずっと「『間』の感覚」のロジックツリーを自分なりに作っていた。実は、まだ完成していない。うーむ、私がこれだけ時間を費やしてもまだ納得いくようなロジックツリーができないなんて、なんてこの文章は論理構造が混乱しているんだ。

 この文章は頭から順番に素直に読んでいくと何となくすんなりと分かる気がする。西洋と日本との様々な事柄の対比が次から次へと紹介されていて、何となく分かりやすい気がするのだ。しかし、この文章の問題提起と、それに対する筆者の主張をまとめようとすると、そしてそれを説明するための論理展開を整理しようとすると、これが非常に難儀する。要するにラベリングが全くされていないに等しいのだ。そこで、ロジックツリーを描くためには、こちらでもう一度ラベリングを施し、構造のつながりを整理して、再構成する必要がある。多くの項目を自分で考えて補わなければならないのだ。これは実に難しい作業だ。はっきり言って「悪文」と言っていい。ただし、日本の評論文にはこういうものが多い。直線的に読んでいくと何となく分かるような気がする。しかし、論理的に読もうとするときわめてつかみ所がない。三森ゆりか氏はかつて私に「日本の評論文といわれる文章は実は『随想』だ」とおっしゃっていた。本当にそのことがうなずける。論理構造を意識して文章を読んだり、文章を書いたりするためには、「評論文」を扱っちゃいけないんじゃないかな。学術論文やビジネス文章を教室に持ち込むべきだと思う。

 さて、私でも悪戦苦闘しているロジックツリー作りを生徒にさせることにどんな意味を持たせればいいだろうか。3組と9組で行った感触では、生徒はお互いに話し合いをしている時に「なるほど、そう考えるのね〜」などと言ったりしていた。つまり、互いの考えを紹介しあったり、見たりして、そのやり方や考え方を参考にしたり、あるいは意見を言ったりしていた。それをもっとやりやすくするような授業デザインが必要だろう。

 また、私自身が描いてみて気づいたことは、ツリーのボックスに書き込む内容よりも、ボックス同士の論理的つながりをどう考えるかに時間がかかったことだ。ということは、その部分を生徒同士で考えながらやらせると良いのではないだろうか。

 そのために、例えば付箋を使った授業を展開してみようか、と思っている。付箋をボックスに見立て、付箋に書き込むべき内容は私が用意してやり、その付箋同士の関係を友人同士でわいわい言いながら考える、また、必要な新たなボックスは自分たちで付け加える、というのはどうだろうか。それならば1コマ65分の中である程度のロジックツリーを描けるかもしれない。さらにその時間内で他のグループの作品を見させて、交流させると良いかもしれない。そして、全員でよりよいロジックツリーをまとめ上げることができるかもしれない。

 うーむ、事前準備が大変そうな思わぬ展開になってきたなぁ。でも、面白そうである。

2010-11-10

[]ロジックツリーを活用した評論教材の読解 07:08

 3組での授業。新しく評論に入った。高階秀爾氏の「『間』の感覚」である。これは『西洋の眼 日本の眼』という評論集に掲載されている文章の一部である。

 実はこの教科書教材は構造分析をするのに非常に難渋している。住居の様式が行動様式にも反映している、と冒頭に問題提起されているのだが、続いて述べられるのは西洋と日本との自然への対し方や絵画における西洋と日本の自然の扱いの違いについてなのだ。住居における違いはずいぶん後になる。これはどうもおかしいと思い、出典本を我が書斎から引っ張り出して確認してみたところ、この教材を含む文章全体ならスムースにつながっている、その後半3分の1のみを取り出し、そこから前半部分への指示語を抜いて教材としていたのだ。そのためにつながりや構成が破綻してしまっていた。うーん、教科書本文にはこうしたものが多いのだな。内容がよいからといって安易に出典から抜いてくるのは良いのだが、そのために構造が破綻してしまっても構わず教科書として掲載する。もっと教科書会社の諸兄は文章の構造というものを重要視した方がよい、と思う。そもそも、一つのまとまった文章の途中のみを教材とするのは良くない。確かに、全文を載せれば文章量が3〜4倍ほどになる。でも、そうした長文を忌避する日本の教科書の在り方はやはり間違っているのではないか。筆者が執筆した意図がねじ曲げられてしまう。文章は元のままの姿、丸ごとを提示すべきである。

 さて、そうは言っても、目の前のこの文章を生徒にどう把握させるか。そこで、むしろこの文章の構造分析の難しさそのものを扱い、生徒自身に理解させ、あるべき姿を模索させるような授業を構想した。そこで、文章構造を分析するツールに「ロジックツリー」を用いることにした。

 「ロジックツリー」は発想法の一つ、あるいはロジカルシンキングのためのツールの一つである。むしろビジネスのシーンで活用されているだろう。事実私も、ビジネス本からこの発想を得た。むろん、「ロジックツリー」を学校教育で用いている例も多くあるだろう。しかし、私は少なくとも初めてである。

http://www.kantokushi.or.jp/lsp/no612/612_02.html

 このロジックツリーで「『間』の感覚」の構造を分析させる前に、まずはこのツールを練習させるために、練習問題として私宛に届いたGoogleからのメールの構造分析を、ロジックツリーを用いてさせる、というプリントを作成し、生徒にやらせた。その後で、教科書本文の構造分析をさせた。

 生徒は真剣に取り組んでくれた。何度か作業の手を止めさせ、生徒同士で進捗状況を確認させるようにした。そのせいか、楽しそうに取り組んでくれた。

 さて、授業修了後に一度回収し、また返却するが、生徒はどこまでつっこんでくれただろうか。

保護者会終了 07:08

 無事、3日間にわたる保護者会が終了した。疲れたが、それでも保護者の方と話をするのは基本的に楽しい。生徒のことがまた少し分かる。ありがたいことだ。

2010-11-09

小中間考査が行われる 07:08

 今日は小中間考査が行われた。行う科目は少なく、数学と英語のみ。その後は1コマ授業である。昨日から保護者会が行われている。授業を午前のみとし、午後は保護者との面談を行っている。

 数学と英語の試験のみだが、生徒たちは真剣に取り組んでいたようだ。この学校の生徒は試験の時には非常に真剣に取り組もうとしてくれる。今日などは風が大変に強く、こういう時は越後線はすぐ運休になったりするのだが、そんな朝にもかかわらず遅刻者は一人もいなかった。

 その分、1つだけあった3限の授業は身が入らなかったようだ。まあ、理解できるけれどね。でも、私のクラスは政経の授業があり、社会主義経済について扱ったそうだ。こんな世界情勢にあって、社会主義経済がどのようなものかというのは非常に興味深いものだと思うのだが。問題意識を持っている者にとっては、どんなことでも意欲をかき立てられるものだ。

保護者会は順調に進む 07:08

 昨日から行われている保護者会は、今日は2日目。9名の保護者の方と話をする。今回は希望すれば三者面談を行っているので、三者面談となった方は3家族。

 保護者会は一度に様々な方と話をするので、大変ではあるものの、生徒の意外な姿を知り、情報を共有できるので面白いものでもある。

 今日も楽しく終えることができました。

2010-11-08

[]陶淵明のターニングポイントを探る 07:18

 10組での授業。助動詞の小テストを終え、今日から漢文に入る。扱うのは陶淵明の「桃花源記」である。実は私は、「桃花源記」を扱うのは初めてか、極めて久しぶりである。非常に興味深い、良い話なのだが、句法的に単純なので、なかなか今まで扱えないでいた。今年は私のたってのリクエストで扱うこととなった。

 さて、今日はまず、陶淵明の人生について国語便覧を使ってたどってみる。何しろ約1500年前の中国での話だ。想像力を働かせない限り、彼の人生がどのような者かを思い浮かべることはできない。しかも、今回使った国語便覧はあまり説明が詳しくない。そこで、いくつかのページを示して陶淵明の人生を浮かび上がらせた。

 まずは彼の説明箇所から、陶淵明がどのような人物でどのような人生をたどったのかを確認する。そして、南北朝時代の地図を開かせ、彼がどの地域で活躍したのかを確認させる。このように、文章と地図、聴覚的と視覚的の情報を組み合わせることにより、少しでも1500年前の事実が現前に浮かび上がるように配慮した。そうでもしないと事実だとは思えないものね。

 そして、板書してまとめながら、陶淵明がその能力を活かして出世の道を歩むか、しかしそれは俗世において上司にこびへつらうことであり、それを潔しとしない覚悟をもって仕事を辞めて農耕生活をするか、その二つの道の岐路に立ったのだ、と説明した。そして、彼は後者の道を選んだことを示した。

 その時に、生徒に問いかけてみた。人生にはいつかこのような時が来る。出世のために世の中の論理に丸め込まれるという選択をするか、出世を諦めて若い時からの矜持を維持するか、選択しなければならない時が来る。その時、どちらを選ぶだろうか。もちろん、どちらの道もOKである。その人がその時までの人生で考え、経験してきた上での選択なのだから、どちらを選んだとしても良いだろう。ただ、若い時には、俗世間の塵にまみれることなど選びはしない、と思っていたであろう人物も、いつかはその選択の時が訪れ、そしてある者はかつては忌み嫌った道を選ぶこともあるのだ。果たして、今高校生である彼らはそんな時にどんな選択をするのか。

 その時はおよそ40歳前後に訪れるのではないか。人生を考える時でもある。

 生徒は何となく、神妙な顔をして聴いていてくれた。

2010-11-07

和田秀樹氏講演会に参加した 07:13

 最近、なかなか日記を更新できない。何しろ眠いのだ。近頃は長女に加えて次男までが私と一緒に寝たがるようになり、彼らを寝かしつけに21時30分頃床に入って電気を消すと、そのまま私も眠ってしまうことが多い。それなら朝早く起きようと思って目覚ましをかけるのだが、結局いつも通りの時間になってしまう。疲れがたまっているのかな。それとも、ただの怠惰かな。

 やるべきことはたまりまくっている。しかし、何から手をつけたらよいのか分からない。そこで、まず何に手を伸ばすかというと、GTDの解説だったりする。今は『「図解思考」の技術』という本を読んでいるが、この中にある時間管理、タスク管理の手法などを学んだりしている。ところが、いざその時間管理法を試してみようと思っても、それを行う時間がない。やれやれ。焦りばかりが募るという悪循環だ。最近は、朝起きるとこの「ああ、あれをやらなきゃ、これをやらなきゃ」という焦りが湧いてくる。精神の健康に悪いなぁ。

頭がよくなる「図解思考」の技術

頭がよくなる「図解思考」の技術

 さて、今日は新潟市の朱鷺メッセで国際医療福祉大学主催の特別講演会、和田秀樹氏の講演会が行われたので参加してきた。私が日曜日にこの種の行事に参加するのは極めて珍しい。実は、この大学の新潟県担当の方が、私が県立教育センターにいた頃にお世話になった課長さんなのである。この方が高校を訪れた際、ぜひ来て欲しいとのことで参加することになった。ついでに2,3の同僚にも声をかけたところ、国語科でお一人参加してくださった。いやぁ、ありがたい。

 和田秀樹氏と言えば、受験指導の著作を多数出している当代売れっ子の一人である。この和田氏が国際医療福祉大学大学院の教授をしておられるそうな。それで、大学の宣伝とともに講演会を行ったわけだ。和田氏は他にも多数の講演をしているそうだ。大学による講演は年4回だけだとか。その1回が新潟市であったわけだ。

 講演の内容はまあ理解できるものであった。「高度情報化社会」に加えて、現代は「知識社会」であるという、ドラッカーを引用しての定義はなるほどと思わせられた。情報化社会の到来に伴い、様々な情報を瞬時に入手することは簡便にできるようになった。しかし、その知識をやはり頭の中に蓄えていないと、それらを比較検討して新しいアイディアを出したり、様々な場合に対応する問題解決能力を発揮することはできない。結局、現代は勉強した者が裕福になり、勉強しなかった者は貧乏になる、という社会なのだ、とのこと。これは、なるほどである。

 その後、PISAの結果などを持ち出して日本社会がいかに勉強しなくなったか、それは受験勉強を軽視したせいである、という主張に持っていった。方向性は理解できるが、PISAの結果比較として、何故アジア近隣に国々と比較するのかなぁ。アメリカやヨーロッパ諸国との比較を何故しないのか、不思議である。やや情報操作の意図が見える。したがって、子どもが勉強しなくなったから、という結論にはやや疑問が残る。

 そして、認知心理学を応用した記憶の定着理論を展開し、そこから自身の学習法を足早に説明していって終わりであった。「学力向上」を目指すような演題だったのだが、具体的な学力向上法はあまり紹介されなかった。自身の著作を読んで欲しい、ということだろうか。最初に副学長による大学紹介が意外に時間を食ったせいかな。

 講演が終わった後、和田氏を囲んで教育関係者(要は教員)との懇談会が1時間ほど行われ、参加した。私に声がかかったのはこの会に出席することだと言って良いだろう。声をかけてくださった方が方だけに、私によく知っている出席者が顔を並べた。お一人、中学校の先生が来ておられたのが新鮮だった。

 この会では、中学と高校での学習内容の差の大きさ、義務教育における基礎学力を鍛えることの不足、3年+3年ではなく6年間を見据えた教育課程の展開が必要なのに制度的に無駄が多いこと、などなど和田氏の、受験勉強的な学習の復権とそれを妨げている要因の指摘などが話し合われた。

 私としては、6年間の中等教育段階とその後の高等教育段階、さらには社会人として必要な学力の育成、それら全てを見通しての中等教育段階での学力向上の在り方について考えたかったなぁ。おそらく和田氏はそれらを見通した上で、初等・中等教育段階においては基礎学力をガンガンつけることが必要だ、ということなのではないかと思うが。やや、現場の愚痴的な内容になってしまったのが惜しい。

 ということで、珍しい日曜の午後でした。

2010-11-03

[]漢文のおさらい 18:47

 昨日の授業記録をつけておこう。

 古典は8組と10組での授業。どちらも特別授業とし、漢文のおさらいをする。

 というのも、先月行われた実力テストの採点が終わり、案の定、漢文の出来が非常に悪かったのだ。そして、考えてみれば漢文は夏休み前に授業をやったきり、約3ヶ月間もまともに扱っていない。今教えている土佐日記はもう1、2時間かかりそうだし、このあたりで漢文のおさらいを、実力テストを返す際の見直しのついでにやった方が良いのではないか、との判断による。

 今回の実力テストで出題した漢文の問題は決して難しい方ではないのだが、やはり感じがずらずら並んでいる文章をいきなり見させられて、それをすんなり理解するのにはまだまだ生徒は訓練不足である。そこで、こうした機会を設けるのも必要なことだ。

 授業はテストの問題の見直しから初めて、漢文重要語の読みの確認をし、基本的な句法である疑問形や反語形を復習させ、さらに練習問題で練習させた。だが、文化祭の後の授業日で、朝に大清掃を行うために、授業が今日は60分であった。たった5分短いだけだが、それでも問題解法の説明をして、さあ問題練習をさせようとしたところで終わってしまう。もう5分間あればなぁ。

[]アメリカ研修の参加者決定 18:47

 理数科には県内の理数科を持つ学校同士で理数科連合というのを持っており、それが来年の3月にアメリカ研修を行う。その参加者が先日決定し、その結果を生徒に伝えた。本校は大変多くの生徒が決定したが、それでもその選に漏れた生徒もいる。私のクラスにも選ばれた者もいれば、残念ながら選ばれなかった者もいる。その結果を生徒たちに昨日伝えた。

 選ばれた者は晴れがましい気持ちになれるだろうが、選に漏れた者は、表面的には何事もなかったように結果を受け止めていたが、内心は悲しいことだろう。なかなか、こうした仕事に当たらねばならないことは心苦しいものだ。

 できることなら全員行かせてやりたいが、ある意味、そうした厳しい現実もあるのだ、と言うことを味わうのも良い経験なのかもしれない。そうした厳しい現実もあるのだ、ということを味わうのも良い経験なのかもしれない。選ばれた者も、選ばれなかった者も、頑張れ!

[]『名探偵コナン 戦慄の楽譜』 18:47

 久しぶりの何もない休日だった。中学生の長男は午後から部活に行ってしまうし、家族の者は何となく調子が悪いしで、今日は1日中家にいて、べろ〜んとしていた。

 そんな中、子どもたちが見ていたのがこの映画。テレビでやっていたものを撮りためていたものだが、相変わらず子どもが見始めたのに、私がはまってしまう。

 ただ、この映画は新一と蘭の思い出の場面がちょっと強引な感じがしたなぁ。物語自体の内容と緊密な接点があまりないように思う。

2010-11-01

青山祭2日目

 一昨日は青山祭(文化祭)の2日目だった。天候が心配され、事実風の大変強い日だったが、予定通りの日程で行われた。今日は一般公開日。大勢の外部の方がひっきりなしに訪れてくださった。

 我が1年10組の「占い喫茶」は大繁盛だった。お客さんが並んで待っているような状態で、そんなに流行っているものかとびっくりした。やはり、マドレーヌ+飲み物が良かったかな。お客さんの邪魔をしてはならぬと思い、私が注文することは控えた。

 書道部へ行って一筆書いてみたり、音楽発表を少し聴いてみたり、ドタバタと午前中は過ごす。そして正午に書道部の巨大書作パフォーマンスが行われた。

 今年は武者小路実篤の詩「一個の人間」である。何を書くか選ぶところからこの巨大書作のスタートになる。

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取り出しますは白いたすき。スタート前の気合い入れである。

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 一度に6人ほどが、少し間隔を空けて一行ずつ書いていきます。

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 だいぶ書けたところ。

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 最後は部長が中央に題名を渾身の力でかく!

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 さて、今年の出来はいかが?

 午後からは茶道部へ行って足をしびれさせながらお茶をたしなみ、その後吹奏楽部の発表を聴いた。結構こまめにいろいろな発表を見たなぁ。

 午後3時に無事終了。閉会式・結果発表の後、後片付け。何とか午後5時までには全てを片付けられた。いやはや、ご苦労さん。彼らにとっては何かしら手応えのある2日間だったようだ。

 私も個人的には今年の青山祭はなかなか楽しめた。いつもは生徒たちが行う出し物があまり文化的でなく、幻滅を感じたりして楽しめなかった。今年の出し物が文化的になったわけではなく、私の受け止め方が変わったのだろう、こうしたものでも許せるようになったようだ。そのせいか、こだわりを捨てれば本校の生徒たちの創作レベルはなかなかのものである。あれを、教員はほとんど手出しせずに自分たちでできるのだから、やはり大したものなのだろう。

 とはいえ、来年はぜひ「文化」祭にして欲しいねぇ。