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yudai7-iの『学び合い』日記

奈良県の小学校で教えています、教員歴3年目のyudai7-iです。『学び合い』の考え方で実践をはじめて2年目です。1年目はまったく思うようにいかず、2年目はその失敗の反省を踏まえて取り組んでいるところです。情報交換をしながら皆さんと学び合い、そして多くの人と繋がりたいです。なお、メールはyudai7.iとgmail.comをアットマークで繋げています。よろしくお願いします。

2017-03-13

『学び合い』失敗本を読んで 第5章

| 20:30

【私一人ではとても対応できない状況も、『学び合い』なら、私だけでなんとかしようとするよりもよほどいい、ということを実感することができました。】

このことは、ものすごくわかる。最初に見た純粋な『学び合い』の授業は衝撃だった。一斉授業に適応が難しい子も、友達と楽しそうに学ぶ姿が教室内のいたるところで見られたからだ。この説得力は大きい。そこから、先生が教科内容を教えなくても子どもたちは自分たちで学び続けることができる→先生は教えてはいけないという飛躍が起きてしまうのだろう。今でも覚えているが、やっぱり昨年の9月の段階で私は、そのような意識を持っていた。「先生が教える必要はない」から「先生は教えてはいけない」というような。それは何度も書いているように、『学び合い』を考え方ではなく、手法としてとらえていたからだ。この本を読みながら少しずつではあるが、自分をメタ的に見ることができるようになったと思う。


【手ごたえをつかんだ私は、新しい赴任校でも『学び合い』をするべく、張り切っていました】

まさに今の自分だ。


【その理由を一方的に「説明」しました。説明すればわかってもらえると思ったのです。】

ここら辺については、来年度のもろ課題となってくるところだ。どうしても「説得」しようとしてしまう。でもそれだと、言葉の節々に「どうしてわからないの」というニュアンスが含まれてしまう。それが関係を確実に悪化させる。今年度の自分を振り返ると、自分にはその傾向が強かったように思う。来年度もこのような場面がきっと訪れるだろう。大切なのは、『学び合い』が正しいかどうかを説明することではない。目の前にいる子どもたちが安心して学校に行けているかどうかだ。


【その拒絶反応を無理に解消しようと説明・説得しようとしたことが感情的な衝突にすり替わってしまいました。】

やっぱりそうみたい。『学び合い』理論は隙がない。あらゆる疑問に対して即座に答えることができる。だが、その隙のなさが現場で折り合いをつけて生きていくためには逆に仇となるかもしれないのだ。この傾向は、本をよく読めば読むほど強くなるのではないか。


【保護者の不安を受け取ったうえで、解決策を一緒に探す行動をとったことでしょう。】

まさに教師の姿勢、在り方が問われている。何を言ったかではなく、誰が言ったかという言葉があるが、『学び合い』理論を説明・説得できたかではなく、どのような姿勢で保護者に向き合ったかというように言い換えることができる。

2017-03-12

折り合いをつけるのは…

| 11:38


学び合い』失敗本を読み終わりました。


章ごとのまとめは、また書いていきたいです。


最後まで読み終えて、新たな気付きがいくつもありました。


その中の1つ。


3月9日の時点で自分は、折り合いをつけるのは、子ども、保護者、同僚、管理職と書いています。


肝心なところが分かっていませんでした。


昨年度、今年度を振り返る。


あの時、あの時、あの時…


何よりも折り合いをつけなくてはならなかった相手は、自分だったのか。

2017-03-09

キーワードは安心感

| 22:15


4月…新天地での学級開きは、手法は様々なものあれど、『学び合い』の考え方でやっていくことは決めています。


そこで、絶対に避けなくてはいけないのが、


〈子どもの不安→保護者からのクレーム→管理職との衝突→同僚との軋轢→子どもの不安→…〉


と、終わることのない負のスパイラルに嵌ってしまうことです。


実際にそれに近いものを味わっただけに、新天地1年目でそれが起こるなど、想像しただけでも胃が痛くなります。。


まずは、


子ども 

保護者

同僚

管理職



それぞれに安心してもらわなければいけません。


それぞれと折り合いをつけなくてはいけません。


失敗本を読んでいて思いましたが、キーワードは「安心感」だと思います。


まとめなし・板書なし・語り以外は任せる・先生は教えないよ


これらのみが『学び合い』だ、という誤解は自分の中で解けたと思います。


つまり頭の中で、手法が先行してはいけないということ。


失敗本にも書いてありました。


どう見ても従来型の授業なのに、育った集団は『学び合い』のテクニックで育った集団以上と。


学び合い』は考え方であり願い。


柔軟にしたたかに、謙虚に取り組んでいきたいです。

2017-03-08

『学び合い』失敗本を読んで 第4章

| 21:29


第4章を読み終えました。


セオリー通りに集団をコントロールしていけるからこそ、慢心が訪れるのですね。

今年度そこそこうまくいった自分は正直今、天狗になっています。過去のブログなどを見ていると、なんだか恥ずかしくなってきます。何を偉そうにと思います。

気を付けなければいけませんね。


【この言葉の裏にある意図をきちんと説明することもできず、突き放すような言葉を連発しました。】

2章でもありましたが、やっぱりこの失敗は本当に多いでしょうね。現に私もドンピシャです。


【結果として、子どもたちは「先生が急に冷たくなった」と感じたようです。】

そうそう!この流れも同じです。


【そのときに子どもたちが浮かべた安どの表情は、今でも忘れられません。】

子ども集団は、完璧ではない。大人と同じように、可能性も持っていて、失敗もたくさんする。年度当初は、突き放すことを先行して考えることよりも、まずは子どもたちを安心させることが大切なのでしょうね。


【子どもたちの姿が素晴らしいあまりに、「子どもたちに任せておけばなんでも大丈夫」と思ったことです。】

これは、初めて『学び合い』の考え方で授業に取り組んだ人が最も陥りやすい失敗の1つかもしれませんね。あまりにも衝撃的な故に、子どもは完璧なものだと誤解してしまいました。ちがいますね、子どもは有能ですが、大人と同じくらい愚かでもあるんですね。大人と同じように、たくさんの失敗ももちろんします。



【心の底から出ていない言葉は、話半分で耳から出てしまっていました。】

あぁ、あるある。理論が強力だからこそ、こう語ればいいんでしょとなってしまう。その慢心からくる油断で、だれてしまうのだな。


【教師の話は、話半分に聞けばよい文化が出来上がってしまったのです。】

自分の話が上滑りしていると思ったことは何度もあります。そういうときって、どんなことを話しているのだろう…。やっぱり「思い」よりも「理論」が先行して、「こう語ればいいんでしょ」となってしまうのだろうな。


【他者とどのようにかかわるか(またはかかわらないのか)】

仲よくではない。折り合いをつける。自分にとって一番良い方法で課題を達成するためには、時として一人になることも有効な選択肢の一つだ。そして、それができる人になってほしい。今の自分の中の大きな課題です。

strongmind222strongmind2222017/03/08 19:52いやぁ、なんだか楽しく学べそうですね!
見てて嬉しいです(^^)

yudai7-iyudai7-i2017/03/08 19:58まとめ方に関しては全く何も口を出していません。図表にまとめるという課題は、3年生にできるのかと思っていましたが、できるんですね~!

2017-03-07

『学び合い』失敗本を読んで 第3章

| 20:19

【『学び合い』を導入した経緯が特別支援の子どもが変わること】

今年度の学級で『学び合い』を導入した際には、私には特定の個人のためという意識がなかった。でも、導入してからしばらくすると、ある特定の個人が激しく浮き彫りになってしまうような状況が生まれてしまった。

一斉授業内では私語もしない、従順に言うことも聞いてくれる、教師にとって都合のよかったその子。その子が、あるときからものすごく荒れた。荒れたというのは、暴言とか暴力とか、そういう意味ではなく、とにかく対人的なコミュニケーションがもううまくいかず、それをきっかけに廊下に行ってしまったり、一人だけあえて机を教室の隅に寄せて突っ伏してしまったり。そんなことがあった。

そこからだろう。私がその子にフォーカスしすぎた語りをしてしまうようになったのは。そこからだろう。一部の子から『学び合い』に対する批判の声が聞こえ始めたのは。この重なりは偶然ではないと思う。


【学級全員がその一人なのだという認識が私に欠落していた】

上に挙げた「その子」に関連して。

あの時は、「その子」を見捨てさせまい、第3章を書かれた深山先生のような、全体を俯瞰しているようで実はしていない、といった状況になってしまっていた。

一人も見捨てないとは、言葉通り、「その子」を見捨てないと誤解していた。

子どもたちはゆっくりと時間をかけながら、教室からはみ出してしまうその子と丁寧に折り合いをつけていこうと奮闘しているのに、集団を信じられなかった私は、1時間1時間ごとに難癖をつけるように得ではなく徳を語っていた。


【あなたのやる気の問題なのだという考えが語りとなって口から出てきます】

まさに根性論な語りをしていた。

つまり担任にとっての良し悪し、機嫌が、2割の子が動く基準になっていった。

ちがうと今ではわかる。

そうであれば、求められているものが常にぶれ続け、この学習が何なのかが分かるような子であっても、理解することに時間がかかってしまう。


【そのような私の考え方では『学び合い』の授業がどのようなものかを子どもたちに理解させることはできません】

自分自身が得をするものという視点が欠けていた。…というか今も欠けている気がする。

今になってもなぁ…難しいなぁ。


【継続する場合に教師の言動は、授業中も授業以外も一致していなければならない】

来年度の課題はこれだ。

朝教室にいるときのちょっとした時間、授業後の5分休み、廊下を歩いていてすれ違ったとき、昼休みに小さないざこざを目撃したとき、忘れ物をした子が寄ってきたとき、事務的な質問をされたたとき、そのときに教師がどんなことを言ったのか、どんな対応をしたのか、その一挙手一投足すべてを子どもたちは見ているのだ。

今年度の自分は、あまりにも子どもたちとの距離が近すぎたせいで、このような日常生活の様々な場面において自分という存在が過刺激になってしまったような気がする。

でもここで、じゃあ来年度は子どもたちとの距離感を…と意識しすぎてしまうと、たぶん私の場合冷めた対応になりすぎて、昨日書いたような、子どもたちの不安を増大させる教師になってしまいそう。

だから、本当に何度も書いているけど、距離感なんだよなぁ。


【最終的には、子どもが『学び合い』を理解してくれたことによって、保護者はクレームを言わなくなりました。】

昨日も書いたけど、テストの平均点が上昇したことによって、多数の子が自分にとってこの学習は得だという認識に至ったのだろう。自分たちだけで本当にやっていけると自信がついたのだろう。ある時を境に急にモードに入り、そこら辺から一気にいろいろないざこざがなくなっていった。




第3章を読んでいると、「その子」の顔が何度も頭に思い浮かびました。

一人も見捨てないを特定の個人にフォーカスしすぎてしまうと、自分の学びが『学び合い』においていいことなのかどうか、不安に感じる子どもたちがいるということですね。

ちなみに「その子」は今は人が変わったように集団に溶け込めています。はっきり言ってきっかけが分かりません。でも何かあったのだと思います。だんだん『学び合い』がどんなものかわかるようになってきて、「その子」にあまり意識がいかなくなったからかもしれません。

でも何より、その子が変わったということよりも、周りの子が変わっていったということなのでしょうね。

chaso120320chaso1203202017/03/08 21:20徳ではなく、得である、というのがつかめるときと、するりと抜けるときがありましたが、先生のブログを読んで、またイメージがわいてきました。ありがとうございます!

yudai7-iyudai7-i2017/03/09 20:54ありがとうございます。言葉では語れるのですが、心に落ちているかと言えば、まだうーんといった感じですね。本当に、まだまだです。