Hatena::Groupmanabiai

学び続ける集団へ

愛知県の小学校で教えています。情報交換をしながら皆さんと学び合い、そして多くの人と繋がりたいです。いつでも連絡ください。なお、メールはyudai7.iとgmail.comをアットマークで繋げています。よろしくお願いします。

2017-10-24

道徳でやってみました

21:06

 先日投稿した記事の内容で、実際に道徳の授業をやってみました。

まず、「折り合いをつけて生きる」と書き、教材文を範読した後、黒板に課題を書きました。課題は、「仲良しの正一を待たずに先に行くことは仲良し5人組にとって損なのですが、それを下級生が納得するような文章を200字ていどで書いてください」です。

 以下、何名かの子の作文です。『学び合い』における、いわゆる2割の子のものを意図的に抜粋して載せようかとも思っていましたが、この損得の感覚は私の思っている以上にほかの子も理解しているのではないか、そう作文を見ていると思いました。

 ちなみに39名中7名が、この課題について理解していないと思われる状況です…。この実践は続けることに価値があると思うので、しばらくこの形式の授業に取り組んでいきたいです。他に今考えているのは、考え方をどう周りに広めていくかということ。


なぜ正一君を置いていくと損かというと、せっかく仲良し5人組なのに、正一君をおいていくと、毎日遊んでいる仲良し五人組じゃなくなるかもしれないから、仲良し五人組にとって損する。たとえば、自分が毎日遊んでいる仲良しと休日に遊ぶ約束をして、なかなか来ないからといって帰ると、もしかするとそれをきっかけに、まったく遊ばなくなるかもしれないから、仲良し五人組にとって損する。


なんで正一君をみすてると損かというと学校でみんなわからないのに正一君だけわかるということがあるかもしれないから、なかよくしておいて教えてもらえるし、将来仲良くしていたらいいことがあるかもしれないから。それにやす男くんは、五人で来てほしかったのに3人と2人で分かれているのをみたらすごく悲しいし、心配になるから、仲良くしていないと損をする。


おりあいをつけるという意味を説明します。一つ目は、なぜ、たかしたちがさきにいったけどひきかえしてきたかをせつめいします。未来に一人になるかもしれないから早めになかよしにしないと、そんをしてしまうからです。2つ目は、5人組です。五人組が四人三人になるとさみしくなってほかの二人一人抜けた人もさみしくなってしまうからです。


どうしてたかし君たちは損になるかというと、みんなでなかよし五人組だから、正一君たちを見捨てることになる。そして、損になる。たとえば、次の日の学校生活はみんなどういう気持ちになる?悲しい気持ちになるよね。だから、たかしくんたちはもどってきた。未来からもずーっと友だちでいたいし、ずーっとつながっていたい。だからたかし君たちももどってきてくれたから、未来もずーっと仲良し五人組でいられる。


四人で先にいってしまって次の日になったら、正一くんは、一時間目は元気がなくってたかしくんが、「ねえ、きのうなんで、っこなかったの」ってきいて正一君がないてしまってそして学校のすべてのじゅぎょうにこなくて、そして仲が悪くなってしまうので、損です。せっかくの仲良し組だから、かずやくんは、来るまで待ったんだと思います。そしてずっとまっていたかずやくんとさきにいっちゃったみんなで次の日仲良く遊んだと思います。


これから正一を見捨てると損することを説明します。一つ目は、一人だけでも見捨てると3人が悪いことをしたなって公開してしまうからです。二つ目はいつも仲良し五人組だから、一人でも見捨てることになったら一人ぐらいでも悲しんじゃうからです。3つ目はたかしたちが先に病院に行っちゃって一回引き返したのはかず男の言ったことが本当に当たっていたらたかしたちが悪いことをしてしまったなって思うからです。


3人と2人でわかれていって、なかよし五人組のえんをきっちゃうかもしれないから、正一くんをおいていったら、なかよし五人組にたいして、未来になったらその五人がバラバラになる。


たかしたちがあのとき先に病院にいっていたら、かずやっていう人も心細くなるし、正一っていう人もいつもやくそくを守っているだそうだけどそこでたかしたちがいっていたらいっきにドーンと信頼がなくなるし、そのしあさってくらいのときに正一がこんな風になるといけないから、きっとたかしたちはひきかえしてきたんだと思います。


たかしくんたちは、学校にいくときになぜそんをするかというとたかしくんたちは、やすおくんにひどいことをいっちゃって学校に来るとまだなかなおりできてないからいっしょにあそびたいのにあそべないというふうになっちゃうからたかしたちは引き返してきた。


たかし君たちは、仲良しのはずなのに、かずや君に対していらいらしたままおこったから、学校に行ったら仲良し五人組じゃなくなるからです。けれどかずや君がまってやろうよと言わなかったら正一君が不安になって学校にこのまま行ったらもtっと仲良しじゃなくなるからかずや君がこのまま行ってそしたらかずや君にとってもたかし君にとっても損だからです。


どうして損かというと、せっかく5人でやくそくして、いっしょに行こうとしてこのまんま、3人でおみまいにいって2人をほったらかしにしといたら、学校生活でなかがわるくなって、ほうか後とか3人で遊ぶようになって、じゅぎょうとかも、今後の学校生活のなかがどんどん悪くなっちゃうから、ひきかえしてきたら、学校生活も前と一緒の学校生活で今後もなかがいい学校生活がおくれる。


もう先に行ってしまったこの時に未来のことを思うから引き返したと思います。


どうして損をするかというと、なかよし五人組のうちの四人がわからない計算があっても、正一君だけ分かるかもしれない。だけど、なかよくしてないと、おしえてくれないかもしれない。だからなかよくしておいたほうがいいよ。

たかしたちは、いらいらしていて、その後たかしたちは正一をおいて病院にいったら、このあとなかよく五人組は、友だちじゃなくなってしまう。だけどかずやくんが正一君は、いつもやくそくをまもっているじゃないかと言ってみんなをとめた。やっぱり正一はきた。何か問題があったみたいで正一君は泣きそうな顔であやまった。このようにともだちどうしが折り合いをつけて生きることが大事だと分かりました。


未来で「あのころおいていかなければ今でも友だちだったかもしれないな」と損をするからおいていかなければ損をしないのです。

2017-10-22

損得の思考法を直球で伝えるには…

12:01


「待ち合わせ」という教材を用いての道徳の研究授業がありました。


待ち合わせに遅れてしまった子を待つか待たないかという話です。


この授業での最後のまとめとしての徳目は「友情」「信頼」でした。


もしもこの教材を『学び合い』の考え方を用いた授業をするならば、最終的にもっていきたいのは、


「多様な人と折り合いをつけ自らの課題を達成すること」


つまり


「安易に一人を切り離さないのは自分のためである」


ということでないかなと思います。


待ち合わせに遅れてしまった子は最終的に、メンバー全員に待っていてもらえました。


これをグループの「友情」「信頼」という言葉で終わらせてしまうのは、なにか惜しい。


私たちが子どもたちに求めることは、多様な人と折り合いをつけること。


子ども集団を子ども扱いせず、大人になることを求め続けることです。


だから、私だったら、


「Aくんたちが遅れてしまったBくんを待ち続けたのは、遅れているBくんを切り離して先にいってしまうと、それはAくんたちにとって損だからです。このお話ではみんなが最後まで待ち続けてあげたんだけど、もしもあのままBくんをほっておいて先にいってしまっていたら、この子たちにとって損なんだよ。何が損なんだろうね。」


あとは『下級生が納得できる説明を200字程度で書く』や『クラス全員が納得する説明を考えて友達にする』などの課題を敷けば、少なくとも2割には確実に機能すると思います。


あの教材がたくさーん詰まった本で年間を通して同じ形式の授業が実践できると思います。


というのも、私は最近、この「損得」という思考法、感覚とでもいうのでしょうか、それをどうやって子どもたちにより浸透させればいいのかと考えていました。


もっともっと直球に取り組みたい。


そんな中の研究授業でした。


道徳ならできそうだと今思います。


ここで書いたからには一度この授業を子どもたちにやってみようかと思います。


書かれた作文をここに投稿しようとも思っています。

2017-10-01

私のレベルが集団のレベルに追い付いていませんでした

15:19

どこまで言葉にできるかわかりませんが、金曜日教室で起こったことはとても大切なことのような気がしますので書きとめておきたいです。


5時間目の理科の時間。課題は「全員が教科書81ページの問題をとけて説明できる」というものでした。


課題達成の方法として、ほとんどの子がレポート用紙を手に取りまとめるということを選択しました。


しかし、その時間半分以上の子の達成はなりませんでした。


課題の難度は適切だったように思います。上位層の子が10分もかからず終わる、そういう難度でした。


でも私には、これが集団がだれているからこそ起きた現象のようには見えませんでした。


本来ならセオリー通り語るのですが、なにかこれは違うぞと思い、子どもたちには今日の授業の評価については待ってほしいと伝えました。


今思えば、分かります。


あの時間、私の見る限りすべての児童が必死に学び続けていました。


こうやってブログに綴ることでじわっと落ちかけていますが、やはり教科を学ばせる手法ではなく考え方。


全員達成をする学習方法ではない、コアとなるのは「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を達成する」という考え方。


私のレベルが子ども集団のレベルに追い付いていませんでした。


あの子たちにとって短すぎたんです。


学び続けよう学び続けようといってきました。


結果「多様な人と折り合いをつける」ことを前提として、45分では収まりきらない学習の仕方をする子が現れ始めました。


2学期はじめ、もう一度ネームプレートから始めたのですが、少なくともあの時間子どもたちにとってネームプレートは邪魔なものでしかなかったんです。


なんで45分で終わらなければいけないんだ、そんな心の声が聞こえたような気がします。