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yudai7-iの『学び合い』日記

奈良県の小学校で教えています、教員歴3年目のyudai7-iです。『学び合い』の考え方で実践をはじめて2年目です。1年目はまったく思うようにいかず、2年目はその失敗の反省を踏まえて取り組んでいるところです。情報交換をしながら皆さんと学び合い、そして多くの人と繋がりたいです。なお、メールはyudai7.iとgmail.comをアットマークで繋げています。よろしくお願いします。

2017-03-07

『学び合い』失敗本を読んで 第3章

| 20:19

【『学び合い』を導入した経緯が特別支援の子どもが変わること】

今年度の学級で『学び合い』を導入した際には、私には特定の個人のためという意識がなかった。でも、導入してからしばらくすると、ある特定の個人が激しく浮き彫りになってしまうような状況が生まれてしまった。

一斉授業内では私語もしない、従順に言うことも聞いてくれる、教師にとって都合のよかったその子。その子が、あるときからものすごく荒れた。荒れたというのは、暴言とか暴力とか、そういう意味ではなく、とにかく対人的なコミュニケーションがもううまくいかず、それをきっかけに廊下に行ってしまったり、一人だけあえて机を教室の隅に寄せて突っ伏してしまったり。そんなことがあった。

そこからだろう。私がその子にフォーカスしすぎた語りをしてしまうようになったのは。そこからだろう。一部の子から『学び合い』に対する批判の声が聞こえ始めたのは。この重なりは偶然ではないと思う。


【学級全員がその一人なのだという認識が私に欠落していた】

上に挙げた「その子」に関連して。

あの時は、「その子」を見捨てさせまい、第3章を書かれた深山先生のような、全体を俯瞰しているようで実はしていない、といった状況になってしまっていた。

一人も見捨てないとは、言葉通り、「その子」を見捨てないと誤解していた。

子どもたちはゆっくりと時間をかけながら、教室からはみ出してしまうその子と丁寧に折り合いをつけていこうと奮闘しているのに、集団を信じられなかった私は、1時間1時間ごとに難癖をつけるように得ではなく徳を語っていた。


【あなたのやる気の問題なのだという考えが語りとなって口から出てきます】

まさに根性論な語りをしていた。

つまり担任にとっての良し悪し、機嫌が、2割の子が動く基準になっていった。

ちがうと今ではわかる。

そうであれば、求められているものが常にぶれ続け、この学習が何なのかが分かるような子であっても、理解することに時間がかかってしまう。


【そのような私の考え方では『学び合い』の授業がどのようなものかを子どもたちに理解させることはできません】

自分自身が得をするものという視点が欠けていた。…というか今も欠けている気がする。

今になってもなぁ…難しいなぁ。


【継続する場合に教師の言動は、授業中も授業以外も一致していなければならない】

来年度の課題はこれだ。

朝教室にいるときのちょっとした時間、授業後の5分休み、廊下を歩いていてすれ違ったとき、昼休みに小さないざこざを目撃したとき、忘れ物をした子が寄ってきたとき、事務的な質問をされたたとき、そのときに教師がどんなことを言ったのか、どんな対応をしたのか、その一挙手一投足すべてを子どもたちは見ているのだ。

今年度の自分は、あまりにも子どもたちとの距離が近すぎたせいで、このような日常生活の様々な場面において自分という存在が過刺激になってしまったような気がする。

でもここで、じゃあ来年度は子どもたちとの距離感を…と意識しすぎてしまうと、たぶん私の場合冷めた対応になりすぎて、昨日書いたような、子どもたちの不安を増大させる教師になってしまいそう。

だから、本当に何度も書いているけど、距離感なんだよなぁ。


【最終的には、子どもが『学び合い』を理解してくれたことによって、保護者はクレームを言わなくなりました。】

昨日も書いたけど、テストの平均点が上昇したことによって、多数の子が自分にとってこの学習は得だという認識に至ったのだろう。自分たちだけで本当にやっていけると自信がついたのだろう。ある時を境に急にモードに入り、そこら辺から一気にいろいろないざこざがなくなっていった。




第3章を読んでいると、「その子」の顔が何度も頭に思い浮かびました。

一人も見捨てないを特定の個人にフォーカスしすぎてしまうと、自分の学びが『学び合い』においていいことなのかどうか、不安に感じる子どもたちがいるということですね。

ちなみに「その子」は今は人が変わったように集団に溶け込めています。はっきり言ってきっかけが分かりません。でも何かあったのだと思います。だんだん『学び合い』がどんなものかわかるようになってきて、「その子」にあまり意識がいかなくなったからかもしれません。

でも何より、その子が変わったということよりも、周りの子が変わっていったということなのでしょうね。

chaso120320chaso1203202017/03/08 21:20徳ではなく、得である、というのがつかめるときと、するりと抜けるときがありましたが、先生のブログを読んで、またイメージがわいてきました。ありがとうございます!

yudai7-iyudai7-i2017/03/09 20:54ありがとうございます。言葉では語れるのですが、心に落ちているかと言えば、まだうーんといった感じですね。本当に、まだまだです。