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学び続ける集団へ

愛知県の小学校で教えています。情報交換をしながら皆さんと学び合い、そして多くの人と繋がりたいです。いつでも連絡ください。なお、メールはyudai7.iとgmail.comをアットマークで繋げています。よろしくお願いします。

2017-01-25

習熟度別学習について

19:02

学び合い』を長期的に持続させるには、学び続けるということに教師の観点をシフトさせるべきだということは、繰り返し書いてきた。


今の自分のクラスの算数はどうだろう。


全員が、同じレベルの問題に向かい合っている。


全員が100点を取るという目標に、子どもたちは一応、のってくれている。


しかし、一見してのってくれているように見えるだけで、実際心の中はどうだろうと思う。


だって、9時間構成の単元を2時間やっただけでおそらく期待得点以上の得点をたたき出す子どもがいるのだから。


その子にたいして、全員が100点を取るためにできることをしよう。


そういわれても、私だったら退屈する。


その子はもっともっと、上に行きたいのだ。


上にいける可能性を、秘めているのだ。


自分の持つ可能性を、実感したいのだ。


全員に一定の学力を保障する。


そのあとに待っているのは、同じ空間での習熟度別学習ではないだろうか。


ある子は標準レベルの問題集を解き、ある子は中学入試レベルのトップクラスの問題を解く。


集団は緩やかな協同でつながっている。


それは決して強いられたものではなく、自らがその必要性を感じて動くもの。


学び続ける先に待っているものは、このようなものだと今の自分は考える。


この考えは、根っから間違っているのかもしれないなあと思う。


しかし、学び続ける集団にシフトした際に、子どもたちに長期的に機能する学習を考えた際に残るのは、自分の認知的理解に適した教材なのではないのだろうか。

同年齢集団の違和感

18:47

なんで同年齢集団でクラスを構成するの?


私たちが働く職場は全従業員が同年齢集団だろうか。


いや違う。


異年齢集団が、お互いの足りないところを補いながら、しかも若手は若手の、ベテランはベテランの魅力を発揮しながら、集団の質はより潤い、高まって行くのだ。


さて、学校教育はどうだろうか。


我々は部活動において、異年齢集団のその教育効果の濃さを実感しているではないか。


普段はぼさっとしている男子生徒が、異年齢集団に飛び込んだ際に飛び切り有能になる場面に私たちは何度も出くわしていないか。


そして、本質はそれなのだという実感をうすうすと感じているのではないだろうか。


職員室では、日々、~~~は聞くことができない。~~~は聞く姿勢がなっていないという声が飛びかう。


しかしそんな子も、異年齢集団に属した瞬間、様変わりするのではないだろうか。しかも劇的に。


私は何度もその光景を見てきた。


やんちゃだと言われていた6年生が、1年生の教室に掃除場所として配属された瞬間に「おい、しっかりやってるか」「ぞうきん、ちゃんとしまったか」と低学年を思いのこもった関わりをする姿。


そしてそれに緩やかに応える、今までやんちゃと言われてきた1年生の児童。


人間は関係の生物である。


今まで、学校教育において、静かに聞く能力がないといわれてきた子どもたちは、静かに聞くことができないのではなくて、静かに聞く必要を感じていなかったのだ。


そして異学年活動の場合、その「必要性」が生じる。


守るべき規律に、理由が生じる。


下学年は、上学年がいるから。上学年は下学年がいるから、互いの行動に一定の緊張感を生じさせるのだ。


さて、これをアクティブ・ラーニングで運営した場合、どのような教育効果が期待できるか。


実際に現場に立つ人ならわかるだろう。


今までやんちゃで、聞くことができないと思われていた児童、生徒の劇的な規律改善の働きを及ぼすことを。


苫野一徳氏が主張されるように、私たち教師は、そろそろ同年齢集団のみで、学校の様々な教育活動を運営していく考えを改めるべきである。


学年構成については、同年齢集団にこだわらず、もっと弾力的に、扱っていくべきである。


繰り返すが、私たち大人は異年齢集団で構成されているのだ。


社会の縮図を、子どもたちに義務教育で体験させるべきではないか。