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学び続ける集団へ

愛知県の小学校で教えています。情報交換をしながら皆さんと学び合い、そして多くの人と繋がりたいです。いつでも連絡ください。なお、メールはyudai7.iとgmail.comをアットマークで繋げています。よろしくお願いします。

2019-03-17

覚悟

10:01

コミュニケーションの分厚さという面で、今年度の自クラスは他クラスとは異質だったと思う。


例えば恋愛相談であったり、いじめについての話し合いであったり、それが、休み時間でもあったり授業中でも男女の垣根を超え容赦なく繰り広げられる光景を何度も見て、今年度はいかに自分の中の教師像を変えられるかが課題だった。


来年度もそんな年になるだろう。


今年度は授業での選択の機会は多かったけれど、それ以外で子どもたちが主体的に選択し、行動していく、そんな場面が少なかった。


だからこそ、4月のやり方を変えないといけないのだと思う。


踏み込もうか踏み込むまいかと最近ずっと悩んでいるのだが、自分の中の教師像をアップデートしていくためにも、覚悟するときが今なのだと思う。

やってよかった

09:38

やはり作家の時間をやってよかったと思う。


実際の子どもたちの姿から本に書かれていたことと結びつき腑に落ちた場面がたくさあった。


それまでは、よりよい作品を作ろうというベースだった自分の語りが、今学期終わりになって何となく、良き書き手へ成長していこうというベースの語りができ始めてきたと思う。


感じたことがある。


作家の時間が真に機能するには、やはり教師が日常的な良き書き手のモデルとして子どもたちの前に立たなくてはいけないなと思った。


日常のほんのささいな出来事を題材化し、楽しそうに書く。


それが自分の成長に結びついているのだと胸を張って言う姿に、核心があるのではないか。

2019-02-17

自分が拘っているもの

11:23


来年度のテーマは薄々と見えています。


ぼんやりとしていてまだ文章化はできませんが、箇条書きにすると



①子どもたちの集団性に依存しすぎることは、不必要に個へ拘るという姿勢を疎かにしていないか。


②作家の時間。特に教師と子どもの間で行われるカンファランス。今の自分には子ども同士のピア・カンファランスよりも興味がある。作家における子どもたちとのカンファランスの在り方が、自分の中にまた新しい何かを生み出してくれることに期待している。作家の時間は『学び合い』の考え方と親和性が高いので今後も続けていくかもしれなく、自分の中の核になりそうな予感はある。


③ミニレッスンにおいて、自分が初任からしている読み聞かせは本当に相性がいいと先週感じた。4月から作家の時間と読み聞かせを結び付ければ、子どもたちにとってまた別の価値が置かれるだろうという確信。なによりも、自分がわくわくする。


④作家の時間の「題材集め⇒下書き⇒修正⇒校正⇒清書⇒出版」のサイクルが子どもたち一人一人に機能した教室は一体どんな風になるのだろうか。まだ体感したことがない。作家の時間の充実は、学びの個別化において、今後の『学び合い』を進めていく上で大きな価値を持つことになるのではないか。


⑤今年度自分は教えないことに拘らなかった。子どもたちの不安を取り除くという面において積極的に子どもの中に入り、励まし、教えてきた。この在り方を来年度も続けていく上でどう自分の中で変わっていくか。ただその在り方って結局自分の中の不安から来るものであって、いいのだろうか。


⑥今の自分には岩瀬さん青山さんのいう個との向き合いの大切さに関して、実感が少なく、ゆえにその辺の在り方が中途半端になっている感がある。


⑦学級開きからの子どもたちとの向き合い方。来年度も作家や『学び合い』を続けていくということは、今までのやり方じゃ子どもの中のものは引き出しにくく、ダブルバインドを引き起こしてしまうだろう。現に今、4月に行ってきた管理的な指導方針が今の教室で不和を生じさせている実感がある。


⑧ブログの更新も停滞していた。もう自分はここで終わったのではないかと思っていたのだが、最近になって再び自分の中の欲求が過熱されてきた。経験的にこの過程において自分の中に変容が生じる。残り1か月は本当に重要。どれだけ自分が変われるか。

2019-02-09

ようやく

10:37

お楽しみ会をどこでするかという話になったとき、教室でやりたいという少数派を尊重するような言動が見られました。


結局教室で行われることは多数決によって決まりませんでしたが、肝心なのはそこではないと思いました。


『一人も見捨てないことを掲げることは自らにとって得である』


ようやく、自分の中ですっきりする形でこのことが子どもたちに話せた気がします。

2018-10-21

明日話すこと

13:02


明日はこんなことを子どもたちに話そうかと思っている。



・今回立て続けに起こっていることは、要は遊び半分、軽口が主な原因である。


・これは、君たちのクラスの状態が悪くなっているということを私は言いたいのではない。人間関係について学ぶべき新たなステージに突入したということの現れではないかと思っている。


・『学び合い』の考え方による授業によって仲が深まってきたからこそ、今までの自分にはなかったものが浮き彫りになり、それが「やりすぎ」という形になって問題化する。


・つまり私たちは、これからは今まで以上に他人の気持ちを思い、自らの行動を振り返りながら人と接していく段階にきていると思う。


・総じてクラス、ひいては君たち1人1人が大きく成長できるきっかけになると確信している。


・そのためにも、できるだけ自分の視野を広げ学級を見てほしい。その際に、上記のような行動が見られたら「やりすぎだよ」と言ってあげてほしい。


・今起こっていることはこのようなことであると、私は自分が考えてきたことを君たちに話しました。では、君たちがこの1週間どう友だちと関わっていきたいかを今日の授業や休み時間の過ごし方、立ち振る舞い方で私に見せてほしい。



これに欠けている、補ったほうがいい視点があればご教示ください。

2018-10-20

新たな局面

21:47

今週いくつかの生徒指導事案が発生した。


どれも完ぺきとは言えないが、自分の中では及第点の対応ができたと思われる。


というのは、事実確認と指導を明確に分けようと意識する癖が自分の中についてきた。


これまでは、事実確認の段階で心の在り方に踏み込んでしまう事が多かったのだ。


何度それで失敗をしてきたことか。言われないだけで、何人の子どもの信頼を失ってきただろうか。


その癖を自覚したうえで、事実確認の段階で心でっかち的主観要素を排すことを徹底した。


今週一連の流れで、かなり生徒指導の原理原則が自分の中に落ちたように感じる。


堀さんの生徒指導10の原理・100の原則。たぶん初任くらいに買ったもので何年にもわたって読み返してきたが、ここでようやく、ようやく知識段階から技術段階、さらに技能段階へほんの少し移行できたと思われる。


ただ上記にあるように、あくまで及第点レベル。最低限のことができるようになった、つまりそれはやってはいけないことをしなくなったということと同義であり、ここから飽くなき自分という教師像に合った生徒指導の在り方を模索していくことになるだろう。


さぁここからが本題なのだが、今回発生した事案はなぜ起こったのだろう。


自分の学級経営の在り方、子どもに接する教師としての自分の在り方に欠けた物があったのだろうかと。


いろいろな人に話を聞いてもらったが、今自分の中の結論としてあるのはこうだ。


10月に入り、停滞は見られず、運動会の疲れをはねのけて子どもたちの状態はいい。


授業内で固定化されてきた人間関係も緩やかになってきて、その中で新たなかかわり方を見せる子どもたちが増えてきた。


それによって休み時間などふと肩の力を抜く、そんな瞬間に子どもたち同士の間で新たなものが表出する。それは普段接する人とのかかわりの際に表れるものではなく、『学び合い』によって新たにつながりあった、新しい関係性が交わる際に表れるものだ。


つまり、子どもたちは新たな局面に入ろうとしている。


遊び半分、軽はずみなことが引き金になってしまった今回の様々な事案。


それは新たな人間関係の作り方、かかわり方を彼らは失敗をもって学ぶタイミングがここに訪れたのではないかと私は思うのだ。


だからこそ、一つ一つの事案を丁寧に取り上げ、しっかりと起こった事象についてメタ認知させてやり、クラスに対して問題の本質的な意味を語ってやり解決を促すことが今の私にできることなのだろう。