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ナカダ☆ツヨシ RSSフィード


ジオターゲティング

2013-07-02

[]教科の力をつけさせたいなら、教科から離れること 00:49

 ひさかたぶりのブログ更新で、さまざまな方からコメントをいただきましたが、その中に『教科でオープンなクエスチョン』が効果的ではないかという意見がありました。

 誤解を恐れずに言うならば、もし教科の知識をつけたいのであれば、もはや学校に行く必要はないと思います。先日、関係詞の指導法についてインターネットで調べていると、You Tubeで無料の動画がいくつも見つかりました。しかもその指導法は、私が教えるよりもはるかにわかりやすい教え方でした。悔しいですが、一人ではなく何人も違った講師の動画があるのです、おもわず明け方まで見入ってしまいました。

 もし生徒が関係詞について知識を得たいのであれば、ネットにつながったパソコンさえあればいいのです。しかも、わからなければわかるまで何度でも繰り返しその動画を観ることができます。それでもわからなければ別の講師の動画を観ることもできます。個人が知識を得ることをものさしにすれば、すでに学校という装置を用いて集団で学ぶことの意義はかなり薄れていると言わざるを得ません。実際にカーンアカデミーのような新たな学び方の仕組みも社会的に認知されています、

 では学校という場で、集団で学ぶことの意義は何でしょうか?それは、他者から影響を受けることによる『価値』の変化というダイナミクスそのものだと思います。個人で学ぶこととは異なるチャンネルで、自分の従来の『価値づけ』が変わる可能性を経験できることこそが、学校で学ぶ意義だと私は思うのです。

 であるとするならば、どうして教科の内容にこだわる必要があるのでしょうか?それよりもまず、他者と関わることで自分の「価値づけ」が変わることを経験させるのが最良なのではないでしょうか?

 現象学の第一人者である、竹田青嗣先生の言葉を引用します。『学び合い』にひきつけてお読みください。

  • 「関係のエロス」を創りだすことが、「自我のエロス」(自己中心性)を守ることより自分の生にとって「歓びや愉しみ」が大きいという見通しがやってくる場合。こういう条件が与えられるときにのみ、人間は、自分の感受性や価値観の絶対視を乗り越えて、他者との相互了解や共通了解を生み出そうとする”動機”を持つ。-人間にとって世界のエロス性が拡大していくためには必ずそのつどそのつどの時点で「自我のエロス」を捨てて、「関係のエロス」を見いだすという過程をクリアしていかなければならない。- はじめての現象学より

現象学によれば、人間が幸せに生きる=生きたいように生きるためには、必ず他者の存在が必要ということになります。それこそが学校という環境で学ぶ意義だと思いますし、それを方法のレベルまで落とし込んだのが『学び合い』なのだと思います。これが私が昨日伝えたかった。学び合いの「よさ」です。教科の知識をつけるための『学び合い』の「よさ」という意味ではないのです。