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愛知・東三河・豊橋で『学び合い』を深めよう!

愛知県豊橋市の小学校教員(30代前半)です。2011年1月から『学び合い』の実践を行っています。大きく3つの目標があります。 ①「愛知の会」や「東三河の会」を立ち上げること(立ち上がっているのであれば、発展の役に立つこと) ②身近な人や興味をもってくれる人と実践を深めること ③授業を積極的に公開し、自分の力量を高めること 以上です。志高くやっていきたいと思っています。どれか1つにでも興味を持たれた方は、paidorosu131★yahoo.co.jpに連絡ください。(★は@に変えて送ってください。

2017-02-05

道徳~何が求められるのか~

18:10

教科化になることで、一体何が変わるのでしょうか。

教科書はできます。

評価、記述評価をすることになるでしょう。

これらのことも、関心はあります。


ただ、何を望まれているかという点では、

結局、効果だろうと思います。

道徳の授業をすることによって、何が変わったのか?

ということだと思います。

これまでの道徳は、心に種を植えるというような、

今日、明日ではなく、ずっと未来にいつか花咲くようであればいいという考えがあったように思います。

実際に聞いたことがあります。

もちろん、教育全般、そうといえばそうです。

当時は、いやな思い出のような出来事も、後々深い意味で理解することもあります。

これは大人にだってあります。初任研で言われたあの言葉は、こういうことだったのかなというように。私自身もありました。

しかし、だからといって、いつか役立てばよいというだけでは、ダメなような気がします。

行き着く先が、ただ1時間をこなす授業になってしまう気がするからです。

アクティブラーニングが、最終的な結果まで求めたものになっているように、

道徳も結果を出す必要があるでしょう。

ただし、これは1つ前に書いたように、押しつけたからといってうまくいく性格のものではありません。

まさに、アクティブラーニングがいうように、学修者自身の学びとなっていかないと、結果も出ないでしょう。

学び合い』で学習内容の理解も、人間関係の改善にも影響力をもっていることを考えれば、道徳の授業においても、もちろん可能でしょう。

ただ、現時点で実践した数が少なすぎます。


その点が、自分自身、どこか逃げているように思います。

能書きばかりではダメですね。