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愛知・東三河・豊橋で『学び合い』を深めよう!

愛知県豊橋市の小学校教員(30代前半)です。2011年1月から『学び合い』の実践を行っています。大きく3つの目標があります。 ①「愛知の会」や「東三河の会」を立ち上げること(立ち上がっているのであれば、発展の役に立つこと) ②身近な人や興味をもってくれる人と実践を深めること ③授業を積極的に公開し、自分の力量を高めること 以上です。志高くやっていきたいと思っています。どれか1つにでも興味を持たれた方は、paidorosu131★yahoo.co.jpに連絡ください。(★は@に変えて送ってください。

2017-02-04

道徳~心を揺さぶるのは何か~。

00:50

道徳の授業をもし、自分が受けていて、おもしろくないと思うものはどんな授業かと考えると、

1.きれいごとでしかない。

2.わかりきったことを答える。

とかでしょうか。少なくとも自分ならそうです。


道徳の授業を行う上で、心を揺さぶるというのは、重要なポイントだと思っています。


それは、前回書いたように、「あこがれ」や「こういう人になりたい」という思いを抱くうえで、欠かせないと思うからです。


では、どういうときに、心を揺さぶられるのかと考えると、

1.ある行動や考えに対して、人間の弱さという点から共感できること。

2.しかし、その弱さを超える行動や考えにふれること。

この2点。

さらに極めつけは、

3.その弱さを超えている人も、同じ人間だということがわかること。


学び合い』の道徳(明治図書)の書籍でも書かせていただいたが、

具体的にいうと

1.ある状況下において、悪口を言ってしまうという子に、共感する。

2.しかし、松井選手は、悪口を言わないという事実とその考えにふれる。

3.では、松井選手は悪口を言いたくなることはないのか…。もちろん、ある。ということを知る。

以上の要素を外さないように、『学び合い』をベースにした授業。

学び合い』をベースにすると、1のような負の出来事に対して、自分の経験を話しながら、共感することができる。(自分も言ったことあるのだけど…のように)

しかし、これで終わっては、「みんながそうだから、仕方ないよね」というものになってしまう。

だからと言って、言われた子のことを考えようというのも、低学年であれば、それは有効な面もあると思うが、

高学年ぐらいであれば、直球で聞くと、表面的な答えになってしまう。

どうしてか。求められる答えだけはわかっているからである。

しかし、それはでは効果はない。なぜなら、悪口はいけないこととわかっていても言うからには、言う側なりの理由や正義があるからである。

しかし、ここで、そうではない人の登場。

単純に、噓でしょ?本当に言わないの?

というような驚き、そしてすごいという気持ちになる。単純にかっこいいのである。

でも、最後は、その人は、何も感じないような神のような人かというと、そういうわけではない。

自分たちと同じように、言いたくなることはあるということを知る、でも、言わないのである。


これらの授業を、自分の学級でも、飛び込みの学級でもやったことがある。

手ごたえは、正直ある。

面白い上に、子どもたちに書かせる最後の作文も、どの子も、自分と向き合った上、自分の言葉で書く。

ただ、これは6年生での実践。低学年に、いけるような内容もつくりたい。