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愛知・東三河・豊橋で『学び合い』を深めよう!

愛知県豊橋市の小学校教員(30代前半)です。2011年1月から『学び合い』の実践を行っています。大きく3つの目標があります。 ①「愛知の会」や「東三河の会」を立ち上げること(立ち上がっているのであれば、発展の役に立つこと) ②身近な人や興味をもってくれる人と実践を深めること ③授業を積極的に公開し、自分の力量を高めること 以上です。志高くやっていきたいと思っています。どれか1つにでも興味を持たれた方は、paidorosu131★yahoo.co.jpに連絡ください。(★は@に変えて送ってください。

2017-02-03

道徳~あこがれ~

00:42

道徳を学んでいくうえで、「あこがれ」というか「いいな」、「かっこいい」というような感情は大切だなと思う。

ちなみに、この部分がきっと、道徳でいう「行動」だけに焦点を当てては見えない部分だと思う。


筑波の加藤先生の著書を読んでいるとよくでてくるのが、その行動の、「心のもと」になる部分を考えさせることの大切さである。

ようは、根底にある部分である。価値観に根差した理由のようなものだと思う。


例えば、『学び合い』では、よく人に教えることや困っている子に声をかけることは、自分に得があるからであり、それが自然であると考えられている面があると思う。


私自身、これはあくまでもスタートレベルではという感覚である。

最初は、いいと思う。

先生に言われるから、怒られるから、自分が困ったときに教えてもらえるから、いろいろな人間関係のなかで生きている子にとって、それらの理由から動いているのは、当然だと思う。

ただし、そのままでよいのか。

また、道徳の授業という側面からもそれでいいのかというと違うように思う。

つまり、「困って子に声をかける」ということには、本当に多様な理由が存在する。

そのなかには、「おぉ、そんなことを考えて、声をかけているのか」

というような、道徳的にいうと価値の高いようなものも存在しうる。

そこをとらえ、価値づけをしていくことは、重要ではないかと思う。

そして、その行動にある本当の「心のもと」にふれたとき、人は、それを「かっこいい」、「自分もあんな風にできたら。」という気持ちが出てくるのではないかと思う。

上手にやれば『学び合い』のなかでもできるであろうが、

きっと、道徳の授業で上手に取り組んでいけば、『学び合い』もよい影響を与えていくのだろうと思う。


もちろん、それは『学び合い』だけにかかわることでもないと思う。


なんて、ことを今日は考えていました。