今、担当している体育の授業でバドミントンをしているが、今日気づいたことがある。
それは、友達として仲良く一緒にしているようでも、友達が苦手なことに一緒に取り組むどころか「触れない」ようにしていることだ。
私が、生徒のできてないこと(今日はバドミントンのサーブ)を指摘して、ちょっとその生徒が練習を始めると、「(他の練習)やってていいよ〜」と、迷惑をかけたくないオーラ全開で友達に遠慮する。
「教える」までいかなくても、一緒にやってくれる人がいればいいのだ。その練習なのだ。
新しくトライする『学び合い』の同志に「教えなくていい。一緒にやれば」という西川メモの意味って、こういうことだろうなって、すごく思った。
今日の6時間目「学活」の時にも校長先生が現れた。
その時は合宿祭に向けて、パートごと順番に歌練習をしながら、順番がくるまでは今の班のメンバーに感謝のメッセージを書くというのをやっていた。ま、シーンとはしてなかったな…。
校長先生が入られて、男子数名を先頭に挨拶の声があったのはちょっとホッとしたが、6時間目が済んで防犯教室(昨日は特別に7時間目があった)に行く直前に、
「ちょっとまたあとで来てくれる?」
と言われ、「ついに(また?)怒られるのか…」とハラハラしながら放課後行ったら…全く別の事務的な内容確認だった。
あー、それにしても自信なくすなあ…。
やっぱり静かにさせる力ってすごく求められてるものなのかぁ…。