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てつのりだーのノリノリだー(memorandum)

2011-07-18

成功者の論理

23:51

 「競争が無いから日本の教育の下にいる人間は日本が大丈夫とか思って、他国との競争を意識しない。」「相対評価のような競争の形でないと、人間は進歩しない。」

 とか書いてある本があった。

確かに、競争によって人間は成長する。

でも評価まで競争原理でなくていいだろう。テストですでに十分競争してるし、教室の中で競争心はある。

そこで評価まで競争にして競争一辺倒だったのがよくないのだ。

競争に勝てなかった子は見捨てるのですか。

もれた子はどうするのか。そこから漏れた子がもう一度立ち上がれない社会が今の日本なのだ。

その子に、「競争を勝ち抜く努力が足りなかったんだ。」なんて言えるのですか。

先述のように言う人は競争原理の中で勝って上って来た人で、その自分の環境がどれだけ恵まれていたかわかってない気がする。確かにすごい努力があったと思う。でもそれが出来ない環境にいる子が確実に存在するのだ。

成功できるだけの環境があった人が、「日本ならみんな同じだけ努力すればどこまでもいける」なんて思ってるとしたらそれはなんと想像力に欠ける事か。

それは自分の成功が純粋に自分の努力だったと思いたいだけじゃないか。

人がもって生まれた環境は不平等だ。

スタートラインはまったく違う。

スタートラインが多くの人より後ろにある子に努力不足なんて理不尽なこと、私は言えない。


問題はどこにあるのか。

それは、

相対評価を社会が勘違いしていることだ。絶対評価を取り入れていることは競争激化の教育に対しての反省の現れとして、十分評価できるはずだ。

社会が絶対評価を勘違いして、「競争をなくすこと」を様々な場面に適用しようという社会の風潮こそが問題だ。


教室においてあくまで競争心は自然に発生するし、それを起こしていい。あくまで教授者の一方的な評価によっての競争でなくて子ども自らの競争心を大事にする。

評価は個人の成長を見るし、基準・規準で適切に評価する。

相対評価は競争を否定するものなんかじゃない。

一方的価値観による競争一辺倒からの適正な逆流だ(妙な言葉だが)。


だから、教育の場で相対評価があるのは間違っているとは言えないし、教育のそのような流れが今の日本の競争力の低さを作ったと一概に言えないはずだ。



付け加えれば、教室に今までよりも、

個人の努力と特性を活かした上で、

より良い子どもの競争があるのは、恐らくは、

例えば、

例えば、

学び合い』なのではないかと思う。

ogymogym 2011/07/19 22:41 競争はゲームとして楽しい。けれど学ぶことや学ぶ楽しさとは違う。
なぜが学びに競争が入るのだろうか。

もれた子は自分を信じて自分の道を行き立ち上がれる。競争に勝ち抜いたと思い競争を続ける子は自分の道を行き立ち上がれるだろうか。
いろいろなことを考えさせられます。ありがとうございます。

tetsu4062tetsu4062 2011/07/21 20:41 ogymさんコメントありがとうございます。
漏れた子でも、その子が新たな道を探すきっかけに・・・ということもあるかもしれないですね。自分を信じれなくならない限り。
自分を信じることが出来るような子であればきっと道を進み続けられますね。そんな子を育めたら、と思います。

FlipperKFlipperK 2011/07/24 12:27 はじめまして。岡山のFlipperKと申します。
興味深く読ませていただきました。

>相対評価を社会が勘違いしていることだ。相対評価を取り入れていることは競争激化の教育に対しての反省の現れとして、十分評価できるはずだ。

 ここのところで質問です。もしかしてここのところの「相対評価」というのは、「絶対評価」のことではないでしょうか?
 私の勘違いでしたらごめんなさい。
あの・・・私の勘違いでしたらごめんなさい。

tetsu4062tetsu4062 2011/07/24 16:35 FlipperKさん、ありがとうございます!!
ご指摘の通り、入れ替わっていました!
直ちに修正いたしました。
自分は口頭でもよくよく言い間違えてしまうので、
文章でも気をつけます。

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