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てつのりだーのノリノリだー(memorandum)

2011-07-07

議論

01:22

議論は本気でなくては意味がない。

と思うのは私のさらされて来た環境によるのだろうか。

父も母も論理的に俺を諭して来た。

周りの友人たちも論理的に優れていて、かつ議論好きだった。

私の論理が受け入れられて、理解されるときもあったが、

理屈、論理で負けて、悔しい気持ちでいっぱいながら

何も言い返せず、その論理を飲むしかなかったときもあった。

でも実際正しいもんだから、その悔しさと反抗心がさめた時には自分のものにしたり、高校・大学生くらいになってからは正しいし納得できればその場でその考えを自分のモノにした。

そう生きて来たから議論は好きだ。新たな考えに触れて自分が高まったり、納得のいかないところを説明してとことん突き詰めたり。

その議論のなかでとことん突き詰めたくなったりするのは性分としかいいようがない。

本気で議論したい。

納得して、納得してもらいたい。


本気の論理と本気の気持ちを持たずにはいい議論にはならないのではないかと思う。

理解して、理解してもらう。そしてまた理解する。本気で行いたい。

でも本気ならいいというわけじゃないんだろう。

片方との気持ちのずれがあれば、それはもう議論としてうまく機能しないんだろう。



まず片方の主張の理解から、もう一人の主張の理解又はその納得いかないところを質問する。

考えを深めるならそれは大事なんではないかと思う。