Hatena::Groupmanabiai

相互依存を追いかける このページをアンテナに追加 RSSフィード

 ハンガリー・カーロリ・ガーシュパール大学の若井誠二(わかいせいじ)です。日本語教師です。10以上年前より学習者自律に関心を持ち、現在は学習者自律を支える「相互依存」を追いかけています。そして『学び合い』が相互依存の1つの形かなと思っています。(ご連絡等はszeidzsiアットマークfreemail.huまでお願いします。)

2015-12-30

イギリスが倒れるとハンガリーにも影響があるかも・・・

| 08:10 | イギリスが倒れるとハンガリーにも影響があるかも・・・ - 相互依存を追いかける を含むブックマーク はてなブックマーク - イギリスが倒れるとハンガリーにも影響があるかも・・・ - 相互依存を追いかける イギリスが倒れるとハンガリーにも影響があるかも・・・ - 相互依存を追いかける のブックマークコメント

日本語科目が廃止の危機=大学受験、存続運動広がる-英という記事を読みました。(http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2015122800426

欧州評議会が出している資料には以下のようなことが書かれています。

Although migration has brought many languages to Europe which, if included in policies of education for linguistic diversity, will provide links to many countries outside Europe, there are nonetheless significant areas of the world which would not be represented if only languages spoken in Europe were to be included in policy development. For example, there has not been enough immigration from Japan to make Japanese a ‘European’ language in the way that Arabic or Chinese are, but Japanese is an important language, both economically and culturally. The significance of such languages is on the one hand economic, diplomatic and cultural, but also fundamental in ensuring that Europe does not become linguistically and mentally isolated from countries which do not have an existing link through historic or recent cooperation, migration or trade.

FROM LINGUISTIC DIVERSITY TO PLURILINGUAL EDUCATION:

GUIDE FOR THE DEVELOPMENT OF LANGUAGE EDUCATION POLICIES IN EUROPE

Executive Version 2007

現在のところ欧州にとって日本語は(例に出される程度に)重要視されているようです。ただイギリスの動きを見ると将来的には「Japanese」の替わりに違う言語が来てしまうのかもしれません。

海外そして欧州の日本語学習者の数は減少しているわけではありません。ただ欧州の政策にある「母語+2言語」の「2言語」に日本語が入るためには学校教育機関の存在が不可欠です。それには政治的な戦略がどうしても欠かせません。

日本では英語が重視されています。時代の流れですが、日本人に「英語」を求めるのと同時に、外国人にも「日本語」を重視する等、攻めの姿勢で日本語教育を広げていくような戦略が取れないものかと思います(今までそれが取られていないわけではないのですが・・)。

まあきっと私が海外で日本語を教えているからこう思うのでしょう・・・。上のイギリスの記事に関するまとめサイトなどを見ると「いいんじゃね。」が大多数のようですし。

2015-12-15

一番勉強できるのは休み時間

| 06:13 | 一番勉強できるのは休み時間 - 相互依存を追いかける を含むブックマーク はてなブックマーク - 一番勉強できるのは休み時間 - 相互依存を追いかける 一番勉強できるのは休み時間 - 相互依存を追いかける のブックマークコメント

8-4制のハンガリー。娘は今年受験生です。(センター方式の)試験まではあと1ヶ月。ただ相変わらず各教科の先生方はこの時期でも「高校での授業に慣れるため」ということで宿題・テストを大量に出してきます(入試には特に関係ないものがほとんどです)。8年生の前期の成績は入試(センター試験+学校の成績点)に大きく影響するため子どもたちは我慢し毎日大量の宿題や翌日のテストに向けて勉強しています。個人的には「高校での授業も何も高校に入れなかったら意味がないのに・・・」と思っているのですが先生方に対してはやんわりとしか話を持っていけません。娘も「せめて受験の2週間前からはテストや大量の宿題をやめていただけませんか」とお願いしたそうですが「なぜ?私達はあたたたちのためにやっているのよ」との反応だったらしいです。

結局、娘たちは「しょうがない。自分達でやろう」と先生に期待するをあきらめ、休み時間に勉強をし始めたそうです。そしてこれを見たクラスメートも真似をするようになり、今はクラス全員が休み時間に受験の試験問題や授業でやっている単元に関する問題を解いたり問題について議論したりしているそうです。

・・・・・

先生たちも一生懸命で悪気はないはずです。が、傍から見ていると「う~ん」と思ってしまいます。でも、自分も自分の学生に対しありがた迷惑的なことをやっているんだろうな・・・自分だけがそれが見えていないんだろなと思います。そう考えると自分がしていることにぞっとさせられます。

2015-11-30

なぜ私達は縛られるのか

| 08:53 | なぜ私達は縛られるのか - 相互依存を追いかける を含むブックマーク はてなブックマーク - なぜ私達は縛られるのか - 相互依存を追いかける なぜ私達は縛られるのか - 相互依存を追いかける のブックマークコメント

自分達があたり前だと思っていることが実はそうではないということを知って愕然とすることがあります。

私は自分の授業では、スマホやタブレットを持っているのに授業中にそれを活用しない人を見ると「なんでだろう」と思います。一方、自分の子供達が学校(初等学校)内での携帯使用禁止措置が取られていることについては「小さい子に携帯やスマホを持たせていない家庭もあるし、貧富の差が大きいし、あと教師の管理も大変だししょうがないのかな」と思うところもあります。

でも、外務省の「世界の学校を見てみよう デンマーク王国」を見ると以下のようなことが書いてあります。http://www.mofa.go.jp/mofaj/kids/kuni/denmark.html

生徒達は、iPadやスマートフォンなどの電子機器を生活の中で利用しており、メールだけでなくフェイスブックやツイッターといったソーシャルメディアによって友達同士での連絡をとりあっているようです。これらの電子機器は授業中でも使うことが認められていますが、ゲームのように授業の集中をさまたげるような使い方をしている場面を先生が見つけたときには、その生徒と先生が適切な使い方についてよく話し合ってどうしたらいいのかを考えます。

デンマークができるのに、ハンガリーでできない理由はありません。理由があるとすれば大人自身の(自分達が受けてきた教育による)縛りです。自分も結構縛られているなと思います。

・・・・・

こういう縛りって外国語教育の中にも結構あるんだろうなと思います。自分が愕然としてしまうような授業実践をしている人はいないかな・・

2012-02-08

移動は基本的人権とした上ですべての地域が活性化する道を探るという方向性はないのか?

| 04:56 | 移動は基本的人権とした上ですべての地域が活性化する道を探るという方向性はないのか? - 相互依存を追いかける を含むブックマーク はてなブックマーク - 移動は基本的人権とした上ですべての地域が活性化する道を探るという方向性はないのか? - 相互依存を追いかける 移動は基本的人権とした上ですべての地域が活性化する道を探るという方向性はないのか? - 相互依存を追いかける のブックマークコメント

今度新しく可決された高等教育法では、学費免除枠で大学に入学する人は「卒業後は一定期間ハンガリー国内で働く」という契約を国と結ぶことになります。

カナダでは、アメリカで働いた方が給与が好いが自分達の国を発展させるためカナダに残る人が多いと聞いたことがあります。素晴らしい考えだと思います。でも、それは自分で決めたことであって国に強制されたことではありません。また、カナダからアメリカに行った人が「国を捨てた人」「根無し」なのかというと、そうではないはずです。

EUではEU内の人の移動を基本的権利としていますが、これはある一極に人が集中することを想定しているわけではないと思います。人の移動を基本権利とした上で、EUのすべての地域が活性化することを想定しているはずです。この場合でも移動した人は祖国を捨てているというわけではない。むしろ根っこで繋がっているからこそ安心して出て行くのだと信じたいです。

また日本学科の教員としては、優秀なハンガリー人が日本で活躍することを邪魔したくないです。それこそ積極的に日本へ行き、ハンガリーやヨーロッパとの架け橋になってほしいと思います。

というわけで、個人的にはこの教育法のあり方には賛成できないのですが、ここに来てEUの法律にも違反しているのではという話が出てきています。ハンガリー航空がつぶれてしまったのも、政府が同航空会社に行った資金援助が競争原理に反するとEUに強く批判されたのが一因ですが、もしかすると外圧で、高等教育法の再検討が始まるかもしれません。

でも、願わくば、(単に国が学費を援助するから卒業後国内で働くべきだという理論ではなく)国がどうしたいかもう少し国民に語ってほしいです。それで国民が納得するならば、それを堂々とEUに主張し、外圧と戦えばいいと思います。

2012-01-25

『学び合い』の教室で発生する関係の調整はどこまで政治的か

| 05:32 | 『学び合い』の教室で発生する関係の調整はどこまで政治的か - 相互依存を追いかける を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』の教室で発生する関係の調整はどこまで政治的か - 相互依存を追いかける 『学び合い』の教室で発生する関係の調整はどこまで政治的か - 相互依存を追いかける のブックマークコメント

学び合い』では、「関係の調整」という言葉が出てきます。これを私は学習者自律の枠組みでいう「他者との関係のコントロール」と(今は)解釈しています。

では「関係の調整」の結果生まれるものは何か。先行研究からはその1つが「経験交換ケース」と呼ばれる学習者同士のコミュニケーションだと読み取れます。そして、学習者同士が「経験交換ケース」のコミュニケーションを成立させられるようになれば、学習成果も上がり、人間関係もよくなります。

また『学び合い』では『学び合い』とエゴは矛盾しないとあります。「助けよう」という気持ちだけではなく、「自分のため」という気持ちもある。これが「自分を含めたみんなのため」となるという理論です。

学び合い』は人工的学習環境を自然的学習環境に変えれば自然と発生するとあります。しかし、それだけでは長続きしない。そして長続きの秘訣がエゴであれば、「経験交換ケース」が生まれる背景には(例えばその方がよいからやるという)何らかの意志が含まれている可能性が出てきます。そしてそれが本当であれば、「関係の調整」は政治的であり、コントロールする「(能)力」に視点を持っていくことができます。(自律学習的に言えば「自律の養成」に結びつけることができるということです。)

また「経験交換ケース」は、今取り組んでいる課題達成に向けての学習管理の1つとして現れますが、結果としては「分かちもたれた知」を形成するためのネットワークを広げることとなります。ただ学習者自身がそこまで意識して関係を調整しようとしているのかは、まだ(私には)わかりません。ただそうであれば、これも多分に「政治的」です。

学び合い』では、教師は方法に介入しないようにすべきとあります。でも介入できる段階になったら介入してもよいとも書いてあります。これはどういう意味か。先行研究によると、固定された人間関係では「経験交換ケース」が生まれいくいそうです。恐らく教師と生徒のコミュニケーションから「経験交換ケース」が生まれないのは、固定された「教授者・学習者」という人間関係があるからでしょう。ということは、教師が介入できるようになるということは、教師と学習者でも「経験交換ケース」のコミュニケーションが(安心して)できるからということになります。

教師と学習者のコミュニケーションが「経験交換ケース」にならないという先行研究はありますが、それが成り立っているという先行研究はまだ読んだことがありません。

もちろん、教師側のシンプルな働きかけで教授者と学習者という固定概念的な関係のあり方は断ち切ることができます。(実際には断ち切れませんが、「立場は違うけど、同じ方向を向いている。」ことを伝えることができます)私が学生時代に読んだバスケットボールに関するとっても有名な本では、あるアメリカの名コーチが試合前にチーム全体に対して言うせりふが出てきます。はっきり覚えていませんが、「みんなの力で(もちろんフェアーに)なんとかして勝ってくれ」のような感じだったと思います。『学び合い』でも「教師は方向を示すだけでいい」とありますが。この「なんとかして勝ってくれ」と言ってることは同じはずです。

また、『学び合い』の集まり(子供から学ぶ会)は「固定的関係の打破」が基本となっている感じです(恐らく「教授者と学習者という固定的関係が生まれる授業内ではない」+「自分を直接教えている教師ではない」+「教師が自分達から学ぼうとしているのが見える」などの要素が固定的関係を打破しているからだと思います。そこでの「生徒と教師」の会話パターンに関する研究を楽しみにしています。もうあったら教えてほしいです)。しかしこの種の集まりからは、まだ学習者側からの「政治的判断」はちょっと見えにくいです。

以前「教育実習生を喜ばせる生徒たち」という記事が西川先生のブログにありました。相手は教師ではなく実習生ですが、ここに見える生徒の動きはかなり「政治的」です。きっとそこまで行ければ、教師も安心して生徒と(立場は違えど)「経験交換ケース」のコミュニケーションが取れるのかもしれません。

・・・・・・・・

ただ、社会的構成主義的な視点から見ると、「他者との関係のコントロール」というのがあまりにも個人主義的に見えます。それはどうなのかなとも思います。もっと勉強しなきゃ。