Hatena::Groupmanabiai

相互依存を追いかける このページをアンテナに追加 RSSフィード

 ハンガリー・カーロリ・ガーシュパール大学の若井誠二(わかいせいじ)です。日本語教師です。10以上年前より学習者自律に関心を持ち、現在は学習者自律を支える「相互依存」を追いかけています。そして『学び合い』が相互依存の1つの形かなと思っています。(ご連絡等はszeidzsiアットマークfreemail.huまでお願いします。)

2009-08-04

やってみたいこと

| 18:57 | やってみたいこと - 相互依存を追いかける を含むブックマーク はてなブックマーク - やってみたいこと - 相互依存を追いかける やってみたいこと - 相互依存を追いかける のブックマークコメント

Nakahara-lab(http://www.nakahara-lab.net/blog/)に以下のような記述があります。

今回のLearning barでは、参加者の皆さんに宿題をやってきていただいていました。宿題は下記のとおりです。

 ▼人材育成の仕事とは○○○のようなものである:

 ▼なぜなら~~~~~~~~~~~~~であるから

 という問いに対する、自分なりの考えを考えてください。○○○には「喩え:メタファ」をいれてください。~~~には理由を入れてください。

 例えば、「人材育成の仕事とは「ガーデニング」のようなものだ。なぜなら、人が育つのには手間暇、時間がかかるから」といった感じです。


メタファを紙に書いて、名札入れにいれていただきます。お互いに、どのようなメタファ、イメージをもとに仕事をしているのか、を話し合っていただく機会を多数もうけました。

.....................

私は『学び合い』文化で学んでいる生徒さんたちがどのようなビリーフスを持っているかとても興味があります。以上のやりとりを生徒さんたちとできれば学ぶところがたくさんありそうです。(ハンガリーでこういう生徒を増やさなきゃ。)

2009-04-22

「おりあい」と「妥協」の違い

| 05:53 | 「おりあい」と「妥協」の違い - 相互依存を追いかける を含むブックマーク はてなブックマーク - 「おりあい」と「妥協」の違い - 相互依存を追いかける 「おりあい」と「妥協」の違い - 相互依存を追いかける のブックマークコメント

「おりあいをつけるはハンガリー語でどう訳すべきか(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/szeidzsi/20090422#1240352222)」で、妥協に当たる言葉や、相互譲歩に当たる言葉がいいのでは・・という同僚のアドバイスについて書きました。

それで、それを元に妻や他の友達に説明してみたのですが、どうも通じません。友達は「一人は漢字を勉強したくて、もう一人は文法を勉強したい。そういうときに話し合って何を勉強するか決めることか?」と聞いてきました。それを聞いた妻は「え?何?この妥協って内容のことじゃないの?」と更に聞いてみます。

わかったことは、ハンガリー語でコンプロミッスムというときは、内容に関するものについての妥協と解釈されるのが普通だということです。「いやいやそうじゃなくて・・」と説明すると、「それは、偏見や(馬が合わない)感情をとりあえず横に置いといて」というふうに書いた方がいい・ということになりました。

うまく「おりあい」の意味がハンガリー人に伝わるかな~。

おりあいをつけるはハンガリー語でどう説明すべきか・・・

| 07:17 | おりあいをつけるはハンガリー語でどう説明すべきか・・・ - 相互依存を追いかける を含むブックマーク はてなブックマーク - おりあいをつけるはハンガリー語でどう説明すべきか・・・ - 相互依存を追いかける おりあいをつけるはハンガリー語でどう説明すべきか・・・ - 相互依存を追いかける のブックマークコメント

「おりあいをつける」という言葉をハンガリー語でどう訳すかということについて、「天才」「歩く辞書」と言われる同僚と辞書を引きつつ話をしました。一番近い言葉は妥協にあたるコンプロミスという言葉です。ただ私の頭の中になぜか「妥協」には「おりあい」に比べてネガティブなイメージがあるので、う~んとうなってしまいました。

同僚が言うには、「相互譲歩」にあたるクルチョノシュエンゲドメーニという言葉もいけるかも・・・と教えてくれました。

う~ん、和語を訳すのは結構難しいです。

jun24kawajun24kawa2009/04/23 05:53ネゴシエイトという方が近いように感じます。ま、英語音痴の私ですが・・。外交用語や政治用語をあたるのも言いように感じます。

szeidzsiszeidzsi2009/04/23 08:43jun24kawa様
コメントありがとうございます。ネゴシエイト・・・なるほどです。ハンガリー語でどうなるか調べてみます。

2009-04-18

「個どもは有能である」を考え中

| 00:17 | 「個どもは有能である」を考え中 - 相互依存を追いかける を含むブックマーク はてなブックマーク - 「個どもは有能である」を考え中 - 相互依存を追いかける 「個どもは有能である」を考え中 - 相互依存を追いかける のブックマークコメント

「子ども観」について、西川先生よりコメントをいただき更に考えています。

  • 自分が中学生や高校生の頃を振り返っても、人間的に今とそれほど違っているわけではない。だから今の自分が中学・高校時代の自分を無能呼ばわりするのはおかしい。同じように同じクラスにいる教師が、子供だからという理由だけで、生徒を無能呼ばわりするのは間違っている。
  • 感覚的にはよくわかります。ただ、「これってあなたの意見・感覚でしょ」と言われてしまいそうで、発表とか論文には「西川はこう言っている」という形で逃げているところがあります。

  • 教師1人の持つ能力には限界がある。しかも自分にとって一番良い教授者は教師とは限らない。また同じように常にある特定のクラスメートが一番良い教授者というわけでもない。その場の状況や課題により、それらは変わるのが普通。だから1人の教師に頼るより、できるだけ多くのクラスメートの能力を借りた方がより効果的に学べるはず。
  • 私がよく使う説明はこれです。でもこれは「学習者観」というよりは、「学習観・学習スタイル」として解釈されてしまいそうです。(本来は、自分にとって一番良い教授者は教師ではない!と言い切るところなのでしょうが、それだとあまりにもラディカルで、その後の話を聞いてもらえなくなりそうと辞めています。)

  • 個(教師)より集団(クラス)の方が有能
  • これは、「リソースとして個(教師)より個々の集まりである集団(クラス)の方が優良」と、教師やクラスメートをリソースとして見る方法と、「何かを達成しようとするとき、個より集団の方が質・量・幅などの面で大きな能力を有する」という行為者としての見方ができると思います。更に、後者の場合「目的達成をめざす」ための行為者として(この場合、個と集団が同じ目標に向かって競争しているようなイメージ)と、「わからない人がわかるようになる。みんなが目標を達せする」という集団の中のすべての個が目的を達成するための行為者(サポーター)としてのイメージがあるかなと思います。

  • 子どもたちは、多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する
  • 子どもたちは、多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶことができる
  • ..............

    今時間がなくなってしまったので、後でまた書きます。(個の能力はまわりの環境によっても大きく変わるというのもうまく組み込まなければとも思います。)

    「子どもたちは有能である」というのが(ハンガリー語で)うまく説明できません。

    | 09:48 | 「子どもたちは有能である」というのが(ハンガリー語で)うまく説明できません。 - 相互依存を追いかける を含むブックマーク はてなブックマーク - 「子どもたちは有能である」というのが(ハンガリー語で)うまく説明できません。 - 相互依存を追いかける 「子どもたちは有能である」というのが(ハンガリー語で)うまく説明できません。 - 相互依存を追いかける のブックマークコメント

    学び合い手引書』や似非(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20090413/1239582257)には、『学び合い』の本体は学校観と子ども観だと書いてあります。

    このうちの「子ども観」の説明で迷っています。これまでハンガリー人に「子どもたちは有能である」と言っても、「何に対して有能なんだ!」と聞かれてしまい、その後の説明がだらだらと長くなってしまう・・ということが続いています。長くなるということは、自分自身がはっきり語る言葉を持っていないということを意味します。それで悩んでいます。

    「子どもたちは有能」というのは(学校観の記述に関連して)「子どもたちは、多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶことができる」ことである・・と言っても差し支えないでしょうか・・・

    でもそう設定すると、学校観と子ども観の位置関係がかわっちゃうでしょうか・・・

    ............

    有能というのが「多様な~学ぶことができる」全体にかかるのか、それとも「多様な人とおりあいをつけて課題の達成する」というところにもかかるのかそこらへんがシンプルに説明できない原因になっているようです。

    jun24kawajun24kawa2009/04/18 10:36子ども「たち」なんです。どんな天才も1日は24時間です。だから、単純なことだったら数十人の子ども「たち」の方が有能です。だって、時間がかけられますから。そして、高度なものであったとしても、それが出来る子が5人いたら、同じ理屈で一人の教師よりは有能です。第一、自動化のことからいうと、分からない人へ教えることは教師は無能です。これって、講演で説明するときは、小中高大の教師の中でだれか一番分からなかったかを聞きます。

    szeidzsiszeidzsi2009/04/18 23:33jun24kawa様
    コメントありがとうございます。前発表したときは、コメントいただいたような感じで説明をしたのですが、「教師の力にも限界がある。自分にとって一番良い教授者は教師とも限らない。同じようにある特定のクラスメートというわけでもない。課題、場面、状況によりそれらは変わるのが普通。だから1人の教師に頼るより、できるだけ多くのクラスメートの能力を借りた方がより効果的に学べるのはあたりまえ」のように「子ども観」というよりは「子ども観+学習観」の説明になってしまいました。もうちょっと考えてみます。

    2009-01-08

    大きな間違いではなかった

    | 13:10 | 大きな間違いではなかった - 相互依存を追いかける を含むブックマーク はてなブックマーク - 大きな間違いではなかった - 相互依存を追いかける 大きな間違いではなかった - 相互依存を追いかける のブックマークコメント

    西川先生やとんたんさんのブログを読んで、自分の書いたhttp://manabiai.g.hatena.ne.jp/szeidzsi/20080328#1206708868が方向的には間違っていなかったかなと再確認できました。

    ただ、私は「教師主導」の教師に対し、学習者が違和感を持つぐらいのレベルで革命がおきるとまでは考えませんでした。(学習者は教師の顔を見て動く・・という説明に説得力があったからなんですけど。)でもそれも今後起こりそうな感じですね。

    2008-08-17

    言葉遊び?

    | 08:14 | 言葉遊び? - 相互依存を追いかける を含むブックマーク はてなブックマーク - 言葉遊び? - 相互依存を追いかける 言葉遊び? - 相互依存を追いかける のブックマークコメント

     『学び合い』では、「子ども「たち」は大人と同じだけ有能であり、かつ、限界を持っている」という子ども観が重要ですが、実践例には「大人は「子ども「たち」と同じ程度の有能さしかない。かつ限界もある」とひっくり返して語っている先生の姿があります。(先生はお馬鹿さんだから・・などの記述)

     言葉なんかどうでもいいのですが・・・手引書の158~159ページの語りもこの順番で書かれているような気がするので、「(教師は学習者達と同じ程度の有能さしかない。限界もある。だから)教師1名に頼るより、クラスにいるみんなを利用した方が効果的・効率的に決まっている。」の方が伝わりやすいのかな・・・と(木曜日にセルビアで発表する時に教師の語りについて説明しようと思ってパワーポイントをガチャガチャやっていて)考えたりしてしまいました。