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相互依存を追いかける このページをアンテナに追加 RSSフィード

 ハンガリー・カーロリ・ガーシュパール大学の若井誠二(わかいせいじ)です。日本語教師です。10以上年前より学習者自律に関心を持ち、現在は学習者自律を支える「相互依存」を追いかけています。そして『学び合い』が相互依存の1つの形かなと思っています。(ご連絡等はszeidzsiアットマークfreemail.huまでお願いします。)

2017-09-05

読んでみたい・・・

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国語教育(日本語教育)でも学習ポートフォリオの利用が盛んになっています。ポートフォリオは自分の学習を管理するメタ認知力を育てるために有効だといわれています。一方、ポートフォリオを書かせる動機づけとして「教師との対話」がうたわれることがあります。この場合、学習者はクラスメートとポートフォリオを記述する際に話し合いを行うことはありますが、(ポートフォリオは先生に提出され)すべてのポートフォリオを読むのは教師となります。そして教師は1人1人のポートフォリオを読みコメントします。こうなると、いつのまにか学習者は教師のためにポートフォリオを書いてしまう危険性があると私は思っています。

ポートフォリオは自分のために書くものですが、(クラス全員の目標達成に向け)クラスメート誰もがすべてのクラスメートのポートフォリオを自由に読めるようにすれば、ポートフォリオは強力なリソースとなるでしょうし、(クラスメートが読みコメントしてくれたり、他者のポートフォリオを読んで気づきが得られれば)より強力なリソースとなるように学習者も記述を工夫する可能性が出てきます。この工夫がメタ認知能力を伸ばすと思います。一方、教師が学習者のポートフォリオを読んだとしても、教師が考えるようなアドバイスはすでにクラスメートによりなされていることを知り、寂しさを覚えつつも学習者の成長を嬉しく思えると思います。

私の立場は以上ですが、先日、ある日本語教育の学会より『英語学習ポートフォリオの理論と実践 自立した学習者をめざして』という本の紹介がありました。目次には「教師の成長のために学習者のポートフォリオ利用」という章もありとても面白そうな本です。が、帯に「教師と生徒の対話を促す」と書いてあるのがちょっと気になりました。例えば授業中ポートフォリオがリソースとして開かれていて、それを教師が学習者の邪魔にならないように読み自己成長に生かしていくようなものなのか、それとも教師に提出させて、教師がそれを1つずつ読んでいくのか・・・読んでみたいと思います。

保護者の立場から見ると・・

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我が家の子どもたちが通っている継承日本語クラス。5年ほど前、当時の先生から「生徒の日本語能力もバラバラだし準備も授業も大変です。」と現実をつきつけられました。(わかっていましたが先生にお任せでした。そのせいで先生の負担が大きくなっていたのです)それでその後、保護者内で試行錯誤を繰り替えし、①親の願いから子どもが納得する目標をたてる。②自分の目標だけではなくクラスみんなの目標達成のために考えて動く。③先生に子供たちが目標達成のために考えて動くスペースをつくってもらうという方針をとっています。そして4年前より毎年同じ時期の3ヶ月間、毎週の授業のうち1時間ビデオに授業の様子を撮らせていただいています。

そしてわかったことは先生が子供たちが目標達成のために考えて動くスペースをつくれるかどうかは保護者のプレッシャーが関係するということです。

小規模継承語クラスでは、1人の先生が長い間授業を担当してくださるのはまれです。そして先生が必ずしも学校教育の経験者であるとは限りません。どの先生も本当に子供たちのことを考えて動いてくださいます。でも保護者との距離が近いがゆえに(教室の隣の部屋には保護者が待機しています。)「目標達成の成果を保護者に目に見える形で示さなければ」というプレッシャーを感じてしまいます。(先生より保護者の方がはるかに年上ですし、日本語を教えた経験のある保護者もいるのでなおさらです。)そうなると、どうしても生徒たちに直接指導したくなってしまいます。

保護者も発表会がうまくいったりきれいな成果物が出れば嬉しいです。でも、もっと嬉しいのは楽しく授業に通って、そして成長が見えることです。そのためには、先生が自由に動けるスペースをつくらなければと思います。