ぼちぼちいこか

長野県諏訪郡で小学校教員をしています
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☆★☆『学び合い』メールマガジン☆★☆
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2008-09-15

[]メモ 21:08

『STUDY HACKS!』(小山龍介、東洋経済新報社)という本の冒頭部分に惹かれました。

おそらく今が自分の教員生活におけるターニングポイントではないかと最近思ってきましたが、とにもかくにも勉強することが大事だと感じるとともに、『学び合い』フィルター(by janglejapさん)がかかっているので、自分への戒めとして読み、かつ、力ももらった気がしました。


自分へのメモとして、引用しておきます。



[]氷河期 21:08


人類の祖先は、大規模な氷河期に直面したとき、木から降りて二足歩行を始め、自分の足でえさを探し求め歩くようになりました。(略)氷河期という生命の危機があったからこそ、その後の繁栄がもたらされました。


(略)若手ビジネスマンもまた「氷河期」を経験したことを覚えているでしょう。いわゆる「就職氷河期」。人類の祖先が二足歩行を始めたように、僕たちは自分たちの力で歩行を始め、自分のえさは自分で獲れるようにスキルを身につけてきました。(略)


僕たちが木から地上に降りて二足歩行を始めたとき、それは確かに苦痛を伴ったつらいものでした。企業は守ってくれず、自分の人生は自分で見つけていかなくてはならない。しかし、一方で今、二足歩行そのものの楽しみを見出していることにも気づきます。人類の祖先が二足歩行によって繁栄を謳歌したように、僕たちも企業から自立することで豊かさを享受するタイミングにきたのです。

(pp.1~2より)



[]熟成 21:08


勉強というと、「学んで知識を増やす」というイメージがあるかもしれませんが、社会人にとっての勉強というのは「今まで経験したことを忘れる」というゼロリセットのチャンスでもあるのです。やり慣れた業務を、もう一度「何の目的でやっているんだろう」「会社全体から見るとどういう意味があるんだろう」と改めて問い直す機会なのです。


(略)バンドを自己流で続けていると、その方法が間違っていたとしてもそれが正しいのだと勘違いをして、どんどんそのやり方に固執してしまうようになる。熟成はしても、悪い熟成をしてしまうというのです。彼らの場合、さる名プロデューサーから厳しく指導を受けることで、その悪い熟成を回避できたと対談では話しています。


この悪い熟成は、(略)仕事においてもこれは起こりえます。特に30歳前後で、仕事にも慣れてきてちょっとした自信も出てきたあたりが一番危ない。「このやり方が正しい」という過信が目を曇らせてしまう。(略)ここには「今までこうやってきたからこうやる」という、およそ論理的とはいえない論理が横たわっています。(略)勉強というのはこうした悪い熟成を回避するためのものなのです。


勉強をすると、業務では関係のなかった知識に触れることになります。最初は聞きなれないその知識に戸惑いも覚えるかもしれませんが、しかしその戸惑いこそが重要なのです。そこでは、あなたの中の知識の遺伝子レベルで、確実になんらかの変化が起こっています。そしてその変化が積み重なっていった結果、突然変異が起こる。そして今こそ、自分自身を突然変異させるタイミングなのです。

(pp.3~4より)

2008-07-19

[]「競争」と「切磋琢磨」 06:50

今朝シャワーを浴びていたら、ふと「切磋琢磨」という言葉を思い出しました。「何考えてシャワー浴びているの?」とつっこまれそうですが、寝ぼけていたのに、なぜか四文字熟語を思い浮かべたのです。


そしてブログ巡りをしていたら、janglejapさんのブログ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/janglejap/20080718)で

>・競争より、ともに協力して学ぶ

という言葉を見ました。なんともタイムリーでした。



学び合い』は、集団の中の「みんな」で高まり、「みんな」ができるようになることを目指す、まさに切磋琢磨だと思います。


独りよがりじゃマズイと思って調べました。

――― 切磋琢磨 ―――

[詩経「如切如磋如琢如磨」]

玉・石などを切りみがくように、道徳・学問に勉め励んでやまないこと。また、仲間どうし互いに励まし合って学徳をみがくこと。

(電子辞書版 広辞苑より)


とありました。ズバリ『学び合い』だと確信しました。さらに意外だったのは「道徳」的な高まりもこの言葉に含まれていたことでした。学問的な高まりだけではないことに、なぜか安心しました。


子どもたちにも語りたいと思います。



[]「褒美でつる」 06:50

同じくjanglejapさんのブログ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/janglejap/20080718)で

>外的コントロールをしようとして「批判する、責める、文句をいう、ガミガミいう、脅す、罰する、褒美でつる」ということをしない。

の「褒美でつる」にビビビッときました。(表現が古いですが)



評価の1つとしてシールをあげることがあるのかもしれませんが、ずーーーっと「何だかなぁ」と腑に落ちない自分がいました。シールをもらうために活動するようになってしまわないか、と。


・・・時間になってしまいました。つづきます。



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日付が変わる前に更新できました。


で、、、「褒美でつる」ですが、これを繰り返すと活動の目的が「褒美を得る」ことになってしまうのではないか。しかも、褒美が段々と変化していかないと子どもたちが満足しないのではないか。


色々なことを想像してしまいます。これこそ子どもを信じていない!と怒られそうですが、方法論に極度に傾いている気がします。

janglejapjanglejap2008/07/19 09:37卒業アルバムの寄せ書きの真ん中に私が書いた言葉、まさにこれでした!切磋琢磨!

sumimonsumimon2008/07/19 23:51janglejapさん、
さすがです!自分も卒業学年を受け持ったらぜひとも書きたいです。

akibo13akibo132008/07/23 00:01褒美でつる。確かにやりがちですし、やって来ました。今日、この記事を参考に生徒に語りました。
「最高の褒美はみんながわかり、みんなが大事にされる集団で生活できること。だから、小さな褒美はやらん!」でも、学び合いでは「褒める」という褒美を毎日あげていますよね。

sumimonsumimon2008/07/23 05:44AKIBO13さん、
「最高の褒美は…」はわかりやすいですね!それに自分が集団の中で安定することも1つの大きな成果だと思います。
ただ、「褒美」と聞くと、内田樹先生の“等価交換”をどうしても考えてしまう自分がいます。