長野県諏訪郡で小学校教員をしています
授業参観可能です
sumimon7とgmail.comを@でつないでください
http://www.mag2.com/m/0000270912.htm
2009-11-30
■ [親ばか]ハイハイまであと少し
娘がもう少しでハイハイをしそうな段階です。膝を立てようとしているのがわかります。そんな姿を見た妻が
「すごいよね、誰にも教わっていないのにできるようになるなんて」
と言っていました。
「ねっ、そうだよね。自分はそれと同じことを教室でいつも見てるんだよね」
「教わらなくてもできるように本能が備わっているんだよ」
「大人がじゃましちゃっているかもしれないよね」
とどこかで聞きかじったり、読んだりしたことをつぶやき(ボヤキ?)ました。
■ [その他]強烈パンチ
先週末は東京のとある会合に出ていました。北は北海道、南は沖縄からの参加者のいる会でした。学会のような、あまりかしこまったものではなく、自分たちの実践や悩みを持ち寄りました。
自分は『学び合い』のレポートを提出してありました。いただいた時間をフルに使って説明したり、出された質問に答えたりしましたが、やはりなかなかイメージが湧かないとのことでしたので、各地でセミナーが行われていることを伝えておきました。
あとは、『学び合い』の考えはかなり強烈な刺激だったことを感じました。
兵庫、山梨、千葉に静岡、それに富山、沖縄、福岡と様々な方がいたので、そのうち1人でも興味を持ってくれたらうれしいです。
2009-11-25
■ [親ばか]お父さんの日
最近読んだ本に触発されて、本日は「お父さんの日」としました。
普段が「お母さんの日」となっている我が家だけに、わざわざ特別に「お父さんの日」と言わないといけないのが何とも切ないのですが、今日は子どもたち3人を風呂に入れました。さすがに湯船がせまく感じつつ、かえって「お母さんに感謝する日」になりました。
読み聞かせも自分がするはずでしたが…。
来週にも「お父さんの日」を一回は設けて、もう少し家族とゆったり過ごそうと思います。
■ [その他]「信用していないとできないよね」
クラスの子の学習カード(算数)を妻に見てもらいました。
「ねえねえ、この学習カードおもしろいでしょ」
といった具合に、自画自賛の延長として見せたのですが、そこから話題は『学び合い』に。
「こういう風に進めているから、子どもたちでできるんだ」
「目標がこうやって書いてあるだけで、子どもたちは分かるの?」
「遊んじゃう子っていないの?」
「教室から出て行ったりしないの?」
さながら、保護者への説明のような時間となりました。考えてみれば家で真面目に『学び合い』について話すのは初めてかも。妻は教員ではないので、一人の母親として素直に意見したのだと思います。
そして最後に、
「子どもたちを信用していないとできないよね」
そうです。そうなんです。
思わず、うんうんとうなずいてしまいました。
2009-11-12
■ [子どもたち]さすがに無理
今週、祖父母参観日のような学校公開のような日がありました。ちょうどこの前日に次男が高熱を出しており、自分が病院に連れて行かなくてはならない状況になりました。
当日の朝、子どもたちに
「息子が熱出したんだけど、授業は先生いなくても大丈夫だよね?」
と聞いたら、
「はい」
「いいよ」
との声が。「えぇ~」という顔をした子にも気づきましたが、概ね「大丈夫だよ~」との反応が。
そこで、職員室で
「授業参観ですけど、いたほうがいいですか?」
と相談したところ、
「やっぱいた方がいいよね」
とのこと。当然といえば当然のことですが、せっかく学校にいることにしたので、いつも以上に子どもたちの周りをウロウロしちゃいました。
クラスの子どもたちは自分たちでやることをわかっていたし、いつも以上にちょっかい出して楽しかったし、息子はただの風邪だったし、で結局はなかなかいい日でした。
2009-11-11
■ [子どもたち]奇跡の教室
aki-kichiさんのエントリ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/aki-kichi/20091108)を見て、クラスの子どもたちに、
「すごい!奇跡の教室だね。」
とボソッと言いました。
子どもたちからは
「『奇跡』なんかじゃない!」
「ひどい!」
と言われてしまいましたが、理由を簡単に伝えたら納得してもらいました。
子どもたちには「奇跡の学校」を真剣に目指してほしいです。
2009-11-10
■ [子ども]反省
今日の算数でのこと。子どもたちで答え合わせをしていたときに、ある子が
「先生、外国って○を描くときに上から描くの?」
と聞いてきました。どうやら、転入してきた子の○の描き方を見て気づいたようです。
そもそも正答に○をつけているのは日本だけなんじゃない?ってなことを私が言ったら、そのことが一気に盛り上がり、教室中に広がりました。「え~、何?何?」といった具合です。
そして本日の学習カードの記述欄。
外国は○がレ(チェックマークの意)で、レが○でおどろいていて時間をくった
と書いた子がいました。
先生のせいだね。ごめん。
と朱で書きましたが、気楽に雑談をしてしまったことを反省しつつ、そういった雰囲気に慣れてしまっている自分がいたのだなぁとしみじみと思いました。
2009-11-07
■ [その他]教材研究
今日は総合教育センターで研修講座を受講してきました。英語活動についての講義です。
これまでの研修や研究会と違って、「これなら英語活動ができる!」「おもしろかも…」と背中を押してもらった内容でした。
研修の内容は別エントリにするとして、、、
今回の研修では教材研究について考えました。うまくまとまっていませんが、英語活動で言えば、数字を扱いたければoneとかtwoなどを思わず言いたくなるような活動を取り入れたいものです。そこには、活動を考える教師に「遊び心」というか「楽しんじゃう」感覚が必要なんじゃないか…、そんなことを考えたのです。
今週は国語の課題設定で考える刺激を与えてもらい、先日のMIZUOCHI先生の日記(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/Mizuochi/20091103)では具体例も挙げてもらいました。そして今日の研修講座。これからは、しかめっ面で教材研究をするのではなく、「こんなことをしたらあいつらどんな風になるかなぁ…」とニヤニヤ顔になるのが理想です。
■ [研修]「心」がある言葉を
肝心の研修の中身ですが、
<英語=言葉>と考えたときに、言葉の核は発話者の「心」であり、そこに「音声」「言葉」という同心円があります。(「心」を中心とする三重丸をイメージしてください。「心」→「音声」→「言葉」と広がっていきます)
「心」がなければ空虚なものになってしまい、これがボールだったら簡単につぶれてしまいます。それなのに、"What animai is this? --- It's a cat."などと、子どもたちが手にしたカードの動物名を言わせたり、リレーでどちらのグループが早く伝言できるか競わせたりしています。
英語活動で目指す<コミュニケーション能力の素地を養う>というのは、まさにこの「心」の部分なんじゃないでしょうか?その「心」を揺さぶり、「音声」にしていくけれども、上手く言えないからもっと上手く言いたい、文字にしたいということは中学や高校でしっかりやろうね、と送り出してあげればいいのではないでしょうか
といった柱がありました。(主旨をまとめたものであって、あくまでも文責は私、sumimonです)
上記の考えに沿うと、担任が授業をするとしても、
「全部英語ですすめなくちゃ」
「え~、うまく発音できないよ」
「知らない単語を子どもに聞かれたらどうしよう」
と悩んでいる自分や同僚が、
「ここだけは英語を使ってほしい!ってところだけ頑張って、あとは日本語を使いましょ」
「子どもたちに伝えたい、子どもたちの考えを聞きたい、っていう担任の想いが大事ですよ」
「『先生知らないから、○○くん調べてみてよ』と投げかけて、一緒に学んでいくスタンスでいきましょ」
と背中を押してもらえると思うのです。
こんな感じで前向きになったので、A5ノートに10ページもメモを残しちゃいました。
2009-11-01
■ 紹介はします
下のエントリの続きでもありますが、自分も意見の紹介をします。本時の最中にもブツブツいいながら紹介しますが、主なのは次時の最初です。評価もします。
前は、ちいちゃんの気持ちを考える課題で、おじさんのセリフに基づいて説明した子もいました。そのことについて話すとともに、こんな考えもあったよと紹介しました。
『学び合い』でなくても、いわゆる、おとなしくて目立たない子、の意見は指名させて言わせることがあると思います。同じように紹介できます。しかも、教師の評価も一緒に。
でも、『学び合い』では子どもたちは意見交換しているので、純粋なる“意見の紹介”はあんまり時間をかけてはいけないと思いますし、不必要ではないかとも思います。
■ コメント返し
> o4daさん
コメントありがとうございます。
確かに意見交流では紹介しちゃったほうが効率がいいのかもしれないですね。でも、それだけ「いい意見」だというのは、「教師が求めている意見」なのかな、とコメントを読んで思いました。
それだけ「いい意見」だと言い切れるならば、その理由を考えさせる課題を提示したらオモシロイのではないでしょうか。
例えば、【第2場面でちいちゃんの気持ちが最も表れているのは「〓」というセリフである。その理由を説明しなさい】です。
そもそも、教師の期待する意見があるならば、それを全員の子どもたちがわかるようにしなくてはなりません。それなのに、期待する意見も示さずに子どもたちに考えさせるのはおかしいと思います。
o4daすばやい返事すばらしいですね!
でも、『学び合い』では子どもたちは意見交換しているので、純粋なる“意見の紹介”はあんまり時間をかけてはいけないと思いますし、不必要ではないかとも思います。
この部分についてもう少し教えてください。
sumimono4daさん、質問ありがとうございます。こうやってやりとりすると、自分の考えもまとまってきますね。
> でも、『学び合い』では…
ですが、教師が「こんな意見もあったよ~」と紹介するのは、子どもたちが友だちの考えを知らない、という前提のもとで行われるものだと考えます。ですが、『学び合い』では子どもたち同士が意見交換していますから、「こんな意見もあったよ~」と単に紹介するのであれば「知ってるよ!」というツッコミがあるはずです。そのような単なる「紹介」なら不必要だと考えます。
上記とは違って、教師が「こんな意見があって、先生はこう考える」とか「こう評価する」という紹介の仕方であれば、教師も『学び合い』の一員として、あるいは評価者として有意義なものになるのではないかと考えます。
o4da「こんな意見もあったよ~」と単に紹介するのであれば「知ってるよ!」というツッコミがあるはずです。そのような単なる「紹介」なら不必要だと考えます。
これを全員が把握していたらそういうつっこみがあると思います。例えば算数で計算方法ならいくつかの考えがあれど、大筋で通る道はあるでしょう。だから、そういうつっこみの意味も分かります。
しかし、国語は答えが1つでない自由な部分があります。N先生が言われるように、実は絞られているけど、算数よりは多様だと考えます。だから、全員が把握している状態(一部のグループの会話を全部のグループが知っている状態)はないと思います。だから、これには気づいてほしいというものを紹介(全体で話し合いをする)するのだと考えますが、いかがでしょうか。
katokiti2003横から失礼します。
sumimonさん、o4daさんのやりとりを読んでいて感じたことを書きます。
私もつい最近「ちいちゃんのかげおくり」の学習を終えたばかりです。3年生の経験は、この年にして多い方ですが、『学び合い』にシフトしてからは初めてです。
課題について議論がされていますが、評価規準についてはいかがでしょうか?
国語の物語文の指導書を読んでいて、「本時の目標」なるものが書いてありますが、「書くこと」と「読むこと」が混在している気がします。
学習課題を考えるときも、無意識にそれを混在させているような気がします。
「叙述を元に」に視点を当てたときは答えはほとんどの場合1つになるような気もするんですが、いかがでしょうか?
o4da補足します。私はかときちさんの叙述を元にに視点をあてたときに答えはほとんど1つになるのかな?という気持ちだと気づきました。例えば、1つの叙述からい似ているけれども絶妙に違う解釈が生まれたり、考え根拠となる叙述がいくつか見つけたり全体の話し合いの場を必要とするのではという考えのようです。
sumimon> o4daさん、
> これには気づいてほしいというものを紹介(全体で話し合いをする)するのだと考えますが、いかがでしょうか。
> 考え根拠となる叙述がいくつか見つけたり全体の話し合いの場を必要とするのでは
ですが、今回の自分の授業では、それぞれの場面で子どもたちが一人一人が考えたこと・想像したこと・感じたことを叙述に基づいて説明することが目標であるので、考え方・感じ方が多様であれば、その違いを「おっ、そんな意見もあるのね。」と思える程度の紹介でOKだと考えます。なので、自分としては次時の最初に紹介する程度です。
あと、全体の話し合いの場の「ねらい」は何かなぁと自分も疑問を抱きました。子どもたちが「え?!」と感じて、話し合いが始まっちゃうのなら面白いぁとも思いました。
「話し合う」ことなのか、考えを練り上げていく(深めていく)ことなのか、・・・。
sumimon> katokiti2003さん、
> 「本時の目標」なるものが書いてありますが、「書くこと」と「読むこと」が混在している気がします。
> 学習課題を考えるときも、無意識にそれを混在させているような気がします。
そうですね。そこがスッキリしないから国語の課題設定が難しく感じている自分です。
>「叙述を元に」に視点を当てたときは答えはほとんどの場合1つになるような気もするんですが、いかがでしょうか?
ですが、「答えはほとんどの場合1つになる」のでしょうか?例えば、「ちいちゃんの~」だったら、『深くうなずきました』という言葉からはちいちゃんがお母さんとお兄ちゃんが帰ってくることを信じて疑わない様子を多くの子どもたちが感じ取ると思います。一方で、今回の自分の課題のように【第3場面において、ちいちゃんは家族に対してどんな気持ちでいるのか・・・】とすると、様々な叙述を基に様々な考えが出てきます。それが自分にとっては、子どもたちがどこを大事だと思っているのかが予想以上に広がって面白さを感じさせてくれます。
まあ課題設定が今ひとつあやふやなところがあるのが自分でも納得いきませんが。
katokiti2003すみません。説明不足でした。
叙述を元に「様々な考え出てくる」は当然の現象だと思います。しかしながら、「どの叙述」という点については一致すると思います。指導要領「読むこと」の目標から考えると、「どの叙述を」という点が「読むこと」の内容に合っているような気がします。そこに対する感じ方は、それこそ「みんなちがって、みんないい」と思いますし、それを感じることはまた別の評価規準に相当するのではとも思います。ですから、新指導要領では「伝え合う」とか「交流」といった文言が、新たに随所に追加されたように考えますが、いかがでしょうか?
o4daすみもんさん、考えを練り上げていくためにはどう『学び合い』をすればいいですかね?また、課題設定が今ひとつあやふやについてもう少し教えてください。
かときちさん、別の評価規準に相当するのではとも思いますについてもう少し教えてください。
katokiti2003横から入ってきて、こんなにコメントしてしまっていいのでしょうか…sumimonさん、ごめんなさい。…っておもいつつ…。
o4daさんへ
例えば物語文の場合、「ある叙述」を元にできるかどうかという点については、「読むこと」の評価が必要になると思います。ですが、そこから感じ取った表現のよさや深さを、書き表すのであれば「書くこと」、話したりするのであれば「話すこと・聞くこと」の評価が必要だと思います。すなわち、「叙述を元に説明できる」とした場合、「読むこと」と「書くこと」あるいは「話すこと・聞くこと」と言った2つの評価をする必要があるのではないかと思うんです。国語という「言葉に拘る」教科を相手にした場合、そんな感じがしています。
sumimon> o4daさん
“考えを練り上げていく『学び合い』”ですが、“課題設定があやふや”とも関わると考えます。
課題設定において、【「~」という言葉からちいちゃんの気持ちを考えて説明することができる】と、ひとつの決まった叙述から心情を考える課題にすれば、全員が同じ叙述から考えるのですから、前後の文脈とあわせて個々の考えを交換し合うことで「考えを練り上げていく」ことができると思います。
今回の授業の課題は「第3場面において~」と子どもたちが自分で鍵となる叙述を選んで心情を考えています。ですから、子どもたちが考える土台となる「叙述」が異なることがある、という意味で「課題設定が今ひとつあやふや」と思っています。
まぁ後からそんなことを言っていてはいけないのですが。
o4daありがとうございます。また実践してみます。
sumimono4daさん、
自分の実践をさらけ出すのは恥ずかしいのと、思い切りがいることだと思いましたが、こうやってコメントをもらえたのはさらけ出したからこそだとも思いました。
ghjalさんのところはちょうどピークを過ぎたあたりなんですね。この感染力は正直、恐ろしいです。我が家にはいつ来ることやら・・・。気をつけます。
べびぃ整体でお世話になっている助産師さんに、
「赤ちゃんは、ちゃんと自分の体が気持ちよく成長できるように、本能で考えて動いているんだから、邪魔しちゃダメ」
「大人が勝手にお座りやたっちの練習(余計なこと)をすると、正しく成長できない」
って教わりました。
……『学び合い』と同じ考え方ですよね。
ちなみに、そのお仲間で、
「学校で本能を封じるように教育されるから、お母さん方が自分の本能を感じられなくなってしまう。」
っておっしゃっている方もいました…。
『学び合い』が一般化されれば、お母さん方もみんな本能を感じることができるようになるかも??
はい。「はいはい」はこれからなんです。ラグの上をゴロンゴロン転がっているのが現状です。
「本能」ってどこに消えてしまっているんでしょうね?赤ん坊を見ていると本能しかないですから不思議に思います。やっぱり学校の影響って大きいんでしょうか。そう考えると自分の仕事の責任感がさらに大きくなる気がします。