ぼちぼちいこか

長野県諏訪郡で小学校教員をしています
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2008-07-29

[]「みんなが」「みんなで」 05:59

遅ればせながら1学期終了を迎えました。


さて、「みんなが」「みんなで」についても遅ればせながら参加します。


「みんなが」はあらゆる活動で子どもたちに語りますが、「みんなで」を求めるときは学級で1つの活動をするときが多いです。例えば花壇づくりでは、「みんなでステキな花壇を作ってね」と言いました。ですから自分の中では「みんなが」と「みんなで」は少しとらえ方が違うのかもしれません。




[]「みんなが」「みんなで」その② 05:59

みなさんのブログを見て、保護者の方々が危惧されているのもおそらく同じようなことではないかと考えました。「みんなが」を求めたら、苦手意識を持っている子は余計に萎縮してしまうのではないか、序列ができてしまうのではないか、などの不安です。


ただ、現在は絶対評価をするようになり、学習の到達度が評価の対象になっていると私は解釈しているので、「みんなが」を求めることは、それこそ「みんなが」力をつけるためのスタートラインだと思います。それを苦手意識を持っているがいるから…、と予め教師側がハードルを下げるような対応をしようとすれば、子どもたちの成長は教師の期待通りにしか出ないと思います。


この考え方自体が子どもの有能さを信じていないことかもしれません。でも、私は自分がアッと驚くような成長を子どもたちが見せてくれることがこの仕事の醍醐味だと思っていますし、子どもたちが育っていくところを見たいと思っているから『学び合い』に惹かれ続けています。


子どもたちには厳しい考え方かもしれなくても、「みんなが」はやはり求め続けていきたいです。




[]「みんなが」「みんなで」その③ 05:59

もう1つ。


新学習指導要領が公示された頃から、「履修主義」と「習得主義」という言葉が常に頭の中にひっかかっています。これまでの日本は「履修主義」だったと思っています。ですから世界史の未履修問題があったときには、とにかく指導時数を確保することが報道されていました。


今は「習得主義」にシフトしつつあると思っています。なにかにつけ話題になるフィンランド教育はまさに「習得主義」ではないかと思われます。(浅薄な知識で、間違っていたらご指摘下さい)


「みんなが」を求めるとき、私は完全に「習得主義」です。


厳しい考え方だ、と言われたら確かにその通りですが、習得主義でも習得できなかったときなどに再び学習する場があったり、再び頑張ろうとする人々を許容する文化が根付いていたりすることのほうが大事だと思います。


フィンランドのある幼稚園では「子どもの成長が小学校に上がるまでの段階に至っていなければ、もう一年準備期間として過ごす『スタート教室』という場が設けられている」(「欲ばり過ぎるニッポンの教育」苅谷剛彦・増田ユリヤ、講談社現代新書、220ページ)そうです。


「みんなが」を求め続けるのであれば、上記のフィンランドの例が「ひゃー!厳しい!!」と思われるのではなく、「チャレンジし続けることができて、いいことね。」と思われるような文化をクラスにつくりあげる必要があります。