2018-06-14
『たった一つを変えるだけ』
やってみました、質問づくり。わからないことが多いけど、とにかくやってみないと始まらないと思い、取り組んでみました。
変える「たったひとつ」は、教員の「考え方」ですね。あまり「全員達成」などを強く言えない文脈のなか、効果があったように思います。
さて、次、どう進めるか。
2018-02-26
SORAの会の振り返り
SORAの会に参加しました。小学校でこれから始めようという先生方と、国語の課題づくりについて話しました。国語は、小学校の先生にとってはとっつきにくい教科なのかもしれません。
一応、小学校の単元テストをもとにしていくつか示し、「問題に正しく解答して、解き方を説明する」という課題や、「問題の答えは○○。これについてみんながわかる説明を○字以内で書く」という課題をお伝えしました。私自身は行き詰まっているのですが、少しはお役に立てたかなと思います。
なお、課題づくりも底はありません。ただ、小学校であれば、たとえば学年の誰かが国語と社会を担当し、誰かが算数と理科を担当して課題をつくる、というやり方はあるのかな、と思いました。
2017-06-17
よい授業・悪い授業の差
課題づくり | |
授業アンケートで、「授業がよいときと悪いときの差が激しい」というコメントを書いてくれた生徒がいました。なるほどな~、と思います。
生徒の実態に即して考えることも可能です。「あのときはなんだか落ち着かなかったよね」と。しかし、それにも原因があると思います。
私の現在の見立ては「課題が適切なものではなかった」ということです。だから、生徒たちもどのように取り組んでよいかわからず、不安になって、わいわいがやがやしてしまったのではないかと考えています。
とにもかくにも私が原因です。「これならなんとかできるかも」ということでつくってみた課題だったのですが、失敗しました。生徒の実態に合っていなかったんですね。
これは私にとって大きな学びです。
逆に、たとえば中2の古典では、課題の内容が適切で、「ごく簡単な抜き出し問題から、答えが定まらない難しい問題までうまく配列されているときに、生徒たちの学びもスムーズである」ということも発見しました(これはTOSS関連の本から学びました)。
もちろん、生徒たちの実態と教師の見取りの能力によってはまったく違った見方も可能です。
このあたりを生徒たちと一緒に創っていけるのが、本当に楽しいです。また、そうやって課題の調整をすることで取り組みやすくなり、自信のない生徒も関わりやすくなるようです。課題の面からも、「一人も見捨てず」近づいていけるように思います。
2017-06-08
正解のある問い・正解のない問い
子どもたちが、「正解」を求めてくる。「正解のある問い」を求めてくる。そんなとき、どうするか。
高校生ともなれば、「学校では正解を出すことを求められる」ということが経験的に身に付いているのではないかと推測します。
そうなると、「正解のない問い」に答えを出していくのは、やはり不安なものだろうと思います。社会の本質はそっちであり、完全な回答はありえないから、「正解のない問い」だけやっているわけにはいきません。
でも、「正解のある問い」だけやっていて満足していることは、「問題の先送り」にしかならないと思います。それでは子どもたちの未来を明るいものにすることはできない。
じゃあ、どうするか。織り交ぜてやればいいだけだと思います。誰もが解答できるような設問を多く入れ、その上で、「正解のない問い」も入れこんでやればよい。昨日書いた、「仁和寺にある法師」の課題も同じです。
・「仁和寺にある法師」は、どこに向かって旅立ったか。
・法師は何人で旅立ったか。
・交通手段は何か。
・着いた場所で拝んだ二箇所はどこか。
・「かばかりと心得て帰りにけり」とあるが、それ以外に何があるのか。
以上の設問は、やや易しい「正解のある問い」です。5つめが少し難しいですが、それでも相談すればみんなできます。
それに対して、「筆者が『少しのことにも、先達はあらまほしきことなり』と最後に言っているのはなぜか。本文全体をふまえて、その理由を書き、三人に説明して納得してもらえたらサインをもらう。納得してもらえなかったら、どこが納得できないのかを聞いて説明を改良し、それでOKであればサインをもらう。全員が三人からサインをもらう。」という課題が、「正解のない問い」にあたります。
これに対する私の模範解答は「仁和寺にいる法師が石清水に参拝しようとして、山のふもとの極楽寺や高良神社を石清水八幡宮だと思い込み、山の上にある石清水八幡宮には参拝しなかったことから、一人では簡単なことも間違えてしまうと考えたから。」です。やや不完全ですが、子どもたちに提示するのはこのくらいがいい。最後の「一人では簡単なことも間違えてしまう」はなかなか書けません。
でも、この程度でいいと思っています。だからこそ、交流が生まれる。
「正解のある問い」である程度自信をつけてもらい、「正解のない問い」に移行するスプリングボードにしてもらう…そんな流れがいいのかな、と最近考えています。