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2015年10月から『学び合い』の実践を始めました。 中高の国語で『学び合い』の考え方で授業を実践しています。 授業のことを中心に、気付いたこと、考えたことを綴っています。

2019-03-10

鏡の法則

| 17:58 | 鏡の法則 - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 鏡の法則 - STAR日記 鏡の法則 - STAR日記 のブックマークコメント

子どもたちに生じていることは、自分の心の鏡となっていることである。『鏡の法則』という本もあるけれども、本当に法則として存在するように思える。


だからこそ、辛いこともあるけれども、少なくとも、教職という「人を育てる」という職業に就いたのであれば、避けては通れないことだと考える。


でも、それでも「生徒の責任」にして、自分の問題とは考えない人も多いのかもしれない。それだと自分自身の成長は止まるし、本当に変えたいものも変えられない。現実に妥協するだけになってしまいかねない。


人の心を変えることは難しい。でも、自分の心の支配者となることはできる。コツコツと自分にできることをやっていくのみである。そうした姿勢で、他人に影響を与えることはできるだろう。

2019-02-08

教職の本質

| 18:32 | 教職の本質 - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 教職の本質 - STAR日記 教職の本質 - STAR日記 のブックマークコメント

突然、やる気を出す生徒もいる。何がきっかけになるかはわからない。テレビのニュースを見たり、本を読んだり、何かが発奮材料になるのだろう。


でも、私たちの仕事は人を導く仕事である。本当は、私たちこそ、生徒に火をつけることができなければならない存在なのではないか。それができないなら、私たちの努力が足りないのではないか。


もちろん、がむしゃらに努力すればいいわけではない。その裏には、しっかりした知的な蓄積が必要だろう。「その一言」のために自分の見識を磨く。


環境を言い訳にして、愚痴を言っている場合ではないかな。やれることをやっていこう。直接的な努力はそれだ。そして、間接的な努力として、布石を打ち続けることが大切だと思う。

2019-02-04

何を目的とするのか

| 19:44 | 何を目的とするのか - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 何を目的とするのか - STAR日記 何を目的とするのか - STAR日記 のブックマークコメント

教師が授業をする上で、目的となるのは何か。


最上位は、「子どもを自立した大人にすること」だと思う。そのために不要であることは多いような気がする。


高校の普通科だって、結局、そんなに「普通」ではない。与えられたカリキュラムをこなすだけ、というふうになっていないか。そして、それに意義を見出せなかった人はドロップアウトしていくのではないか。さらには、表面上には出さないがドロップアウトしている人もいるのではないか。


「高校は義務教育じゃないんだから、通いたくない人は通わなければいい」という言説もある。だがしかし、実際には、社会では「高卒くらいが普通」という価値観が一般的だろう。その意味で、やはり、「高校の卒業証書がほしい」というのが本音ではないか。


また、日本の財政赤字は膨らむばかりで、これから潰れていく私大もあるだろうし、そもそも大学に進学する人も減るように思う。ある意味で日本は学歴社会かもしれないが、ある意味では学歴社会ではないとも言える。そもそもいい大学を出ても、仕事のできる・できないとは、あまり関係がないというのが実感だ。


ちゃんと、本当に「学ぶ」ためのことをやろう。教師もそれを知ろう。学び続けることができない人に、「学ぶ」ということを教えることはできないように思う。

2018-12-21

帰納と演繹

| 19:39 | 帰納と演繹 - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 帰納と演繹 - STAR日記 帰納と演繹 - STAR日記 のブックマークコメント

人間の思考は、大別すれば「帰納的」か「演繹的」となるのかもしれません。


体験から何か教訓を学ぶのであれば帰納的です。逆に、何か教訓を体験的に実感したのであれば演繹的です。


どちらかと言えば、学校の国語の授業でできるのは演繹的な思考を教えることだと考えます。何か教訓があり、それを自分自身の体験と結び付けて考えられるようにしていく。それを文章化するのが、現在の私の取り組みなのかもしれません。


抽象的な思考ももちろん大切だとは思います。しかし、その「抽象的な事柄」を、実生活に活かすことができなければ、なんだかむなしいような気がします。教育書を読んで崇高だと思える理念を見つけて悦に入るけれども、実際に教室で実践しようとするとそうもいかない。それを具体化することができてこそ、「体得した」と言えるでしょう。


そうした「体験」と「抽象的な事柄」を結び付ける練習を、「文章を書く」ということでしてもらいたいと、最近考えています。

2018-12-07

コミュニケーション

| 19:17 | コミュニケーション - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - コミュニケーション - STAR日記 コミュニケーション - STAR日記 のブックマークコメント

たまたま授業で、「コミュニケーションは送り手ではなく受け手の側がどう受け止めるかがその成否を決める」という題材の文章を読んでもらった。それで最後の方に具体例として「教師の見た目がイケてないので授業に身が入らなかった」というものがあったからか、意見文で授業について書いてくる生徒が数名いた。


その論旨は、「授業は教員の一方的な『語り』になってはいけない」というものだった。痛い指摘だと思う。要は、文化としてそういうふうに感じている生徒が一定数いるということだ。そういうことを生徒たちが教えてくれることが、私にとっては本当にありがたいことだ。


私は、「私は、別な方向に舵きりしているんだよね。でも、そういう文化のなかにみんながいて、それをよしとする人もいる。だから、少しずつ、他の人との関わり合いを通して学びは収穫が多いことを実感してもらおうとしている」と伝えた。私の思いは伝わっているように思う。


本当は、もっともっと、生徒たちが学び合えるようにしていきたい。でも、性急に進めてしまうと、お互いにうまくいかなくなっていく。だから、ソフトランディングさせたい。


まだまだ、やらなきゃいけないことは多い。それでも、毎日毎日の積み重ねで、布石を打ち続けることが大切だ。