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2015年10月から『学び合い』の実践を始めました。 中高の国語で『学び合い』の考え方で授業を実践しています。 授業のことを中心に、気付いたこと、考えたことを綴っています。

2019-10-06

国語の学力

| 18:44 | 国語の学力 - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 国語の学力 - STAR日記 国語の学力 - STAR日記 のブックマークコメント

国語の学力とは何か。私自身は、文章を正確に読み取り、その内容をもとに自分で思考できることと、読み取った内容も含めて、自分自身の頭のなかにあることを文章としてアウトプットできることであると考えている。


しかし、生徒たちの考えている国語学力はどうも違うらしい。このあいだをどうやって埋めたらいいだろうか。

2019-09-30

古今和歌集

| 20:55 | 古今和歌集 - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 古今和歌集 - STAR日記 古今和歌集 - STAR日記 のブックマークコメント

古典で、古今和歌集を扱おうと思っています。あんまりむずかしいことをやっても、中2はちんぷんかんぷんだろうと思います。


だったら、音読。仮名序を一音ずつ読んでいく。たぶん、下手に読解などをするよりも、効果があるだろうと思います。


最近、また古典の存在意義について考えているのですが、『未来の学力は親子の古典音読で決まる』という本を読み、なるほど、この音読に陶冶価値があるなと思えました。要は日本語の韻律を体に刻み込むことで、日本語の基礎となる、ということです。考えがまとまったらまた書こうと思います。


あと、古今和歌集は、部立を取り扱い、和歌に合う画像や写真を選ぶ、という活動を入れようと目論んでいます。

2019-09-18

慣れ

| 07:50 | 慣れ - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 慣れ - STAR日記 慣れ - STAR日記 のブックマークコメント

生徒の書いた要約の文章を読んでいると、「あぁ、訓練して、『慣れ』の状態を持続しないと、書けなくなるんだ」と思った。


夏休み中にほとんど「文章を書く」ということをしなかったからだと思う。


その意味で、「学校は、強制して何かをさせる」という機能があるのだと改めて感じた。

2019-07-24

知らないこと

| 19:08 | 知らないこと - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 知らないこと - STAR日記 知らないこと - STAR日記 のブックマークコメント

F-Katagiri先生の群読の記事を見て、「なるほどなぁ」と思った。


ブログで書いてくださっていることは、「仕事でも共通の目的に向かうときには、力を合わせないとやっていけない」ということにつながる考え方だと思う。


群読は、今まで取り組んだことがない。自分のツールとして、「書き込み回覧作文」「学習ゲーム」「輪読」「J1百人一首」「文章要約」などを使えるようにしてきたけれども、「群読」もやってみたいと思うようになった。


まだその効用を知らないけれども、自分の知らないことを、自分に取り込んで体得していくことは大切なことだと思う。とにかく本を一冊読んでみようと思う。

2019-07-04

楽譜を読解する

| 20:33 | 楽譜を読解する - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 楽譜を読解する - STAR日記 楽譜を読解する - STAR日記 のブックマークコメント

文章と同じように、楽譜も読解することができる。そこでは、文字として記されたコードだけではなく、「音」というコードも必要である。その意味では、楽譜にも「文法がある」と言ってもいいのかもしれない。


自分は合唱をやっていたし、ギターも弾けるけど、満足に音を追いかけられるわけではない。それでも、それなりに楽典は勉強したから、合唱の譜面なら読解することができる。


こんな発想は国語の教師しかしないだろうと思うけれども、やはり、文章には筆者や作者の意図があるように、楽譜にも作曲者の意図がある。それをまずは正しく読解する。


その上で、独自の解釈を載せていくのが、王道ではないかと思う、今日この頃である。


部員にどこまで伝えられるか。やればやるほど仕事は広がっていくが、こんな変なことを考えることができているのだから、まだ余裕はあるのだろうと思う。


ただ、それと同時に本も読まないといけない。期末考査が終わったら、「分析批評」にチャレンジしてみようと思う。教員は、生徒に「変われ」「成長するのだ」「止まっていてはだめだ」という職業である。他人に「変われ」というのであれば、やはり自らもそうした変化の中に身を置かなければ、その言葉は上滑りしてしまうように思う。