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2015年10月から『学び合い』の実践を始めました。 中高の国語で『学び合い』の考え方で授業を実践しています。 授業のことを中心に、気付いたこと、考えたことを綴っています。

2019-04-04

文学の大切さ

| 07:46 | 文学の大切さ - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 文学の大切さ - STAR日記 文学の大切さ - STAR日記 のブックマークコメント

新しい学習指導要領の国語の内容で、「文学の比重が軽くなっている」というイメージが、自分のなかにある。


もちろん、ざっと読んだだけで、精読したわけではないから、あまり具体的なことは言えない。


でも、「論理」よりも、「文学」の方が大切だと、私は考えている。その文学は、自分が受けてきたような、「教師が一方的に解説するだけの授業」は違うし、個人個人の血肉になるものではないといけないと思っている。


文学によって、人は何を得るのか。今年度の自分の探究課題の一つです。

F-KatagiriF-Katagiri2019/04/04 18:03文学軽視は,今までの国語教育が文学偏重だった対抗措置でしょう。このくらい文学軽視の方針を打ち出せば,意識を変える教員もちょっとは出てきてバランスが取れる,みたいな。

文学は芸術の一分野でもあるので,美術や音楽から得られることと同じことも国語で学ばせなければならないとも思っています。

strongmind222strongmind2222019/04/10 18:02すみません。
完全に見落としておりました。
私が中学や高校のときに受けた授業は、完全に教師の解釈を聞く授業でした。その意味では、ほんとうに文学教育を大切に考えている教員はいなかったのでは、と思います。

「文学は芸術の一分野」というのも、これから考えていきたいと思っておりました。その視点、国語の教師に必要ですね。校内の会議でも、ボソッと言っていこうと思います。

2019-03-29

言葉の劣化

| 20:35 | 言葉の劣化 - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 言葉の劣化 - STAR日記 言葉の劣化 - STAR日記 のブックマークコメント

いろいろな人と話していると、「自分の言葉が少し、劣化しているなぁ」と思うことがある。


この「劣化」とは、気の利いた言葉が言えなかったり、誰かの受け売りだったり、違う人に同じ言い回しをしていたりなど、いろいろなケースがあり、一概には言えない。


だけど、国語の教員としては、「まずいなぁ」と思うことである。大和言葉の本も読んだりはしているが、なかなか実生活では口に出して言うことができない。「自分のものになっていない」ということだろう。

2019-03-24

小説とメタ認知

| 09:11 | 小説とメタ認知 - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 小説とメタ認知 - STAR日記 小説とメタ認知 - STAR日記 のブックマークコメント

国語を専門にしていると、自ずと国語教育の本を読むことになります。それで、以前は苦手だった(というか意義がよくわからなかった)文学教育についても、「どうもこちらの方が国語教育としては大切ではないのか」と考えるようになりました。


というのも、小説は、人間を見る際の「視点」を与えてくれるからです。それは大なり小なり、メタ認知能力を高めてくれるものだと考えます。そういう「他者の視点」を得ることなしには、メタ認知能力は育まれないのではないかとも、勘ぐってしまいます。


勉強不足ゆえ、それほど大きなことは言えませんが、「小説を読む人はメタ認知能力が上がる」ということだけは、なんとなくあたっているように思います。


それでいて、人が自分の人生の質を上げるためには、自分を客観視する能力が大切です。


そうすると、「小説を読む者は人生の質を上げる近道を歩んでいる」と言えそうな気がします。


だから、国語の教員としては、そういうことを生徒たちに伝える必要があると思っています。

2019-03-16

文法

| 19:25 | 文法 - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 文法 - STAR日記 文法 - STAR日記 のブックマークコメント

文法の学習は無味乾燥に思える。古典文法を教える際にも、「こんなのやってなんになるんですか」という生徒たちの不満を肌で感じる。


専門で古典文学や古文書を研究する研究者ならそれも必要なのだろうが、中高生が原文で古文を読み下すなんて、大人になってからでもほとんど皆無だろう。


文法の必要性を意識できるようになるのは、「古文が読みたい」とか、「洋書を読みたい」とか、そういう欲求が先にあればこそのことであると思う。「文章を読む」ことを置き去りにして文法の学習をするから、文法嫌いになる人が多いのではないか。そんなことを、先日、中学3年生相手に古典文法の解説をしていて感じた。


文法が魔法のような働きをして、違う言語や古い言語がわかるようになるため、文法が不要であるとは思わない。しかし、「文法だけ」を取り出されてしまうと、どうにも無味乾燥である。


年が明けてからは、中学の古典の時間は、ヒント付きでの現代語訳がほとんどだった。自分がそのようにしてきたことがなぜなのか、古典文法の解説をしてみて改めてわかった。

2019-02-17

教材研究

| 19:45 | 教材研究 - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 教材研究 - STAR日記 教材研究 - STAR日記 のブックマークコメント

中学古典は教科書範囲が終わり、完全に自主制作の課題です。いろいろと原典に当たったり、問題集を参考にしたりしています。


それでいて思うのが、やはり、問題集のもととなる、高校入試の問題に選出されている文章が秀逸だなぁということです。


これは本当にすごい。準備の時間のないときは、その問題集の本文(古文)を打ち込み、現代語訳してもらっています(もちろん原典を直接参照します。練習問題はつけません)。


下手に演習するよりも、こちらの方が「古文に慣れる」ということでは効果が上と思います。