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2015年10月から『学び合い』の実践を始めました。 中高の国語で『学び合い』の考え方で授業を実践しています。 授業のことを中心に、気付いたこと、考えたことを綴っています。

2017-11-14

構造を見抜く

| 07:45 | 構造を見抜く - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 構造を見抜く - STAR日記 構造を見抜く - STAR日記 のブックマークコメント

昨日、うまくいかなくて悔しいという内容でブログを書きました。それで、どう動けばいいのかを考えました。


まずは、「何が問題を引き起こしているのか」ということを抽象化し、問題の構造を見抜くことであると思いました。そして、それを言語化し、文書にする。


そこから根拠になっている「法」を探していこうと思います。


何かを変えるためには、問題の本質を見抜かないといけない。ただ感情的になったり、思考停止して現状維持をするのはよくないと考えています。特に、思考停止は曲者です。


そして、本を読んで新たな知見を得ること。新たな知見がなければ、独りよがりの言説になり、問題の本質も見定めることもできなくなるでしょう。


そういう意味で、少し、辛抱しないといけないな、と思います。

2017-11-13

悔しい

| 18:30 | 悔しい - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 悔しい - STAR日記 悔しい - STAR日記 のブックマークコメント

今年度の授業は、あまり『学び合い』を前面に出していませんでした。それがよくなかったのか、いま一つです。でも、慎重にやってきました。具体的には、1学期はオムニバス型授業から入り、週イチ~2週に1回の程度で行うことが多かったです。


中1は、ネームプレートも使い、全面的に『学び合い』移行します。この生徒たちなら大丈夫です。


中2は、1学期は週当たり1コマ、2学期から2コマでしたが、昨年度から取り組んでいるので、うるさくいわなくても大丈夫。しかし、最近集団がだれています。これは私の責任。


高1は、何だか微妙です。仕切り直しが必要です。


それにしても、他の方と相対化されますから、現状はかなりつらいのかな、と思っています。今現在、他の方を巻き込む余裕もない。でも、学校全体を変えるためには本当は他の方を巻き込んでいかなければならない。悔しいです。


ただ、嘆いても始まらないので、気を取り直してやれることをやっていきます。自分が潰れてしまったら元の木阿弥。長期的な視野をもってやります。

2017-09-16

仕切り直し

| 07:04 | 仕切り直し - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 仕切り直し - STAR日記 仕切り直し - STAR日記 のブックマークコメント

ここにきて、「うーん」ということが多くなっています。もちろん、『学び合い』の授業もうまくいかない感じもありますが、それ以前の問題かもしれない、と感じています。


その問題は「生徒たちの大人に対する信頼の欠如」です。先日、ある生徒から、(軽い話のなかで)「大人不信なんで」と言われました。それを言ってくれただけありがたいと思うのですが、私の心に刺さりました。なんだか、非常に申し訳ない感じがしたのです。


中学生はまだいいです。それなりに授業もクラスも機能しています。最近は暗唱や学習ゲームに取り組み、少しずつ、「いろんな人を巻き込む」ということを、生徒たちも覚えていっています。


しかし、高校になると何かが違う。そして、「大人への信頼の欠如」という考えに行きあたりました。教師と生徒の関係を縦糸と見、生徒どうしの関係を横糸と見る「織物モデル」で言えば、縦糸があまりにも細いような気がするのです。


私も多分に漏れず、信頼を得ていない側だと思います。生徒たちとの関係は比較的良好ですが、うまく『学び合い』のコアの部分を伝えられていないと思います。それは授業の様子を見れば明らか。


この仮説が正しければ、やはり、「大人との信頼関係の修復」が大切なように思います。ちゃんと謝り、アンケートを取るなどして生徒の声を訊いていこうと思います。そして、私自身が「信頼するに足る人間」と思ってもらえるように、折り合いをつけていきたいと思います。

2017-04-16

教師が変わること

| 09:20 | 教師が変わること - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師が変わること - STAR日記 教師が変わること - STAR日記 のブックマークコメント

今年度は、どの学年もすんなりと『学び合い』の考え方による授業ができるような気がしている。


なぜかを考えてみると、私自身の「授業とはこういうものだ」という固定観念が薄れてきたからだと思う。昨年度のこの時期は、恐る恐るやっていて、正直言うと半信半疑だった。その状態でうまくいったのは、ある意味生徒たちのおかげであると思う。


今年は、『学び合い』が普通だよ、「一人も見捨てない」がデフォルトだよ、という感じである。だから、振り返りも毎時間書いてもらえる(去年は正直言えば訊くのが怖かった…)。それをもとに授業という学びの場をよりよいものにしていきたいし、否定的な意見が出てきたとしても、それを受け止めつつ一緒に考えるだけの、精神的な余裕もある。


やはり、『学び合い』を成功させるには、「教師が変わること」が必要らしい。また昨年のことになるが、「これでうまくいくのか」「失敗したら子どもたちにも他の教職員にもいろいろと言われる。それはいやだな」などと、かなり気を張っていたし、気負いもあった。そういう自分の使う言葉は「温かみのある言葉」ではなかったように思う。


学び合い』の「一人も見捨てない」がデフォルトになってきてからは、自然と子どもたちをほめ、承認し、励ます言葉が口をついて出てくるようになった。これが「自然と」出てくるようになったことは、私自身の変化であると言うほかはない。やはり、子どもたちは教師の鏡であり、問題は自分自身にあるのだと思う。


また、「意見をノートに書かせる」ということに、どうしても躊躇してしまう自分がいた。でも、そういう課題にしたら、案外子どもたちはすんなりできた。まだまだ自分が「子ども集団は有能である」という子ども観を体得できていなかったということが、如実にわかった。ここは、もう一段、子ども観に磨きをかけていきたいと考えさせられた。


自分の心を成長させつつも、生徒たちと一緒に、授業を、学校を創っていける。望外の喜びだ。


学び合い』に出会えて、本当によかった。

2017-04-06

「事件」の効用

| 06:28 | 「事件」の効用 - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「事件」の効用 - STAR日記 「事件」の効用 - STAR日記 のブックマークコメント

昨年度の授業の際、勉強がある程度得意な子数名が、勉強が苦手な子に対して厳しい言葉を使い、泣かせてしまうということがありました。


異学級合同『学び合い』のときに起きたことでした。もちろん、いろいろと波紋が広がり、私自身も不安になりました。


でも、実は「得意な子」にとってその「事件」がとても重要な意味合いを持っていたのではないかと、最近よく考えます。なぜなら、その「事件」を前後にして、その「得意な子」の「「苦手な子」に対する接し方が変わってしまったからです。それも、よい方に。


叱責するばかりだったのが、まず相手を受け入れ、相手に伝わる言葉を使うようになった。自分の意に沿わないことをされてしまったとしても、機転の効く言葉でユーモラスに返せるようになった(嫌みなく)。


間違いなく、その「得意な子」の器が広がっていました。


学校にハプニングはつきもの。そう頭に置いておくだけでも、その後の対応がまったく違います。自分自身も動揺することなく子どもたちに接することができるように思います。


私はその「事件」からそういったことを学びました。そして、当事者のどちらも得をしました。


おそらく、誰もが「心」を変えることができたからだと思います。子どもたちも、本当によくがんばっているなぁと、心から思います。


明日、久しぶりに対面します。たった二週間くらいでしたが、ものすごく寂しく感じました。明日が楽しみです。