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2015年10月から『学び合い』の実践を始めました。 中高の国語で『学び合い』の考え方で授業を実践しています。 授業のことを中心に、気付いたこと、考えたことを綴っています。

2017-09-16

仕切り直し

| 07:04 | 仕切り直し - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 仕切り直し - STAR日記 仕切り直し - STAR日記 のブックマークコメント

ここにきて、「うーん」ということが多くなっています。もちろん、『学び合い』の授業もうまくいかない感じもありますが、それ以前の問題かもしれない、と感じています。


その問題は「生徒たちの大人に対する信頼の欠如」です。先日、ある生徒から、(軽い話のなかで)「大人不信なんで」と言われました。それを言ってくれただけありがたいと思うのですが、私の心に刺さりました。なんだか、非常に申し訳ない感じがしたのです。


中学生はまだいいです。それなりに授業もクラスも機能しています。最近は暗唱や学習ゲームに取り組み、少しずつ、「いろんな人を巻き込む」ということを、生徒たちも覚えていっています。


しかし、高校になると何かが違う。そして、「大人への信頼の欠如」という考えに行きあたりました。教師と生徒の関係を縦糸と見、生徒どうしの関係を横糸と見る「織物モデル」で言えば、縦糸があまりにも細いような気がするのです。


私も多分に漏れず、信頼を得ていない側だと思います。生徒たちとの関係は比較的良好ですが、うまく『学び合い』のコアの部分を伝えられていないと思います。それは授業の様子を見れば明らか。


この仮説が正しければ、やはり、「大人との信頼関係の修復」が大切なように思います。ちゃんと謝り、アンケートを取るなどして生徒の声を訊いていこうと思います。そして、私自身が「信頼するに足る人間」と思ってもらえるように、折り合いをつけていきたいと思います。

2017-04-16

教師が変わること

| 09:20 | 教師が変わること - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師が変わること - STAR日記 教師が変わること - STAR日記 のブックマークコメント

今年度は、どの学年もすんなりと『学び合い』の考え方による授業ができるような気がしている。


なぜかを考えてみると、私自身の「授業とはこういうものだ」という固定観念が薄れてきたからだと思う。昨年度のこの時期は、恐る恐るやっていて、正直言うと半信半疑だった。その状態でうまくいったのは、ある意味生徒たちのおかげであると思う。


今年は、『学び合い』が普通だよ、「一人も見捨てない」がデフォルトだよ、という感じである。だから、振り返りも毎時間書いてもらえる(去年は正直言えば訊くのが怖かった…)。それをもとに授業という学びの場をよりよいものにしていきたいし、否定的な意見が出てきたとしても、それを受け止めつつ一緒に考えるだけの、精神的な余裕もある。


やはり、『学び合い』を成功させるには、「教師が変わること」が必要らしい。また昨年のことになるが、「これでうまくいくのか」「失敗したら子どもたちにも他の教職員にもいろいろと言われる。それはいやだな」などと、かなり気を張っていたし、気負いもあった。そういう自分の使う言葉は「温かみのある言葉」ではなかったように思う。


学び合い』の「一人も見捨てない」がデフォルトになってきてからは、自然と子どもたちをほめ、承認し、励ます言葉が口をついて出てくるようになった。これが「自然と」出てくるようになったことは、私自身の変化であると言うほかはない。やはり、子どもたちは教師の鏡であり、問題は自分自身にあるのだと思う。


また、「意見をノートに書かせる」ということに、どうしても躊躇してしまう自分がいた。でも、そういう課題にしたら、案外子どもたちはすんなりできた。まだまだ自分が「子ども集団は有能である」という子ども観を体得できていなかったということが、如実にわかった。ここは、もう一段、子ども観に磨きをかけていきたいと考えさせられた。


自分の心を成長させつつも、生徒たちと一緒に、授業を、学校を創っていける。望外の喜びだ。


学び合い』に出会えて、本当によかった。

2017-04-06

「事件」の効用

| 06:28 | 「事件」の効用 - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「事件」の効用 - STAR日記 「事件」の効用 - STAR日記 のブックマークコメント

昨年度の授業の際、勉強がある程度得意な子数名が、勉強が苦手な子に対して厳しい言葉を使い、泣かせてしまうということがありました。


異学級合同『学び合い』のときに起きたことでした。もちろん、いろいろと波紋が広がり、私自身も不安になりました。


でも、実は「得意な子」にとってその「事件」がとても重要な意味合いを持っていたのではないかと、最近よく考えます。なぜなら、その「事件」を前後にして、その「得意な子」の「「苦手な子」に対する接し方が変わってしまったからです。それも、よい方に。


叱責するばかりだったのが、まず相手を受け入れ、相手に伝わる言葉を使うようになった。自分の意に沿わないことをされてしまったとしても、機転の効く言葉でユーモラスに返せるようになった(嫌みなく)。


間違いなく、その「得意な子」の器が広がっていました。


学校にハプニングはつきもの。そう頭に置いておくだけでも、その後の対応がまったく違います。自分自身も動揺することなく子どもたちに接することができるように思います。


私はその「事件」からそういったことを学びました。そして、当事者のどちらも得をしました。


おそらく、誰もが「心」を変えることができたからだと思います。子どもたちも、本当によくがんばっているなぁと、心から思います。


明日、久しぶりに対面します。たった二週間くらいでしたが、ものすごく寂しく感じました。明日が楽しみです。

2017-04-04

「行きたくない」

| 06:18 | 「行きたくない」 - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「行きたくない」 - STAR日記 「行きたくない」 - STAR日記 のブックマークコメント

去年の今頃、「学校に行きたくない」という気持ちが強く、さながら不登校のような感じでした。でも、行事関係で「自分がやらなきゃ、誰がやるんだ」となんとか義務感でやっていました。辛かった。おそらく、不登校の子もそんな感じでしょう。


いまは違います。気がつけば「はやく子どもたちが来ないかな〜」と、わくわくしています。


その理由として、自分のしていることに納得がいくようになったことが大きい。自分を認められるようになったことも、また大きな要因です。


一斉授業しか「知らなかった」ときは、「仕方ないよね。これが授業だよね」と合理化していました。自分を偽っているわけですから、自信もつきません。授業はとにかく周りの教員と比較した視点からものを言われ、さらに落ち込みます。負のスパイラルでした。


一冊の本に救われました。西川先生の『すぐわかる!できる!アクティブ・ラーニング』です。「あ、これだ」と直感的に思いました。


それで取り組み始めたものの、まったくうまくいきません。生徒たちの評価も辛口で、ますます落ち込みました。でも、「子どもたちは教師の鏡」と言われています。生徒たちのせいにするわけにはいきません。さらに自分を責めました。


どんどん、私は自信を失っていきました。加えて、生徒たちは授業でも学び合いません。私はほめるところを見つけられず、叱ってばかり。「耐えるだけ」になっていました。


今思うと、たしかに生徒たちは私の「鏡」でした。「誰かに認めてもらいたかった」のですね…。だから、私が「自分で自分を認められるようになっていった」ことで、生徒たちのことも認められるようになり、そこから集団が機能し始めたのだと思います。


「ほめることが苦手」な場合、まずは自分のことをほめていきましょう。「自分ってまんざらでもないなぁ」と思うことを書き出すだけでも違います。自分に自信をもてるようになり、「一人も見捨てず」に確信を持てるようになると、だんだん笑顔でいられるようになります。


年度当初、どんな生徒集団と授業をしていくのか、まだわかりません。でも、教師が常に笑顔でおり、仕事を楽しんでいる姿を見てもらうことが、本当に大切だと思います。


きっと、不登校傾向の子も、こんな感じなのではないかと思います。私が上向いたきっかけは、ある子の一言。生徒集団も同じで、誰の一言で、誰が救われるかわかりません。その一言も、おそらく教師が上機嫌でにこにこしていれば、子どもたちから出てきやすくなると思います。


「常に笑顔でいること」は、学校教育にとって非常に大事なことだと感じます(それがあるからたまの「叱る」指導も効果が上がるのだと。いつも叱ってばかりは大人もげんなりします)。

2017-03-15

辞職覚悟の一年前

| 23:44 | 辞職覚悟の一年前 - STAR日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 辞職覚悟の一年前 - STAR日記 辞職覚悟の一年前 - STAR日記 のブックマークコメント

昨年度の今頃、「もう教師としてやっていくのは無理かもな」と思いました。『学び合い』に取り組み始めて、まったくと言っていいほど、授業が成り立たなかったのです。


でも、考えてみれば想像以上に闇が深く、それを払拭するのが困難な状況だったのだと思います。その状況を客観的に見取ることができず、私自身が悲観的になっていました。だから積極的な言葉がけができなかったのだと、現在は考えています。


今は経験もたまり、ある程度自分の感情と子どもたちの現状とを切り離し、「見取る」ということができるようになってきていると思います。だから、どんな状況でもそこに光明を見いだし、効果的な言葉を紡ぐことができる。


昨年の今頃は本当に鬱っぽくなっていました。でも、「子どもたちは自分よりもさらに辛く、自分が辞めても日本の状況が変わっていくことはない」と、何とか続けました。


そして、高校生だけの受け持ちだったのが、中1も受け持つようになりました。ここが大きなターニングポイントでした。高校生とは打って変わって『学び合い』が浸透しやすかった。


自信も取り戻すことができました。「この授業を他の教科でもやってくれたらいいのに」という生徒の声に背中を押してもらいました(今でも、この中1の生徒たちのおかげで、本当の意味で「教師になれた」のだと確信しています。そう腑に落ちた瞬間があったのです)。


高校で『学び合い』の授業を浸透させるよりも、中学で浸透させる方がはるかに簡単です。そして、さらに小学校では容易です。もちろん、言葉は平易なものにする必要があると思いますが、本当に年齢が下がれば下がるほど浸透しやすいのは間違いありません。7年前、小3の子どもたちを担任していたことがありますが、『学び合い』で授業をやっていたら間違いなくいいクラスになっていたと思います。


学び合い』をやっていると、悩みは尽きません。集団が育ってきたら課題をブラッシュアップし続けなければ(つまり教材研究の力がなければ)、集団がだれます。難しいです。でも、そうであってこそ「教師」なのだと思います。


自分の力の無さを嘆く今日この頃です。でも、嘆いてばかりでは何も変わらない。淡々と、やるべきことをやって実力をつけていきたいと考えています。