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2015年10月から『学び合い』の実践を始めました。 中高の国語で『学び合い』の考え方で授業を実践しています。 授業のことを中心に、気付いたこと、考えたことを綴っています。

2019-05-04

「自分で考えられない」

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https://forbesjapan.com/articles/detail/26841?internal=top_firstview_01&fbclid=IwAR1gyqOyojAATlz3vpOes0vUGnFhPKdKPSKTa0tqawnyQej3tkRkbc_0QWA


記事中の、「私たちは生徒たちに対し、自分では思考をせずに、テストの問題作成者が作った道に続くことだけを考えるよう教えている。全ての答えには正しい答えが一つだけあるということ、その正解をどこかの誰かが既に知っているということ、そしてこうした人たちが自分に望む解答を学ぶために学校に行くのだということを教えてしまっているのだ。」という部分に、一部、納得しつつも違和感を覚えています。


たしかに、ヒドゥン・カリキュラムとしてそういったことはあり得るとは思います。ただ、それが一概に、「自分では思考しない子どもを生み出す」ということにはつながらないと思います。因果関係で論理が飛躍している。


また、「試験を作った人の意見」と問われているわけでもないと思います。特に国語の現代文では、「解釈」と「客観的読解」は分けて教えるべきだと考えています。テストで問われるのは「客観的読解」の部分だけであり、塾・予備校なども含めて受験や試験の対策を行う場合は、特に「客観的読解」を教えることになると思います。


さらに言えば、「解釈」は「発散思考」の類いであり、「客観的読解」は「収束思考」の類いです。「収束していくだけの授業はつまらない」と思います。


おそらく、元になった論文はもう少し柔軟なのではないでしょうか。そして、恣意的に情報を取り出しているだけなのかもしれません。


恣意的な引用はしないよう、自分では気をつけていきたいと思いますが、それでもこの記事からは、「収束思考のみではまずい」ということも学べます。これは教育関係者は心がけておきたいものだと思います。