元気と勇気は誰でも出せる 

2009-03-25

[]NHK新潟ラジオ「朝の随想」第25回(最終回) 元気と勇気は誰でも出せる

■おはようございます。長いと感じたこの朝の随想も、私の担当は今日で最後となりました。あちこちの講演会や訪問させていただいた学校で「聞いていますよ」と声をかけられたり、応援のお葉書をいただいたこともありました。応援と言えば、小学校の教師であった頃、私は運動会の応援団の担当をさせていただきました。やんちゃな子もそうでない子も一緒になって大声を出す、運動会に向けて全校中が元気になっていく、そんな雰囲気が大好きでした。

■ある朝、教室の入り口の戸を開けると、紙吹雪が舞いました。子どもたちがグルリと輪になって私を囲み、一斉に「一斉に先生、お誕生日おめでとう!」と声をあげました。続けて、「ナイスだ赤坂いい男!」とコールが始まりました。それは、子どもたちのお気に入りの運動会のエールでした。私は涙があふれてきて下を向いてしまいました。エールは私が涙を拭いて顔を上げるまでずっと続きました。

■出会った子どもたちからは何度お礼を言っても足りないくらいのすてきな時間をいただきました。そんな輝くような時間を抱きかかえながら、昨年の三月、小学校の教師として最後の教え子たちと別れの日がやってきました。私が学校を去ることは新聞で知っていたので、みんな神妙な顔でこちらを見つめていました。一言一言大事に伝えようと思いました。しかし、上手くことばが出てきません。そのうちに一番前の席の子どもが涙を流し始めました。気付くと隣の子も後の子も、そのまた後の子も泣いています。あちこちですすり泣く声が聞こえてきました。私は涙を堪えながら一人一人の名前を呼びました。子どもたちは涙で目を真っ赤にしながらもしっかりとした声で応えてくれました。私は、この表情を忘れまいと、返事を聞く度に心のカメラのシャッターを押し続けました。

■子どもたちからたくさんの手紙をもらいました。読みながら手が震えました。切なかったです。そして自分の決断が本当に良かったのか迷いました。ある子の手紙にはこう書かれていました。「先生が見えないところに行くなんて考えられません。今は、夢を見ているんだと思いたいです。もう、何で行くの!先生とはずっと一緒にいたかった。担任は無理なのは分かっていたけど、せめて小学校のときはそばにいてほしかった。先生行かないで! って言っても無理だから、私はずっと応援しているから。しんじ、がんばれ」

■驚いたのはうち合わせしたわけではないだろうに、どの子の手紙にも「先生の決めた新しい道を応援している」といったメッセージがありました。子どもたちからもらった元気と勇気で「今」を歩んでいます。

■私が放送で伝えたかったのは、「元気と勇気は誰でも出せる」ということです。でも、いつでも出せるわけではありません。だから勇気を分け合うことが大事なのだと思います。皆様に元気と勇気あれ。半年間ありがとうございました。

2009-03-24

[]明日が最終回

 朝、ラジオつけたら、丁度「朝の随想」をやっていた。

 フラメンコ舞踊家の小島さんの話だった。

 小島さんは、半年の放送で、女性の生き方を一貫して伝えていらっしゃった。

 毎日聞いたわけではないが、他の方の随想を聞くと、人はみんな人生にテーマをもっていることがわかる。NHKからは特にこういうことを話してほしいという指定はない。「お好きにどうぞ」ということである。だから、担当は、一番話したいことを話す。皆さん、あるテーマをもって語っていた。随想の担当者に限ったことではないだろう。みんなテーマをもって生きている。そのテーマの総体が、アドラーの言う、ライフスタイル、または人生の課題というものかもしれない。アドラーは性格と言わず、ライフスタイルという言葉を使う。「半決定論」に立つアドラー心理学では、個人の性格も変えられるという。変えられるものと変えられないものがあるから反決定論というわけである。しかし、半分変えたら、もう、それはオリジナルと違っていると思う。それに、個人は分割できない統一体であるというアドラー心理学の大前提に立ったとしたら、変わらない部分と変わる部分は分割できないから、変わる部分の変化に応じて全体が変わるはず。おっと余計なことを考えてしまったら、大事なことを落とすところだった。

 そんな「随想」も明日も最後を迎える。

 放送を保護者も教え子も聞いてくれていた。

 前回の放送に対する保護者の感想である。

 ご本人了承の上で紹介する。

 まぎれなもなく、保護者と一緒に学級をつくってきたんだなと嬉しくなった。


 いつもありがとうございます リカの母でございます。 今日の朝の随想は私達の学級懇談会の話でしたねえ とても懐かしく、うれしかったです。 あの時はみんな真剣に話をきき、自分の意見を言い合いましたね。 でもあそこまで話し合いができたのはその前にウォーミングアップがあったからですよね。 「オムライスの好きな赤坂先生のとなりのビールが好きな○○さんのとなりの△△です・・・ (これは何人もいると憶えられるか、ちゃんと言えるか心配でハラハラドキドキ! でも誰かがちゃんとたすけてくれていつの間にか“和”ができてましたね。) 又、二人組になって少し話をして相手の紹介をするゲームとか・・・。 あれで気持ちがほぐれ話しやすくなって本気で対話できたのだと思います。 先生のやることには何かを引き出す秘密がいっぱいですね。 あの頃の学級懇談会は本当に楽しかったです。だからハム会が今も続いているんですね~。 いつも参加くださってありがとうございます また、ハム会がありましたらお忙しいと存じておりますが参加くださいますようお願いいたします。 今日はありがとうございました。来週も楽しみにしています。                               ハム会会長 リカの母より


 教師の生き様は、子どもにそのまま反映される。

 教師の人生のテーマが、教室に映し出される。

 「私にはそんなテーマはない」ということが、テーマなのだ。

 つまり、「ポリシーがないという」ポリシーみたいに。

 あな恐ろし、とひるむことはない。

 完璧な人間などいない。

 自分が立派な人間になってから教員になろうたってそんなの無理だ。

 いつなるんだ。

 不完全な教師が不完全な子どもを導く。

 教師のすべきことは。

 それは、不完全さを認め、そして、不完全さを補うために努力する過程を見せることだと思う。

 野口先生のおっしゃる「学ぶ者だけが教師たる」とはそういう意味ではないか。己の不完全さを自覚し、それを少しでも補うべく努力する人間。それが教師だと思う。

 朝の随想についてはこちら。

http://www.nhk.or.jp/niigata/program/b-det0003.html


 

2009-03-19

[]NHK新潟ラジオ「朝の随想」第24回 対話すること

 「朝の随想」も来週で最終回になりました。

 早いものです。

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■おはようございます。みなさんは、誰かと対話していますか。私は、ずっと対話のできる子どもを育てることを目的に教師をしていました。対話は、辞書的には会話とよく似た意味ですが、私は区別して考えています。会話とはおしゃべりようなもので基本的には楽しいものです。しかし、対話は相手との話し合いを通して、新しい価値観や考え方を知ること考えています。だから、ときには対立や痛みも伴うことがあります。

■私の務める教職大学院のスタッフは、研究分野で活躍してきた教員と私のように現場から入った実務家と呼ばれる教員が約半々で在籍しています。外から見ると教員はみな同じように見えるかもしれませんが、それぞれに仕事の流儀はびっくりするくらい違います。いつもスゴイと思うのは、小心者の私がドキドキするような議論が起こっても、いつも最後には建設的な雰囲気で終わります。なぜだと思いますか。スタッフのみなさんは、本当によく人の話に耳を傾けます。聞き上手だということです。激しく意見を言っていても、納得すると「ああ、ならそれでいきましょう」と笑顔で言うのです。カッコイイですよね。

クラス会議の話を前回の放送でお話ししましたが、それをお母さんたちとやったことありました。授業参観のあと、子育てなどで困っていることをみなさんで話し合ったわけです。お母さんたちのパワーはすごいですよ。あっという間にお茶とお菓子の準備ができて、いい感じのBGMまで用意してくれました。さすが子育てのプロ集団「ああそうなんだ」「なるほどね」と次々と解決していきました。その中で最も盛り上がったのが「夕飯の時間になっても遊びにきた子どもたちが帰らない」という議題。爆笑が起こったのがこの解決策。帰ってほしい時間になったら、「帰れ!帰れ!」と鍋をたたきながら台所から登場するそうです。みなさんお腹を抱えて笑っていました。時間を過ぎても退室される方はほとんどなく、楽しい時間が流れました。後日、あるお母さんからお手紙をいただきました。「他のお母さんの子育てに対する考え方がわかって安心したり勉強になったりしてスッキリした」とのことでした。課題を解決しながら、お互いの考え方の違いや共通点を知ったようです。

■以前、元外交官の方のお話を聞いたことがあります。外国との交渉の基本にある考え方は、「共通点は人間であることだけ」とキッパリ言うのです。なんだか冷たく聞こえないこともありませんが、それくらい違いを覚悟して理解し合えるところを探していこう、そして、同じ人間なんだから最後にはわかり合えるという信念に支えられていることばなのだそうです。その方が大事にしているコミュニケーションが対話なのです。 価値観や意見の違う相手と出会ったら距離を置くのではなく、対話してみて握手できるところを探してみようと思ったら人間関係が楽しくなってきませんか。

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 このときの保護者から早速メールがきました。

 うれしいことです。 

 ご本人の許可をいただけたら紹介します。

 私が忘れていることも書かれていました。