元気と勇気は誰でも出せる 

2009-05-14

[]朝学習

 大学院で朝学習をしている、と言ったら信じますか。

 しかも、午前7:00からの120分間です。

 教員採用試験に向かって、自分たちを勉強の環境に放り込むために、ストレートマスターの有志が立ち上がりました。

 話し合って決めたことが、「朝学習」。

 きわめて現場的で現実的で、いい!発想。

 教職大学院には、大学には珍しく、小中学校の教室がほぼそのまま再現された多目的室というのがあります。そこで、有志が朝学習を始めました。

 今日、私が出勤した7:30分には、すでに10名近くの院生さんたちが学習していました。

 シーンとして。

 ペンを走らせる音、ページをめくる音しかしません。

 2年生だけかなと思ったら、1年生もいました。

 す、すごいや、これは。

 この打ち合わせに同席していたので、私は「5分間ダッシュ」をせよ、と言いました。

 集中できるか出来ないかは、最初の5分にかかっていると話しました。

 座った瞬間に集中。

 これが大事だそうです。

 座って、机の上をきれいにして、お茶を入れてなんてやっているともうダメ。

 座った瞬間に始めるのです。

 私は、小学校では、1秒で授業モードを心がけていました。

 ノーチャイムだったので、時間になると突然授業を始めます。

 子どもも分かっていますから、ほとんどの子どもが教科書、ノートを開いて待っています。

 そして、私の動きと共に彼らは学習を始める。

 挨拶も、注意も何もなし。

 すぐに学習が始まる。

 それが45分の集中を生むわけです。

 教員採用試験の朝学習。

 月から金の毎日、7:00からの120分間、誰でも参加できます。

 教職大学院棟1F、多目的室でやっています。

 やってみたい方、どうぞご参加ください。

 除きたい方、彼らの本気をご覧ください。

2009-05-06

[]教師塾だより

 教師塾の運営している院生のTさんが、教師塾が終わると直ぐに「教師塾だより」をまとめている。これも彼のギブである。毎回、電光石火のスピードである。彼のモチベーションの高さがわかる。

 彼は、こうやって学びの場を広げようとがんばっている。すばらしいギブである。

 採用試験は、「個人戦」ではない。

 「団体戦」である。

 じぶんだけ受かればいい、というひとは、受かるかもしれないけど、きっと「それくらい」の学級しかつくれない。しかし、この「自分オンリー」になりがたちなこのときに、せっせと「みんなのため」を実践する彼の学級は、そういうレベルを体現するに違いない。

 それは、自分の脳で起こっていることは、目の前で実現するからだ。

 誰か(自分を含む)を許せなかったら、きっと、クラスの子どもたちも他者のことを許せず、争いが絶えなくなるだろう。

 誰かを信じる先生の学級の子どもたちは、お互いを信じるようになるだろう。

 ちょと、ちょっとそんなこと言ったらみんな聖人君子でないと学級づくりができなくなる。

 その通り。

 きっと聖人君子なら、きっとすごい学級をつくるだろう。しかし、普通の人は、聖人君子ではない。しかし、よりよい生き方をしたいと願うことはできる。よりよい生き方を願う「真っ最中」の人にはなれるわけである。

 私は日々勉強不足を感じる。しかし、豊かな知恵を身に付けたいと努力をする「真っ最中」でいることはできる。

 過程が大事、だと思う。

 先生が、よりよい生き方を求めたら、その先生の学級の子どもたちもよりよい生き方を求め始めるだろう。

 とは言いながら、試験勉強をしながら、人のために行動するのは、現実的にムズカシイかもしれない。しかし、そう求めることが大事だ。テイクのなかで勉強するか、ギブを意識しながら勉強するか。

Tさんも教員採用試験を控える身であるが、自分のできるギブで毎週欠かさずやっている。

 頭が下がる。

 わがゼミ長が、先週2通目の個人通信を出した。

 タイトルは「中庭に向かって開く窓」。なかなか趣深い。いろいろイメージが広がるステキなタイトルである。無理のないように、しかし、地道に続くといいと思う。この通信を私は楽しみにしている。そういう感情を喚起させる、それだけで立派なギブである。ありがたい。

 Tさんのたよりの一部を紹介する。

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<社会人と学生の違い>

 社会人と学生の違いは何でしょうか?今回ご指導いただいた赤坂真二先生(教職大学院准教授)は、社会人は“社会の期待に応えようとする人”、さらには“まず相手ありきの考えをする人”だといいます。一方、学生はまだ自分にとことん関心を向けることが許される存在といってよいでしょう。

 日本の学校は教えることばかりに一所懸命で、“もてなされる人”をたくさんつくってきたのかもしれません。しかし、社会人はもてなす側です。そこで学生から社会人になるためには、“もてなされる人”から“もてなされる人”へ、大きくパラダイムシフトをしなくてはなりません。

 たとえば、食堂でおぼんの上に並んでいる料理を見たときに、そこにどれだけの人間が働き、どれだけの命が犠牲になっているか思いを馳せることはできるでしょうか。食べ物しか見えていないとしたら、まだ「もてなされる」心です。

現在の学校現場は若手を育てる余裕がなく、新採用でも即戦力として期待されます。だから赤坂先生は「教師を目指すなら、もてなす側になれ」と語気を強めます。まず他者ありき、もてなしの心、察する心です。

 もてなす心がある教師は、子どもの問題を自分の問題としてとらえることができます。自分を傷つけるのではありません。対応のレパートリーを考えるのです。そのために自分を勇気づけることも必要となってくるのです。

 学生の皆さん、今からともに「もてなす側」の学びをしましょう。

<つながる力>

 

 いつも我々を楽しませてくれる赤坂先生ですが、意外なことにかつては鏡の前で笑ってから教室に入っていたそうです。笑う角には福来る。笑顔は人を引きつけます。

 世の中はチームワークを大切にできる人が求められています。教師も現場で成果をあげようと思ったら、他人の力を借りないとできません。成果=他者の力、です。教室でも自分のためのことばかり考える人間を育てていると、学級崩壊につながります。

 そこでコミュニケーションです。今回は参加者全員が自己紹介を行ないました。どう見られるか、ということに関心が向きすぎてしまうとやりたいことができなくなってしまいます。なので、教師は“どう見せるか”が大事です。人間、主体的に生きたほうがいろいろ楽です。

まず相手ありき。どう見せるか目的を忘れない。大事なのは伝えることです。

 教師は伝えたいことを持つことが大事です。教室の空気を変えることができるメッセージを持たなければなりません。脳は人の本気に反応します。教員採用試験の面接でも、メッセージを持っている人間が輝きます。

※赤坂先生はご自身のブログでも、社会人について書いていらっしゃいます。

<赤坂先生のおことば>

教師を目指すなら、もてなす側になれ

(以上、文責・T)

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 上記は、Tさんの解釈であるから、私が話したままではない。

 しかし、Tさんがどん欲学んでいる人であることはおわかりいただけるだろう。

 「成果」とは「他者が認めて」初めて成り立つ。

 他者ありき、でいくと疲れる。しかし、社会人は成果を求められる。だから、自分の努力のプロセスを認めて、勇気づけ、たくましく歩んで行くことが大事だと思う。成果を出すまでへこたれない。そんな精神的なタフネスがほしいものである。

2009-05-01

[]教師塾2009スタート

 っても彼らは、もう独自に動いている。教員が声をかけなくても、すでに先生方に声をかけ、講座を設定して学んでいる。すばらしいことだ。

 教師塾の主体は完全に、院生の手に委ねられた。

 昨日は、「勇気づけの学級づくり論」の後、30分の休憩の後、始めた。

 昨日は、6:30から8:30までの120分間ぶっ続け。

 まったくみなさんよくがんばる。頭が下がる。

 参加者の熱気に押されて、私も熱が入る。多分、授業をしているときが一番、血が沸き、脳が活性化している。指導内容を伝えるというより、誰かが頭に降りてきて勝手に話す感覚。

 本を書いているときも、調子のいいときは、「自分に誰かが降りてくる」感覚がある。こう書くとオカルトチックだが、みなさんも、そうでしょ。調子のいいときは、「心地よい乗っ取られ感覚」があるのでは?

 院生たちも本気だから、私も本気になる。

 こちらの本気が伝わるからか。

 まあ、どっちでもいいや。本気と本気のぶつかり合う120分だった。

 「社会人とは社会にいる人にあらず、社会に貢献する人なり!」と語る。

 それを固唾を飲んで聴き、メモを取る参加者。

 グループワークでは、お互いの思いをぶつけ合う。

 それぞれの経験と思いが渾然一体となる。

 とにかく教職大学院の2年間で、学生から社会人へのパラダイムシフトが必要である。学生感覚で社会に出られては学校が迷惑をする。

 OJTが機能しにくくなっている現状では、「今」どれだけ「即戦力」に近付くことができるかが大事。

 しかし、技術では絶対に現場に出た人にはかなわない。アウトプットの量が違いすぎる。しかし、技術は現場に出ればある程度は心がけ次第でいくらでも磨ける。

 むしろ、重要なのは、社会人の「頭」をつくることだと思っている。

 意識改革ができたら、技術の習得も自ずとついてくるだろう。

 「そのつもり」で学ぶからだ。

 しかし、学生は学生として学んでいる限り、何年経っても学生だ。教員、つまり教える側になるにはそういう教育や訓練が必要である。教室の責任者としての「頭」づくりには、妥協をしないつもりである。