元気と勇気は誰でも出せる 

2014-04-17

[]奮闘の便りに

 卒業生や修了生から奮闘の便りが耳に入る。学生時代には想定できなかった密度の濃い1分1秒に驚き,面食らい,そして,感動すらしているようである。

 社会人,組織人,そして,教師としての生活はそれなりにストレスフルだ。メールや電話で痛みに耐えながらそれでも明るく伝えようとしている姿がヒシヒシ伝わってくる。

 学生時代に使っていた同じ言葉を今は全く違った違った質量で使っていることがわかる。子ども,授業,保護者,職員室・・・。ぜもな~んにも心配していない,あの「過酷な」学生生活に耐えられたんだからね。

 現職も体を戻すのに苦労しているようだ。あの現場のスピード感にヒーヒー言っていることだろう。しばらくは「ならし運転」でいいんじゃない?そのうち学んだことや蓄積したことがわき出てくるだろうから。

 職場でもそれなりに認められているようである。教師になっていく人たちの背中,教師としてギアを入れ替え始めている人の背中を見つめることにやりがいと幸せを感じるようになってきている。

2014-04-08

[]対等性保証のシステム

 学力向上がブームです。大事です。

 ただ,公教育に関わる者としては,強烈な光を当たるとより濃い影ができることをいつも知っておきたいものです。

 学力向上に反対はしません(両手を挙げて賛成)が,点数だけで表現される学力向上にはどうも・・・。そこにはランキングが発生するからです。

 全員達成を目指します。それは尊いです。しかし,点数で子どもの力を評価している限りは,達成の中にもランキングが始まります。ランキングをすれば,上位ができて下位ができる。

 下位の子どもの声は,上位に届かない,または,下位の子どもは声を挙げようとはしなくなるという構造が創られます。

 民主主義の絶対的基本原理は対等性です。

 勉強や運動という物差しでは,上下ができることがある,その現実は受け入れながらも人としては対等なんだと義務教育では実感する必要があろうかと思います。

 学力向上を目指すからこそ,学校のなかに,点数で評価されない,そして上下が逆転する,対等に意見を発信し合える,そして,相互に尊敬されることをシステム化する必要があるんじゃないでしょうか。

 そんな装置の一つとしてクラス会議を考えてます。

[]お面ライダーMEGANE

 飛び込み授業で訪れた3年生の担任の先生と子どもたちからプレゼントが届きました。お手紙と写真。そして図工で作ったお面。眼鏡をかけている仮面ライダー。斬新!自分たちの作品を作る傍らで作ってくれたんですね。年度末の慌ただしいときにありがたいことです。一番嬉しかったのは、講師だった担任の先生が学級づくりに自信を持ったことが手紙に書かれていたことです。学んだことをいろいろ試したようです。「(私に)負けずに実践した」ようです。すごいですね。

2014-04-04

[]国家プロジェクト(笑)

 退官された尊敬する教授が言った。

 「民主主義はタダではない」

 サービスにはコストがかかっている。民主主義もそう。先達が多くの血を流し,民主主義を獲得してきた。権利もそう。そして良好な人間関係もである。

 

 良好な関係性はタダではない。良好な関係になるためには時間も手間もかかる。「うちの職場は仲がいい」とかいうとき,どこか,「宝物みっけ!」みたいな感覚の響きがあるが,そこにはそうなった理由がある。きっと一人一人の心がけがあったり,システムがある。

 良好な関係性はやっかいなもので,最初から備わっているグループもあるから,あたかも「運」として解釈されるようなことがある。しかし,実は「努力」要因もあったりする。みんな関係性によってモチベーションが左右されること知っているのに,それをよくしようとしないのは,さっきのような「運」要因で捉えられていたり,獲得するには時間も手間もかかり「行動コスト」がかかりすぎると思われていたりする。そして,そこに性格や人は変わらないというステレオタイプな思いがそこにトッピングされさらに無気力観をあおる。

 人間関係上の振るまい=性格=変わらない,これは本当かということである。確かに人は変わりにくい。しかし,行動は変わる。変容を難しくしているのは,人格=行動,としてそこをアンタッチャブルにしてしまうステレオタイプな思いである。

 行動は訓練で変わる。それがあまりにもなされないことが・・・なされる機会が設定されていないことが問題なのである。

 学力を付けていくときにかかわりをくぐらない構造の学習を続けていると,いざ,社会に出て協働場面に出くわすと面食らうのである。一流大学を出て,高い知識をもっていても,力を発揮できないのは,ネットワークのなかで自己表現できないからである。人間関係形成力の前に,「世の中は,偏った見方をする独自の眼鏡をかけている人間で構成されている」だから,「人間関係ってめんどうなんだ」「人間関係をつくるのって時間や手間がかかるんだ」「でも,人間関係をつくっていかないと物事は進まないんだ」「信頼関係をつくるには○○が必要なんだ」という人間理解力と社会観を育てることが必要なのだ。

 学習理解力だけを育て人間理解力を育てない,今の学校教育や授業の構造が力を発揮できない人材を大量生産しているのではないだろうか。

 それをわからない輩が誤って力を持つと,命令や支配でしか人を動かすことができない。そんな上司や同僚に出会うと,そばに居る善良な人は「かかわらないようする」か胃に穴を開けることになる。

 余談。

 人間関係ストレス=病気=医療費の高騰

 だったら,良好な関係性をつくることを国家プロジェクトにしたらいい。医療費が下がる=税金がかからない=消費税が下がる=スイーツが増える・・・あ,これはこれであらたな病気か・・・。

 

2014-04-03

[]亡国のシナリオ

 ある教師の名言

「高校に受かる力を持っている人間がいじめをする。何が学力向上だ!」

 冒頭の言葉は「高校に受かる力を持っていない人はいじめをしてもいい」という意味ではない。さらに「学力が低い人がいじめめをする」という意味でも無い。そして,彼女は学力向上に反対をしている者でもない。(時に都合のいい解釈に飛びつく人がいるからこうした説明がいるのもちょっと大変な世の中である。真意を聞くという冷静さがコミュニケーションには必要だと思う。)

 公教育が本当に「人格の完成」の方向に向かって進められているのならば,「○○高校受かりました~!」なんて言っている者たちがトイレでハンデを持つクラスメートをぼこぼこにしたり辱めたりしないはずである。

 学力向上にシフトしそこに向かって走るのもいいが,「何のための学力か」「学力とは何か」を上が説明しないなら,現場教師がそれぞれきちんと確認して子どもの教育に当たらねばならないだろう。

 成長にはゆらぎが必要である。だから,成長の過程でいじめのようなことをしてしまうことはある。しかし,加害者にはきちんと後悔する機会を与えてあげる必要がある。

 学ぶと言うことは「人格を高めること」。これを見失ったらそれこそ教育そのものがが亡国のシナリオになってしまう。(1990年代にそれを強烈に反省したはずなのだが・・・。)

[]年度末

 年度末だというのというかだからこそというかアホみたいに忙しい。

「休みを取る」と決めたのに結局、働いていた。

 自己啓発的価値観からいくと全くダメダメな年度末。

 今度そんな教師たちから原稿を書いてもらい「THE無計画」という書籍を発刊したい。

 まあ、でも嫌な忙しさではない。

 昨日の超地元で行われた地元のためのNゼミの立ち上げイベントが大成功だった。ものすごく雰囲気のいい時間だった。第1回の講師として山田洋一氏は最適の人物だった。山田氏は、教室をアップとルーズで見ることができる数少ない現場教師だ。

 「実践家の言葉ほどあてにならないものはない」とサラリと説得力を持って言える人はそんなにいない。そして、さらにスゴイのは凡人も達人もできるのである。つまり、メジャーリーグでも草野球でもプレーできる類い希なる才能を持っている。あふれるような凄さを持ちながらそれを押さえて普通を語ることができる希有な力量を持っているのである。彼なくしてこの時間はなかったと思う。

 それにしても今年度は私の周辺でいくつか嬉しい動き(大学外編)が始まった。

 地元のNゼミ、「先生のためのクラス会議」、「授業ゼミSP」、関東の「自治的能力向上研究会」、「クラス会議研究会」また、24回を数える「愛と勇気のチカラ」は関西の活動が定常化してきた。

 特に、民間の教育研究会が育ちにくい土壌にあるとずっと指摘されてきた地元で、新しい動きができて来ていることに希望を感じる。官制のものは人事異動で脆くも崩れ去る性格を持っているが、民間の活動はやめさえしなければ続く。

 そして、この自治的能力研究に関して、注目する出版関係者がいることもありがたい。ここに関心を持ち、実践を重ねる教師たちにまたとないアウトプットの場が用意されることになる。(「いいかい?やるよ!」心当たりのある人、やってみたい人、集まれ!)

 さらに、ずっとひたすらに「生徒のために」とぶれずに実践を続けてきた仲間の業績に光が当たり、そしてさらに大きな注目を得ようとしている。ちょっとキャリアを積み認みられるとすぐに人事のことばかり口にする輩がいるが、この教師はひたすらに「THE生徒」なのだ。

 めったに嬉しさは口にしない私だが、今日はいいだろう。

 だってそうでしょ?年度末だから(笑)。

[]Nゼミ

 Nゼミ(地元若手サークル)に、学生や新採用の教師に混じって、地元の超ベテランが来られていた。なんという勇気だろうか。

 異動を機に、また自分をリセットして学び直す、という気持ちでこられたとのこと。人は経験を絶対視する。早い人は、新採用数年でもう自分のやり方に固執し、子どもと摩擦を起こし、学級を壊す。

 この先生の学び方をそっと見ていると、1分1秒を惜しむように模擬授業、ワークに参加している。気が引き締まる。

 学び続ける教師がまた一人ここにいた。

[]いいね

 原稿執筆中にある新採用教師からの電話。

「一年間、何もできなかった・・・くやしい。」

「いいね」と思う。

初任者のときから「うまくいきました」なんて言っている教師にその後の成長はあまり期待できない。まれに天才的なポジティビティを持っている人がそうした感想を持つことがある。そしてそのポジティビティによって自分の能力を開化させる人がいる。しかし、そんな人はごく僅か。

 多く人が失敗する。私は彼女の一年を失敗だと思っていない。初任者として学級を壊さず一年を経営した。そして、いろいろあっただろうけど子どもたちをかわいいと思えている。それ以上の勲章があるだろうか。しかし、彼女が失敗だと思っている事が重要なのだ。人は成功から学ぶことは少ない。多くは、失敗と後悔から学ぶ。

 悔しさはバネになる。きっと数年後には自分にオッケーを出せる仕事をするだろう。それくらいでちょうどいい。

 ここを旅立った初任者たちが、それぞれでドラマをつくっている。そんな報告が舞い込む。自分の仕事の意味が段々とわかってきた。

2014-01-24

[]ありがとう学食

 最近、学食によく出没します。

 ゼミ頻度が高くなっているのでゼミ生とともに学食に突入。

 大好きな人たちと一緒ならば、おいしいもんですわ。

 担任していた学部1年生たちがよく声をかけてくれます。

 ずいぶん、大学にも慣れ伸び伸びとして楽しそうです。

「先生~、会いたかった~」

 なんて言われて上機嫌。

 いつもゼミ生に付き合ってもらっていたので彼らも卒論やまとめで忙しいので一人学食を試みました。

 すると専攻長や同僚が来たので、早速二人をイジリ倒しました。

 隙あらば上司もイジる。

 向こうも負けてない。

 専攻長が帰っちゃったから、その隣に座っていた同僚に「ねえねえ、センセイ~」とすり寄って議論をふっかけた。

 でも、彼も用事があるとかで帰ってしまった。

 食べ終わって席を立とうとすると、ゼミ生のカーリーとパトラが来たので、またそこでイジリを始めたり、イジラれたり・・・。 

 そうしているうちにこっちも夜の部の仕事の時間となったので、彼女らに別れを告げて学食を出ようとするとゼミ生のテツが一人でご飯を食べている・・・。

「お前、あそこでカワイイ女子らがご飯食べているのに、ここで一人で食べているって・・・修行僧か!」と突っ込もうと思ったけど、あんまり、純粋な目をしてご飯を食べているから「ほれほれ、あそこで一緒に食べてこいや」と二人を指さす。

 彼女らは、我らの視線に気付き、「あ、じゃあ」と席を立とうとする。

「あ~」と崩れ落ちそうになるテツに、女子らは「なんてね~」と座り直し、一緒に食べ始めた。

 その様子を横目で見ながら研究室に帰り、仕事を始めましたとさ。

 こんな時間に癒やされた今日でした。

 感謝。