元気と勇気は誰でも出せる 

2013-02-07

[]質問に答えて24

Q クラス会議はまだ実践していませんが、困っていることを話し合う時間を週に一度もっています。ただ、話し合いに何の期待もしない子どもが多く、やはり一部だけで話が進められている現状です。

 みんなが対等で、このクラスが嬉しい!と思ってくれるようなクラス会議を始めるために、午後のプログラムも楽しみにしています。

A 定常的に話し合う時間を持っておられるだけでも素晴らしいと思います。ただ、困っていることを話し合う時間はどうしても、ネガティブな雰囲気になりがちです。子どもネガティブに向き合うことが苦手です。あふれるポジティブに支えられないとネガティブに向き合うことは難しいです。だから、「困ったこと」と話題を限定しないで、お楽しみ会の計画などどんどん楽しいことの計画をさせてたらいいでしょう。また、困ったことが解決してうまくいく、というのもポジティブな雰囲気をつくります。まずはあんまり話し合いの細かいところにこだわらず、話し合ったら行動する、このサイクルを作り出すことです。そして、成功体験を積むことで学級にポジティブ体験を創出するようにします。

 ポジティブ体験とネガティブ体験がおよそ、3:1(経験則です)になると~話し合った結果うまくいくことが3に対し失敗することが1です~話し合いを喜ぶようになります。ポジティブ比が挙がってくれば、間違いなく話し合いに対する参加率が上がります。競って司会グループに立候補するようになるでしょう。子どもは、諦めるのも早いですが、希望を持つのも早いです。

 気を付けなくてはいけないのは、失敗体験が0でいいかというと、0ではダメなのです。失敗体験0は、マンネリや形骸化を生む要因となります。だから、「晴れときどき雨」のように、「成功ときどき失敗」くらいの学級が成長する学級です。その比率が3:1です。3:1を下らないようにします。これが、2:1だと話し合いは停滞します。参加率が落ちてきます。

 また、成功体験が続きすぎたら「危険」だと思える担任は、かなりセンスのある方です。

[]質問に答えて23

Q 複数の意見から1つの意見をしぼる時にいつも多数決になってしまいます。そうすると、自分の意見とは違ったものが採用されてしまう子どもが出てしまいますが、その場合、どのような声かけをしていくと良いのでしょうか。

 また、多数決をできるだけ回避する手立てはあるでしょうか。

A 午後の講座で申し上げたように、多数決は回避すべきことではないと考えています。もちろん、なんでもかんでもいきなり多数決という事態はよくありません。議論を尽くした上で多数決をします。多数決に破れたときに「潔く負ける」ことを教えるべきだと考えています。

 人生のできるだけ早い段階で、世の中は自分の思い通りにはならないということを学ぶべきだと考えています。しかし、同時に正しいことをきちんと伝えたら誰かがわかってくれることも早い段階で知るべきだと考えています。多数決は民主主義のルールです、忌避すべきモノでも回避すべきモノでもないというのが基本的な考えです。最も大事なことは、どういう経緯で多数決に至ったかという点と、その多数決をどう受け入れているかという点に教師は関心を持つべきでしょう。

①集団決定に積極的にかかわっているか

 ・相手の言いたいことを理解しようとしているか。

 ・自分の言いたことを適切な方法で伝えているか。

 ・相手と自分の意見が食い違ったときに合意点を見出そうとしてるか。

 そこらへんをよく見て、できていたらほめます。出来ていなかったらアドバイスをしてみます。今度はこうやってみよう、とです。

②集団決定を尊重しているか

 そして、集団決定後の行動をよく見ます。そして反対意見だったにもかかわらず、積極的貢献をしている姿見つけて、集団でまたは個人でほめます。「○○さんは、この前は違う意見だったけど、ちゃんと決まったことを尊重しているんだね」と、喜びや尊敬を伝えます。

 また、少数派が正論を言っているのに、支持されない場合は学級の風土人間関係に問題があるかもしれません。話し合いそのものよりも関係性をもう一度点検する必要があります。話し合いで大切なことは、対等な関係の構築です。これは常に子どもに伝えていかねばなりません。

 多数決自体はけして悪いことではないと考えています。なのに、「多数決をしてはいけない」という意見をお聞きすることがあります。しかし、多数決のない民主主義は、現実的に存在するか疑問です。むしろ、多数決というシステムをきちんと教えることが子ども民主主義を教えることになろうかと思います。もちろん多数決というシステムは、意見に対して同意反対を示すということのみを指すのではなく、その前後も含めてシステムです。多数決をどうとらえるかという問題は、教師が民主主義にどう向き合うのかが問われているように思います。